第14話 少しずつ
国語資料準備室の扉を開けるとひんやりとした空気が漏れてきて、外がいかに暑かったか思い知らされる。汗をかいた背中に、冷房の風が少し寒いくらいだった。
緑青は腕を組み、窓を背にして少しもたれかかるようにして立っていた。
「……遅かったじゃない」
「そうでもないだろ」
「白井先生は?」
「職員室に戻った」
「そう」
緑青は腕組みをやめ左手で右腕をさすり始めた。
「あの、私……」
「昨日はごめんっ」
俺は頭を下げた。
「え……」
「急に帰ったりして、悪かった」
顔を上げると緑青は口を小さく開けてキョトンとした表情をしていた。そして柔らかく微笑んだ。
「……私も、ごめんなさい」
謝られたことよりも彼女の表情に胸を締めつけられる。安心しているような、それでいて今にも泣いてしまいそうな美しい微笑。
「……緑青は悪くない」
声が震える。彼女は彼女なりの考えがあって発言したはずなのに、わかるわけがないと理由も話さずに突き放してしまった俺が悪い。
「私って、変かしら」
変なわけない。完璧だ。誰もが憧れる見目麗しく頭脳明晰な女の子だ。だからきっと、変ではなくて……
「それをいうなら特別、だろ」
緑青の目が大きく見開かれ、そして閉じた。
「そうかしら」
「ああ」
緑青は特別だ。多分この学校の誰もがそう思っている。
緑青は俺に背を向けた。
「ごめんなさい、なんでもないの。さっきの言葉は忘れて」
俺は返事をしなかった。忘れることは多分できないだろうから。
「さ、席に座りましょうか。まさかずっと立っているつもり?」
そう言いながら振り返った緑青は、いつものクールで気高い緑青だった。
★
俺の話を聞いて欲しい。そう思っていたのにタイミングを逃してしまった。俺の普通であることへの執着は聞いていてあまり気持ちの良いものではないだろうしまたの機会でいいだろう。
とりあえず一番の目的だった謝罪ができたのだから良かった。
俺はプロットを書くことに集中する。プロットとは物語の筋のことで、俺のやり方だと時系列に出来事を箇条書きにしていく。まず主人公とヒロインが何故知り合ったか、きっかけを考えるのだが良い案が浮かばない。うんうん唸っていると緑青が俺の肩を叩いた。
「交際の公言についてなのだけど、しないから。安心してね」
耳打ちされた。ふわりといい香りがして頭がくらりとする。なんせ女子との触れ合いに免疫がないのだ。
「あ、ありがとう。助かる」
動揺を隠すように平静を装ってお礼を言う。
「お話はできた?」
「まだだ。主人公とヒロインが何故知り合ったか、きっかけを考えているんだが……」
きっかけ。よくあるベタなものだと曲がり角でぶつかるとか本棚の本をとろうとして指が重なる、とか色々あるのだがインパクトに欠ける気がする。そもそも古いしやり尽くされているネタだろう。もっと、なにか……。
「……文化祭」
「え?」
「もうすぐ文化祭の準備がはじまるでしょう?」
「ああ」
「文化祭で知り合うとか、どうかしら」
「なるほど」
文化祭はいろんな催しが実施される。普段関わり合いのない男女が急接近する展開としてありだと思う。祭事には人を興奮させ意外な行動を誘発する不思議な力があるし。
「いいかもしれない。文化祭」
「よかった。頑張ってね」
思いつくシチュエーションを書き連ねていく。告白大会、劇の配役で主役に抜擢されるとか、ミスコンでハプニングとか……。漫画なんだから多少大掛かりなイベントがあってもいいだろう。一段落ついたので次にキャラクターの掘り下げを進める。
主人公は俺がモデルではあるが投影ではない。俺みたいにひねくれていないし、顔だって画面映えのためにちょっと格好良くした。ヒロインに好かれる要素も取り入れなくてはいけないのだが、今のところ素直で真面目という長所しかない。何故ヒロインは主人公に惚れるんだろう。
しばらく悩んでみたものの、主人公の設定が定まらないので気分転換も兼ねて緑青がモデルのヒロインについて考えることにした。
緑青の要素だけでも十分すぎるほどキャラが濃い。完成されている。問題は主人公に何故惚れるのか。惚れなければハッピーエンドにならない。
不良に絡まれているところを助けたり、事故から庇って代わりに怪我をしたり、そういう大きなイベントが必要かなと思う。でも……。
「これは、あなた?」
「うわっ」
耳の近くで声がして、飛び上がってしまった。緑青は自身の椅子を俺の机のすぐそばに移動させて座っていた。
その目はノートに釘付けになっている。
「この男の子よ。あなたなの?」
緑青は主人公の絵を指差し尋ねた。指摘通りなので頷く。
「ちょっと美化しすぎではないかしら」
「なっ」
確かにちょっとイケメンにしたけど、美化しすぎって酷くないか? と思い、言い返そうとすると緑青が肩を小さく震わした。
「ふふっ、冗談よ」
本当かよ……。
ころころと笑う緑青につられて笑ってしまった。
少しずつ、でも確実に仲良くなれている。そんな気がした。
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