第30話 名前

 名前を付けるって難しい。


 帰ってから夕食中も入浴中もずっと主人公とヒロインの名前を考えていた。


 漫画の登場人物なんだから派手な方がいいだろう。キラキラネームでも許される、むしろ印象に残るので推奨される場合もある。


 その一方であまりにも現実離れした名前は避けたいという気持ちもある。現代の恋愛ものだからリアリティを大事にしたい。


 悩みに悩んだ結果、ネットで赤ちゃんの名前ランキングから拝借することにした。




 

 鍵当番は緑青だったが文化祭準備が休みになった俺が交代し職員室に取りに行った。白井と目が合い、先日感じたもやもやが再び湧きあがるのを感じたが、気にしないよう努めた。


「こんにちは。鍵を借りてもいいですか」

「やぁ黒石くん。はいどうぞ」


 気さくな人好きのする笑顔。眼鏡ともさっとした癖のある髪のせいでわかりにくいがやっぱりイケメンだなと思う。僅かな敗北感。


 職員室を後にした俺は国語資料準備室前の廊下で緑青と鉢合わせした。彼女は長い髪を一つに束ねていて、初デートの姿が俺の脳裏に鮮やかに蘇った。


「髪……」

「ああ、これ? 暑かったから」


 そう返す緑青の頰は少し赤く色づいていた。歩くたびにポニーテールが揺れつい目で追ってしまう。室内に入り緑青が席についたのでさっそく考えてきた名前を見せた。


「……申し訳ないのだけど、この中にピンとくるものはないわ。なんだか……人気の名前ランキングからもってきたような」


 ぎくっ。鋭い。


「その様子……図星?」


 素直に頷くと緑青はやれやれと言った感じで眉を八の字にさげた。


「参考にするのはいいと思うけれど、せっかく名付け親になるんだから愛着のわく名前を考えてはどうかしら?」

「はい」


 確かにドライすぎたかもしれないと反省する。一から考え直しだ。


「やぁ。お二人さんお揃いで、精がでるね」


 柔和な笑みを浮かべ白井が入ってきた。


「何をしてるんだい?」

「……登場人物の名前を考えてるんです」


 白井は俺が漫画を描いていることを知っているし、場所を提供してくれている恩もある。邪険にすべきでないと判断し正直にこたえた。


「なるほど、確かに悩むよね。名は体をあらわすっていうからなぁ」


 名は体を……ってじゃあ俺は黒い石っころかよ。……いけない。白井に対してイライラしてしまっている。落ち着け。


 それに名は体をあらわす人物がすぐそこにいるではないか。


「緑青はいいよな。綺麗な名前だし」

「そんなことないわよ」


 否定され、思っていたことを無意識に口に出していたことに気づく。口説いたわけではなく本心なのだが。


「緑青って、錆のことよ。そんないいものじゃないわ」


 ポツリと、独り言のように彼女はそう付け加えた。その表情は切なさを含み、胸を締め付けられた。


「でも……あ、そうだ」


 励まそうとかそういうんじゃない。ただ、思っていたことを伝えるだけ。


「何かしら」

「虹みたい、って思ったんだ」


 初めて彼女の名前を知った時、鮮やかな七色の光の橋が目に浮かんだ。なんて美しい名前だろうと。


「虹の色って赤橙黄緑青藍紫だろう? ほら、みどりあおあいで、緑青藍ろくしょうあい。グラデーションを彷彿とさせる、綺麗な名前だ」


 そう言い終わると、緑青の目が大きく開かれキラリと光った……気がした。長いまつ毛が伏せられ、口角が上がった。小さな笑いが漏れる。


 あれ? 何を今更当たり前のことを、って思われてる? 発想が小学生みたいだったからか?


 俺が困惑していると緑青が小さく、嬉しいと言って微笑んだ。


 ああ、本当に虹みたいだ。


 綺麗で、消えてしまうような儚さが滲む笑顔。俺には遠すぎる。手の届かない人。


 緑青の頰はほんのりと桜色に色づき唇はゆるやかな弧を描いている。それを見て、俺の頰も熱が帯びるのを感じる。僅かな沈黙が流れた。


「黒石くんは日の光だね」


 沈黙を破った白井の言葉に、俺もハッと目を見開いた。


「日の光であきら。いい名前だね。それに虹と日光なんて、なんだかお似合いだよね」

「「な……っ」」


 白井の発言に言い返そうとして、緑青とハモってしまった。かぁーっと顔が全体、耳の裏まで熱を帯びるのを感じる。横目でみやると緑青も同じように顔を赤くして肩を震わせている。


「青春だね〜」


 と、白井は呑気に笑うと冷蔵庫から烏龍茶を取り出して三つの紙コップに注いだ。緑青はキッと白井を睨み、紙コップを何も言わずに受け取りごくごくと飲み干した。俺も体温が下がることを祈って喉に流し込んだ。


 烏龍茶を飲み終えると白井は職員室へと帰って行った。緑青はもう来ないで欲しいと呟いたが、それが本心なのか俺にはわからない。

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