第33話 愛しい
緑青は語り終わると俯き、目を閉じて口を引き結んだ。静寂が教室を包み込む。
彼女の語りは衝撃的だった。俺は、いなくなってしまった父親と重ねられていた。似ていたから。本性を隠して漫画を描いていたから。だから、放っておけなかった。
父親の、代わりだった。
それが、俺に告白をして漫画を描かせた真実だったのか。
俺は大きく深呼吸し、目の前で小さく縮こまってしまっている少女を見つめた。
俺はびっくりするほど、傷ついていなかった。だって、楽しかった。
そして俺が楽しかったように、緑青も俺といて楽しいと思っていてくれたことが嬉しい。同じ気持ちだったことがただただ嬉しいのだ。
動機なんてなんでもいいんだ。俺は緑青と出会って漫画を描いたことに、後悔なんて一つもない。黄瀬とも友達になれた。いろんなことに気づくことができた。全部全部、緑青のおかげだ。だから──
「謝ることなんて、何もないよ」
本心からそう言った。次の瞬間、緑青は顔を上げ俺を見た。潤んだ大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「……く、黒石くん」
俺を呼ぶ声は震えている。緑青は義理堅く真面目だ。罪悪感を抱えてしんどかっただろう。その不安を取り除いてやりたい。
「寧ろお礼を言いたいくらいだ。ありがとう。俺を、見つけてくれて」
俺の作り笑いに気がついて、たとえ俺以外の人間──父親への罪滅ぼしだったとしても、変えようとしてくれた。
助けようとしてくれた。だから今、俺は辛い思い出を克服して、前を向くことができている。
「で、でも、わ、私……」
「偶然でも、何でもいい。俺は緑青に感謝してる。それで、いいじゃないか」
「……う、うん」
緑青はこくりと頷くとまたぽろぽろと泣き出してしまった。
完璧で非の打ち所がないかのように見えた彼女の、幼い部分、弱い部分を今日、知ることができた。
認められるためにずっと努力してきたから欠点なんてないように思えたが、緑青は本当はとても繊細で少し泣き虫な普通の女の子なんじゃないか。
そんな彼女を愛しいと思った。
だんだんと落ち着きを取り戻した緑青を見て、俺はふと思い出した。
私、待つのは得意なの、という緑青の言葉。あれは約束をした日の翌日だった。そういう、ことだったのか。
「今でも、待っているんだろう。親父さんのこと」
「ええ……。どこかで、生きてるかもしれないから。いつか、ふらっと戻ってくかもしれないもの。それに、戻ってこなくてもお父さんの描いた漫画が、どこかで公開されて、いつか読める日が来るかもしれないって……」
「そうだな」
そんな日が来て欲しいと、俺は心の底から願った。
「黒石くん。話、聞いてくれて、ありがとう」
そう微笑む緑青の目の周りは少し赤い。すぐに冷やしたほうがいいだろうと思い、俺は財布を持って立ち上がった。
「く、黒石くん?」
出て行こうとする俺を見て困惑している緑青に、待ってろとだけ言い、走って自販機のある中庭へ向かった。ペットボトルの水を買う。
戻って緑青に差し出すと、彼女は目を丸くした。これで冷やすように、と言うと素直に受け取ってくれた。緑青はペットボトルにタオルを巻いて目に当てた。
「……お水、いくらだった?」
何を言うかと思ったら、まったく、律儀すぎる。お金はいらないと返すと、それはいけないと怒り出した。
「払うから、何円だったか言って」
「いらないよ。俺が勝手に買ってきたんだから。ありがたく受け取ればいいだろ」
「そんな……悪いわよ。理由もなく、奢ってもらうわけにはいかないわ」
普通女子って奢られたら、わーいって喜ぶもんなんじゃないのか? まぁ奢ったことがないからわからないけど。
「じゃあ、それぬるくなったら返せよ。それならあげたことにならないだろ」
目を冷やすことが目的なので、それが終わったら回収すればいい。それなら文句ないだろうと思ったのに、緑青はぎゅっと守るようにしてペットボトルを抱き込んだ。
「い、嫌よ。返さない……」
絶対渡さない、という意思表示だ。
しまった、と思った。失言だ。緑青が触ったものをコレクションしようとしたと勘違いされたようだ。断じて違う。俺は変態じゃない。
「……るわよ」
「え?」
頭を抱えていた俺の制服の袖を緑青が口籠もりながら摘んで引っ張った。
「今度、私が何か奢るわよ。そ、それでチャラにして。……いい?」
緑青の目も頬も赤く色づいている。そこに俺への嫌悪はない。むしろ……いや、なんでもない。どうやら先ほどの発言はセーフだったらしい。良かった。
「じゃあ、それで。楽しみにしてる」
「ええ」
緑青が微笑んだ。やっぱり、泣き顔より笑った顔の方がいい。
さっきまでの重たい空気が一掃されて、普通に話せていることが嬉しかった。
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