第32話 緑青の告白
私の母の家は代々続く名家でね。父は婿として迎えられたの。父の印象は、真面目だけが取り柄の人。いつ楽しくもないのに作り笑いを浮かべて、腰を低くして、祖父母に従ってた。母の家で上手くやっていこうと必死だった。そういうの、子どもでもわかるものなのよ。
だから私、父のこと苦手だった。
表面を取り繕って、何を考えているのかよくわからない、そんな父の笑顔が、不気味に思えてしまったの。ひどい娘よね。
そんな父が或る日突然いなくなってしまった。耐えられなかったんだと思う。
職場でも家でも、無理をして演技していたんだもの。息が詰まったのね。行方不明届けを出したけれど、見つからなかった。
私、父を恨んだ。私を置いて逃げてしまったんだもの。……本当は、作り笑いじゃなくて、本当の笑顔を向けて欲しかった。
父がいなくなって、母は気を病んでしまって……今は元気になったけど、当時は祖父母も親戚もかんかんに怒ってね。私、人一倍頑張った。勉強も運動も、お習い事も全部。父の娘であることを理由に悪く言われるのが嫌で、私は父とは違うと示そうとした。
そんな時にね、見つけたの。父の書斎の机の引き出しの中にノートが何冊も入っているのを。
父の部屋はずっとそのままになっていてね。誰も掃除をしないから私が、と思って。本当に、運が良かった。他の人に見つかっていたら捨てられていたかもしれないから。そのノートにはね、漫画が描いてあったのよ。
鉛筆で描かれていたのは、ギャグ漫画だった。平凡な小学生の主人公が宇宙人やロボット、歴史上の人物と異世界を冒険する話。
私、びっくりしたの。あの真面目しか取り柄のない、趣味もなくつまらなさそうに生きていたとばかり思っていた父が、こんな個性的でツッコミ満載の、上手いとは言えないけど面白い漫画を描くだなんて──想像もつかなかった。
他のノートにはバトルアクション、推理もの、感動の恋愛ストーリーなんかもあってね。私、全部読んだの。そして、思った。
本当の父はここにいたんだって。
本当の父はユーモアがあって感情が豊かで、きっと、優しい人だったってわかったの。
だって、どの漫画も共通してすごく優しい話だったから。
私、誤解してた。ずっと。
すごく後悔した。なんで、不気味だなんて思っちゃったんだろうって。もしかしたら、そんな私の気持ちが父を追い込んだんじゃないかって……。
後悔を抱えたまま、高校生になった。そして、出会ったの。黒石晃くん、貴方に。
私、入学してしばらく経ってから、貴方を職員室で見かけたの。その時、一目見てわかった。作り笑いをしてるって。
父とよく似ていたから。
頼まれて、でも嫌と言えなくてへらへらと笑って媚を売って、上手く立ち回ろうとしてた黒石くんの笑顔、気持ち悪かった。
その後委員会の集まりがあって、私クラスの委員長の代理で出席したら、また、会った。
あいもかわらず貴方は貼り付けたような笑顔で、周りを気にしていた。
だから、目が離せなかった。黒石くんに父を重ねていたの。貴方にも本当の貴方がどこかに、きっも隠れているんじゃないかって、気になった。
暴いて、その顔を──態度をやめさせたかった。もっと自分らしく生きて欲しいって。
全部私の後悔から生まれたエゴ。
父にできなかったことを、黒石くんにしようとしたの。
そんな時、たまたま黒石くんが廊下のロッカーの上に、ノートを置き忘れて帰るところを見てしまって、悪いとは思ったのだけれど、開いて見てしまったの。
驚いたわ。これも、父と同じなんだもの。
いけないことだって承知で、急いで鞄にしまって帰ったわ。帰ってから夢中で読んだ。あの何にも興味がないみたいな、諦めたような顔をして笑う貴方が、こんなにも熱いバトル漫画を描くだなんて、面白くて笑ってしまったわ。
そして、思った。
父と同じで、本当の黒石くんはこの漫画の中にいるんだって。
漫画を描くことが、本当の黒石くんのを引き出すために必要なことなんだって、わかってしまった。
だから、私は貴方を脅したの。
もっとたくさん描いて欲しかったから。
そして貴方の本音を、心を、もっと外に出して欲しかったから。
付き合えば一緒にいる口実になると思ったの。手っ取り早い方法が、それしか思いつかなかった。
貴方は渋々了承してくれて、私楽しかったのよ。秘密を知られてからの貴方は、すごくいろんな表情をしたし、いろんな反応を示してくれた。
強制的に始めた関係だったけど、そのうち放課後が待ち遠しくなった。
でも、だからこそ、このまま騙していてはいけないと思ったの。楽しいのに、どこか息苦しくて、限界だった。
本当のことを話さなきゃって、何度も思ったけど、ずっと言えなくてごめんなさい。私の身勝手な、罪滅ぼしのために、貴方を利用して、ごめんなさい……。
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