8-1 モモちゃん伝説再び 1

 次の日、担任に引っ張り出されて学校に向かったのは、それでも普段よりはかなり遅く十時近くだった。いつものスカートのスーツ姿よりは少しラフなベージュのパンツルックのモモちゃんの後を、ぼくも一応制服のワイシャツ姿で何となく力が入らず歩いていた。


「今日は先生、いつもと服装の感じちがうんですね」

 何の気なしに訊ねると、むう、とモモちゃんは軽く口を尖らせた。

「予定外に土曜出勤になったから、スーツのローテーションが合わないのだ」

「なるほど」


 他の女性教師の中にはスーツにこだわらずラフな格好の人も多いけれど、モモちゃんは普段から頑なに自分のスタイルを守っている。たぶん、ラフな服装では教師に見られにくいということを自覚しているのだろう、とぼくはにらんでいた。


 体育系の部の練習がかなり行われているらしく、校門を入ると結構生徒の声が聞こえていた。少し離れて、グラウンドにサッカー部が走り回っているのが見えた。


「さて、誰と話すのがいいかな」


 ゆっくり歩きながら、モモちゃんが呟いた。予定、考えていなかったらしい。来てみて、そこにいる顔ぶれで臨機応変のつもりだったのか。


「あれえ」

 やや素っ頓狂な声がかかって、ぼくはそちらを振り向いた。

「岾城君、どうしたの。あれ、モモちゃんと一緒なんだ」


 生徒玄関近くに立っていた女子が駆け寄ってきた。いつもとちがう、オレンジのパーカーとジーンズ姿の真倉さんだった。


「あ、お早う。そこで先生につかまっちゃってさ」

「へええ、あ、モモちゃん、お早うございまあす」

「おう、お早う」


 モモちゃんも機嫌よく挨拶を返す。


「真倉こそ、どうした。今日は何してる」

「あ、あたしは特に用もないんだけど」真倉さんはちょっと舌を出す顔になった。「ユキナと一緒にこの後塾の土曜講習なの。その前にユキナが剣道部の後輩に指示を出していくっていうから、そのつき合いで。だから制服じゃないんだけど、モモちゃん見逃してね」

「まあ校内に入らないんなら、構わんが。そうか、戸野部も一緒か」

「うん、ユキナは真面目に制服着てきてるよ」

「真倉さんと戸野部さんって、家も近いんだっけ」何の気なしにぼくは訊いた。

「うん。あの、太陽公園のすぐ向こうでね。笹生君もだし。みんな小学校から同じなの」

「へええ」


 モモちゃんはすぐに興味を戻して、今後の予定を思案している様子だ。ぼくもそちらとの会話に戻ろうと考えかけて、ちょっと気になることを思い出した。


「そう言えば、こないだ話してなかったっけ。太陽公園の治安について」

「治安? ああ」真倉さんはすぐにうなずいた。「夜中に公園で犬が騒ぐ声がしたとか、犬の死骸が見つかったとかって、言ったやつね」

「そう、それ。もう少し詳しく分かんないかな」

「えーと、噂ばっかりではっきりしないんだけどね。夜中に若い男のグループが逃げる犬を追っかけ回していたとか。遅くにあの公園を抜けて帰る人が、犬の死骸を見つけたとか。だけどどういう訳か分からないんだけど、朝になると死骸も騒いだ跡もすっかりなくなっているんだって。だから、何かの勘違いだったのかという話にもなって」

「なんだ、そりゃ」モモちゃんが首を傾げた。

「確か、数年前には犬や猫がボウガンで傷つけられたって話だったよね」

「うん。だから最近、この夏休みくらいかな、この話でも、男のグループがボウガンを持っていたとか、爆竹を鳴らしていたとか、言われてたりする。爆竹の音と犬の鳴き声は、勘違いでもなく確かに何人もの人が聞いているみたい」

