6-1 モモちゃんと不審な出来事 1

 校門をくぐると、給食搬入口の方の立木のあたりに、大小の人影が見えた。

 月曜朝のにぎやかな人波を外れて、ぼくは目を凝らしてみた。別にそれほど不思議な様子があったわけでもないけど、小さい影は我が担任みたいだったからだ。

 教師らしい二人連れは立木と塀の間あたりを捜し物のような様子で歩きながら、こちらへ近づいてきた。

 モモちゃんと、隣のD組担任の三善先生、こちらは連れと好対照にひょろりと背の高い男性だ。

 担任がぼくに気づいて見返してきたので、声をかけてみた。


「お早うございます。何か、あったんですか?」


「うーん」

 モモちゃんは、ちらっと同僚の顔を見てから返事した。

「まあ、隠すことでもないな。夜中に誰か校庭に侵入した形跡があるというので、教員が手分けして見回っているんだ。たいしたことじゃないと思うが」


「校庭、ですか」

「校舎内は警備施設が整っているから入れないので、怪しいのは外だけだ。それも、今は怪しい人影も見当たらないから、心配はない。花壇を踏み荒らした跡があったということだが、せいぜい浮浪者が一晩宿代わりにしたという程度だろう」

「へええ」


 浮浪者。ホームレス。何かここのところよく聞く言葉を連想させる点だけ、ちょっと気になる。


「別にそれ以上、問題視するものは見つかっていない。お前ら生徒は、心配しないで普通にしていろ」

「分かりました」


 頭を下げると、うなずいて教師たちは職員玄関に向かっていった。

 登校する生徒の流れは、そんなちょっとした異変も気に留めないように、いつものにぎやかさのままだった。ぼくも気にしないことにして、その流れに戻っていった。

 別に朝のホームルームで注意がされることもなく、授業が始まるとぼくもそのことは忘れてしまっていた。

 昼になってふと思い出して、給食のグループ内で話題を切り出すと、


「ああ、ちょっと聞いた、それ」

 情報通の真倉さんだけが、知っていたようだ。

「何でも、あの裏庭一番奥の花壇が踏み荒らされているのを、朝一で見にいった園芸部員が見つけたんだって。ほらあそこ、近くに外からの出入り口があるわけでもなくて、無関係の生徒なんかが行くところじゃないでしょ。土曜に花壇の世話に来た係が帰る時にはそんな跡がなかったからって、顧問に報告したらしいわ」


「ふうん」戸野部さんが相づちを打った。「不審者が侵入したかも知れないってことか」


「先生たちがそれで見回ったら、その近くの塀の内側の雑草のところにも、やっぱり踏んだ跡みたいなのがあったって。これは、昨日おとついのものかどうかは分からないけど」


「浮浪者が宿代わりにしたのかも知れないって、先生が言ってたけど」ぼくが言った。「ほら、こないだのホームレスの話と、もしかすると関係してるのかもと思って」


「ああ」戸野部さんがうなずいた。「太陽公園を警戒されていられなくなって、中学の敷地へ移動したってことか。あり得るかもな」


「まあ、校舎内には入れないようになっているみたいだし、そういうことならへたに見つからないように、生徒がいる時間には姿を見せないようにするだろうから、現実的な心配はないだろうね」

「そうだねえ」パンを頬張りながら、真倉さんもうなずいた。


 この日は、それ以上問題も起きなかった。

 しかし、次の日には、もっと大騒ぎになっていた。

 一番に登校した先生や生徒もみんな、異状に気がついたらしい。前の日問題になった花壇に向かう途中の裏庭の地面に焼け焦げたような跡があり、あたりに灯油や何かを焦がしたような匂いが立ちこめていたという。

 燃えた何かが残っていたわけではなかったが、その匂いが肉を焼いた時のようにも感じられて、捨てておけないということになって、警察に通報がされた。ぼくが登校した時には、裏庭の方が立入り禁止になって、調査がされているところだった。


