2-2 モモちゃん生徒の味方 2

 疑問を問いかけようとタイミングを計っていると、その向こうから男子が近づいてきた。

 もう一人の学級委員、笹生だ。

 小柄で輝くように白いワイシャツの上に、愛想のいい笑いを浮かべて、


「やあ、初授業からとんでもないことで、ご苦労様」

 ぼくに向かって、声をかける。

 こちらも思わず、苦笑を返した。

「どうも、驚いた。たいへんなんだね、ここの授業」


 ここまで生真面目なクラス、慣れるまで苦労しそうだ、と思う。


「ああ、安心して」

 戸野部さんも苦笑で言った。

「あれ、英語の時間だけだから」


「そうなの?」


「うん」

 笹生も笑ってうなずく。

「次の二時間目からは、普通という印象だと思うよ。岾城君の普通がどの辺かっていうことにもよるけど」


「いや、かなり転校が多いからたいていの状況に順応できる気はするんだけど。さっきの授業は驚いたな」


「まああれは、他に例を見ないと思う」

 戸野部さんが溜息をついて言った。

「簡単には説明できないから、今は一番大事な一つだけ覚えておいて」


「あ、うん」


「あのモモちゃん先生、少しくらいからかう程度ならいい」

 真面目な顔で、学級委員は言った。

「でももしもあれを泣かせることがあったら、その原因を作った者は、クラス全員、いや全校生徒を敵に回すことになる」


「は――?」


 教師を説明するには、あまり聞かない言い回しだ、が。


「本当、一言じゃ説明できないけど」

 笹生も、つけ加えた。

「今の、本当のことだから。本当にほんと、疑わないで」


「あ、うん。分かった」


 次のチャイムが鳴って、笹生はそそくさと席に戻っていった。


 確かに彼らの言葉に嘘はなく、次の社会の時間は普通の授業だった。

 この間までぼくがいた少人数の中学ほどではないにせよ、先生と生徒の間に適度に雑談も飛び交う。

 クラスのみんなもさっきとは段違いにリラックスした表情になっている。

 まあそれでも授業の進みに狂いの気配はなくしっかりして感じられるのは、さすがに都会という印象だ。


 前の学校では先生生徒双方合意の上で、話が外れると止めどなくなることがたびたびあったから。


 次の休み時間もまた、笹生が席を立って寄ってきた。

 担任の言いつけ通り、転校生を気づかってくれているようだ。


「どう?」


 気さくな問いかけに、ぼくも軽くうなずいた。


「確かに普通だね。安心した」

「だろ」


 やはり十分休みでは詳しい説明は望めないのだろう。

 それでも一点だけは確認しておきたくて、ぼくは彼に問いかけた。


「ところで、訊いておきたいことがあるんだけど」

「何?」

「この学校の公用語、時代劇口調だったりする?」


 何のことかと一瞬目を丸くして、すぐに笹生は笑い出した。


「ああ、朝のこと? 安心して、あれも特別。モモちゃん先生とこのユキナに限ったことだから」


 ちらと笹生が親指でぼくの隣人をさして、当の戸野部さんは軽く苦い顔になった。


「二人、だいたいは水と油なんだけどね。改まると口調が時代劇っぽくなるのが、何故か共通なんだ。どうもテレビ時代劇のファンらしくて」


「あれと一緒にするな」

 戸野部さんが、どすの利いた声を出した。

