第28話 力作
休日の二日間を俺は漫画を描くことに費やした。
ヒロインが主人公を好きになる理由が弱い、きっかけが足りないという緑青の指摘を思い出す。
いっそ一目惚れという手もある。蓼食う虫も好き好きというように人の好みは千差万別。主人公のような普通の男子を好く女子もいるだろう。それがたまたま才色兼備の美少女だっただけ。俺が読んできた漫画にもヒロインが主人公に一目惚れする展開は多くあった。
でも、それじゃ駄目な気がした。
俺は、《俺が本当に描きたいもの》を描かないといけない──いや、描きたいと思った。
別に、ヒロインが恋に落ちる必要なんて、ないのかもしれない。そうだよ。両思いになる必要なんてないんだ。恋はもっと自由なはずだ。安易なハッピーエンドではない、もっと切実な、無謀でも諦められない片思いだって立派な恋物語だろ。
ふっと肩の力が抜けた。思いつくままシャーペンを走らせる。
そして、プロットをまとめ上げ漫画の下書きであるネームを日曜の夜に完成させることができた。
★
月曜日、少し誇らしい気持ちで登校した。
早く緑青に読んでほしい。そして感想が聞きたい。渾身の力を注いだ作だ。
黄瀬のおかげで頑張れた。彼女の頑張りに触発されたから。
緑青に読んでもらった後、黄瀬にも読んでもらおうかなと考え首を振る。黄瀬には完成した原稿を読んでもらおう。
すごいと言ってもらえたからには、その期待に見合ものを見せたい。見栄っ張りかもしれないけど、期待にこたえたい。
こんな気持ちはとうに捨てたはずなのに。今になって蘇ってきたのはきっと、黄瀬の期待が重圧ではなく前に進むための光に思えたからだろう。
文化祭準備は順調に進み、渡辺が明日を休みにしようと提案した。久々に午後がフリーになることを全員が喜んだ。クラスのムードはとても穏やかでこの調子でいけば良い文化祭になりそうだ。
解散してすぐ俺は鍵を取りに職員室へ向かった。白井と顔合わせるのが少し嫌で、足取りが自然と重くなる。扉を開けるのにも時間がかかってしまった。
職員室に白井の姿はなかった。これ幸いと白井の机の上のメモ帳に鍵を借りる旨と氏名を書いて鍵を取った。準備室に着いた俺は冷房を入れ、いつも通り廊下側の机に座り、ノートを机の上に置いた。
早く来ないかな、とそわそわしながら緑青を待つ。しかし緑青は三十分程経っても現れなかった。
遅い。
メッセージを確認するが、新着なし。準備に追われているのだと察しがついた。少し心配だ。あの紙袋、器用で仕事の早い緑青のことだ。誰かの分の仕事を引き受けたんじゃないだろうか。
きっと誰かに協力を仰がず、一人で。
ガラッと扉が開く音がして顔を上げると息を切らした緑青と目があった。彼女の淡く紅潮した頬が急いでここへ来たことを物語っている。
「……遅く、なってしまってごめんなさい」
俺の隣の席に腰を下ろす彼女の手に紙袋はなかった。
三日ぶりなのに随分と会っていなかったような気がする。不思議だ。
「走ってきたのか?」
緑青の顔を改めてちゃんと見る。大きな澄んだ瞳に俺だけが映っている。その事実に、心臓がドクンと音を立てた。
「走ってはいないわ。校則違反だもの。早歩きよ」
「そう、か」
あれだけ早く漫画を読んで欲しいと思っていたのに、いざ本人を目の前にすると逃げだしたくなるから不思議だ。緊張からか手汗がひどい。
意を決して俺は机の上のノートを掴み、緑青に突き出した。
「これ!」
「何?」
「この前の文化祭の話、直して描いてみたんだ。読んでくれ」
緑青は両手でノートを受け取った。それを見届けて立ち上がる。
「読み終わるまで、外にいるから!」
そう言い放ち廊下へ出た。力作だからこそ反応が怖い。情けないが許して欲しい。
手持ち無沙汰になったので窓から運動場を眺めることにした。ここからは野球部の練習場がよく見える。汗と土にまみれながら、ひたすらにボールを追いかける姿は生き生きとしていて眩しかった。
扉が静かに開く音がして、振り返ると緑青がノートを両手で抱きしめるように持っていた。
「読んだわ」
「……どう、だった?」
心臓が苦しい。緑青の顔を見ないように、視線を下に移した。表情から良かったか悪かったか悟るのは嫌だったからだ。ちゃんと言葉で知りたい。
「中に入って、それから話すわ」
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