3-3 モモちゃん第一の伝説 3
「あ、いえいえそんな――」
女の子の大ぶりの黒目がきょときょと躍った。
「そんな、悪いです――が、いやいやそうですか、ありがとうございます、助かります」
一人で頭の中で展開完結しているみたいだ。
一風変わったところがある、やっぱりかの人と血のつながりがあるということらしかった。
にこにこと立ち上がった、その頭はぼくの目くらいの高さだ。
並んで歩き出しながら、ぼくは訊いた。
「生徒会役員なの?」
「あ、はいはい、書記を拝命しておるのであります」
やっぱりどこか、喋り方が面白い。
「先輩は、その、転校生さんでいらっしゃいましたですね」
「ああ、そう。よく分かったね」
「あは」
女の子は、肩をすくめた。
「あの三-Cに転入というご不幸な――いやいや、あれということで――」
何となく言いたいことが、分からないような分かるような。
「さっき先輩、わたくしを見て驚かれたでしょう」
「あ、分かった? やっぱり」
「今さらこんなつまらない顔で驚きいただけるのは、やはりまだフレッシュな転校生様かと」
「はは――やっぱり慣れているんだ」
「はあ、それであのドクサレ美教師担任のクラスの方なら、無理なきことかと」
ドクサ――。「び」は「美」なんだろうな、「微」じゃないよな。
思い悩みながら、ぼくは抱えた紙束を揺すり上げた。
「まあその転校生で、岾城と言います。よろしく」
「ああはあ、申し遅れました、
耳障りが癖になってきそうな喋り方だ。ぼくは密かに苦笑いしてしまった。
すぐに着いた、校舎の逆端が生徒会室だった。
顎で紙束を支える苦しい格好で、一杉さんはポケットから鍵を出して戸を開けた。
施錠してあったのだから当然、中は無人だ。
中央の机に紙束を積み上げて、一杉さんは、すみません、とぼくが抱えていた分を受けとった。
身軽になって、ぼくはゆっくり室内を見回した。
結構大きな事務机が四つ並んで、それでも手前にスペースの余裕がある。
「やっぱり学校が大きいと、生徒会室もそれなりだね」
「先輩の前の学校は、小さかったですか」
「過疎の漁師町だったからね」
「そうですか」
儀礼上の返事だろうと目を戻すと、意外と好奇心がこもって見える顔で一杉さんはこちらを見ていた。
ふと先日の公園の女の子の表情が思い起こされた。
自制する前に、言葉の方が出てしまっていた。
「前に会ったこと、ないよね?」
一瞬、一杉さんの目が丸くなった。
「あのドクサレでなく、わたくしがですか?」
「あ、いや――」
やっぱり訊くんじゃなかった、とぼくは首を振った。
「たいしたことじゃなかった。忘れて」
数呼吸、無言でじっと視線が注がれた。
「もしかして――」
苦笑みたいな顔が、軽く傾く。
「先輩、いつか学校の外で見かけた美少女を、キヤツかわたくしか、判断つかなくていらっしゃる、とかですか」
言葉づかいが、誰ぞをけなしているんだか持ち上げているんだか、自慢してるんだか分からないんだが。
それにしてもかの担任といいこの子といい、察しがよすぎる気がする。
おそらくこんな経験を何度もしているのだろうという予想で、もう驚かないことにするけど。
「うーん、まあ――」
それでもまだ、雪女の祟りは怖いから、明言は避けることにする。
「でも、すみませんです。お答えしたいのですが、しかねるです。それをわたくしだと認めるのも、否定するのも、できないです」
「えと――何故?」
「肯定と否定と、どちらがキヤツの利益か不利益か判断しかねるです。そうすると、どちらとも決めないというしかないです」
さっきから気にはなっているんだが、ドクサレとかキヤツってのは、やっぱり我が担任のことなんだろうなあ。
なかなかに複雑な感情が、そこにこもってる気がする。
「つまり――」
首をひねって、ぼくは考えた。
「あの人の不利益になる可能性のあることはできない、と」
「そう思っていただいて、まちがいないです」
「あちらの立場をおもんばかって、ということじゃなさそうだね。不利益をなすと、あの人が怖い?」
「普通の意味じゃなく、怖いです」
ゆっくり深々と、うなずいた。
「もし不利益をなしたら、キヤツは絶対わたくしを許さないです。容赦なく致命的な攻撃を加えてくるです」
「致命的って――そんな」
肉親、だよな?
「大げさでなく、正確に、まちがいなく、ためらいなく、キヤツはやるです。キヤツの機嫌をそこねたら、わたくしは――」
ごく、とぼくは息を呑んだ。
「きっと、オールヌード写真を衆目に曝されてしまうです」
「わ」
「二歳の時の」
「………」
一瞬、見てみたいという気がよぎってしまった。
そんなぼくに、天から何か罰が下るだろうか。
「
「ま・ぢ・です」
一音ずつひらがなで区切ったみたいな、やや舌足らずな口調で、発音された。
唇を一文字に正面を見据えて、本当に真剣な顔で。
「――それは、たいへんだね」
「たいへんなのです」
深く、また目の前の女子はうなずいた。
「しかもキヤツは、わたくしのそんな写真をいろいろ百以上は所持していて、当分はネタに困らないです。自分が十歳の時から遠大な計画でため込んできたのです」
「わあ」
まさかと思う反面、あの人なら何があっても驚かないという自信のようなものが芽生えていた。
「それじゃあ確かに」
ぼくは溜息をついた。
「はっきり証言しろと無理強いはできないねえ」
「理解していただけると、助かりますです」
一緒に溜息をついて、顔を見合わせて、すっかり共感の気分になってしまっていた。
「おや」
いきなり戸が開いて、顔を出したのはこちらも知らない女子だった。
やはり二年生らしい。
「お取り込み中だったかな?」
明るくにやりと意味ありげに笑う。なかなか物怖じしない性格のようだ。
はあ、と一杉さんはさっきからの続きの調子で溜息をついた。
「書類運搬を手伝っていただいただけでありますよ。あ、岾城先輩、こちら副会長の
「あ、どうも」
副会長は、気さくに頭を下げた。
「あたしゃてっきり、ナナちゃんが男を連れ込んだか連れ込まれたかしてるのかと思った。残念」
残念、なのか。
もう一度、わざとらしいほど大きな溜息を、一杉さんはついた。
「残念ながら、わたくしにそんなまねできる度胸のある男は、この学校にいないですよ」
「だよねえ」
「しかもこちらの先輩、三-Cの転校生さんですよ」
「ああ、聞いた聞いた。それじゃあ、ナナの顔見ただけで足がすくむだろねえ」
「うう――」
「嘆くでない」
扇田さんは、小柄な友人の肩を抱き寄せた。
「わしがついておるぞ」
「よよよ――」
このままじゃ、生徒会の仕事になりそうにないなあ。
観客がいなければ芝居も終わるだろうと思い、ぼくはそちらに手を振って出口に向かった。
「じゃあ、ぼくはこれで」
「ああ、どうもでした先輩」
副会長が明るい顔で振り返った。
「またのお越しを。生徒会はいつでも猫の手歓迎してまあす」
「了解」
苦笑して、手を振り返す。
それにしても。廊下を歩きながら、思った。
うちの担任の影響力って、この校内、どこまであるんだろう。
知りたくない、気がする。
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