8-3 モモちゃん伝説再び 3
屋上の床に踏み込んだところで、モモちゃんはぼくの肘を放した。
しかしここで解放されても、あっちの連中とばっちり視線が合ってしまって、今さら逃げ戻るわけにもいかない。
後ろをちらと振り返ると、呆気にとられた教師たちが言葉を失って見守っている。
しかしモモちゃんは、平気な様子でさらに数歩前に進んだ。
「バカ野郎、来るなと言ってるだろう!」
「これくらいは大丈夫だろう。まだ全然手も届かないぞ」
扉から数歩入って、まだ向こうの連中まで五メートルくらいの距離がある。一方ボウガンの射程距離は少なくとも十メートル以上はあるはずで、これで十分危険な間合いということになる。
モモちゃんがそれを認識しているのかどうか、ぼくは冷や冷やの思いで見ていた。
「第一、私が相手だったら、お前らの方が力は強い。手が届くところまで行ってもお前ら、つかまる心配はないだろうが」
「そ――そんなこと言って油断させようったってダメだぞ」
「やれやれ」モモちゃんは溜息をついた。「まあいい。話をしたいだけだ。私はここで止まる」
そのまま、モモちゃんは屋上の床にあぐらをかいた。
前と後ろから、一斉に溜息のような声が聞こえた。
「で、物は相談だが、人質は小さい方がよくはないか。そっちの大きい方と私と、交換しないか」
「な――」
あわてて、大海は扇田さんとモモちゃんを見比べた。
「バ――バカ、ダメに決まってる。お前なんかを道連れにできるか」
「道連れにする気か? そいつらを」
「お、おう」
そう言えば、大海は扇田さんに懸想しているって言ってたな。
「バカなことを考えるな」
「うるさい。へたなまねすると、こいつらと一緒に飛び降りるぞ」
「アホか」
あまり正直言うと、興奮させるだけと思うが。
「で、いったいお前らは何がしたいんだ」
「な――」
びくびくした目で、大海はモモちゃんと仲間たちの間に視線を往復させた。
「な――とにかく、俺たちが刑務所に入らないようにしろ」
「今のところは、どうやっても刑務所には入らん。少年だからな、お前らは」
だから、正直言って興奮させるなって。
「な――いや、少年院だって、そんなのだって――とにかくつかまらないようにしろ」
「とりあえず確認しなきゃ始まらないが。つかまるようなことしたのか、お前らは」
「や、いや――だけど――人は殺してない!」
「そうか」モモちゃんは大きくうなずいた。「人は殺していないんだな、分かった」
大海が、目を丸くした。
「バ、バカ――あっさり言うな」
「教師に向かって気安くバカ言うな。まあ、今は興奮しているようだから大目に見るが」
だから……。
「俺らが人殺したって、先公たち考えているんだろう。知ってるぞ」
「まあ、その可能性を考慮していたことは否定しないが」あっさり、モモちゃんはうなずいた。「しかしお前がしていないと言うなら、信じた。お前らは人を殺していない、分かった」
「バカ野郎、うまいこと言って騙そうとしたって――」
「いや実際疑ってはいたんだが。今見て分かった。お前のそのボウガン持つ手の震え具合、それは犬猫は殺せても人は殺せない。お前らにそんな度胸はない。分かった。信じた」
「な――な――」
大海は、口をぱくぱくさせていた。
「そんな――そんなこと言ったって――口だけだろう。言うこと聞いて大人しくしたら、サツに売るつもりだろう」
「うん、証拠が必要だな。もっともだ」
またあっさり、モモちゃんはうなずいた。
「お前らが人殺していないという証拠が出たら、それで誰もが納得だな」
「ま――まあ、そりゃ」
「で、証拠はあるのか?」
「バカ、そんなものありゃ、苦労しねえ」
「バカバカ多いなあ」
ぶっとモモちゃんは口を尖らせた。
「まあしかたない。ここで考えるか」
「何を――」
「とにかく状況が分からなきゃ、考えようもない。どこまでが本当で、どこからが嘘なんだ?」
「どこって――」
「ある程度事実をはっきりさせれば、あとは私とここの間抜け面した転校生とで考えて、何とかしてやる」
は?
