4-4 モモちゃん伝説の裏 4
とりあえずのところ、ぼくは保健室で見聞したことを誰にも話さなかった。
理由は別に担任の威嚇への恐怖ではなく、生徒の夢を壊すまでして、今のところ平和に営まれている学校とクラスの状況を引っかき回す気になれなかったのだ。
特に他のクラスの生徒に対して、わざわざ担任の恥を広めたくないという思いもあった。
それにしても転校してわずか一週間というのに、何故こんなにも以前からいる生徒が知らないらしい担任の裏を覗く機会に遭遇してしまうものか。
断じてこちらが求めて歩いているわけではないのに。
お祓いをしてもらおうかと、ぼくは本気で考え始めていた。
当分の間は、保健室とあのスーパーマルマルには用のない限り近づかないことにしよう。
それから数日後、所属している卓球部の練習が休みだという笹生と、初めて帰りを一緒に歩いた。
連れの通学路に合わせて少し通りを外れると、あの大きな太陽公園の脇に出た。
ふと思い出してグラウンドの方を覗いても、その辺で休む人の姿はなかった。
「そう言えば、つかぬことを訊ねるけど」
「何、妙な言い回しで」
笹生が苦笑した。
「この辺で、ホームレス狩りみたいなこと、起きたりする?」
笹生は、首を傾げて考えた。
「聞いたことない、と思うな。数年前、小学校の頃かな、犬や猫があの、ボウガンっていったっけ、弓矢で傷つけられたってことはあったけど。人間が襲われたってのは特にないと思う」
「ふうん」
「どうかしたの?」
「いや」
ぼくは簡単に正直に話した。
「あの、夏休み最終日に怪我した時、お世話になったホームレス風の人がいたんだけどね。お礼に行ったら、何かこっちの中学生の風体を見て怯えたみたいな様子見せてたから」
「ふうん、何かな」
笹生は首を傾げた。
「自分らのことをこう言うのも何だけど、うちの学校って他に比べても割と品行方正っていう方の評判だと思うけどな。この公園ならまちがいなく対象はうちの生徒だよね」
「だよねえ」
「その犬猫が被害を受けた件はまだ記憶に残っていて、ほらあの辺の子ども連れのお母さんたちも、子どもと離れないように気をつけているって話だけどね」
夕方近くなってもまだ強い陽射しの下、離れた木陰のベンチの方には今日も何組か親子連れが見えていた。
「そう言えば」
笹生がぼくを見て言った。
「こないだ言った、あの大海監督がテレビでゴミ拾いしてたの、ここだったよ」
「へえー」
「昔の仲間や商店街の人たちと一緒にね。秋祭りの御輿もここが終点になるから。昔はここに集まって悪さしたんだって、笑って話してたっけ」
「なるほど」
確かに、御輿担ぎでも花火大会でも大乱闘でも、できそうな広さではある。
「さっき言ってた、ホームレス狩り? 聞いたことはないけど、もしやるとしたらあの大海たちの仲間だろうな」
「うーん」
実際、真偽のほどは分からないけど。やっぱり、笹生にはその親子への特別な感情があるようだった。
「あ」
隣を歩いていた級友が、突然声を上げて立ち止まった。
「どうしたの?」
「忘れてた」
笹生はちょっと照れたような顔になった。
「買い物するの。シャープの芯買っとかないと、家に帰って困るんだった」
たいした距離ではないというものの、コンビニを目指すと大通りに戻ることになる。
ぼくは本来の通学路に戻るわけだが、笹生にとってはよけいな遠回りだ。
そのことが少し決まり悪いという程度で苦笑する友人と、進行方向を変えた。
まだ知らなかった学校の噂話などを聞きながら、車の通行が賑やかな通りに戻る。
薄緑色の大きな歩道橋が架かったすぐ向こうに、目指すコンビニが見えてきた。
「ん、何だろ」
目的地まであと二百メートルくらいのところまで来て、笹生が目の上に手をかざした。
ほとんど同時に、ぼくもそれに気づいていた。
歩道橋の階段の陰に見えてきたコンビニ前の小さな駐車場に、中学生が数人固まっているようなのだ。
