8-4 モモちゃん伝説再び 4
「そ、そうだな」
三人が顔を見合わせながらうなずいた。
「このロープを握って飛び降りたら、ターザンの要領でたぶんあの非常階段の三階のところへ行けると思う」
ぼくは柵の外を指さした。ロープを引っかけた支柱の真下だ。
「で、二重にした片方の端を放してたぐり寄せたら、跡を残さずロープも回収できる」
おお、と三人が感嘆の声を上げた。
「それから同時に下で火が燃え出したら、上から覗く人はそっちに目が行って、非常階段に人がいるのは気がつかないよね」
「なるほど」モモちゃんがうなずきながら、ぼくの方に寄ってきた。「それなら確かに、間抜けじゃなくても騙されるな」
ぼくの持つロープの端を受けとって、モモちゃんは二三度引っ張ってみた。それから五人の方を見て、
「おい、滝田」
呼びかけると、ノッポの男がびっくりして顔を上げた。
「は、はい?」
ノッポが滝田だったらしい。
「お前試しにやってみろ、ターザン」
「え、え?」
「自分たちの無実を証明するためだ。頑張れ」
「え、でも――」
「この転校生の言葉だけじゃ、誰も納得しないだろう。それなら、実践あるのみだ」
「だ、だって――危な――」
「大丈夫だ」ひょいと、モモちゃんは下を覗いた。「見てみろ。さっきからお前らの飛び降りに備えて、準備万端だ」
それは、ぼくもさっき確認していた。下には警察が到着していて、すでにマットが広げられているのだ。
「お前らが人を殺していないという仮説のためには、四十男のその茶服がこのターザンをやったことの証明が必要になる。いい若い男ができないんじゃ、証明にならないぞ」
「へ、や――」
「滝田、やれ」
大海が、ぶすりと言った。
「頼む、滝田」
残る小太り、洞野が拝む格好で言った。まあ彼の体格ではこのアクロバットは難しそうだから、友人に託すしかしかたないだろう。
「あ、あ……うん」
不承不承、滝田は首を縦に振った。
それにうなずいて、モモちゃんは下に手を振った。
「おーい、一人落ちるかも知れないんで、よろしくー」
突然、下の動きがあわただしくなる。いいんだろうか。
ますます、滝田の顔色がなくなっているし。
「それから、ギャラリーの皆さん」モモちゃんが、扉の方を向いて言った。「少し離れて、そっちの柵のところで確認を」
屋上中央側の柵を指さす。校長を始め、わけ分からない顔のまま十人程度の教員がそちらへ移動していった。
一人、大谷先生が階段を駆け下りていくのが見えた。たぶん、三階の非常口で待ち構えるつもりだ。
「じゃあいいぞ、滝田」
モモちゃんが、ロープの端を差し出した。
情けない顔で、滝田がそれを受けとった。震える様子でそれから、柵に足をかける。
向こうで、校長と教頭が目を丸くするのが見えた。ようやく、危ない行為をするのだということに気がついたらしい。
しかし、止める暇もなく。
「あ、やあ――」
目をつぶって、滝田は柵を蹴っていた。
「わ、わ、わ、ひいいいー――」
悲鳴が尾を引いて、遠ざかる。
ぐるんと弧を描いて、計算通り三階の非常口の外へ。やや寸足らずながら、ロープを放すとすぐに鉄の床に足が届いた。非常口が開いて大谷先生が滝田の腕を掴んだ。わあ、と上と下から声が上がった。
あの滝田君、見かけ以上にけっこういい度胸だ。見直した。
「よし、成功だ」
モモちゃんが力強く言った。
「これで、あの夜人が死ななくてもその現象が起きたことが言える。ギヤラリーの皆さんも、納得ですね」
向こうの、校長たちに呼びかける。無言で、とりどりにうなずきが返った。
「よかったな、お前ら」
モモちゃんが顔を戻すと、大海と洞野が女子の手を握ったまま呆然と顔を見合わせていた。
「で、でも――その――」大海は必死に考える顔で言った。「今の、これはできるという証明にはなったけど、それが本当に起きたということにはならないんじゃ――」
ち、とモモちゃんは舌打ちした。だから、もう少し演技してよ。
「お前、意外と頭悪くないな」
堂々と失礼なこと言ってるし。
「本当に起きた証拠だってさ」
また、ぼくの方に丸投げしてきた。
「あの――」それまで黙っていた扇田さんが声を出した。「それに、その時下で燃えてたのは何かってのが――」