周囲の目が、初めてぼくに注がれた。こんなところで注目など、されたくないんだけど。それに何と、無責任な担任の言い種。
「まあ、腹探り合っていても埒が明かん。こっちが想像しているところで話をするから、それの真偽を言え。この期に及んでつまらん嘘ついてもしかたないから、正直に言えよ」
三人は、顔を見合わせていた。
「まず、そのボウガンなどを持ってるってことは、あの太陽公園でお前らが犬猫を追い回していたのは、事実だな」
「あ、ああ――そりゃ」
「それから、この間抜けがお前らとホームレス風茶服男とのいざこざを目撃している。ということは、お前らがその茶服男を脅すか何かしたのも事実だな」
「ああ――ちょっと悪戯しただけだ」
「よかろう」モモちゃんは真面目顔でうなずいた。「まあそれで、その茶服男から玉子を投げつけられるという嫌がらせを受けた。それで腹を立てたお前らは、その後その男らしい奴が中学の中をねぐらにしているということを知る。さっきからのあわてぶりからすると、月曜の夜お前らがその男を襲ったのも事実らしいな」
「お――脅かしただけだ」
「うむ。殺していないと信じることにしたんだから、分かった。つまりお前らがしたのは、灯油をぶっかけて火をつけると脅した、そこまでだな」
「そ、そうだ――あの裏庭のプレハブんところに、灯油がポリタンクで置いてあったから」
「まあしかし、その言い張るのに自信がなさそうなところからすると、そのままそいつを校舎内まで追いかけて、屋上のそこまで追い詰めたのも事実かな」
「そ、そうだ、が――」
大海は声を震わせた。
「本当に、そこまでだ。あいつ、勝手に自分で飛び降りたんだ」
「なるほど」モモちゃんはうなずいた。「それで?」
「それで――あわててここから下を覗いたら、真下のところで火が燃えていた」
「お前らはつけた覚えがないのに、なんだな」
「そうだ」
「ふむ」モモちゃん、腕を組んで考える姿勢。「まあ、分かった。それから?」
「それ――そしたら――下に降りてみたら――茶色の服の、やつが燃えていた。三人で、そこらのもので叩いて火を消した」
大海の言葉に合わせて、他の二人もしきりにうなずいている。
「しかしもうすっかり燃えちまって、炭みたいな、骨ばかりくらいになっちまって――気味悪いんでよく見なかったけど――すげえ、肉の焼ける匂いして、吐きそうになって――」
「それを、証拠消すためにブルーシートに包んで移動したんだな」
「そ――うだ」
「どうやって運んだ?」
「あ、その――洞野の家の、ワゴン車持ってきて――」
「ほう、運転できるのか」
「あ、おう――洞野は」
「で、どこへ運んだ?」
「あの、太陽公園のベンチのところに、転がした」
それじゃほとんど証拠隠滅になっていないと思うが。
「ふうむ」モモちゃんはもう一度、腕組みで首をひねった。「起きたことは、以上か」
「そ、そうだ」
「ふうむ」
もう一度後ろを振り向くと、校長と教頭が並んで扉から覗いていた。校長、急遽呼び出されてきたらしい。
モモちゃんの後ろ姿をはらはら眺め、止めたいのはやまやま、しかしそれを言い出せないという様子だ。
「で、どう思う?」
気がつくと、モモちゃんの目がぼくに向いていた。
「え?」
「今ので、可能だと思うか?」
もしかして、丸投げかい。
「えーと。殺していない証明としては、その男が飛び降りても助かる、燃えても生きている方法を考えればいい、と」
「そういうことだ」
「無理だろが」
大海が、吐き捨てるように言った。
その隣の隣で、一杉さんがやれやれと首を振っている。
「まあ、何とかなるかも知れませんね」
「何だと?」
大海が、目をむいた。
後ろを向くと、三善先生と目が合った。
「先生すみません、十メートルくらいの丈夫なロープ、ありませんか」
「あ、ああ」若い男の先生は、飛び上がるように応えた。「ああ、探してみる」
ばたばたと階段を降りていく。
残された戸口に、校長と教頭がまだ呆然とこちらを見ていた。
「ロープで伝い降りるのか?」モモちゃんが首を傾げた。「そんな安直な方法なら、いくらこいつらが間抜けでも、その時気づいたと思うぞ」
だから、そんなに正直に言わないでって。
この場面、嘘でも納得させれれば目的達成だと思うんだけど。そんな正直に隅をつついたら、ますますハードルが高くなるじゃないか。
――と言ってやりたいのだけど、口に出すわけにもいかない。
「ちょっと、失礼しますね」
モモちゃんの後ろを横切って、ぼくは屋上の端へ寄っていった。下を覗き、柵沿いに伝って、少し大海たちの方へ近づく。
「ここからそこまで、五メートル弱ってところかな」
声をかけると、ああ、と小太りの男子がうなずいた。考えてみるとぼくは、ノッポと小太りのどちらが滝田か洞野か、まだ知らなかった。
「あったよ」
戸口に、三善先生が戻ってきた。白いロープを手に持っている。
「すみません、放ってもらえますか」
手を出すと、思い切り投げてくれた。
受けとって、柵の一番端の支柱にロープをかける。ちょうど真ん中あたりを引っかけて、二重にしたロープを真横にたぐり伸ばしながら、五人が固まる方へ歩いた。
「ごめん、みんなそっちへ寄ってくれる?」
正直に、五人ともにじりずれる。
「その男が飛び降りたの、この辺かな」
今まで五人がしゃがんでいたところで、ぼくは足を止めた。だいたい扉から出てきて最短の場所だからこの見当だ。
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