第29話 賛辞と安堵

 俺の力作──完成したストーリーはこうだ。


 主人公は高校の文化祭でお化け屋敷の脅かし役をしていた。そこにヒロインである完全無欠美少女が客として入ってくる。


 主人公が思いっきり怖がらせると、ヒロインは腰を抜かし、挙句の果てにはわんわん泣き出してしまう。慌てて自分の被っていた布でヒロインを覆い隠し、出口まで誘導する。なんでもヒロインはお化けが大の苦手なんだとか。弱点克服のため、そんなに怖くないとふんでお化け屋敷に入ったものの失敗したとのこと。


 ヒロインは完璧な自分じゃないとみんなに受け入れてもらえないと言い、弱点を秘密にして欲しいと主人公に懇願する。それを了承し、目の腫れが引くまで共に行動することにする主人公。


 顔をお面で隠したヒロインは想像していたよりもずっと親しみやすく無邪気で可愛らしい。主人公は元々憧れていたこともあり、すとんと恋に落ちてしまう。文化祭が終わったらもう接点はない。なんとかして思いを伝えようとする。


 一方ヒロインは弱点を知られた主人公に対しては完璧を演じる必要がなく、自然体で接することができることに気づく。一緒にいて疲れないし、楽しいと思うのだ。


 ずっと完璧な姿を演じてきたヒロインにとって、それは初めての経験だった。


 もっと一緒にいたい、まだ文化祭が終わってほしくないとヒロインも主人公と同じことを思う。


 でも、この気持ちが恋なのかわからない。


 そして文化祭のメインイベント・告白大会で主人公はヒロインに告白する。


「好きです。付き合ってください」

「……ごめんなさい」


 ヒロインはこの感情が恋なのかわからない故に断ってしまう。でも、主人公のことをもっと知りたい、一緒にいたいという気持ちは確かだ。彼女は付け加える。


「……友達からでもいいですか?」


 主人公が大喜びして、ヒロインがその姿を見てくすりと笑う。

 

 おしまい。


 完璧な両思いハッピーエンドではない。ハグどころかキスもしない。でも主人公の好意はヒロインにしっかり届き、片思いが実るかもしれない、そんな希望の残るエンド。これが俺の考えついた結末だった。





 緑青が読み終わったと告げたので国語資料準備室に入りお互いに向かい合うように座った。


「よく、まとまっていたと思うわ」


 凛とした声。まっすぐに俺の目を見ながら緑青は微笑んだ。


「ヒロインの女の子の心情が、丁寧に描けてる。素の自分を受け入れてもらえたことへの安堵、信頼の構築、そして興味関心──好意と思しき感情の芽生え。結ばれるのではなく、新たな関係からのスタートというリアリティがある納得のいくラストになっていると思う。それに、思った通り。あなたの描く人物の表情、素敵だわ。必死さや焦り、不安、喜び、どれも感情がこもってる」


 緑青の賛辞が俺の心を満たしていく。幸福というものがどんなものか、わかった気がした。


 すごく、すごく嬉しい。


「これ、完成させて。原稿用紙、買ったでしょう? 描いて見せて」

「わかった」


 頑張ろう。


 心が雲一つない青空のように澄み渡っていく。人に認められるのってこんなにも気持ち良いものだったんだな。


 懐かしくも苦い、蓋をしていた記憶が蘇えってくる。認められて舞い上がった結果、井の中の蛙だった俺は底に落ちた。けれど今、俺は再び絵を──漫画を描いて満たされている。


 結局、俺はどう足掻いたって認められたいという思いを捨てることができないのだと思い知る。


 でもそんな浅ましいさがを俺自身が認めてあげなきゃいけなかった。


 欲張りで、意地っ張りで、情けない。どうしようもない嫌な部分だけど、それも俺の一部なんだから、俺が否定しちゃ駄目だったんだ。


「黒石くん、泣いているの?」

「え……?」


 頰を伝うあたたかな感触。


「あ、違っ……これは……」


 きっと、安心したからだ。あの時とは違う。悔しくて悲しくてどうしようもない怒りからの涙じゃない。


「これ、使って」


 慌てて手で涙を拭う俺に緑青は水色のタオルハンカチを差し出した。


 有り難くお借りする。ふんわりといい匂いがした。柔軟剤の香りだろうか。


「……悪いな。洗って返す」

「別に、今返してもらっても構わないけれど」

「え」

「でもそうね、また必要になるかもしれないし、持っていた方がいいわ。明日にでも返してちょうだい」


 幼子をあやすような優しい声音だった。もしかしたらまた揶揄われたのかもしれない。もう慣れたけど。


「読めて嬉しかったわ。ありがとう。頑張ったのね」


 労いにまたうっかり泣きそうになってしまった。今日の俺は涙腺が緩すぎる。


「でも黒石くん、一つだけ指摘させてもらっていいかしら。この漫画、登場人物の名前がないのだけれど」

「あっ」


 感動もつかの間。うっかりしていた。話作りに夢中になるあまり、主人公とヒロインの名前を考えるのをすっかり忘れていた。


「……その様子だと、まだ考えていないみたいね」

「忘れてた」


 名前という、かなり重要なものを失念していた自分に呆れてしまう。


 緑青は小さく何か独り言のように呟いてから立ち上がった。それはとても小さな声で聞き取ることはできなかった。


「今日はもう帰りましょう。明日話し合うわよ。だから、あなたに宿題。名前の候補をいくつか考えてくること。いいわね?」

「お、おう」


 返事をして俺も立ち上がった。

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