第8話 関係

 放課後になっても黄瀬以外に俺に緑青について尋ねる者は現れず、噂もない。どうやら他に目撃した生徒はいないようだ。ホッと胸を撫で下ろす。


 俺が今から向かう国語資料準備室は別校舎にあるので教室からは結構距離があり面倒なのだが、人目につきにくいという利点がある。たどり着いた俺は電気がついている──即ち緑青が既にいる事を確認して扉を開けた。中には二人いた。緑青と国語教師の白井洋介だ。


「えっと……」


 びっくりした。いや、元々ここは教師が授業で使う辞典や教材を置いておく場所なのだから教師がいたって何もおかしくない。おかしいの躊躇なく扉を開けた生徒──俺の方だ。


「話は聞いてるよ。入って入って」


 固まってしまった俺を安心させるように白井は優しく声をかけた。緑青も早く入れとばかりに頷く。促されるままに室内に入った。


「藍ちゃん、この子がそうなんだね」


 藍ちゃん? 白井今緑青のことを名前で、しかもちゃん付けしなかったか?


「その呼び方やめてくださいと言ったはずですが」

「あっ! そうだったね。ごめんね藍ちゃん」

「いい加減にしてください」


 どういう関係なんだこの二人。やけに親しげに話しかける白井と塩対応の緑青。教師と生徒というには親密すぎるような。


 二人を黙って観察していた俺に白井がにこやかに話しかけてきた。


「君は、えっと、黒山くんだっけ?」

「黒石です」

「ご、ごめんね。名前覚えるの苦手で」


 頰を人差し指でかきながら謝る白井はどこか頼りない。でも嫌いじゃない。授業もわかりやすいし生徒に対して腰が低く、親しみやすい。


「僕とあい……じゃなかった緑青さんは親戚同士でね」

「一応ね」

「へぇ……」


 なるほど。親戚ならあのやりとりも頷ける。言われてみると少しだけ似ている。白井は眼鏡を外したらイケメンだ、と女子が騒いでいた事があった。きっと美形の家系なんだろう。


 俺が一人で納得しているのを他所に白井は話を続けた。


「緑青さんが放課後自由に使える教室を探してるって相談してきてね。ここの管理責任者は僕だったし、ほとんど使ってなかったから提供したんだ」

「そうだったんですね」


 鍵は白井から借りていたのか。謎が解けてすっきりした。まぁ成績優秀で先生方の覚えもめでたい緑青になら白井でなくとも鍵を差し出すだろう。


「放課後に集まって活動するなんてまるで部活、この人数じゃ同好会だね。どう? 僕でよければ顧問になるけど」

「別にいらないわ」


 ぴしゃりと言い返す緑青の態度ははやけに冷たい。気のせいだろうか。


「でも二人ともこうしてここにいるってことは部活やってないんだよね? せっかくだし同好会申請したらどうかな?」

「お互い別々のことをしているのに、申請はできないわ」

「あいちゃ……緑青さんも漫画を描けば」


 そう白井が言いかけた途端、緑青は鋭い目つきで睨んだ。今までよりもずっと冷たい、ぞくっと体全身が強張ってしまうような目だった。


 白井は口を噤んでおし黙る。気まずい。俺はムードメーカーではないので場を和ませる方法を知らないのだ。


「白井先生、もう用がないのでしたらお帰りになったら良いのではないでしょうか」


 目だけが笑っていない怖い笑顔で冷たく言い放たれた白井はしょんぼりと項垂れてしまった。親戚同士なのになんでそんなに仲悪いんだよ、と俺がうんざりしていると、助けを求めるように白井がこちらを見つめてきた。


 いや、無理ですよ。申し訳ないですけど俺も緑青が怖いんで。そんな目で見ないでください。……ああ、もうヤケクソだ。


「あ、えーっと……。先生って漫画とか読みます?」

「読むよ!」


 話しかけた途端、ぱあっと明るくなった白井を見て、緑青はため息をついた。そしてすっと立ち上がった。


「私、飲み物買ってくるわね」

「あ、ああ」


 ピシャリと強めに扉を閉めて緑青は出て行ってしまった。残されたのは男二人。


「……嫌われてるなぁ」


 白井は肩を落として、ため息をつくように呟いた。その通りなのでフォローできない。少しの沈黙の後、白井はぼそりと呟いた。


「……これでも藍ちゃんが小さかった頃は、一緒に遊んだりしていたんだけどね」

「そうなんですか」

「黒川くんは」

「黒石です」

「あっごめんね」


 名前を覚える気があるのか? と思いつつ、次の言葉を待つ。白井はなぜか黙ったままじっと俺を見ている。


 あ、よく見ると眼鏡がダサいから気づきにくいだけで顔の造形はかなり整っている。髪型も変えればぐんと格好良くなるはずだ。


「少し似ているね」

「は?」


 急に何を言っているんだ? 俺が誰に似ていると言うのだろう。


「それは……」


 一体誰に? と聞こうとした瞬間、緑青が扉を勢いよく開けたので、びっくりして声が出せなかった。


「あら、まだいたの」


 キッと白井を睨みつけて、次に俺をかるく一瞥すると緑青は二つある机の窓側の席に座った。それを見届けて、白井はゆっくり立ち上がった。


「僕はそろそろ職員室に戻るよ」

「あっ、はい」


 とぼとぼと少し寂しそうに白井が出て行くのを俺は見送った。緑青は窓の外を見つめている。


 一体、どういう関係なんだこの二人。

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