7-3 モモちゃんと幽霊の墜落 3

「そう言えば」前で、扇田さんが友人に話しかけるのが聞こえた。「ナナもモモちゃんに言いたいことがあるんじゃなかったの。文句があるって言ってたの、いいの?」

「ああ――ちょっと言い出す雰囲気じゃなかったです」


 言って、一杉さんの目がちらりとぼくに流れたような。


「あ、ぼくがいたのがまずかったのかな」

「いえ」あわてて、一杉さんは首を振った。「先輩のせいじゃないです。キヤツがずるがしこいだけであります」


 なるほど、とぼくは納得した。今日モモちゃんがぼくを引き込んだ理由は、これか。

 姪に対して何か後ろ暗いことがあったか、あるいは野性的勘で危機を察したかで、とっさにぼくを引き留めたのだろう。異性の上級生が同席していれば、姪の攻撃の手が緩むだろうと判断して。

 本当に、利用できる道具の利用はためらわない人だ。



 翌日、週末の金曜にはもうすっかり校内は平穏を取り戻しているように見えた。もともと生徒の耳目を惹くような劇的なことが起きたわけでもなかったのだから、話題として飽きられるのも早かったようだ。

 しかし、さらなる出来事、と言うより生徒にとっては今までで一番はっきり興奮を呼ぶ事件が、その日起きたのだ。

 その日最後、六時間目の授業の終わりかけのことだった。いきなり、他の教室から悲鳴のような騒ぎ声が、ぼくらの耳に届いてきたのだ。

 発生源は三-Aの教室。ちょうどモモちゃん先生の英語の授業だった。後から聞いた話を整理すると、次のようになる。


 先生は黒板に向かって、例によってチョークで小さな文字を書いていた。当然ほとんどの生徒も、かなり必死で遅れないようにそれをノートに写していた。

 それでもこのクラス、何人か集中していないのもいたらしい。


「わ!」

「きゃ!」


 突然、何人かの悲鳴が前後して上がった。窓際で、椅子から立ち上がる生徒まで現れた。


「何だ、どうした?」

 さすがにモモちゃんもあわてて生徒の方を振り返った。


「窓の外」青い顔で立ち上がっていた窓際の女子が、震え声で言った。「誰か人、落ちてった」

「ええ?」

「きゃあ、何?」


 他の生徒からも、口々に悲鳴のような声が上がった。


「俺も見た。何か、茶色い服だった」

 別の男子が、叫ぶように言った。

「何だと?」


 冷房が効いていて、窓はすべて閉じられていた。先生が寄っていって、一番前の窓を開いて下を覗いた。


「何も落ちていないぞ」

「え?」

「嘘?」


 最初に発言した女子と、その前後の生徒も次々に窓を開いた。

 確かに、下の地面には何も変わったものは見えなかった。


「け、くだらねえ」


 いきなり一番後ろの席の男子生徒が声を上げて、窓に背を向けて歩き出した。乱暴に戸を開けて、廊下に出ていく。


「あ、こら、大海、どこへ行く」


 先生が怒鳴る先に、もう二人の男子も同じように出ていこうとしていた。


「こら、滝田、洞野も、待て」


 先生が廊下に出た時には、三人はもう足早に階段を下り始めていた。この時には他のクラスも騒ぎに気づいて、ざわざわと生徒が顔を出し始めていた。


「何だ、何の騒ぎだ?」


 階段の方から、宮緒先生が声をかけてきた。モモちゃんがそれを見つけて、問いかけた。


「おお、保健室では見えなかったか。窓の外、上から何か落ちてくるの」

 保健室は、三-Aの教室の真下だ。

「いや、私は今上、四階の方にいたから」

「むう」

 使えない奴だ、と言いたげにモモちゃんは顔をしかめた。

「みんなは少し、待っていろ」


 教室に声をかけて、すぐ養護教諭を伴って一階に下りた。出ていった三人の生徒の姿はもう見えない。すぐ先に立って保健室に飛び込んだ。中はもちろん無人で、窓の外にやはり変わったものは見えなかった。


「上にいたということは、大海たち三人にも会っていないのだな」

 モモちゃんが訊くと、養護教諭は首を振った。

「そうだな。どうした、エスケープか?」

「まあ、そんなものだ」


 憮然として、モモちゃんは二階に戻った。六時間目終了のチャイムが鳴り始めていた。生徒たちにそのまま教室で待機しているように指示して、職員室に戻った。

 戻ってきた教師から、三階の二-Aの教室でも同じように落下の目撃があって大騒ぎになったと報告があった。手早く職員で打ち合わせをして、とりあえず実害はないのだから、生徒を鎮めて普通に帰りのホームルームを行うことにした。

 大海たち三人は、そのまま校外へ出ていったらしく、その日は戻ってこなかった。その後家に連絡をとってもつかまらず、行方不明かと心配されたが、夜には普通に帰宅したことが分かって一応教員たちも安堵した。