「けっこう大きな焼け焦げみたいな跡があったんだって」これも真倉さんが情報を仕入れてきて、朝の教室で話していた。「人一人焼いたとしても不思議はない大きさだってさ」


 しかも、異変には続きがあった。

 校舎の奥の階段、一階から四階までにわたって、土足の足跡と灯油のような匂いが残っていた。調べてみると、階段の一階正面の窓の鍵が開いていたという。焼け焦げ騒ぎの起きた裏庭から、少し奥に入った場所だ。


「だって」戸野部さんが目を丸くして級友に問い返した。「警備が入っていて、窓が開いたら非常ベルかなんか鳴るんじゃないの?」


「それが、大きな声じゃ言えないんだけどお」十分大きな声で、真倉さんは続けた。「警備会社と契約して設置しているセンサーって、全部の窓についているんじゃないんだって。少なくとも一階はほとんどの窓についているはずだけど、その窓にはついてなかったらしい」


「そんなものなの?」

「窓にアナがあるとは知らなかったなあ」聞いていた笹生が首を振った。「そうすると、そういうところからうまく侵入したら、校舎の中はほとんど自由に歩き回れるんだろうね。きっとあとは、大事なところの扉に鍵とセンサーがついているくらいなんじゃないのかな。職員室とか校長室くらい?」


「理科準備室あたりは、危険な薬品なんかもあるから警備されているかもね」ぼくも考えて言った。「保健室もかな」


「でも、匂いが残っていたのは階段だけなんだよね」戸野部さんが訊いた。

「だからと言って、侵入者が階段以外に行っていないかどうかは分からない」笹生が指摘した。「それよっか、階段だけに侵入してどうすんのって感じだよね」

「階段の一番上は、屋上?」ぼくが訊ねた。

「そうだけど、屋上への入口はいつも鍵がかかっているね」


 それは確かに。危険だから、生徒は立入り禁止ということになっているはずだ。


「それにしても分からないよねえ」真倉さんが首を傾げた。「灯油の匂いは階段で、最終的に何かが燃えたのは、裏庭なんでしょう」


「校内に灯油が置いてあったわけもないから」戸野部さんが受けて言った。「中から灯油を運び出して、外で燃やしたってことじゃないだろうしな」


「タンクで灯油を運んだくらいじゃ、そんなに匂いは残らないだろうね」ぼくも口を入れた。「そこらにこぼして歩いたくらいじゃないと」

「あそこの階段に放火未遂とか?」笹生が目を丸くして問い返した。

「あんなところ燃やしたって、何も面白いことないと思うな」戸野部さんが顔をしかめて言った。

「それよりも問題なのは、裏庭の焼け焦げの方だよ」真倉さんが声を高めた。「人を殺して焼いたのかも知れないんだよ。たいへんじゃない」


「何も分からないんだろう、今のところ」戸野部さんが友人を抑えるみたいに言った。「焼けた死体が見つかったわけでもない」


「何を燃やしたにしても、燃えかすは持ち去ったみたいだね」笹生が続けた。

「でも、肉が焼けたみたいな匂いがしてたのは確かだってよ」真倉さんがまだ目を輝かせて言いつのった。「きっと人間だよ。焼殺の殺人事件」

「あんた、マンガの読み過ぎ」戸野部さんが苦笑いで言った。


 殺人事件の疑いまであるのかどうかは分からないが、生徒は現場に近づかせてももらえない。興味はあっても探偵のまね事もさせてもらえず、ただ疑問をくすぶらせているしかなかった。

 しかし、あまり意識していなかったけれど、ぼくには別な情報源があった。

 その日、夕食の支度の途中に家に上がってきたモモちゃんは、もう慣れた居間のソファに斜めにだれ座って、一人でグチり始めたのだ。


「まったくあいつらと来たら、都合の悪いことは自分たちだけで抱え込んでいるのだ」


 どうもグチの矛先は、先輩職員たちらしい。


「結果的に、昨日おぬしにも嘘を言ってしまったことになるではないか。警備が入っていない窓があることなど、職員でも半分は知らなかったのだ」

「ああ、なるほど」ぼくはフライパンを揺すりながら相づちを打った。「でも、安心しましたよ。モモちゃんが嘘をついたわけじゃないんだ」

「そんなつまらない嘘などつくか。自分には何の利益もないのに」


 嘘をつくのも、条件次第らしい。


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