4-1 モモちゃん伝説の裏 1

 朝の通学路、商店街はどこもまだシャッターが閉まっている。

 その合間の小さな駐車場や路地を縫って歩く、焦茶色のジャケットの姿があった。

 大きなビニール袋を提げて、顔には大きなマスク。

 あの、男の人だ。と見て、思わずぼくは足を止めていた。


 歩道に立ち止まって見ていると、男の人はゴミステーションの資源回収ゴミを覗いて歩いているらしい。

 いくらか収入につながるものがあるのだろうか。

 あまり見ているのも悪いかと足を動かし始めると、あちらも路地からこっちの通りへ向かってきていた。

 顔を合わせたら挨拶しようかと考えていると。


 そちらへ向けた視線を横切って、男子三人連れがぼくを追い越していった。

 その向こうで、男の人がはっと足を止めるのが見えた。

 三人が完全に通り過ぎたその後に、見る見る男の人の背が小さくなっていった。

 公園で見かけただるそうな動作とは、見ちがえるような素早さだ。


 首を傾げて、ぼくは先を歩く三人の後ろ姿に目を向け直した。

 うちの中学に珍しい、まだ夏場なのに学生服の上着を着崩した格好の生徒だ。


 そもそもうちの学校は、他と比べても異様なほど、大人しくもの分かりのいい生徒が多い。

 あのモモちゃん先生の伝説ができてしまうこと自体、その証明と言ってもいいだろう。

 戸野部さんたちの説明を聞く限り、あれは生徒の方が冷静に考えて、授業の遅れなどの障害を嫌った結果によるらしい。

 少しでも生徒が「そんなの知ったことか」と言い出したら成立しないはずで、実際他の学校ならこんな笑い話程度には収まらない可能性の方が高いだろう。


 とまあこの点、平和で喜ばしいところなのだが。

 もちろんうちの学校にしても、少数派ながらアウトロー気どりの生徒はいる。

 前をゆく三人は、その代表者らしい。

 確か、三年A組あたりの生徒だ。


 あの茶服の男の人とこの三人の間に、何かあるのだろうか。

 ただ服装雰囲気を見て、近づきたくないと敬遠したのだろうか。


 何とはなしに考えながらゆっくり歩いていると、横手からお早うと声をかけられた。

 今日も変わらず人のよさそうな笑顔の、笹生だ。


「やあ、お早う」

 ぼくも笑顔になって、声を返した。


「どうしたの」

 近寄ってきて、笹生は声を低めた。

「難しい顔をしていたけど」


「えーと。そうだった?」


「うん。親のカタキでも見つけた顔って言うか――」

 言いながら、笹生は前方に目を向けた。

「彼らと、何かあった?」


「いや、そういうわけじや」

 即座に、ぼくは首を振った。

「ただ、うちの学校であまり見かけないタイプだと思って」


「まあ、そうだね」

 笹生も珍しく、嫌悪をふくんだ表情になった。

「まあしかたないって言うか、世間も学校もまるであいつらがああいうふうにいるのを認めたみたいなことになってるからな」


 言葉にも、とげをふくんだみたいな。

 笹生にも嫌悪の感情を見せることはあるんだな、とぼくは感心した。

 もちろんぼくらのような発展途上の人間に、好き嫌いはあって当然のことだけど、何となくこの友人にはそういう起伏は少なく見えていた。


「世間も学校もって?」

 ちょっと引っかかる表現を、問い返した。

「何かあったの、以前に?」


「たいしたことじゃないけどね」

 それでも周りを歩く耳をはばかるように、笹生は声を落とした。

大海謙一おおみけんいちって、知ってるかな」


「聞いたこと――あるかな」

 ぼくは首を傾げて考えた。

「映画監督、だっけ」


「そう、不良少年が主人公の映画を何本か立て続けにヒットさせた監督」

 笹生はうなずいた。

「その人、うちの中学のOBでね。そして、あの前を行く中央の男、大海俊弥の父親なんだ」


「へえー」

 たいした興奮もなく、ぼくはうなずいた。

「息子は父親が育ったここに住んでるわけか。監督って、東京で仕事してるんじゃないの?」


「ああ、離婚して母親がいないから、本人は父親の実家に引き取られているみたい。父親はだから、時々こっちへ帰ってくるって感じなんだろうね」

 答えて、笹生は笑顔を戻した。

「それはともかく、やっぱり岾城って面白いな」


「え?」


「普通、有名人の関係者が近くにいるって聞いたらそっちに関心が行くだろうに。冷静に疑問点を気にしている」


「はは――」

 ぼくは頭をかいた。

「驚きや興奮のリアクションに乏しいって、よく言われる。どうも転校が多い育ち方していて、いちいち新しいことに驚く前にまず様子を見るっていうのが習い性ってやつになってるみたいだ」


