第6話 初デートの目的

 右手に持ったハンバーガーに思い切りかぶりつく。美味い。目の前の緑青はハンバーガーを両手で持ち、口をもぐもぐと動かしている。ハムスターみたいに膨らんだ頰にケチャップがついたので、自分の頰を指差して教える。


「ここ、ついてるぞ」

「……っ」


 緑青は顔を赤くして、紙ナプキンで素早く拭うと俺をキッと睨んだ。


「あれから漫画の進捗はどうなの」

「それが……」

「それが?」

「全然進んでなくて、日常といっても何をテーマにすれば良いかわからなくて」


 悪い事をしている訳ではないのに、後ろめたい気持ちになり返答がしどろもどろになる。


「そうね、恋愛なんてどうかしら」

「は?」


 テーマを恋愛にしろってことか?


「さっき見た映画、なかなか良かったと思わない?」

「……ああ、結構、いやかなり面白かった」

「あなたの絵は恋愛漫画に向いている気がするわ」

「そ、そうか?」


 何を根拠にそんなことを言うのだろうか。


「試しに描いてみなさい」

「う、上手く描けないかもしれない」

「その時はその時。やる前から尻込みしてどうするの」


 緑青はまっすぐに俺の目を見つめている。本気だ。俺のことを馬鹿にしている訳ではない、それどころか真剣に俺の漫画について考えてくれていることが伝わってきた。


「……あのさ、なんで俺に付き合って、なんて言ったんだ?」


 意を決して、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。


 話したこともない、特に目立った特徴のない、漫画を描くことだけが趣味の男子にどうして好意がないのに付き合えなんて言った? 


「気になったから」


 緑青は一言、そう呟いた。嘘偽りはないと証明するかのように目を逸らさず。


「それは……」


 俺が? それともノートに描かれていた漫画が?


「気になって仕方がないから、では理由にならないかしら」

「……」


 聞いても無意味な気がした。おそらく後者なのだろう。だから真剣に漫画についてアドバイスをしてくれるんだ。ボランティアのつもりかもしれない。かなり横暴な善意ではあるが。


「この話はこれで終わりということで、いいかしら」


 黙って頷く。


「この後は買い物に付き合ってもらうわ」

「荷物持ちぐらいならできるけど、服選びのセンスはないぞ」


 俺の返答に、緑青は小さく吹き出した。服は買わないわ。荷物も大したことないと思う、とクスクス笑う。


 普段学校では澄まし顔で気高く近寄りがたい雰囲気の緑青に、俺は今まで近づこうなんて微塵も思わなかった。住む世界が違うとわかっていたし、俺は目立つことを嫌っていたから。いわば女王と平民、そのくらい距離があった。


 でもこうして笑っている緑青を見ていると、年相応で悪戯っぽい笑顔が魅力的で、とても可愛い普通の高校生の女の子なんだな、と思う。


 なんで、どうして、こんな気持ちになるんだろう。





 昼食を終えた俺達はショッピングモールの中を歩いていた。


 緑青がついてきてと言ったので黙って後に続く。エスカレーターに乗ってしばらく歩き足を止める。


「ここよ」


 そこは個人店舗の文房具屋だった。こじんまりとしているが、品物が所狭しと並べられているので品数は多そうだ。緑青が店の奥へと進んでいくのを追う。


「まだ必要ないかもしれないけど、見ておいても損はないかなと思ったの」


 立ち止まったのは、漫画コーナーと書かれてた札があるスペースだった。


 漫画を描くための道具が並んでいる。実物を見たのは初めてだった。どんな道具が必要かは大体知っていたが、実際に手に取ってみると年甲斐もなくわくわくした。


「原稿用紙とペン軸、ペン先ぐらいは持っていてもいいんじゃないかしら。あ、でも最近はデジタル作画が主流なのかしら」


 そう言いながら、緑青はペン先を俺に渡した。種類が多く、細身のものもあればグリップがついた太めのものもある。それぞれの違いを見た後は元のところに戻した。確かにデジタル作画が増えているとは聞く。しかし、俺の好きな漫画家はアナログの人ばかりだ。


「く、詳しいな」

「そう?」

「漫画描いたことあるのか?」

「ないわ」


 きっぱり否定される。緑青は成績トップだから、雑学も豊富なのかもしれない。


「ノートに描くのもいいけど、一度作品に仕上げてみたらどうかしら」

「俺は……」


 プロになる気はない、とは言えなかった。黙って下を向く。


「無理にとは言わないわ」

「……やる」


 あれ? 何言ってるんだ俺は。


「そう? それじゃあ買う?」


 差し出された原稿用紙とペン軸、ペン先を受け取る。自分でもなんで受け取ったのかよくわからない。でも、ここで受け取らなかったらもう、緑青とはおしまいな気がした。それは嫌だった。


 レジでお金を払い紙袋を受け取った。そして緑青と駅まで歩き、デートはお開きになった。別れ際に緑青が念を押した。


「月曜日、放課後。忘れては駄目よ」

「わかってる」


 緑青の目的は、デートではなく、俺に道具を見せて買わせるためだったのだろう。指に僅かに食い込む紙袋の紐に、なんとなく身が引き締まる思いがした。

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