 ――という一連の話を聞いたのは、普段より大幅に遅れて八時過ぎに食事に来た、モモちゃんからだった。


「それはたいへんでしたね、お疲れ様」

 一緒にテーブルを囲んだ親父が、慰めの声をかけた。

「はあ、どうも」


 大きな溜息をつきながら、それでもモモちゃんはせわしなく箸を動かしていた。よっぽど腹が空いていたらしい。


「うう――うまい。生き返る――」

 それでも料理に涙ぐむ習慣は忘れない。


「でも、結局落下物は何だったのか分からなかったんですよね」

 ぼくが問いかけると、もぐもぐ咀嚼しながら、大きくうなずく。

「そう。本当に落下物があったのかどうかもな」

「しかし、目撃者は何人もいたと」

「少なくとも六人はいるようだ。とうてい見まちがいとは思えないな」

「まさかあんな時間に学校で、部外者が投身自殺でもないでしょうしね」ぼくは煮魚を口に運びながら首を傾げた。「しかも、落下物は見当たらない、と。最近の出来事、物が消えてばかりですよね」

「まったくだ」


「落下物が目撃されたのは一瞬なんだろう」親父も口を動かしながら言葉を入れた。「人形か何かを使っての悪戯なら、いろいろやりようはあるんじゃないか」

「まあ、そうだね」

「どんな?」モモちゃんが目を丸くして問い返した。

「屋上からひもつきの人形を投げ落として、すぐに見えないところで引っ張り上げるとか」すらすらと親父が応えた。

「非常階段の三階か四階のところでひもの端を持っていて、屋上の柵に置いていた人形を振り回すみたいに落とすってのも考えられるね」ぼくがつけ加えた。「その方が、引っ張り上げるのを見つかりにくい。あるいは、円を描いて落下地点が非常階段の下なら、引っ張り上げずに本人が下りていって回収してもいいかも知れない」


 目を丸くしたまま親子の顔を見比べて、モモちゃんはあきれたように声を上げた。


「こういう発想力は、父上殿に似たんですなあ」

「いや、そんな大層なものでもないでしょう」親父が苦笑した。


「それにしても」ぼくは構わず続けた。「どんな方法をとったにしても理解できないのは、誰が何のためにそんなことをしたか、だね」

「うむ」モモちゃんが受けて、うなずいた。「授業中だったから、生徒の悪戯とも思えないしな。部外者がそう簡単に屋上に入れるはずもない。こないだの件以来、施錠は徹底されている」

「ですよねえ」

「しかし教職員の側としては、どうやってそれが起きたということより、その結果の方が問題で」モモちゃんが溜息をつきながら言った。「目撃した女生徒は、幽霊を見たと言ってヒステリー状態だし。その三人組の無断早退と行方不明まで引き起こすし」

「三人が教室を出ていった理由は、分かっていないんですね?」

「うむ。大海は『くだらねえ』と言い捨てて出ていったが、むしろその落下を見てショックを受けていたように見えたな。私が黒板から生徒の方に向き直った時、立ち上がっていたのが窓際で目撃したという女子と、彼ら三人だったんだ」

「つまり、三人も落下を目撃して思わず立ち上がるくらい驚いていた、と」

「そう。ほとんどの生徒は黒板を見ていたわけだが、あいつらはノートをとらずに外の方をよそ見していたということが、十分考えられる」


 ふうん、とぼくはうなずいた。


「ところで、その三人について、ちょっと気になることを聞いたんです」

「何だ?」

「放課後、笹生と一緒に帰りかけていたら、あの仲尾と会いまして。今日の事件を話題にしていたら『またあの三人と夜に出会ったら嫌だなあ』と言ってるんですよ」

「どういうことだ」

「訊いてみたらですね、つい最近夜十時過ぎに急用があって家の近くのコンビニに買い物に行こうとしたら、あの三人が連れ立って歩いているのを見かけて、あわてて隠れたというんです。それがよく訊いたら、こないだの月曜だと」

「あの、焼け焦げが見つかった前の夜か」

「ですね。それも、学校の方に向かっているようにも見えたと」

「ふうむ」


 その後も親父も交えて、その分かった情報から推測されることを話し合った。

 少し調子に乗って話しすぎたかとぼくが後悔を覚えたのは、先生の妙なうなずき顔を見て、だった。


「よし、おぬし。明日一緒に学校まで、つき合え」

「えー」ぼくは不平の声を上げた。「せっかくの土曜に、ですかあ」

「今日の問題がすっきりしていないから、ほとんどの職員は出勤しているはずだ。お前もつき合え」

「えー」

「慎策」笑って、親父が声をかけてきた。「担任の役に立っておいて、損はないぞ」


 本当か? 当の担任のしたり顔を見ていると、どうにも怪しい気がするんだけど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る