「私が好きなのは剣豪小説で、あんな軽薄なテレビのじゃない。まちがえないように」


「それは失礼」


 さらりと流して、笹生は笑った。

 その悪びれない顔からすると、わざとからかうつもりで言ったのかも知れない。


「まあ根っからの剣豪ファンだものね、ユキナは。剣道部部長でもあるんだよ」


 ぼくに説明してくれる。

 なるほど、長身で姿勢もよくて、剣道着姿は似合いそうだ。


「頼りがいありそうだものね」


 ぼくが相づちを打つと、隣で戸野部さんはやや照れたような困った顔になっていた。


 それからさらに二時間の授業を過ごして、昼休み。

 給食用にグループ毎に机を寄せた態勢になると、ようやく他の生徒たちも転校生に興味を向けてきた。


 やはりこうした興味は当然で、午前中は担任の発言の効果がそれを上回っていただけらしい。

 食事をしながら、ぼくは次々質問攻めにされていた。

 食事を終わると他のグループからも興味津々にギャラリーが寄ってきた。


「岾城君、前はどんなところにいたの?」

「ああ、海辺の町。漁師の家が多くて、生徒は少ないけど人懐こくて明るい人が多かった」

「海の方って訛りが強い人多いけど、岾城君そんな感じないねえ」

「うん、そこにいたのも半年ちょっとで、何回も転校しているから。中学に入って、今度が三回目」

「わあ、すごい」

「父親が転勤族でね」

「たいへんだねえ」


 我ながら慣れたもので、如才なく受け答えした気がする。


「まあ、転校慣れしてるなら、そんな困ることはないかもね」

 真倉さんといった、斜め前の女子がうなずいて言った。

「モモちゃんのことを除いたら、うちの学校特別なことはないと思うよ」


 意味ありげに、戸野部さんに目配せを送っている。

 下駄を預けられたことになるらしい、戸野部さんは小さく溜息をついた。


「その件についてはねえ、どう説明したらいいんだろう」


 何となく似合わないためらいの様子で、級友たちを見回している。


「とにかくあの人、普通の大人と考えない方がいいから」


「どういうこと?」

 ぼくは首を傾げた。


「うん」

 戸野部さんは、まだ困った顔。

「例えばね、普通の先生なら、何か機嫌を悪くしたりしても、最終的には学校や生徒の不利益を考えて収めるって感じあるだろう」


「うん」


「あやつには、それがないって思っていい。ヘソを曲げたら、徹底して曲げる。生徒のお喋りが気に入らないって言って、授業をボイコットする。授業の進度の遅れなんてのも構わない。他の先生の言うことも聞かない。それも別のクラスや学年の授業まで一緒にボイコットしてしまうから、前にその原因を作った二年のクラスは、先輩の三年生に怒られて先生に謝るハメになったわ。受験を控えた三年生にとって、授業の遅れは死活問題だものな」


「ああ」


 二年生にとって、三年生から文句をつけられたら堪ったものじゃないよなあ。

 ある意味、先生に怒られるよりきつい。


「何て言うか、大人の手加減みたいなのがそもそもあやつの中には存在しないんだな。そう意識して冷静に考えてみると、そういう点で喧嘩したら、圧倒的に生徒は不利なんだ。今の例でも、授業の遅れは生徒に不利益。普通なら先生はそれを取り戻す義務感みたいなのがあるんだろうけど、そんな意識を放り出されたら、ただただこっちに困った結果が残るだけ」


