6-3 モモちゃんと不審な出来事 3

 翌日の学校も、まだ裏庭や屋上は立入り禁止が続いていた。ただ、あまり警察の人らしい姿は見えず、捜査が続いているのかもよく分からない。生徒の間の殺人などという噂も、早くも飽きられ気味になってきていた。


 モモちゃんが言ったからというほどのこともなく、ぼくもそれ以上積極的に探偵のまねをする気も起きず、普通に放課後を迎えた。朝刊のちらし研究の結果で、下校を少し遠回りにしてあまり行ったことのない離れたスーパーに寄ることにした。

 夕刻のセールの時間を待って買い物をしたら、帰りはけっこう遅くなってしまった。六時を回って、もう教職員も帰り始めている時間だ。腹を空かしてふくれている人物の顔を思い浮かべて、ぼくは大きな袋を抱えて帰りの足を急がせた。

 道すがら、太陽公園の脇を通ることになる。

 何となくやっぱり気になって、野球グラウンドの方に目を向けた。そちらにひと気はない、と思った、少し手前の草むらあたりに一人、丸っこい女性の後ろ姿があった。どこかで見たような。

 すぐ後ろを通ることになる、ついでに公園内に足を入れてみた。近づいてみると、やっぱり後ろ姿は宮緒先生だ。

 声をかけようとしたところへ、深々と溜息が聞こえた。それに続いて、独り言のような。


 ――オンモ

 と、聞こえた。何だ?


 すぐにこちらの気配に気がついて、眼鏡の丸い顔が振り向いた。


「何だ、お前か」

「あ、こんにちは」今日は初めてだったよな、言葉を交わすの。

「脳の調子は、どうだ?」


 いや、直接脳は分からないし。そんな訊かれ方すると、妙に不安になるんですけど。


「おかげさまで、頭痛もめまいもありません」

「それはよかった」

 がっかりしたみたいな顔、しないでください。

「先生はどうしたんですか、こんなところで」

「いや、ただの夕涼みだ」


 ひょいと向かいの方を顎でしゃくる。


「家がそっちなんでな」

 今ぼくが行ってきたスーパーの方だ。

「お前は――見るからに買い物帰りだな」

「図星です」

「そこのスーパーは、夕方セールがあるからな」


 鼻で笑ったみたいな顔で、公園内を眺め直している。


「さっき、先生」妙に気になって、訊ねてしまった。「何か独り言、言ってませんでした?」

「ん、何だ?」

「オンモって、聞こえたんですが」

「おお」養護教諭は、手を打ち合わせた。「オンモ、知らんかお前?」

「何でしょう」

「おんもへ出たいと 待っている」

「は?」

「赤い鼻緒の じょじょはいて」


 えーと、どこかで聞いたような。


「あるきはじめた みいちゃんが」


 わ、わ、そこまで出かかってる。何だっけ。


「早く来い♪」

「あ」ぼくはぽんと手を打った。「春よ来い」

「遅いだろ、思い出すの」

「だって先生、歌詞、逆の順番ですよね、今の」

「そうじゃなきゃ、クイズにならんだろうが」


 クイズだったんだ。


「その、おんもですか」

「おんもって意味分かるか?」

「えーと、外とか、そんな感じですか」

「まあ、オモテから来ているんだろうな。幼児語だ」

「なるほど」

「じょじょは、分かるか?」

「えーと、何でしょう」

「無知な奴」


 即断しなくても。


「えー、何なんですか」

「草履。たぶん、ジョウリから訛ったんだろうな」

「なるほど、赤い鼻緒の草履ですか」

「なかなか、日本語は奥が深いな」

「はあ」

 単なる幼児語では、あるけど。

「で、ここの風景と『春よ来い』が連想でつながるわけですか」

「関係あるわけないだろ、アホ」


 やっぱり。


「単に頭に浮かんだだけだ。そんなもん、本人も責任持てん」

「はあ」


 疲れた。

 改めて、何となく先生と並んで公園の中を見回してみた。妙ななりゆきですっかり見慣れてしまった、光景だ。やっぱり気になるのは、前にあの男の人がいたベンチのあたり。今は人影もなく、いつもと変わらず――。いや。

