第23話 友達に

「バレてしまったわね」


 戻ってきた俺に向かって緑青が開口一番そう言った。


「ああ」

「どうするの?」

「どうもしない」

「それって……」

「黄瀬は黙っていてくれるらしい。信じようと思う」


 だから心配することはない、と付け加える。緑青は信じられないと言うように眉間に皺を寄せた。


「本当に?」

「大丈夫だ。見られたのが黄瀬でよかった」

「……随分と信頼しているのね」


 そう呟いたきり黙ってしまった。納得してくれたのだと解釈する。そういえば白井の姿がない。


「白井先生は? 帰ったのか?」

「さっき烏龍茶を床に零してね。拭いた雑巾を洗いに行っているわ」

「ドジだな」

「……本当に。憎めないところがまた癇に障るのよね」


 独り言のように呟いた彼女の目はどこか遠くを見つめているようで、俺の頭にさっきの黄瀬の言葉が浮かんで消えた。


 “ 緑青さんにも、あるかもしれないね。秘密”



 


「黒石くん!」


 文化祭の準備中、黄瀬に呼びかけられた俺はびくりと肩を震わせた。

 

 昨日黄瀬に緑青といるところを見られ、付き合っている旨を伝えた。それに対し黄瀬は黙っていてくれるどころか己の秘密を教えて同じ立場に俺を引き上げてくれた。


 未だに信じられない。黄瀬が俺に対してそこまで信頼を寄せている理由がわからない。


「お、おう。黄瀬どうした?」


 声が裏返りそうになった。


「先生から呼び出し。だから来て」


 教師からの召集なら断ることはできない。立ち上がって後を追う。


「先生はなんて?」

「ごめんね。それ、嘘なの」

「えっ」


 全く気づかなかった。


「二人だけでお話ししたかったから。休憩も兼ねてさ。ちょっとくらい、いいでしょ?」

「……そうだな」


 サボりというわけだ。でもたまにはいいだろう。俺も黄瀬も人一倍働いているし、誰も責めたりしないはずだ。


 俺と黄瀬は中庭のベンチに腰かけた。夏でも日陰はわりと快適でたまに吹く風が気持ちいい。


「それにしても、意外だったな」


 黄瀬が背伸びをしながら呟いた。昨日伝えたことだろう。そりゃあ緑青と俺じゃ月とスッポン、釣り合わないもんな。


「黒石くんって漫画描くんだね」


 え? そっち?


「あ……そのことは……」


 緑青と付き合っていることを口止めするのに頭がいっぱいで漫画のことを秘密して欲しいと言いそびれていたことに今更気づく。


 狼狽えている俺を見て黄瀬は柔らかく微笑んだ。


「わかってるよ。漫画のことも秘密なんだよね? 誰にも言ってないし、これからも誰にも言わない」


 幼い子を宥めるかのような優しい声音にひどく安心する。


「……そうしてくれると、助かる」

「でもさぁ、なんで隠すの? すごいじゃん。漫画描けるなんて」

「いや、俺のはただの落書きだから」


 本格的に、真剣に描いている人間しか誇ってはいけない気がした。そういえば前に買った原稿用紙もペンも封を開けていない。机の中にしまい込んだままだ。


「え〜っ私黒石くんの描いたやつ読みたいなぁ」

「それは……ちょっと」

「……るのに」

「え?」

「ううん! なんでもないよ」


 黄瀬は俺から視線をはずし空を見上げた。つられて空を見る。青空に大きな入道雲が浮かんでいて夏らしさ全開だ。


「それにしても、黒石くんってなんていうか……」

「なんだ?」

「ほっとけないっていうか、抜けてるとこあるよね」


 どこがだ?


 いぶかしげな目を向けると黄瀬はにっこりと微笑んだ。


「だって誤魔化すことくらい、いくらでもできたのに。正直にぜーんぶ私に話してくれるなんてさ」


 確かに、友達とか同好会のメンバーだと偽ることもできた。でもそうしなかった。嘘をついてもいずれ綻びが生じるだろうし、何より──


「……多分、黄瀬だったから」


 バレた相手が黄瀬じゃなかったら俺は間違いやなく嘘をついていた。そう、今ならはっきりと確信できる。


「え……?」

「黄瀬は言いふらしたりしない。黙っててくれると思ったんだ」


 確かにあの時、正直に伝えることが最善だと思った。根拠があったわけではない。でも昨日黄瀬が俺は話したりしないと言ったのと同様に、俺も黄瀬に対してそう思っていた。


 黄瀬は、信じられる。


 何故そう思ったのだろう。俺と黄瀬は似ているから? 親近感を覚えていたからだろうか。


「あ、あはは……やだなぁ」


 黄瀬の頰が赤い。暑さのせいだろうか。目が合うと気まずそうに視線を泳がせ、目を閉じた。


「私そんないい子じゃないよ。そういう生き方が染み付いちゃってるだけ。何にもないの、私には」


 はじめて黄瀬の本音を聞いた気がした。


「からっぽなの。やりたいことも夢もないし、すごく飽きっぽいの。必要に迫られて勉強も人付き合いもしてるけど、たまにすごく寂しくなるんだ」


 大きな目が開かれ、俺をとらえる。


「これが本当の私。幻滅した?」


 不安そうに、そう呟くと黄瀬は俯いた。長い睫毛が小さく震えたのを、俺は見逃さなかった。


「いや、しない。本当の黄瀬、俺はいいと思う」


 本心だった。


 やっぱりそうだった。黄瀬はなんでもソツがないけれど弱さを隠すのが上手いだけだった。その弱さを見せてくれたことが素直に嬉しい。


「ふっ、あはは。黒石くんって、やっぱり優しいね」


 優しくなんかない。たった今確信した。


 俺は黄瀬が好きなんだ。恋愛ではなく、人として。


 仲良くなりたいと思っている。きっと黄瀬となら友達になれるんじゃないかって、分かり合えるんじゃないかって期待しているんだ。


「今度、私のバイト先に来てよ。サービスはしてあげられないけど、すごく美味しいんだよ」

「食べ物屋なのか?」

「パン屋さんだよ。クロワッサンがね、サックサクでもうすっごい美味しいの! 一日百個売れることもある一番人気のパンなんだよ」

「場所教えてくれたら行くよ」

「うん。じゃあ今度案内するね」


 風が吹き黄瀬の柔らかそうな髪がなびくのを見つめながら、ふと思う。


 友達になって欲しいなんて言ったら黄瀬はどんな顔をするだろう、と。


 流石に小学生みたいで恥ずかしいな。

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