3-1 モモちゃん第一の伝説 1
「へえー」
「モモちゃんが?」
登校するなり、廊下が人でふさがっていた。
三年C組とD組の境あたり。
そこを通らないと、自分の教室には入れない。
何となく嫌な予感を覚えながら、ぼくは人混みの中央を覗いた。
十四時間前までは全く見覚えがなかった、太めの男子生徒が二クラス混合の男女に囲まれていた。
「ええー? モモちゃん、毅然としてた? ウッソでしょう?」
「いや、ぼくも不安いっぱいだったんだけどね」
仲尾が、聴衆に押され気味にあたふたしながら説明している。
「しっかり、生徒を信じていますって。ほら、そんな時身に覚えがなくてもドギマギしちゃうじゃない。すっごく心強くってさあ」
「へえー、見直しちゃったなあ、あたし」
昨日の件、かなり誇張されていないか?
まあ確かに、仲尾は地獄で仏の思いだったんだろうけど。
何となくぼくは、説法者の目に入らないように人の間をすり抜けて、教室へ入ってしまった。
朝のホームルームに担任が入ってくるなり、最前列の女子から声がかかった。
「ねえねえモモちゃん先生、本当? 仲尾君の話」
「お、え――?」
小さな身体が教壇でつまずきかけて、教卓の陰に一瞬見えなくなった。
「何だ、いったい?」
「仲尾君が万引の疑いかけられて、モモちゃん先生がそれかばってあげたって、そういう話なんでしょう?」
「あ、お――」
「すごい、先生の鑑」
「いや、その――」
桜井先生は、教卓の前で一回深呼吸をした。
「いや、何だ――当たり前だろう、教師がそういう時生徒の味方になるのは」
「そうだけどー」
「そうそうちゃんとできないよねえ」
前の方で、女子が声を交わしている。
あ、天井に画鋲が刺さってるの、発見。
「どうした、岾城君?」
隣から、戸野部さんが囁きかけてきた。よそ見がいけなかったか。
「いや、別に」
こちらも小声で囁き返す。
「それに、ああ――そうだ」
何だかしどろもどろになりながら、担任が続けた。
「その時ちょうど、岾城もそこにいて、口添えしてくれたんだぞ」
「えー」
「そうなんだあ」
いきなり前方の同級生たちが振り向いて、ぼくは面食らってしまった。
「岾城も順調にここの仲間らしくなっているってことだな。引き続きみんな、よくしてやってくれ」
「わあー」
「はいはい」
みんな上機嫌になって。手を叩き出す奴まで現れた。
ぼくは両掌を前に向けて、恐縮の表明をした。
それに対しても、どっと笑いが返ってきた。
「まあいい、静まれ」
ばん、と先生が教卓を叩いた。ようやくいつもの調子を取り戻したみたいだ。
「連絡事項、よく聞くように」
一時間目の後の休み時間になって、笹生が苦笑いの顔でこっちの席に寄ってきた。
「一躍ヒーロー扱いだね、岾城」
「ヒーローは担任さんだろ」
ぼくも苦笑を返す。いや、女性はヒロインか。
「それにしてもヨウタは」
戸野部さんが、笹生の顔を見て言った。
「岾城君の件、聞いていたみたいな様子だったな」
「ああ俺、あんな騒ぎになる前に朝一で仲尾から話を聞いていたから。去年の同級生だからね」
あっさりと、笹生は応えた。
「ずいぶん岾城、論陣を張って仲尾の助けに力を貸したみたいじゃない」
「そんなんじゃないよ」
ぼくは手を振った。
「とにかく、モモちゃんがいたことが彼に心強かったのはまちがいない」
「うん」
戸野部さんが背筋を伸ばしたまま、腕を組んだ。
「確かにあやつが生徒のために働いたことは疑いないようだな。腐っても教師だったらしい。少し、あやつを過小評価していたかもしれん」
「はは」
ぼくは、肩をすくめた。
昼休み、トイレに行って戻る途中、廊下で担任と顔を合わせた。
頭を下げると、おう、と軽く声が返った。
すれちがいかけて、やっぱり確かめてみたい誘惑に勝てなくなった。
「先生、昨日は間に合いました? 家に帰って」
「いや、三分だけ頭のとこ観られ――な、かっ、た――」
気安く答えかけて、途中でぎろっとこちらをにらみ返してきた。
「――何故、そんなこと知ってる?」