白いワイシャツ姿が一人、着崩した黒い学生服が三人。
それも、小太りのワイシャツ姿を黒服の三人がとり囲んでいるように見える。
顔を見合わせて少し迷ってから、ぼくたちは足を急がせた。
よけいなことに関わりたくもないけど、もしかすると放っとけない状況かも知れない。
近づくにつれ、ぼくにとっても一応知った顔に見えてきた。学生服の三人はやっぱり前に見た大海のグループ、白ワイシャツは仲尾だ。
ますます足を速めて。ふとぼくは、視界の隅に妙なものを感じた。
斜め上の方。茶色のジャケット。
思わず見上げると、歩道橋の上で奇妙な動きをしている焦茶色の後ろ姿があった。
大きく、野球のピッチャーみたいな両手を振りかぶる動作だ。
「え?」
「どうした?」
思わず足を緩めたぼくを、少し先から笹生が振り向いた。
「わあ、何だ?」
次の瞬間、地上からわめき声が起きた。
目指していた先で、学生服の一人の背中が一瞬で黄色に染まっていた。
「え?」
「何だ?」
仲間に向き直る他の二人。その肩、胸元あたりに、続けざまに黄色いものが弾けた。
「わ!」
「何だこりゃ?」
あっという間に、黒服三人全員の上半身に黄色の染みが広がっていたのだ。
わけ分からず目を戻すと、歩道橋の上の茶服の人物は通りの向い側へ一散に走り出していた。
横顔の口元に、大きな灰色のマスクが見えた。
「あ」
「あいつだ」
「待て、畜生」
被害者の三人がそれに気づいて、たちまち歩道橋の階段を駆け上がった。
呆然と立ち止まって、ぼくたちは追いかけっこを見送った。
逃げ出した茶服の人は、たちまち向かいの路地に姿が見えなくなっていた。
追う三人は、ようやく向こうの階段を下り始めたところだ。
目を戻すと、こちらではやっぱりわけ分からない顔で仲尾が立ちつくしていた。
「どうしたんだ、仲尾?」
声をかけて、笹生が寄っていった。
「あ、ああ――」
初めてぼくたちに気がついて、仲尾はせわしなく瞬きをした。
「いや、何が何だか――」
「あいつらに、何かされていたのか」
「あ、いや――うん」
仲尾は困った顔できょろきょろあたりを見回した。
「いや、何か、寄ってきて――アイス食いたいなあって」
「何だ、そりゃ」
たかりを始めていた、ところだったのか。
「そしたら急に、一人が悲鳴を上げて、あの黄色いの見えて」
「あの茶色い服の人が何か投げつけたんだよね」
ぼくは通りの向かいに目を向けた。もう追っていった三人の姿も見えなくなっている。
「いったい何だったんだろう、あれ」
「何かすごい、腐ったみたいな匂いしてた」
仲尾が、大げさなほどに顔をしかめてみせた。
よっぽどの悪臭だったんだろう。
言われてみればまだあたりに匂いが残っている気がする。
少し離れて落ちていたものに気がついて、ぼくはそっちへ寄っていった。
「玉子だ」
点々と、割れた玉子の殻が三個分、アスファルトの上に転がっているのだ。
ねとっとした半透明の白身が糸を引くようになって。
「この匂い、本当に腐っているみたいだ」
「腐った玉子を投げつけたってわけか」
笹生が呆れて目を丸くしていた。
異状に気がついて出てきたコンビニの店員に目撃したことを話して、ぼくたちはその場を離れた。
「あの三人と茶色の服の人に、前に何かあったんだろうね」
顔をしかめて話す笹生に、ぼくは茶服の人がさっき話したホームレス風らしいことを説明した。
「あれが前ぼくが会った人と同一人物だとしたら、そんな好んで攻撃的なことしそうに思えないな。よっぽどのことなんじゃないかって気がする」
「ふーん」
とはいえ、この場で話しても何か分かるということもなさそうだ。
同じ方向に帰る笹生と仲尾と別れて、ぼくはまっすぐ家路についた。
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