第2話 付き合うことになりました

 緑青が出ていった後、しばらく呆然と立ち尽くしていた俺は確認しなければならないことがあったと気づき、急いで彼女を追いかけた。


 足音に気づいたのか緑青はくるりと振り返った。長い髪が弧を描くように広がって、元に戻る様は扇子のようだ。


「なにかしら」

「あのさ、俺と付き合うことは誰にも言わないで欲しいんだ」


 クラスメイトは俺が緑青に呼び出されたのを目撃しているが理由までは知らない。ならば告白されて付き合うことになったなんて事実は何がなんでも隠したい。緑青に憧れている男子は多い。恨まれるのも僻まれるのも御免だからだ。女子に詮索されるのも勘弁願いたい。


「なにか不都合でも?」


 小首を傾げて尋ねられた。いやあるに決まっているだろう。自分が有名人だという自覚を持ってほしい。


「俺みたいな地味な奴が、緑青さんみたいな高嶺の花と付き合うことになったなんて知られたら、大変なことになるんですよ」

「面白そうじゃない」


 おもちゃにされる、そう思い俺はさーっと青ざめた。人が困っている姿を見て楽しんでいる。鬼畜だ。


「本当に困るんで……」

「私と付き合うことに不満でもあるの?」


 大ありだ! と叫んでしまいたい衝動に駆られるがひとまず我慢。


「釣り合わないっていうか、その、身の程知らずっていうか……」

「ふーん、まぁいいわ。黙っててあげる」


 鬼の目にも涙ってやつか!


「その代わり、放課後は私と一緒に過ごすこと。約束よ」

「は……?」

「もうすぐ夏休みだけど夏期講習には参加するんでしょう? その後も私と一緒に過ごしてもらうわ」

「いや、それはちょっと……」


 俺は部活もバイトもやっていないので、授業が終われば真っ直ぐに家に帰っている。一応クラス委員長をやっているので、その仕事がなければの話だが。


 家に帰ってすることがあるから拘束されるなんて御免だ。あとなんで夏期講習に出ることを知っているんだ?


「一度私が譲歩してあげたのだから、今度はあなたの番じゃないかしら?」


 その言葉には譲らないという強い意志が感じられた。怒らせるのはまずい。


「放課後何するんですか?」

「あなたは漫画を描きなさい。私は勉強とか読書をしているから。描き終わったら読ませなさい」

「えっ」


 てっきり雑用を押し付けられるものかと思っていた。俺が家でやることは漫画を描くこと。学校でできるなら悪くないかも……いや、ちょっと待て。


「見せるのは……ちょっと……」


 自分の作品を読まれるなんて想像しただけで顔から火が出そうだ。恥ずかしい。まして知り合ったばかりの異性に妄想の塊を見せるなんて。それも漫画より純文学や哲学書がお似合いな緑青に。


 先ほど感想をもらって正直嬉しかった。でもそれがずっと続くなんて耐えられそうにない。


「見せなさい。これは命令よ」


 痺れを切らしたのかそう言い放った緑青は、さながら女王の風格とでも称されそうな迫力があり俺の本能は従わざるを得ない、そう判断した。


「……はい」

「よろしい。明日から放課後は国語資料準備室に来ること。いいわね? 今日は私用事があるから」

「……はい」


 遠ざかっていく優美な背中を見つめながら、俺は今までの平穏な暮らしに別れを告げた。





 教室に戻ると想像通りクラスメイト全員が餌に群がる鯉のように俺の元に集い、質問責めにしてきた。


 俺は聖徳太子ではないので一斉に質問されても答えられない、と言いたいところだがその声すらかき消される勢いだ。


 俺は落とし物を拾ってもらっただけで何もなかった、とでっちあげた嘘を繰り返し答え続け解放された。


 席に戻りホッと一息つく。散々な目にあった。さっさと昼飯を食べて午後の授業に備えなければと弁当を取り出した時、


「大丈夫?」


 と黄瀬菜乃花きせなのかが声をかけてきた。


「大丈夫。あんなに注目されるなんて緑青さんは人気者だな」

「そうだね。すごく綺麗で頭もいいし、憧れちゃう」


 黄瀬だって、と言いそうになり口を噤む。


 黄瀬菜乃花、彼女は俺と同じクラス委員長で人当たりが良く真面目な優等生だ。


 肩までのややウェーブのかかった柔らかそうな茶髪に、垂れ目がちな瞳が可愛いと男子の間で評判らしい。


「いいな〜俺も黄瀬ちゃんと話したい」


 話に割り込んできたのは緑青が来た時に俺の肩を揺らした人物、高砂亮平たかさごりょうへいだ。席が隣同士で一緒に弁当を食べる仲だ。


「お前はもう昼飯食べたのか?」

「いや、さっき購買行って帰ってきたとこ」

「さっさと食べないと時間なくなるぞ」

「あ、じゃあ私も友達のとこ戻るね」

「あっ黄瀬ちゃん……」


 黄瀬はそそくさと女子のグループへ戻って行った。それを見て高砂は恨みがましい目線を俺に向ける。


 これだよこれ、俺の平凡な日常は。さっき別れを告げたけど、まだ失うと決まったわけじゃない。守るぞ、この平穏を。そう俺は決意した。

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