6-2 モモちゃんと不審な出来事 2

「しかしそうすると、侵入者はセンサーの入っていない窓を知っていたことになるんですかね」

「さあな。偶然開いていた窓を見つけたのかも知れない」

「その、センサーの入っていない窓が偶然鍵をかけられていなかったというのも、ちょっとできすぎですね」

「まあそれでも、絶対ないこととは言えないからなあ」


 気の入らない口調の後、モモちゃんの声は呻きっぽくこもっていた。


「うう……腹減ったあ」


 一応こちらに聞こえないように声をひそめたつもりらしいけど、丸聞こえだった。

 ひょいと覗くと、小さな身体がソファに俯せになって、足をばたつかせていた。まるっきり駄々をこねる子どもの格好だ。


「野菜炒めは、塩こしょうとカレーと、どっちがいいですか」

 声をかけると、

「カレー」

 即答が返ってきた。


「了解です」

「辛すぎないのが、いいな……」


 それでも少し遠慮したらしく、声が小さくなった。

「分かりました」

 本物のカレーとはちがって、極辛にこだわる必要もない。


「ところで校内への侵入者って、泥棒ではなかったんですか」

「調べた限りでは、盗まれたものはなかったようだ」

「じゃあ、侵入の目的も分からないわけですか。どこへ行こうとしたのかも?」

「屋上への扉の鍵が開いていたから、真っ直ぐそこまで上がっていったんじゃないかという想像が有力だ」

「屋上って、あそこも普通鍵がかかっているんじゃないんですか」

「たまたま開いていたらしいな」

「たまたまって――ますます偶然とは信じられないんじゃないですか」

「どうも鍵の管理も甘かったみたいだしなあ。毎日教頭が最後に見回りしているのだが、屋上の鍵は閉めっぱなしが当たり前だからそれほど気をつけては点検していなかったようだ。問題の窓のクレセント錠って言うのか、あれは留め金にちゃんと入らずに閉じた形に回ってだけはいたらくて、どうも点検で見落としたようだし」

「ふうん」


 それでも偶然が重なりすぎて、できすぎの気がする。


 野菜炒めを大皿に移したところで、電話が鳴った。急いで出ると、親父からだった。


「親父が、少し遅くなるから先に食事しているようにということです」

「たいへんなのだな、父上殿も」むっくりと、モモちゃんはソファに身を起こして座り直した。「よくあるのか、こんな遅くなることは」

「こっちに転勤してからは初めてですかね。こっちに慣れたから仕事に本腰入れてきてるのか。もしかしたら、モモちゃんがいてくれてるから安心してるのかも知れませんね」

「そうだとしたら、父上殿も息子のことをずっと気にかけている証拠でもあるわけだな」

「どうなんですかね」


 何となくくすぐったい思いで、ぼくはキッチンに戻った。


「じゃあそろそろできますから、食事にしてしまいましょう」

「おう、待ってました」


 底抜けに明るい声が、返ってきた。


「う――うう……うまい――」


 カレー味野菜炒めを頬張って、童顔教師は今日も涙ぐんでいた。

 夕食をともにするようになって五日目だが、この過剰な反応は欠かさず毎回恒例になっている。お世辞やご機嫌取りが習性の人ではないと承知しているし、ほめられること自体は悪い気はしないわけだけど。

 それでも毎日となると、いい加減スルーしたい気になってくる。


「辛すぎないですか」

「うむ。ちょうどいい」


 ご機嫌の弓形眼で、小さな箸がひと時も止まらない。


「そう言えば」

 話題を戻したのは、少しは空腹が落ち着いたせいだろう。

「さっき、盗まれたものはなかったと言ったがな。校内ではそうなんだが、外では行方不明のものがあった」

「何ですか」

「野外活動で使う、ブルーシートってやつな」

「ああ――テントのガワみたいなの、ですね」

「そう。陸上部の備品を入れた倉庫から、どうも一枚足りなくなっているようだ」

「鍵は――」

「かかっていなかったようだ」


 どうにも、不用心な学校だ。


「どれくらいの大きさなんでしょうね」

「正確ではないが、三メートル四方くらいだと」

「人間一人くらい、包めますね」

「そうなるな」


 うなずきながら、モモちゃんはご飯を頬張った。少し落ち着いたためかゆっくり噛んで、ごくりと飲み込む。


「つまり――かなり単純に一つ仮説を作ると、自殺を考えた人物が灯油かガソリンを被って、開いていた窓から校舎に侵入して、屋上へ昇って自らに火をつけ、焼身および投身自殺を実現した、と」