「冷静なのはいいことだと思うよ」

「はは――で、その監督が、どうしたの?」

「ああ。去年になるけど、テレビのバラエティ番組で放送されたの、観なかったかな。元不良の大海監督が生まれ育った地元に戻って、恩返しっての」

「観た覚えは――ないな」

「一応全国放送でこの地元では結構騒ぎになったけど、他ではどうってことないかもな。まあとにかく、その監督、本当に中学時代はこの辺で有名なワルだったらしいんだ。それがテレビの企画で地元に戻ってきて、元の不良仲間と懐かしいって再会して、当時迷惑をかけたお詫びと言って商店街のゴミ拾いをして、秋祭りの御輿担ぎを手伝ったっての」

「へえー」

「商店街の人たちも学校の先生たちも大喜びで大歓迎をして、仲よくテレビに映って、めでたしめでたし」

「なるほど」

「つまり」笹生は、皮肉っぽく唇を曲げた。「中学で不良行為をして周りに迷惑をかけても、大人になって出世してみせてゴミ拾いくらいすればみんな大人は水に流してくれる、それどころかもてはやしてくれるって、みんなで証明してくれたわけ」

「なるほど」

「元不良が不良を賛美する映画作って売れたことが出世と言えるのかも、議論の余地はあるかも知れないけどね」

「はあ」


「――って、ヘンケンに満ちた説明でごめん」

 笹生は苦笑いでちらと横目を向けた。

「うちの父親の受け売りになっちゃった。うちの父さん、やっぱりここの中学出身でさ、その監督の一個下だったらしいんだ」


「へえー」

「テレビ観てぼやいてた。本当に迷惑かけた相手には謝ることもなく、もてはやされていい気なもんだって。実際その当時には、同級生下級生ひどい目に会った記憶は数知れないそうだよ」

「それは、そうだろうね」


 身近に迷惑をかけたからこそ、不良と呼ばれたはずだ。


「もちろん彼らも」

 笹生は前を顎でしゃくった。

「学校からそれなりに指導を受けているんだろうけどね。そんな父親大歓迎の教師からの指導がどれだけ効果を上げているか、疑問が残る気がするね」


「辛辣だね」

「大海の保護者は子どもにうるさいこと言わないみたいだし、他の二人の親はむしろ学校への要求がきつくて、へたな指導できないって話もあるしね。まあ今のところそれほど表立って大きな問題は起こしていないし、うちの学校であの見た目は完全に浮いてしまっているから、そう気にするものでもないんだろうけど」

「ふうん」


 笹生のような見方をする生徒が多数いるのなら、確かに心配はないのかも知れない。


「それにしてもさ、今日も暑くなりそうだね」

 急に話を変えたのは、いつになく感情を露わにしすぎたという反省だろう。

「今日の体育、外でサッカーだぜ。熱中症患者が出なけりゃいいけど」


「そうだね」

 笑って、ぼくは話を合わせた。


 しかしその時は、自分にそれが降りかかるとは思っていなかった。


 午後からの体育の時間、ひとしきりグラウンドを走り回って待機場所に戻った時、ぼくは目の前の風景が霞む感覚に襲われていたのだ。

 あれ、とあわてて、そばに立っていた得点板の支柱に掴まっていた。


「どうしたの?」


 離れて歩いていた笹生がかけてきた声が、遠く近く揺らいで聞こえた。


「いや、ちょっと――めまいが」

「大丈夫か?」

「あ、や――うん」


 まだ、まわりの光景がふわふわ揺れている。ゆっくりと、ぼくはその場にしゃがみ込んだ。


 先生が呼ばれて、保健委員に付き添われて、ぼくは保健室へ連れていかれた。

 校舎に入ると少しは頭の中も冷えて、落ち着いてきた気がした。

 第一棟の一番奥、保健室の中は無人だった。


「鍵かけていないってことは、先生すぐ戻るんだと思うよ。職員室かも知れないから、呼びに行ってみるね」


 その場にぼくを座らせて、委員の男子は養護の先生を探しに行ってくれた。

 ぼうっと室内を見回すと、無人の机にひときわ目立つ重そうな箱。

 一辺三十センチくらい、立方体を少しつぶしたような金属製のそれは、数字錠つきの金庫らしい。

 その横に立てられた卓上カレンダーの上にはよく見ると、「宮緒→職員室」と札がかかげられていた。

 職員室だということは、委員の無駄足にならずに済みそうだ。


 養護教諭は宮緒先生といったんだな。

 どんな顔だったっけ。紹介されたことあったっけ。


 ぼんやり考えていると。いきなり、すぐ目の前に白いものが現れた。


「ひえ――」


 さすがに悲鳴を上げて、見直すと、ちらちら振られたそれはかなりふくよかな人の掌だった。


「ふむ」

 見上げると、眼鏡をかけた真ん丸な女性の顔が無表情にうなずいた。

「生体反応はあるようだな」


 驚いた。この丸い人が宮緒先生だったか。

 それにしても今、戸を開けて入ってくる気配、全く感じなかったぞ。


「ぼうっと油断していると、後ろから襲撃されたらイチコロだぞ」


 無表情のまま言いながら、定位置らしい机の前の椅子に腰かける。

 背は高くないが、白衣に包まれた体型も真ん丸だ。

 我が担任の実年齢より、少し上というところだろうか(見た目年齢なら生徒の大半が当てはまってしまう)。


 ところでここの保健室、頻繁に後ろから襲撃者が現れたりするのか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る