第27話 本当
夢中で食べていると紅葉さんがアイスティーを出してくれた。ありがとうございます、とお礼を言うとサービスサービスと手を振られた。香りの良い冷たい紅茶がメロンパンとよく合う。
「美味しいでしょ?」
「ああ、すごく美味い」
得意げに尋ねられ素直に頷く。ペロリと平らげてしまった。
「えへへ。私が褒められたわけじゃないのに嬉しいな。お皿私片付けるね。黒石くんはパンとか見てて」
空になった皿を二つ持ち黄瀬は厨房へ消えた。俺もアイスティーを飲み干し立ち上がる。トングとトレイを手に持ち、買う予定だったクロワッサンを三つ、美味しかったメロンパンを一つとる。自分と両親へのお土産だ。もう少し買っていくかと物色する。
「家族の分?」
黄瀬が戻って来て横に立った。
「ああ、母親は甘いの好きだから」
「それならフルーツのダノワーズとかどう?」
黄瀬が指差したのは上に乗ったフルーツがつやつやと輝くお洒落で可愛らしいパンだった。これなら喜ばれそうだ。すかさずトレイに載せる。あとは父親の分。
「男の人に人気なのはこれかな」
指差されたのはカレーパンだ。大きめでサクサクとしていてとても美味しそうだ。よし、決まり。レジへと向かう。
黄瀬がレジを打ってくれたのだがメロンパンとアイスティーの料金が含まれていない。
「なぁ、メロンパンとアイスティーは」
「あーそれはサービス!」
紅葉さんの声に遮られた。
「でも」
「いーのいーの! その代わりまた来てくれる?」
にっこりと微笑まれ、勿論そのつもりだったのではいと返事をした。
「やった! 新規顧客ゲット。先行投資は大事だからね〜。あ、そうだ菜乃花ちゃん。送ってやりな」
「はーい。いこっ」
「あ、ありがとうございました。ご馳走になってしまって。すごく美味しかったです」
お礼と感想を述べ、促されるまま外に出た。なんだか晴れ晴れとした気分だった。
「駅まで一緒に行くね」
「頼む」
土地勘があまりいい方ではない自覚があるのでご好意に甘えて送ってもらうことにした。
「ふふっ、黒石くんが気に入ってくれて嬉しかったなぁ。今日はありがと」
「それはこっちのセリフだ。ありがとう」
「どういたしまして」
「あ、そうだ黄瀬。……なんで、金が欲しいんだ?」
俺の質問に黄瀬の動きが止まった。並んで歩いていた俺は黄瀬を抜かしてしまい慌てて振り返る。
つい、気になってデリカシーのない質問をしてしまったと反省する。
「……黒石くんになら、いっか」
黄瀬は俯き小さくそう呟くと顔を上げてふんわりと微笑んだ。
「私ね、お金貯めて海外に行きたいの」
海外──旅行、いや留学だろうか。
「と言っても海外で何がしたいかは、まだ決まってないんだ。お恥ずかしながら」
片手を頭の後ろに回し髪をくしゃりと乱した黄瀬を俺は黙って見つめる。
「あ、歩きながら話そっか」
黄瀬が再び歩き出したのでそれに続く。
「あのね、紅葉さんと昭仁さんってパリで知り合ったんだって。パリ! フランスだよ。すごいよね。お互い修行のために。それでね、恋に落ちて結婚してお互いの夢だったパン屋さんを日本に戻って始めたんだって」
黙って話に耳を傾ける。黄瀬は俺より少し先を歩いているので表情は見えない。
「凄く素敵だなぁって思ったの。やりたいことが、夢があるっていいなぁって。そんでもって、叶えちゃうなんて本当に凄いなぁって思ってね。私もそうなりたいって思ったんだ。憧れたの。でも……私には特にやりたいことも夢もなかったんだ。どこかで、もういいやって投げ出しちゃうの。長続きしない。どれも中途半端。だから思ったの」
タタッと黄瀬は駆け出し、くるっとターンして俺に向きあった。切なげな、それでいて綺麗な笑顔だった。
「真似してみようって」
一瞬、時が止まったように感じた。
車のガソリンの音、道行く人の話し声、風が木々を揺らす音、蝉の声、全部が一瞬だけ聞こえず、黄瀬の言葉だけが耳に響いた。そんな気がした。
「何にもない空っぽの私には、誰かの生き方を模倣する生き方もありなんじゃないかなって。勿論、私はパン作りがしたいわけじゃないし、パン屋さんを建てたいわけじゃない。……ただ、せめて海外に行ってみようと思ったの」
ドクンドクンと心臓の鼓動が聞こえる。
「月並みな発想だけどさ、考える前に動いてみるのも手かなって。それに真似でも、それがいつか本当になる、なんてこともあるかもしれないじゃない? それにほら海外に行くと価値観が変わるってよく言うじゃんね。行くだけでも価値あるって思って」
それが、理由だったのか。
「……長々と語っちゃった。ごめんね。なんか偉そうっていうか、痛かったよね」
「黄瀬は……すごいな」
「え……」
「自分で考えて、行動してる。全然空っぽなんかじゃない」
「……」
「俺、応援するよ」
「……あり、がと」
俺は黄瀬のことを何も知らなかった。
似ているようでいて、全然違っていた。だって俺は諦めていた。自分の人生は平凡で地味で穏やかであれさえすればいいと。
それに対して黄瀬は必死に自分の生き方を模索していた。何もないからこそ、何かを得たいと諦めずに前へ進んでいたんだ。
恥ずかしい。
黄瀬は俺のことをすごいと言った。漫画が描けるなんて、すごいと。そんなことない。黄瀬の方がよっぽどすごい。
黄瀬と仲良くなりたかった。世渡り上手で自然に普通を演じる黄瀬が、本当は弱い部分を隠し持っている黄瀬が、前に進もうと考え行動している黄瀬が──今となっては眩しく、遠い。
俺も、頑張ろう。
できることから、そう、まずは漫画を一作描きあげてみよう。
緑青から提案され、描くことを強要された。それでも、それすらも本当になっていくのかもしれない。
完成させること。それが俺の第一歩だ。
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