「死体はどうなるんですか」

「探しに来た家族が燃えている死体を見つけて火を消し、外聞をはばかって死体を持ち去った。そのために、開いていた倉庫からブルーシートを拝借した」


「ふーん」

 ぼくもゆっくり飯を飲み込みながら、考えた。

「一応、見つかった痕跡の上ではつながるんでしょうけど。死体の持ち去りって、メリットがあるんですかね。それだけで確か、罪になるんですよね」

「死体遺棄罪とか死体損壊罪とかいうのがあるな、確か。それでも、その家庭の事情によって、何でもあり得る」

「はあ。それにしたって、鍵が開いているかどうか知ってたのかもふくめてわざわざ何で中学校に侵入したかとか、焼身と投身なんていう一つでもためらいそうな方法を何でわざわざ同時にしたのかとか、いろいろ疑問はありますよね」

「うむ。それに、今の仮説にはかなり否定される事実もある」

「は?」

「問題の階段に残っていた土足の足跡は、複数の人間の分だそうだ。それに、屋上でライターなどの発火器具は見つかっていない。自分に火をつけた後で投身するまで後生大事にライターを握りしめ続けているものか、自殺者の心理は分からんがな」

「その、複数分の足跡というだけで、完全否定じゃないですか、その仮説」

「まあ、そうだな」


 すまして笑って、箸を動かし続けている。からかわれていたということに、ようやくぼくは気がついた。


「学校でも警察でも、そうすると納得のいく考えはできていないということですか」

「そういうことだ、今のところ」

 簡単に、教師はうなずいた。

「と言うより、殺人だなんだと騒いでいるのは無責任な生徒たちだけだ。実際には死体が見つかったわけでなし、燃えあとにも肉片のカケラもないのだから、警察でもただの悪戯じゃないか程度の考えのようだ」

「燃えあとには、何も見つかっていないんですか」

「何か繊維の燃えかす程度はあったらしいがな。もっと詳しく科学捜査をしたらどうなのか分からんが、そこまでやる気があるのやらどうやら。その前に事件性がないと判断されれば、打ち切りだろうな」

「なるほど」


 まあ、それが常識的なところなのかも知れない。


「それにしても、おぬし」

「はい?」

「妙にこの件に興味を持つではないか」

「はあ」

「好奇心旺盛な中学生としては無理からぬところもあるが、ほどほどにしろよ。危ないまねなどせぬように」

「ああ、はい」

「せっかくつかまえた料理人、まだ失いたくないからな」


 せめて、受け持ちの生徒の身を案じるとか、言い方はないのだろうか。


「何か、興味を持つ理由が特にあるのか?」

「あ――いえ」

 ぼくは少し思案した。

「先生、覚えていませんかね、太陽公園にいたホームレス風の人」

「ん?」

「例のぼくが怪我をした時、救急車が来るまで見ていてくれたとか」

「ん――ああ、いたな、そんな男」

「担任教師は行方をくらましたみたいですが」

「失礼なことを言うな。ちゃんと最後まで見守っていたのだぞ、バックネット裏で」


 隠れてかい。――まあいいけど、今さら。


「まあとにかく、その男の人に恩義がある気がするわけです。もしかしてその人が今回の件に関係していたら、と思って」

「ん――ああ、浮浪者だかホームレスだかが中学敷地内を宿にしたかもと言っていたことか」

「です」

「それにしたって今のところ、この件とその男がつながる要素はないようだがな」


 箸を置いて、ごちそうさま、とモモちゃんは両手を合わせた。


「それでも何となく、あの人が中学校と関わりがある気がするんです」

 一応、ぼくは自分が遭遇した体験を話した。あの男の人が男子中学生を見て怯えた様子を見せたこと。例の三人組に玉子を投げつけた人物がその人に似ていたこと。


「何だ、そりゃ」

 モモちゃんは苦いものを口にしたように、顔をしかめた。

「その玉子の件、初耳だが。それにしたってそれが事実ならその男、むしろ中学校には近づかないようにしそうに思えるぞ」

「そうなんですよねえ」


 それは、ぼくも思っていた。


「しかし万が一とか、何か理由があってとかも、ありそうな」

「そういう風に考えたら、何でもありになってしまう」

 モモちゃんは、口を尖らせた。

「まあおぬしが受けた恩義を大切に思うのは、いいことだが。それにしても、危ないまねなどするなよ」

「はい、分かっています」


 ぼくも両手を合わせて、食器の片づけを始めた。モモちゃんも両手に皿を積み上げて、とことこ運搬に協力してくれた。

 その後親父が帰るまで話し相手になってくれたのは、一人になるぼくを心配してくれたのか、親父の顔を見たかったのか、単に自分の退屈のせいだったのか、よく分からなかった。


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