第21話 エンカウント

「今日は漫画の続きを考えないの?」


 沈黙を破ったのは緑青だった。ふと手元の白いノートを見る。違和感を感じパラパラと前のページをめくり気づいた。


 これ、プロット用のノートじゃなくて講習の数学ノートだ。


 どうやら家に置いてきてしまったらしい。とりあえず誤魔化すことにした。


「あー……今日宿題多めに出たから、早いとこ片付けたくてさ」

「そう」


 嘘を本当にすべく俺は出された問題に取り掛かる。応用問題を避け、比較的易しい問題を解いていく。


「……こんなものかしらね」


 そう小さく呟くのが聞こえちらりと横を見やると緑青が縫い終わったらしい深緑色の布を机に畳んで置き、鞄から新しく白い布を取り出しているところだった。


「それも縫うのか?」

「そうよ。こっちはエプロン」

「へぇ……」


 つい深緑色のワンピースに白いフリルエプロンを着たメイド姿の緑青を想像してしまった。


 結構、いやかなり似合うだろうなと思いつつ再び問題と向き合う。集中しろ、俺。


 そんな決意も虚しく残された応用問題が解けない。苛立ちからか意味もなくシャープペンをノックしてしまう。


「……黒石くんそれやめて」

「え?」

「その音不快だわ」

「わ、悪い。無意識に押し続けてた」

「解けない問題でもあるのかしら?」

「ああ」


 流石。なんでもお見通しなんだな、と思いながら正直に頷くと緑青は椅子ごと俺に近づいた。肩が触れてしまいそうな距離に息を呑む。


「それで、どこがわからないの?」

「……ここなんだが」


 近い。はやまる鼓動を無視して、緑青が見やすいようにノートを左にずらした。


「ああ、それは……」


 俺の躓いた問題を緑青はすらすらと解説していく。すごくわかりやすい。頭の良い人間は教えるのも上手いんだな、としみじみ感心していると聞いてるの? と怪しむような目つきで睨まれた。聞いてますともと頷く。


「教えるの上手いな」

「そう? でも役に立てたなら良かったわ」

「大助かりだ。ありがとう」


 素直にお礼を言うと緑青の頰がほんのりと桜色に色づいた。そしてぷいっとそっぽを向いた後独り言のような声で、どういたしましてと呟いた。お礼を言われて照れるなんて、可愛いな

と俺は口角を上げた。


「やっぱり開いてる」


 白井の声がしたかと思うとガラッと扉が大きく開かれた。白井とその後ろからもう一人誰かが入ってきた。


「えっ、黒石くん? それに緑青さん?」


 黄瀬だった。段ボールを両手で持ち、俺と緑青を交互に見て口をポカンと開けている。


 いずれこんな日が来るかもしれないとは思っていた。きっと今俺の顔は青ざめていることだろう。冷や汗も止まらない。


「あっ! あい……緑青さん! 勝手に鍵を持ち出しちゃ駄目だよ」


 白井は緑青に詰め寄り、ぷんぷん怒っているが当の緑青はしれっとした顔をしている。


「職員室にいらっしゃらなかったので。それに許可は頂いております。隣の席の萩森はぎもり先生に伝言を頼んだのですがお聞きになりませんでしたか?」

「えっ萩森先生? いなかったよ?」

「席を外していらしたんでしょう」

「で、でもさ。鍵がないからすごくびっくりしたんだよ!」

「そうですか。それでは今度から書き置きを残すようにします」

「うん……それなら。次からはそうしてね」


 そんな二人のやりとりをよそに、黄瀬と俺はじっと見つめ合っていた。


 気まずい。絶体絶命の大ピンチだ。黄瀬にこの状況をどう説明すればいいか頭をフル回転させる。


「……えっと、黒石くんはここで何をしているの?」


 思考がまとまる前に黄瀬が一番して欲しくなかい質問をした。狼狽して答えることができない。


「お、俺は……」


 今は宿題をしている。が、普段は漫画を描いているなんてとても言えない。漫画を描いていることは知られたくない。緑青にバレる前までは一生誰にも秘密のつもりだった。


 それに緑青と二人きりでいたことをなんて説明すればいいんだろう。付き合っているなんて口が裂けても言えない。かといって男女が二人っきりで、しかもタイミング悪く机をくっつけて座っている状態を付き合っていると言わなかったらなんて言うんだろう。友達だと誤魔化すか、同好会と偽るか。


「黄瀬さん、それここに置いてくれるかな」


 白井の声に促され黄瀬は俺から視線を外し、持っていた段ボールを教員用の机の上に置いた。


「これで大丈夫ですか?」

「うん、ありがとう。ごめんね。手伝ってもらっちゃって」

「いえいえ! 私がしたくてしたことなんで、気にしないでください」

「あ、そうだ! お礼に飲み物を奢るよ」


 そう言うと白井はにこにこしながら小さな冷蔵庫からペットボトルの烏龍茶を、机の引き出しからは紙コップを取り出した。


「昨日買って置いたんだ。経済的だし、わざわざ買いに行かなくていいから便利だよ」


 白井はとくとくと人数分の紙コップに烏龍茶を注ぎ、手渡した。ありがとうございます、と言いながら俺と黄瀬は受け取った。緑青は何も言わずに受け取っていた。


 喉がカラカラに渇いていたので、冷たい烏龍茶が染みる。これを飲んだら黄瀬のさっきの質問に答えなければならないだろう。覚悟を決めるしかない。

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