第12話 葛藤

 絵を描くことが好きだった。


 幼稚園で上手だと褒められた。嬉しかった。もっともっと褒められたいと思って描きまくった。描けば描くほど俺の欲望を満たすように、周囲の大人も同世代の子供も感嘆の声をあげてくれた。


 俺は自信を手に入れた。


 しかしそれは呆気なく打ち砕かれる。


 俺よりもずっと上手い人間に出会ってしまったから。小学四年生の時に転校して来たそいつは天才だった。コンクールに応募した結果そいつは入選、俺は落選。悔しくて枕を濡らした。誰の目にも明らかな圧倒的な差があった。そいつに敵わないとわかると俺の漫画家になりたいという夢も叶いっこないと思うようになった。


 漫画との出会いは絵を描くことが好きなってしばらくたった頃。従兄弟が読まなくなった漫画を大量にくれたのだ。字は読めなくとも絵に強く惹きつけられ、ページをめくる手が止まらなかった。


 俺はすぐに虜になった。こんな風に描けるようになりたいと強く願った。


 挫折を味わった俺にとってその願いは、遠くて遠くて手の届かないものに思えた。


 将来の夢を作文にする授業は苦痛以外の何物でもなかった。なりたいものがある、でも世の中には俺よりもずっと才能のある人間がいて、絶対に敵わないと知ってしまったから。本当のことを書けるわけがなく、その場しのぎで学校の先生になりたいと嘘を書いた。


 そのうち勉強に精を出すようになった。勉強をして普通に就職してそれなりに平凡な人生を歩もうと思った。叶わない夢を追いかけるのは馬鹿だと思い込むことにした。


 きっと怖かった。

 

 好きなものを嫌いになることが。否定されることを恐れたから、自分だけの秘密にして守ることにした。学校で絵を描くことはなくなり、図工の時間も前ほど熱心に取り組まなくなった。本当に絵を描くことが、漫画が、好きだったからこそ。


 成績が上がりテストの成績優秀者として名前が貼り出されるようになった。


 また自信がうまれた。


 今度はうまくやろう。注目されてはいけないと思った。絵が上手いと褒められ、注目され、舞い上がった結果天狗の鼻を折られたのだ。


 あくまで平凡に地味に生きようと決めた。出る杭は打たれると思い、十位以下二十位以内をキープした。


 クラスにカーストがあると分かれば、だいたい真ん中あたりにいられるように心がけた。テスト前に要点をまとめたノートを笑顔で貸してやれば、嫌われることはなかった。寧ろ好かれていたと思う。随分とウケ狙いな生き方を覚えてしまったものだ。


 楽な生き方を覚えてしまえばもう、前のような生き方はできない。進学校である今の高校に合格し、周りが優秀なため成績は中の上がせいぜいだがこのままいけば県の国立大学か、そこそこ有名な私立大学に合格できるだろう。そしてそこそこ良い会社に就職できればいいと思った。


 もう、あんな思いをするのは御免だった。高いところから突き落とされる感覚。嫉妬や悲しみで心をぐちゃぐちゃにするのはもう懲り懲りだ。だから決めた。平穏を守ろうと。穏やかに日々を過ごせるように、好きなものを守れるように。


 傷つくのが怖かった。


 緑青と付き合っていると知られれば間違いなく多くの人間に嫉妬される。悪口を言われ、せっかく手に入れた今のクラスでの立場を失うかもしれない。現に渡辺は緑青のことが好きだと噂で聞いた。


 緑青の彼氏が俺だと知り幻滅する者も多いはずだ。緑青と付き合う人間はきっと素晴らしい人間だと期待される。俺は何もできないから失望されてしまう。


 つまるところ八つ当たりだった。緑青のあの美しさは天性のものだから、絵の上手い天才に重ねてしまった。


 それに緑青は周りの期待に応えられるだけの器量を持っている。正直、羨ましくて仕方がなかった。


 俺には何の才能もないから、せめて穏やかに感情を波立たせずに暮らしたかった。でも、それを心のどこかで嫌だとも思っていたのだろう。


 だからデートの誘いに心が躍った。


 自分の感情なのに、本当はどうしたいのかわからない。それが歯がゆくて仕方がない。


 でも一つわかることがある。緑青に謝りたい。それは本心だ。

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