「で、それが、あのホームレス風の人が目撃された時期とも重なるんだよね」

「そういうことになるねえ」


 モモちゃんが眉をひそめて、ぼくを見た。


「それが何か、関係するのか?」

「分からないですけど――無関係とも思えないというか……」

「何々? 何かあったの? 聞かせて」


 真倉さんが目を輝かせてきた。


「でも、もう塾の時間なんでしょ?」

「あ、そっかあ」悔しそうに、真倉さんは頬をふくらませた。「塾、二時くらいまでなんだけど――」

「あ、それならその頃ぼく、太陽公園へ行くから。ついでにそのあたり案内してもらえないかな」

「ああ、うんうん。お安いご用」

「とりあえず、塾の方、頑張って」

「了解。約束ね、太陽公園」

「分かった」

「あ、ユキナ出てきた」


 離れた向こうの体育館からグラウンドの方へ、制服の女子が歩いてくるのが見える。姿勢のいい長身、確かに戸野部さんのようだ。


「じゃあ、また後で」

 真倉さんはそちらの方へ走っていった。


 見送って、モモちゃんは難しい顔になっていた。


「つまり――それがあいつらという可能性、か」

「です」


 ううむ、と腕を組んで。すぐにモモちゃんは顔を上げた。

「お、あの後ろ姿、校長だ」


 戸野部さんが出てきた体育館の方へ逆に向かう、ワイシャツ姿の男性。確かにその頭頂部に見覚えがあった。


「校長と話すのが一番手っ取り早いな。行くぞ」


 何でぼくまで、という何度目かの疑問を、口にする暇もなかった。小さな担任はさっさと駆け出して、ぼくはそれを追いかけるしかなかった。


「お早うございます、校長」


 モモちゃんが声をかけると、グラウンド脇で校長は愛想よく振り向いた。


「おお、桜井先生、お早う」

「ちょっとお話が、昨日の件絡みで」

「昨日の――かね」校長は眼鏡の奥の目を細めた。「えーと、そっちの君は、転校生、岾城君だったか」

「はい」モモちゃんが応えた。「この生徒が、ちょっと情報を持ってきてくれまして」

「どういうことだろう」

「今、時間よかったですか? 校長、用事なのでは」

「いや、ちょっと部活の様子を見て回っていただけで、急用はない。話を聞くよ」


 ちょうど校庭の隅に木のベンチがあって、そこに腰を下ろした。ぼくも勧められて、モモちゃんの隣に座る。


「昨日早退で問題になった大海、滝田、洞野の三人ですが」モモちゃんが切り出した。「どうも公園にいたホームレス風の男と関係があったようで」


 促されて、ぼくが話をした。

 怪我をした際に世話になったお礼に行くと、男の人が男子中学生に怯える様子を見せたこと。

 コンビニ前で男の人が三人に玉子を投げつける現場を見たこと。

 それからさっき聞いた、夏休みから夜の公園で犬を追い回す男のグループがいたこと。

 さらに、月曜の夜に三人が出歩いているところを目撃されていること。


「これらのことを考え合わせると」モモちゃんが受けて言った。「確証はありませんが、彼ら三人が最近の問題に関係している可能性が考えられると思うのです。まず、始まりは太陽公園、その犬を追いかけ回していたグループというのが、大海たち三人なのではないかと」

「ううむ」校長は眉をひそめてうなった。「考えたくはないが、まあいいだろう。最悪を検討するということで、まあ可能性だけだね」

「はい。本当にまったく想像なのですが、この夏休みあたりから、その夜の公園で犬をいじめる行為を始めた。その同じ頃、公園にホームレス風の男が目撃されるようになっている。その間に何か干渉があったことは容易に想像できます。かなりあり得るのが、彼ら三人が犬に対するのと同様にその男にも脅すような行為をした。ボウガンを向けるとか、爆竹を投げるとか、ですね。

