第3話 放課後の約束
翌日の放課後、律儀に約束を守って国語資料準備室の前までやって来た俺は中々扉を開けられないでいた。
緑青と二人っきり。全校男子に羨ましがられ妬まれ呪われそうなシチュエーション。誰かに見られたら終わりだ。帰りたい。
「何をしているの」
「うわっ」
驚いて変な声を出してしまった。緑青は怪訝そうな顔をしている。
「入らないの?」
「あ、入ります……」
二人で中に入る。本棚に囲まれた部屋には職員が使う机の他に木の机が二つくっついて置かれている。窓側の方に緑青が座り、促されるままその隣に座った。
「私のことは気にしないで存分に描くといいわ」
緑青は文庫本を取り出して読み始めた。そうは言われても静かすぎて落ち着かない。ましてや男女が密室で二人きり、意識しないというのが無理な話だ。せめてもう少し距離を取ろうと机を離す。緑青は気にもとめずに本を読み続けている。
背筋をピンと伸ばしページをめくる所作さえも優雅で絵になる。ついつい見惚れてしまったが俺も作業に取り掛かる。といってもノートを開いてひたすら漫画をシャーペンで描くだけなのだが。描き始めると不思議なことに緑青のことがあまり気にならなくなった。
★
「進捗はどうかしら」
緑青の声に俺は顔を上げた。今何時だろう、随分描いていたような気がする。腕時計を見ると二時間が経過していた。
「えっと、まだ途中で」
「途中でもいいわ。見せて」
俺は躊躇った。なんせ思いつくままに殴り書きをしたので絵も字も汚い。人に読ませられるものではない。でもそう言う勇気がなかったので渋々ノートを差し出すと緑青はぱっとノートを受け取り読み始めた。
心臓が早鐘を打つ。目の前で人に読まれるなんて経験がない。目線をどこに向けたら良いのかわからずページをめくっていく彼女の指を見つめていたら、パタンと緑青がノートを閉じた。
「微妙ね」
ぐさっ。昨日は面白かったと言ってくれたのに何が悪かったんだ?
「セリフと説明が多すぎて読みにくいわ」
な、なるほど。
「それに場面展開がわかりにくい。背景や時間経過の描写が欲しいわね」
言われてみれば人物ばかり描いていた気がする。
「絵が内容とあっていないわ」
あ、それは薄々自分でもそうじゃないかなと思っていた。
「……こんなところかしら。この漫画はここまでにして、新しい話を描いてみてくれない?」
「えっ」
「なんでもいいから、1話完結の……そうね、日常ものとか」
「……なんで」
「なんでも」
緑青はにっこりと、それでいてどこか威圧的に微笑んだ。俺が頷くのを待っている。
「いつまでに、ですか?」
その質問に緑青は目を見開き、ふっと吹き出した。そして穏やかで、どこか遠くを見つめるような目をして呟いた。
「描けたらでいいわ。私、待つのは得意なの」
その表情がどこか寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
「今日はもう帰りましょう。鍵を閉めるわ」
そんなこんなで放課後の活動は終わった。
緑青は帰り際に連絡先の交換を持ちかけて来た。体調が悪かったり予定がある場合はここに来ることはないと言い、その際は連絡することが義務付けられた。
緑青の連絡先。全校男子にとって喉から手が出るほど欲しい代物。それを手に入れてしまうなんて、バレたらただでは済まなそうだ。
校門で別れ、歩きながら考える。国語資料準備室での先程の活動はまるで部活……いや、同好会だ。許可や申請はいらないのだろうか。そもそもなぜ鍵を持っているのだろう。無断で持ち出した訳ではないだろうが、わざわざあの教室でなくとも空き教室や図書室でもできることだ。謎が多い。
そして一番の謎は緑青の目的だ。
なんのために俺に漫画を描かせて読むのだろう。俺の絵は下手ではないと思うが美術部員の方がはるかに上手だと思うし、彼女が頼めば彼らは喜んで描いてくれるだろう。
それにストーリーだって自信がない。自信があればネットに公開もしくは漫画誌に投稿している。ノートに落書きレベルで漫画を描いているなんてとても人には言えなかった。言うつもりもなかった。
俺が選ばれた、なんて思うのはきっと自惚れだ。
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