8話 心の調律


一体、どれほどの速度で彼は走っているのだろう?

飄々と風音は凄まじいけれど、その割に身体に当たる風圧は少ない。

ルージャの羽毛に柔らかく頬を撫でられて、リサは瞑っていた目蓋をゆっくりと開いた。

瞬間、風に攫われた髪の一筋が視界の端に遊び、可細くも鋭い風音が耳朶じだを震わせる。


舞う砂塵の中、霞みがかって遥か彼方に佇む褐色の断崖が見えて、リサはホッと息を吐き出した。

見覚えのある景色が見えた時、身体が訴える倦怠感が、少しだけ和らいだ気がするのはどうしてだろうか?

砂漠の遥か彼方。更にその先には、大きくうねる大河沿いに連なる緑地が見えている。

高速で過ぎゆく景色を見ながら、リサはふと現代日本の車窓から眺めていた景色を思い出した。


一定の速度で走行する電車。

規則正しいリズムを刻んで揺れ、

人で埋め尽くされる車内はとても窮屈で、誰もが日常に怠惰だった。

目に映る景色はあれど、恐らくそこには何もない。

仄暗い、別のなにかが占拠している。

景色を見る暇もなく忙殺され、疲れ切った目には景色は愚か、色も映ってはいなかったのだ。


(そんな世界で、私は幸せを捜していた。でも……そんな夢は、音もなく、虚しく消えてった)


いいようもなく、心が凍えていく。

凍ってしまいそうになるのを必死に堪えて、掌に爪を立てる。

そうしていなければ、立っていられない。

温かなぬくもりが、今はとても痛かった。

逞しい腕に抱えられながら、リサは潤んだ瞳から涙が落ちないようにきつく再び目蓋を閉じた。


(ずいぶん遠出をしたイメージだったけど、結構近かったのね。それとも、セナンの足が速いのかしら…?)


セナンは身軽に起伏の激しい崖を跳躍し、宛ら迷宮のような奇岩や巨岩の脇を進んで行くと、やがて景色と同系色の立派な石造りのねぐらに辿り着いた。

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Sonarライフ 冬青ゆき @yuki_soyogo

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