 もちろんその男は、三人を避けるようになる。夜に三人が犬を連れてきて追い回す行為を、陰に隠れて見ているようになる。そして三人が帰った後で、ようやく安心して戻って公園をねぐらにする。このときおそらく、爆竹の残骸や犬の死骸などを、その男が片づけていたんだと思います。近所で噂が広がってねぐらを奪われることを恐れて、ですね」

「ふうむ」

「しかしそれでもやはり夜中の騒ぎの噂は広まって、警察の巡回なども始まって、男は公園にいられなくなります。それでしかたなく、ねぐらを移した」

「それが、この中学か」

「ええ。その形跡が見つかったのがこの月曜ですね。ああその前に、岾城が目撃した玉子襲撃の件があります。男は、恨みのある三人にささやかながら仕返しをした。しかしそれで、ますます三人の恨みを買う。月曜にその形跡が見つかったという話を聞いて、中学の敷地内なら公園よりもっと追い詰めやすいと、三人は考えます」

「え、じゃあ――まさか」

「あくまで想像だけですが、次のような仮説が考えられると思うのです。月曜の夜、三人は灯油かガソリンを容器に準備して、中学に向かう。そこをねぐらにしていた男にそれをぶっかけて、火をつけるぞと脅す。驚いた男はあわてて逃げ出す。たまたま開いていた窓から校舎に逃げ込む。もちろん三人はそのあとを追う。追跡は屋上まで続く。屋上の柵際まで追い詰めて、火のついた何かを男に投げつける。それが引火して男は炎上、柵を越えて裏庭に落下する」

「何――じゃあ」

「おそらくその前までは三人も冗談半分、男を脅かすことだけを考えていた。それがヒートアップして火をつけて命を奪うところまでいってしまった。ここでようやく三人は少し頭が冷えて、あわて出します。とんでもないことをしてしまったと。とりあえず屋上の火をつけた証拠だけ片づけて庭に戻る。陸上部の倉庫からブルーシートを持ち出して、焼死体をそれで包む。あと詳細は分かりませんが、死体をどこかに隠して、ブルーシートを公園に捨てる」

「なん――なん――」


 目をむいて、校長は声を震わせ出した。


「じゃあ君は、生徒の殺人だというのか」

「その可能性が考えられると言っているだけです。まったく確証はありません。しかし、このストーリーでほとんど矛盾なくつながってしまうということは、警察でもこんな可能性を考えるかも知れません。我々としては、その可能性を頭に置いて指導する必要があるのではないかと」

「あ、う――うむ」

 飲み込みにくいものを無理矢理飲み込むみたいな仕草で、校長は何とかうなずいた。

「うん、あくまで可能性だ」

「はい」

「しかし――うん、あれ――」必死に思い出す顔で、校長は頭をひねる。「じゃあ、昨日の騒ぎは何なんだ」

「それはよく分からないのですが」モモちゃんは真剣な顔で応えた。「考えられるのは、今の仮定の上で、誰か他に彼らの行為を知っている者がいて、彼らを脅すために悪戯をしたのではないかと」

「悪戯、か?」

「あの目撃された落下は、人形か何かを使って作れると思います。その目的が、あの三人を脅すためではないかと。わざわざ三-Aの窓の外を通過させているのがその証拠ですね。それに私は実際教室で見ていたわけですが、彼ら三人の驚きようは尋常ではありませんでした。それでその直後に、教室を飛び出している。これらを見ても、彼らがあの茶色い服の人間の落下というものに何か思い当たることがあるのは確実だと思われます」

「ううむ」


 膝に手をついて、校長はうなった。


「うむ。とにかく、その可能性を頭に置く必要があることは確かなようだ。その線で、関係者で相談しよう」

「はい」

「職員室へ戻る」


 立ち上がって、それから思い出したようにぼくの顔を見た。


「ああ、岾城君は情報をありがとう。とりあえず今の話は、よそで言わないようにお願いしたい」

「あ、はい。分かりました」


 ぼくが返事すると、うんとうなずいて校長は急ぎ足で校舎へ向かった。モモちゃんもあとを追っていく。


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