「なるほどね」


「授業で騒いだら内申点下げるぞ、なんて結構普通の先生も言うよね」

 真倉さんが苦笑いの顔で口を入れた。

「そんなのたいていは脅かしなんだけど、モモちゃんは実際やりかねない。って言うか、きっとやるわ、ためらいなく」


「それで不当な成績をつけられたって、どこかに訴える手はあるんだろうけど、もしそれが認められたとしたって、きっと修正するのに時間かかるだろう」

 戸野部さんが続けた。

「時間かかっているうちに、生徒の方は受験や卒業を迎えてしまうわ。結局生徒の不利なんだ」


「そう、なるだろうね」

 ぼくはうなずいた。


「――って、こう堅苦しく分析すると、ひどい悪徳教師か何かに聞こえるんだけどねえ」

 笹生が困ったみたいな顔で、話に入ってきた。

「実際そう結論してしまったら楽なんだけど――ねえ?」


 意味ありげに、級友たちを見回す。

 周りの面子も、同じように苦笑いっぽい表情だ。


「ちがうの?」


 ぼくが訊くと、戸野部さんが曖昧にうなずいた。


「たぶん、あやつにそんな悪意みたいなのはないんだと思うんだ。普段から見ていて、天然って言うか、憎めないって言うか」


「何でも一生懸命なのはまちがいないしねえ」

 真倉さんも首を傾げながらうなずく。

「授業だってほら、こっちが真面目に聞いている分にはすごく分かりやすいし、ためになるのよ」


「あの黒板はどうかと思うけど、あのせいで生徒の方も緊張して集中するって考え方もできるしね」

 戸野部さんがつけ加えた。


「確かに」

 ぼくはもう一度うなずいた。

「今日聞いていて、そう思ったな」


「でしょでしょ」

 真倉さんが身を乗り出してうなずいた。


「結局、あの先生は機嫌をそこねないようにつき合えば生徒の不利益にならないっていうことね、僕らの結論としては」

 笹生が笑った。

「これが全校生徒の認識になっているから、どこかだけ逆らうってわけにいかないの。一クラスで問題が起きたら、全校が迷惑する。ほとんど今や、先輩から後輩への言い伝えみたいになっている。モモちゃんがここへ来て三年目だけどね、まだ」


「話を聞くだけだと、ひどい印象だけどなあ」

 ぼくは首をひねった。


「でもほんと、機嫌をそこねなければ何も問題ないからね」

 真倉さんが諭すみたいに言った。

「それに一面、すごい先生でもあるのよ。前には隠れていたいじめ問題を解決したって伝説も作っているし」


「へえー」


 話しているうちに、チャイムが鳴り始めた。

 昼休み終了五分前の、予鈴だ。

「あ、じゃあ続きは後ね」

 真倉さんが立ち上がって、みんな机を元に戻し始めた。


 後の休み時間と放課後に他にもいくつか学校生活の注意をもらったが、確かに一風変わった担任の件以外これといった特殊なことはなさそうだった。

 部活に向かう級友たちと別れて、ぼくは一人で学校を出た。

 一緒に下校する友だちを探す気もなくはないけど、今日は一人で向かいたい先があった。


 二日前の記憶をたどって歩くと、苦もなくあの広い公園に出た。

 看板を見ると「太陽公園」という名前らしい。

 二三度見回して、ぼくは野球場のベンチになっている部分に向かった。

 期待は薄い気がしていたけど、そこには濃い茶色のジャケットを着た男の人が寝そべっていた。


 しかし、驚かさないように近づいたつもりが。


「わああー」


 もう数歩というところまで来て、いきなり木のベンチの上に男の人は跳び起きていた。

 着古したジャケットと厚手の黒いズボン、口元には大きな灰色のマスク。

 ベンチの陰に腰を屈め、両手を水平にして目の上あたりをおおう。


「や、勘弁してくれ」


 怯えた様子は、ぼくに暴力を振るわれると誤解したらしい。

 目をかばう両手が必死に強ばって、震えている。


「や、あの――」

 対処に困って、ぼくはそっと声をかけた。

「危害を加えるつもり、ありませんので。ちょっとお話が」


「え……?」


 重ねた両手首の間に、おそるおそる目が覗いた。


「あの、ぼく、二日前にあの山のところで倒れてしまった者なんですが、小父さん、その時お世話して下さった方ではありませんか?」


「あ、え――」

 さらに両手の間が開いて、両目がはっきり見上げてきた。

「ああ、あの時の……」


「やっぱりそうなんですね」

 気をつけをして、ぼくは頭を下げた。

「お陰様で、たいしたことなくて済みました。ありがとうございました」


「あ……そりゃ、よかった」

 何だかばつが悪そうに、男の人は口の中でもごもごと言った。

「うん、よかったね」


「本当に、お陰様で」


「あ、うん――お礼、分かったから」

 力なく右手を挙げて、ゆらゆらと振った。

「分かったから――もうあとは放っといて――くれると、助かる」

「あ、はい」

「わざわざ、ありがとね」

「はい、本当にありがとうございました」


 もう一度頭を下げて、でもあまりに相手が迷惑そうなので、そのままぼくはそこを離れた。


 異常なほどの怯え方だったけど。

 ぼくのような年頃の男に、何かあるのだろうか。

 ホームレス狩りなどという嫌な言葉を、ニュースで聞いたことがあるのを思い出した。


 離れて振り返ると、男の人は荷物をまとめてそこを立ち去ろうとしているようだった。

 おどかして、悪いことをしてしまったかも知れない。

 暗い気分で、ぼくは家に帰った。


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