7-1 モモちゃんと幽霊の墜落 1
翌日、ぼくはますますこの件に巻き込まれることになった。今度は偶然と言うより、かなり人為的な理由だが。
この日は日直になっていて、放課後ぼくは職員室に日誌を届けに行った。大きな椅子に埋もれるみたいに座った担任は、無愛想に中を確かめて、うなずいた。
「うん、よしご苦労」
「じゃあ、失礼します」
礼をして帰ろうとするところに、我が担任を訪ねてきたらしい生徒が近づいてきた。顔見知りの、生徒会の二人だ。
「桜井先生、ちょっとお話が」
扇田さんが声をかけ、その後ろで一杉さんがむっつりとしている。
狭い通路でぼくは出ていきにくくなって、壁際に背を向けて横歩きで彼女らと入れ替わろうとした。
「ん? お前ら、ということは、勉強の話ではないな」
「はい、私用というか、ちょっと。できれば、別の場所で」
ふうん、とモモちゃんはちょっと考える素振り。
「例えば、だが、そいつが同席したらまずいか」
ひょいと、ようやく下級生と入れ替わったぼくを指さす。え?
扇田さんは、ちょっと目を丸くして一杉さんと顔を見合わせた。
「あ、いえ――まずいということはありません、す」
「じゃあ、一緒に来い」
当然のように三人の生徒をにらみ回して、先生は席を立った。職員室を出て、すぐそばの相談室に入る。
何で、ぼくまで? 首を傾げながら、しかたなくあとに続いた。
二人の二年生と先生が向かい合って座る、その横向きの席に腰を下ろした。何だか、オブザーバーみたいな位置だ。
それにしても、考えてみるとモモちゃんと一杉さんが同席しているのを見るのは初めてだけど、つくづくよく似ている。こうやって横から眺めていると、鏡に映したみたいに左右対称に見える。
「で、何だ?」
「先生に、折り入ってお願いしたいことが」
扇田さんが、両手をテーブルの縁に置いて、頭を低くして切り出した。
「何だ」
「先日来の事件の現場を見せていただきたい、す」
瞬間、モモちゃんは眉をひそめた。
階段や裏庭の立入り禁止は解けているが、屋上は施錠されて入れない。しかも全部もう清掃もされて、当時の状況は分からなくなっている。それもふくめて、事件当時の様子まで知りたいという希望なのだろう。
何故? この二人のどちらかが何か関係あるのか、とぼくは頭をひねった。
しかし、モモちゃんはそんな疑問を問うことはしなかった。
「それは、まずいだろうなあ」
さも面倒くさそうに、門前払いの意向を表した。
「は、重々承知、なのですが」
どうでもいいけど、モモちゃんを相手に改まると、みんなこんな口調になるんだろうか。笹生は、戸野部さんが特別と言ってたけど。
「そこを曲げて、なんとか」
「しかしなあ――」
「ハリーちゃんバッグを用意しております」
ん、とモモちゃんの目が丸くなった。
「それは?」
「前に、扇田のチョン猫バッグを羨ましそうに見てたでしょが」
初めて、一杉さんが口を開いた。
「そのハリーちゃん版を、手作りしてやろうと言っているです」
「おお」
これは――賄賂の相談現場だったのか。遅まきながら、ぼくは気づいてきた。相手の弱みをよく知る、一杉さんの入れ知恵だろう。
「色は?」
「ピンクを考えております」
「何と――」
ふうう。
あまり使われていないらしく、相談室の天井は綺麗だった。
しょぼしょぼと目を戻すと、一杉さんが情けなさそうに小さく頭を下げて見せた。
「うむ、そ――あ、いや――」
視線がきょときょとと、教師はものすごく分かりやすい逡巡をしていた。見るからに、陥落間近だ。
「いや」
しかしそれでも、何とかわずかに持ち堪えたらしい。大きくうなずいて、じろりと向かいの生徒をにらみ直した。
「いずれにせよ、理由もなく一部生徒に便宜を図ることはできんな。何か事情があるのか、お前らに」
ち、と扇田さん、小さく舌打ちしたような。そこは言わずに誤魔化そうとしていたのだろうか。
「うーん、いや、えーと……」
何か、言いにくい理由らしい。
「えーと、ぼくは席を外した方がいいんじゃ……」
そっと、提案してみた。できれば、このままこの場を離脱した方がいいような予感がある。
「あ、いえ」
けれど、扇田さんはあわてて首を振った。
「よく考えてみると、もれ聞く噂では、おニュー先輩にも聞いていただいた方がいい気がしまっす。できたら」
あっさり、ぼくの野望は打ち砕かれた。しかしどうでもいいけど、この子のぼくの呼び方、どんどん軽くなってきているような。まさか、名前を覚えてくれていないなんてことはないだろうな、と一抹の不安がよぎる。
「ただ、あの先生、他には秘密にお願いしたいんですが」
「理由もなく生徒の秘密を触れ回ることはせん」
「あの、実は、最近の妙な出来事、もしかするとあたしの父親が関係していないかという、心配がありまして」