 いつもとちがうものが、そこに目に入った。


「あれ――」

「ん、どうした?」


 丸い養護教諭が振り返った。


「あれ、何でしょう」


 木のベンチの向こうの地面に、何か転がっている。大きな、青い筒状のもの。

 思わず、ぼくは駆け出していた。遅れて宮緒先生も追ってくる。

 近づいてベンチ越しに見ると、やっぱり地面に転がったそれは、ブルーシートを丸めたもののようだった。


「学校で、ブルーシートがなくなっていると言ってませんでした?」

「そう、だったな」


 さらにおそるおそる覗き込むと、めくれた端にマジックで書かれた文字があった。東江中学、と。

 ぼくは、宮緒先生と顔を見合わせた。

 丸めたシートは、それほど大きくはないが何かを包み込んでいるみたいだ。

 珍しく深刻な顔で、先生は携帯電話を取り出した。


「警察に連絡しよう。それと、うちの教頭かな」


 手早く連絡をして、少し離れたベンチに座ってぼくらは待つことにした。ブルーシートの中が気になるが、開けてみる勇気は出ない。それに、警察に対してもそのままにしていた方がいいように思われる。


「ああ、先生」待つ間に、思い出してぼくは言った。「お願いがあります」

「何だ」

「うちの担任の番号がそこに登録されていたら、今の状況伝えてもらえませんか。黙っていると、あとが怖いので」

「ふん?」宮緒先生は軽く首を傾げた。「まあ、いいが」


 すぐにまた携帯を取り出して、操作する。


「ああ、私だ」すぐに、出たらしい。「今、お前のところの間抜けな生徒と一緒に、ちょっと面倒に巻き込まれている」


 もう少し人聞きのいい表現はないのだろうか。

 それでも珍しく無駄話は少なく、宮緒先生は今の状況を説明してくれた。最後に、ぼくも電話を替わってもらった。


「そういうことです、すみません、先生」

「おお、分かった。面倒になりそうだったら連絡をくれ。すぐ行く」

「それは、大丈夫だと思います。ただ発見者として説明するくらいだと」

「だろうな。警察にも言って、早く帰宅できるようにしてもらえ」


 いつになく優しい言葉をいただいた。心配しているのは食事の方かも知れないけど。


「はい、まあそういうことで、七時帰宅はできないかも知れませんけど。あとでクラスで吊し上げは、ご勘弁を」

「分かった。前向きに善処する」


 善処のレベルか。

 携帯を返すと、同情の目で見られた。


「七時帰宅を守らないと、クラスで吊し上げか」

「はあ、前例があるそうで」

「たいへんだな、お前のクラスも」

 慣れない緊張の中で、ぼくたちは少し笑い合った。


 間もなく、警察が到着した。代表者らしい鷹野という刑事が、宮緒先生のついでにぼくにも名刺をくれた。簡単な説明の後、ブルーシートを調べてみると、中から出てきたのは燃え残った衣服のようだった。

 残っている部分から、ほぼ間違いなく判断できる。焦げ茶色のジャケットだった。


「茶色のジャケット?」

 帰宅して、食事の支度をしながら説明すると、モモちゃんがオウム返しに訊いた。

「あの、ホームレス風の男が着ていたやつか?」

「断言はできませんけど、よく似ているように見えましたね。焦茶色とか鳶色とか、そんな感じの色合いで。刑事さんにもそう言っておきました」

「ますます、燃えたのはその男が怪しいということになってきたわけか。しかし、やっぱり死体はなかったわけだな」

「ジャケットだけです。しかし、ジャケットを運ぶためだけにブルーシートなんて大げさなものを使うはずはありませんよね」

「当たり前だな。ジャケット一丁なら、その辺の買い物袋にだって入る」


 腹が減っているためだろう、モモちゃんは弱々しく溜息をついて言った。


「それにしてもおぬし、つくづくこの事件に縁があるらしいな。消えたブルーシートを偶然見つけるなんて」

「好きで近づいたわけじゃないですよ」

「それにしてもなあ」


 腕を組んで、我が担任は首を傾げていた。


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