9-1 モモちゃん悲しみと喜び 1

 翌日は日曜だったけれど、ぼくは笹生たちに教室に呼び出されていた。昨日の話を聞きつけて、説明を求める、と夜に電話攻撃を受けたのだ。

 いつもの笹生と、戸野部さん、真倉さん、それに仲尾も来ていた。まあそれぞれ関係者だったり協力もしてもらったから、ぼくも拒否することはできない。

 前日に三人と別れてからのことを、順に追って説明した。


「そんな思い切ったやり方、よくうまくいったもんだねえ」

 笹生が、しみじみ首を振って感想を述べた。

「度胸があるというか、無謀きわまりないというか」

 戸野部さんも、溜息をつく。

「それは、担任さんに言ってくれ」


 ぼくも溜息が移って、頭をかいた。


「もちろん、あやつの責任だけどな」

「でもそれにしても、モモちゃんってやっぱりすごかったんだねえ」真倉さんは目を丸くしている。「普通、他の先生を押しのけて自分からそんな危ないところに出ていくなんてできないよお。人質に姪がいたから?」

「どうなのかなあ」ぼくは首を傾げた。


「それにしても、まだ分からないこといろいろ残っているんじゃないのか、この話」笹生が一同を見回して言った。「結局あの夜の出来事は、最初から最後までその茶服の男が仕組んだことだったのかな」

「ほぼそうなんだろうね」ぼくはうなずいた。「ぼくの想像通りなら、屋上にロープを用意していたということになるくらいだから。おそらく前の日に一回忍び込んで、ロープを柵の横棒にガムテープで貼りつけるとかして、目立たないように用意しておいたんだろうね。自分にかけてくださいと言わんばかりに、近くに灯油を置いていたらしいし。何よりその上、犬の死骸を身代わり用に前もって用意してあったんだろうからね」

「前の日からあの窓の鍵は開いていたのか?」戸野部さんが目を丸くした。

「そう考えるのが自然だと思う。そうでもなけりゃあそこまで計画して準備しておくことはできないよ」

「そうだね、確かに」笹生がうなずいた。

「たださすがに計画した茶服さんにしても、あの三人が犬の焼死体を完全に人間と思い込んで公園に移動するとまでは予想していなかったと思う。犬と気がついてあわてているのを見て、笑ってやるくらいのつもりだったんじゃないかと。それが完全に人間と思い込んでいるらしいのを見て、さらにその焼死体まで隠して、ずっと不安が続くようにしたんだろうね」

「なるほどね」仲尾がうなずいた。「まあ、近くへ行ってまで犬と人間をまちがうなんて、さすがに予想できないよね」

「まあ、気持ち悪くてよく見られなかったという、その気持ちも分かるけどな」戸野部さんも合わせてうなずいた。

「それでさらに追い打ちをかけてやろうと、あの幽霊落下事件を起こして、三人をおびえ上がらせた」

「あれはいったい、どうやってやったの?」真倉さんが首を傾げた。

「外部の人がやったんなら、非常階段からだろうね。非常階段の三階か四階のところでひもの端を持っていて、人形を振り回すみたいにして三-Aの窓の外を通過させる」

「なるほど」戸野部さんがうなずいた。「ひもが見えてしまう危険もあるが、一瞬のことだろうからな」

「だね」

「あ、もう一つ疑問があった」笹生が思い出した顔で言った。「その、裏庭で犬の死体を燃やしたっての。かなりタイミングよく発火したことになるけど、どうやってやったんだろう」

「実は、そこが一番よく分からない。機械的な発火装置を使ったのか。今のところまったく分かっていないけど、もしかしたら共犯者がいたのかも知れないし」

「だよねえ」真倉さんが苦笑の顔になった。「いくら岾城君でも、何から何まで全部分かってるわけもないよね」

「残念ながらね」

「分からないと言えば」戸野部さんが続けた。「その茶服の人の正体とか、どこへ姿をくらましたのとかも」

「分からない」


 ぼくはうなずいた。扇田さんのお父さんという可能性は、誰にも言わないことにしている。今のところまったくつながるものはないわけだし。


「結局はその人にあの三人がやられっぱなし、予想以上にドタバタを起こして墓穴を掘ったっていうことになるのかな」

「だろうね。まさかその人も、彼らに殺人の濡れ衣を着せきれるとは思っていなかったと思う。昨日みたいな騒ぎを起こさせただけ、予想以上の効果だったのかも知れないね。あの結果で三人は警察に話を聞かれることになったし、少なくとも犬猫虐待の件と人質をとった件では、何かおとがめがあるだろうから。しかけた犯人の方も今頃は、溜飲が下がってるってやつだと思うよ」