「父親?」モモちゃんは、あわてて記憶を探る顔。「確か扇田は、母一人子一人、だったな」
「はい、あの、両親は離婚していまして、七年前に」
「そうだったか」
「離婚して、あたしたちだけ母の実家の近くのこっちへ移ってきたですが、最近父が、リストラっていうんですか、失業して行方不明と噂を聞いて」
「何と」
「この近くで父に似た人の姿を見たという情報もありまして。父も親兄弟はもういないのですがもともとはこっちの出身ですし、その懐かしさとか、娘の顔見たさとかで、こっちに出没しているのじゃないかと」
まるで、熊みたいな言い方だ。
「扇田自身は見ていないわけだな、お父さんを」
「はい。母の知り合いが教えてくれたというだけで。それがどうも、ホームレスみたいな様子だったと」
「ふーむ」
「それが一週間くらい前の話で、情報もそれっきりなんすけど、おとついのこととか何かホームレスが関係しているという噂も飛び交って、それが殺人とか自殺とかまで言われてる、すから、どうにも気になって」
「なるほど、無理からぬことだな」
モモちゃんは深くうなずいた。
「しかし、こちらの教職員で分かっている情報も、その点では大差ないぞ。最近の出来事、いったい何が起きているのか、怪我人や死人が出たのかどうかも、さっぱり分かっていない」
「はい、それでも分かっている限りで教えていただければ。とにかく生徒の間に伝わっている噂だけでは、事実と作り話の区別もつかないっすから」
「なるほど、そういうことなら考慮に値するかな」
難しい顔で、モモちゃんは腕を組んだ。
「それにやはり、私の判断が正しかったようだ」
「何すか?」
扇田さんの問いに、持ち上げた先生の視線は、ついとぼくの方に流れた。
「そのホームレス風男の情報、もしかすると一番持っているのはこやつかも知れん」
「そうなんすか、やっぱり?」
扇田さんと一緒に、一杉さんの目もこちらを向いた。
「あ、いや、一度それらしき人と話したというだけだよ」
「それ、どんな人でした?」
扇田さんが身を乗り出す。
始業式の前日、公園で転倒して近くにいた男の人に世話になったことを、ぼくは話した。居合わせた怪しい女の子の存在は、一応その方がよさそうなので省略しておく。
「で、その日はほとんど記憶がないんだけど、二日後に公園に行って、お礼をした」
「どんな顔つき、服装は?」
「あまり新しそうじゃない焦茶色のジャケット、厚手の黒いズボン、顔は大きなマスクでほとんど分からなかった。年齢は四十代くらい、身長はぼくより少し高くて、百七十センチくらいかな。それで、かなりやせ形」
「ふーん」扇田さんは大きくうなずいた。「そこまでのところ、当てはまる、すね、うちの父さんに」
「そうなのか」
モモちゃんが、難しい顔でうなずいた。そして腕組みのまま少し考えて、上目で向かいの女生徒を見た。
「今のところ何一つはっきりしたことはないわけだが、そうすると調査を進めると、扇田にとって望まない結果が見える可能性もあるわけだぞ」
「は――いえ、それでも、何も分からないより分かった方がいい、す」
「嫌な結果になっても、私を恨まんでくれよ」
渋い顔で、モモちゃんは頭をかいた。
「まあしかしそういうことなら、無責任な噂と分かっている事実を区別することだけでも、意味があるかも知れんな」
「はい、そこんところ、お願いしまっす」
少しの間考えて、
「分かった」
と、モモちゃんは立ち上がった。
「見せてやる。廊下で待っていろ」
連れ立って廊下に出る。扉の外に出た一瞬、一杉さんと横並びになって、先生はちらと妙な横目を送った。それから憮然とした顔で、一人職員室に入っていった。
一杉さんは軽く首を傾げてから、ぼくを見た。
「それにしても先輩、いつの間にかずいぶんキヤツに気に入られてしまったようで」
「そう思う?」ぼくは口をすぼめて応えた。「あまり信じたくないんだけど」
正直それ、言ってほしくなかった。口に出されると、現実と認識するしかなくなってしまう。
「何か価値を認められたんでしょうねえ。認めた価値の利用はためらわないです、キヤツは」
はあ、とぼくが溜息をつくと、小さな後輩は顔の前に両手を合わせた。
「どうか、ご自愛を、です」
「拝まないでくれる?」もう一度続けざまに、溜息が出た。「思わず成仏したくなってしまう」
二人の後輩は、顔を見合わせてきゃきゃと笑った。
しかしすぐにそれも引っ込んだ。職員室の戸が開いて、モモちゃんが戻ってきたのだ。
「何をのんきにじゃれ合っている」ふん、と鼻を鳴らす。「行くぞ」
両手を横に振るような格好で、先に立って歩き出した。
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