「そうだね」ぼくは溜息をついてうなずいた。「それが分かれば、ほとんど証拠になるね」
人質自らハードル上げないでほしい。自分の立場分かっているんだろうか。
ぼくは首を振りながら、モモちゃんの顔を見た。
「先生、携帯貸してください」
「お、おう」
居合わせるみんなが一様にことのなりゆきについていけず、まのびした顔をしている中。
相変わらずドピンクの機械を受けとって、ぼくは財布から出した名刺の番号をプッシュした。鷹野刑事は、すぐに出てくれた。
「あ、すみません、岾城です」
簡単にやりとりして、
「ああそれで、さっきの場所から、あとどんなものが出ましたか。もうお聞きになってるかも知れませんけど、中学で今緊急事態で、教えていただきたいんですが」
返事は、予想通りのものだった。
「じゃあすみません、今うちの校長先生と替わりますので、今のこともう一度説明していただけますか」
大海たちの場所を迂回して、ぼくは校長のもとへ走った。
「よろしくお願いします」
ピンクの携帯を、わけ分からない顔の校長に渡して、元の場所へ戻る。
「つまり、どういうことだ?」
当事者たち以上にモモちゃんが苛立った顔で訊いてきた。
「河原で、犬と猫の死骸が埋められているのが多数見つかりました」
「お――なるほど。公園から移動して埋められたんだな」
「その中に、ほとんど焼けつくしたみたいな大型犬の死骸が一つ、あったそうです」
「ん? つまり――」
「裏庭で燃えていたものというのは、犬の死骸に茶色い服を着せて、灯油をかけて火をつけたものと考えられるということですね。すべてはその男の人が、彼らを脅かすために計画して行ったことだったということでしょう」
ええー、とあちこちから声が上がり。
武器を持った二人も、遠巻きにした教師たちも、呆然と目を丸くしていた。
「たぶん、もっと詳しく科学調査をすればはっきりすると思いますが」
「お前ら――」モモちゃんは、大海たちにあきれ顔を向けた。「人と犬の区別もつかなかったのか。まるっきり――むぐ……」
あわてて、ぼくは担任の口を手で押さえていた。ここに至って、無用な挑発で話をややこしくしないで、頼むから。
「とにかく、それが明らかになれば、完全に殺人のシロは確定ですね」
「むが、むぐ、ぐ……」
分かった分かったと先生が腕を叩く。そっと、掌を外してやった。
はあ、と息をついて、モモちゃんはしゃがみ込んだままの生徒たちを上目で見た。
「それで、お前らどうする? いくつか罪状は残ると思うが、今となってはその中でも現在の人質とっているのが一番重いと思うぞ。ここで人質解放すれば、それも少しは穏便にすむ」
大海と洞野が、顔を見合わせた。そもそもすっかり、毒気の抜けた表情だ。
ほどなく、女子二人の手が放された。ボウガンとナイフが、床に転がった。
離れていた教師たちが、駆け寄ってきた。
モモちゃんが女子二人の手を握って歩き出し、戸口をふさいでいた人々があわててその道を空けた。
ぼくは思い出して、支柱にかけたロープを外して片づけに入った。
「こいつめ、いつの間にか姿を消しおって」
その夜食事に現れるなり、モモちゃんはぼくをにらみつけた。
「あの後、校長たちに説明するのがたいへんだったのだぞ」
「はあ、ご苦労様です」
一口カツを揚げながら、油から目を離せずにぼくは応えた。
「しかも校長たち、私をつかまえて説教しおる」
「いや、それは当然じゃないかと」キッチンペーパーの上にとって、油を切って。「何とかうまくいったからいいようなものの、あれで誰か怪我でもしたらどうするんですか」
「校長と同じことを言うな、おぬしまで」
ぷうっと、モモちゃんは頬をふくらませた。それを見てると、何だかうるさく言うのがバカくさくなってきた。何が悲しゅうて、生徒が担任教師に説教たれなきゃいかんのだ。
「まあ、おぬしはよくやってくれた。助かったぞ」
「それは、どうも」
料理以外でほめられたこと、初めての気もする。まあ、いいか。
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