「参ったね」笹生が苦笑した。「うまくやられたもんだ」

「それにしても」真倉さんが笑って言った。「明日は学校で、大騒ぎだろうね。モモちゃん伝説の第二弾だ、こりゃ」


 頭が、痛い。

 その後、ぼく以外の四人は今日も塾があって、出かけていった。

 ぼくはといえば、この日第二弾の予定が入っていた。かなりの疲労を覚えつつ、すっぽかすわけにもいかず約束の場所へ赴いた。第二棟二階、生徒会室だ。


「お待ちしておりました」

「わざわざのお越し、ありがとうございます」


 二人の二年女子が、深々と頭を下げて迎えてくれる。これ自体は、悪い気はしない。けど、くすぐったいというか、こっぱずかしいんだけど。


「本当に先輩は、わたくしたちの命の恩人でありますです」


 お菓子と飲み物まで用意されていて、一杉さんがコーラをお酌してくれた。


「大げさ、というか、功労者は桜井先生だよ」

 ぼくは頭をかいて言った。

「まあ確かに、モモちゃんの強引さがなけりゃ、あれほど早期終結は――」

「いや」


 扇田さんが言いかけたところを、一杉さんがさえぎった。


「感謝する筋合いはないです。キヤツの行為は、百パーセント私欲のためでありますから」

「私欲って?」

「あの時のキヤツの頭には絶対、ハリーちゃんバッグのことしかなかったはず。ここで扇田に何かあったら、バッグを作ってもらえない、と」

「ああ――」扇田さんがようやく思い至ってうなずいた。「でも、それにしたって、それだけであんな危ないまね――」

「キヤツはやるです。一つほしいものができたら、他のことは頭になくなる。何が危ないなんて計算もできなくなるです」


 はあ、とぼくは溜息をついた。うすうす想像はしていたけど、身内がそこまで断言するのは聞きたくなかった。少しは美しい夢を残しておきたかったというか。


「だいたいあの時、自分と扇田を人質交換しろと言い出したでしょうが。バッグを生み出す扇田の腕だけは安全確保したかったのですよ、キヤツは。それで代わりに自分がどんな危険にはまるってことさえ、計算できてなかったと思うです」

「まさか……」


 意見を請うように扇田さんがこっちを見たけれど、ぼくは天井を見上げていた。

 教室で喋りすぎて喉が乾いていたので、コーラがおいしい……。


「まあ、それでも」ぼくは考えながら言った。「あの人のおかげで短時間で治まったってのは事実だと思うよ」


 一杉さんも、深々と大きな溜息をついた。


「その事実を否定するものではありませんですが。それにしても、キヤツの信じられない強運のせいと言えるですよ。キヤツがムチャクチャやっても、なぜかいつも周りの人が何とかうまく治めてしまうです」


 また頭が、痛い。

 少しトーンの下がった扇田さんと疲れた顔の一杉さんに、それから交互に質問されて、さっきと同様に一連の事件の補足をした。

 ただ一つこの場でさらにつけ加えなければならないのは――。


「結局」扇田さんがおそるおそる訊いてきた。「どうだったんでしょう、あの茶服の人っていうのは。あたしの父だったんでしょか」

「分からない」と、ぼくは応えるしかなかった。「ただ言えるのは、もしあの人がお父さんだったとしたら、あの三人をおとしめる計画の動機に、もしかしたら大海が扇田さんにちょっかいを出しているのを見かけたから、というのが追加されるかも知れないってことかな」

「それはあるかも知れないです」一杉さんがうなずいた。「彼らのいやがらせに耐えかねてということだけだったら、住む場所を変えるだけの方が手っ取り早いし効果的です。どうしても彼らに強い指導が入るまでおとしめたかった、という意図みたいなものがあったっぽいです、今回の件は」

「そういうこと」

「じゃあじゃあ、やっぱり――」

「想像通りだったら」ぼくはつけ加えた。「近いうち、どこか別の場所に落ち着いたって、お父さんから連絡があるんじゃないかな。うちの親父の話だと、一口にリストラって言ったって、懲戒解雇で借金抱えているとでもいうのでなければ退職金も出て失業保険もあるはずで、そう簡単にすぐホームレスになるもんじゃないって。今回のが本当にお父さんだとしたら、主に扇田さんの様子が心配で見に来たという意味合いが強いんじゃないか。ずっと娘に心配かけたままにはしたくないと思うよ」

「だったら、いいす、けど」


 扇田さんは、神妙にうなずいた。

 もう少しだけ雑談をして、ぼくは生徒会室を辞した。


 これで今日のノルマは終わり、だ。しみじみ疲れが染みてくる。って、ぼくはいい年のおっさんか。

 しかし本気でそう思えてくるくらい、疲れが溜まっていた。今日こそはと自宅で寝つぶれているはずの担任が、羨ましく思えた。

 ――ぼくの連休は、どこへ行った。


 第一棟へ戻り、一階へ降りる。

 ふと見た、すぐ手前の部屋の中に、灯りがあった。少しだけためらってから、ぼくはそのドアをノックした。


「何だ?」


 丸顔眼鏡の養護教諭が、無愛想に顔だけ振り向いた。


「栄養補給したいんですが。できれば、クッキーの一枚など、恵んでもらえませんか」

「ずうずうしい」

 ふん、と養護教諭は鼻を鳴らした。

「まあしかし、昨日は活躍だったらしいからな。それに免じて、一枚だけ恵んでやろう」

「ありがてえことです」


 きりきりと、宮緒先生は机の金庫の数字錠を回した。

 この間担任が占拠していた回転椅子に、ぼくは腰を下ろした。


「そう言えばその金庫、うちの担任に毎回破られているとかいう話でしたね」

「おう」丸い先生はうなずいた。「しょっちゅう番号を変更しているんだが、あいつと共通の知り合いの電話番号を使っているのが、敗因なんだろうな」


 やっぱり、そんなところだと思った。

 差し出された小袋クッキーを、頭を下げて頂戴した。


「うん、おいしいです」

 バターの風味が、たちまち口の中に広がった。

「それはよかった」


 素っ気なく言って、宮緒先生は机の方に向き戻った。


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