「いえ、何となく」
ただ、家に帰って夕刊を開いたら載っていたというだけなのだが。
テレビ欄、夜七時から。
『二時間スペシャル時代劇、必○!××人』という大きな見出しが。
ふん、と桜井先生は鼻を鳴らした。
「三分のロス、お前のせいだぞ」
確かに、仲尾の疑いが晴れたところですぐにあそこを出ていれば、間に合ったんだろう。
ぼくが余計なことを言い出さなければ。
まちがいなく、最初この人が身を隠しかけたのも、それを諦めるや毅然とした態度になっててきぱきと話を進めようとしたのも、七時に帰宅を間に合わせたかったからなのだろうから。
「すみません」
素直に、ぼくは小さく頭を下げた。
「まあいい。あれで、仲尾もあの高校生も、しっかり疑いが晴れたんだろうからな」
「はあ」
「それから、せっかくだから教えておく」
先生は小さく、悪戯っぽい笑いを浮かべた。
「さっきあの店員から電話があってな。昨日の詫びと、報告があった。防犯ビデオに女子高生の動きが映っていて、盗難被害も確認されて、警察に届けることにしたそうだ」
「じゃあそれで、こちらの無実は決定なんですね」
「そういうことになるんだろうな」
「安心しました」
「そういうことだ」
笑って、先生は背中を向けた。
ぼくに対して、こんなに笑いを見せたのも初めてだ。
機嫌は悪くないらしい――確認したかったのはそれだけだったので、ぼくは一人うなずいた。
昨夜間に合わなかったと言って逆恨みされたのでは、後が面倒だ。
まだ昼休み残りに余裕があった。
教室へ戻ると、隣の戸野部さん、その前の真倉さん、ともに席に着いていた。
忙しそうでもないなと見て、ぼくは話しかけた。
「ちょっと、訊いていい?」
何、と二人が同時にこちらを見た。
「おとついか、言っていた、モモちゃん先生がいじめ問題を解決したって話」
ああ、と二人は顔を見合わせた。
「あれも、話しづらいんだよねえ」
真倉さんが首を傾げて笑った。
「何だか分からない部分も多いし。そういうことで、承知しておいてね」
「うん」
「おととし、になるんだよね? 秋だったな」
真倉さんが友人に確かめて、戸野部さんがうんと肯いた。
「その時の二年生の女子どうしの中で、隠れたいじめがあったらしいの。それを、モモちゃんが現行犯で見つけた。それも――」
もう一度おかしそうに、真倉さんは友人と顔を見合わせた。
「教室のそれ、掃除用具ロッカーに隠れていて、いじめ現行犯の場に飛び出したっていうの」
「へえー」
「まあ、あやつなら」
戸野部さんが笑って肩をすくめた。
「普通の人よりは窮屈さも少ないだろうな」
「それにしても――」
「その状況にも謎が多いんだけどね」
真倉さんがふくみ笑いで続けた。
「その続きが、もっとすごいの。モモちゃん、そのいじめの犯人を怒って、追って沙汰を待てと家に帰した。そうしたら次の日、その生徒の母親が学校に怒鳴り込んできた。これが有名な、いわゆるモンスターペアレントだったらしいのね。放課後押しかけてきて、モモちゃんを呼び出した。空き教室にこもって、モモちゃんを糾弾した。何を証拠に娘がいじめをしたと決めつける、娘はそんなことしていないと言っている、先生が見たと言っても娘の言い分と一対一じゃないか、それじゃ決め手にならないぞ。こっちは裁判沙汰にしても争うぞって。よくある話でそのいじめ側の生徒、クラス内で影響力強くてね、先生たちが聞き取りをしても証言は出ないという自信があったんでしょうね」
「ひえ……」
「でも」
疲れたような顔で、戸野部さんが口を入れた。
「それが敗因だったんだ、その母親の」
「え?」
「モモちゃん一人を相手に追い詰めたのが。あやつ、ちょっとやそっと不利だって、自分の負けは認めない。それどころかこの時は、自分が悪いだなんて絶対思わないから」
「結果、どうなったかというと――」
真倉さん、にやりと笑った。
「どうなった?」
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