04

「あら…セナン、なにかいるわ」


指をさした先の砂地を見ると、ちょうど淡い生成り色をした小動物が群れで跳ねていく背中が見えた。

尻尾を上げて跳ねる姿は、どこかカンガルーを髣髴とさせた。

彼らは砂地がある場所を駆けぬけてゆき、やがて地面の色が茶色い方へ向って行った。


「あれは野生のヌウトだよ、ああやって群れで移動するんだ」


「ヌウトっていうの、ずいぶん大きいのね」


ヌウトという獣は、カンガルーというよりもどちらかと言えば尻尾の長い鹿のようにも見える。

力強く大地を蹴る姿には、野生の気品が滲み出ていた。


「あれより小型のものを街の人間が移動用に使っているけど…人為的に改良しているから、弱いし長距離は走れない」


「そうなんだ…」


「リサの暮らしていた世界には、どんな動物がいたんだ?」


「野生動物は、よっぽど田舎に行かないと見ないかな。でも、その代わりに動物園というものがあったわ」


「どうぶつえん?」


聞き慣れない言葉に、セナンは不思議そうに訊き返す。

片言なのが微笑ましい。


「うん…何種類も動物を集めてね、種の保存とか言いながら動物達を展示する場所。私はあんまり好きじゃなかったかな…」


「どうして?」


「檻の向こうから見つめる動物達の目が、どこか…とても悲しそうだったから」


「そうだね……檻の中で暮らすのは、俺もイヤな気分だと思う」


思案深く表情を曇らせるセナンに、リサは目を瞠る。

まるで、自分が体験したかのような表情だったからだ。

でもそれも一瞬で掻き消え、すぐに好奇に満ちた表情に変わる。


「ふふっ…」


「リサ?」


「そう言えば私達、こんなにたくさん話したのって今が初めてね」


誰かが傍にいたことのなかったリサは、胸に点ったくすぐったい熱を感じて笑った。


温かく穏やかな風が吹いて、リサの細い髪筋を攫っていく。


「!!」


セナンは、雲ひとつなく澄んだ青い空を旅鳥が羽ばたいてゆくのを見送るリサの表情に釘づけになった。

揺れる髪を抑えて微笑う表情は…どこか泣きそうな、それでいて晴れやかな惜別の表情だった。


「私、もっとこの世界を知りたいな…」


ここでなら、望んだ人生を生きられそうな気がする。


「俺も、知りたい。

もっと話して聞かせてくれ、リサのこと、リサの世界のことを知りたいんだ」


真直ぐに見つめてくるセナンの目は、朝日を反射してアメトリンのような色を呈していた。

真剣なその瞳に、リサは息を呑む。


(綺麗な色…向こうで、こんな宝石を見た気がするわ。何だったかしら…)


「行こう、リサ。この先だ」


セナンは慌てて背を向ける。

今の自分の顔は、とんでもなく赤いだろう。

これ以上見ていたら、どうにかなってしまうのではないかと云うくらいに心臓が五月蠅かった。

それをなんとか押し込めて、背を向けたけれど脳裡に焼きついたリサの表情はなかなか消えてくれない。


「♪」


(楽しそうに付いてくるリサには悪いが、暫くまともに顔が見られなさそうだ…)


セナンは半ば項垂れながら、砂地を後にした。



セナンの先導で辿り着いたのは、濃い緑の匂いに満ちた照葉樹の森だった。


(うわぁ…なんか鳴いてる。まさにジャングルって感じ)


何だか凶暴そうな鳥の声なんかが聞こえてくるけれど、セナンの様子を見る限りでは危険なものではないらしい。

スタスタと先を進んで行くセナンの後ろを、リサは頻りに肩を竦めながら付いて行く。


(!?)


巨大な羊歯のような植物に、よく解らない太く頑丈な蔓を幾重にも巻いた苔生した巨木の幹には派手な色をした鳥が留まっていた。

幹に食い込む爪は頑丈そう。長く鋭い嘴は太く、突かれたら痛そうだ。

ずいぶんと凶暴そうな顔は、興味深々という風で見つめてくるではないか。


リサは大慌てで顔を逸らし、セナンの背中に隠れるようにした。

むやみに関わりたくない。いや、関わらないでおこう。安全第一だ。


(うう、アレが凶暴じゃないって、ホントかなぁ?)


目に映るもの凡てが初めて見る植物ばかりで、みな巨大だった。

元々それほど知識があった訳ではないけれど、現代社会で学んだ知識が全く及ばないことを思い知ったリサは、俄な身震いが込み上げてきつく手を握った。


(ここは、どんな文化を持った世界なんだろう。私まだ、なにも知らない。ううん、知識としても、体験としても知らなきゃいけない)


ともあれ…こんな底知れない森の中で、普段セナンはどんなものを食べているのだろう?


(この世界で暮らしたら、みんな巨大になる法則でもあるんだろうか…?)


「あ…」


見たことがある果物があればいいな…と思いつつ周囲を見回していると、丁度リサの目線の高さの枝に見覚えのある果実が実っているのを見つけた。

柔らかな果皮に包まれた丸い果実は薄桃色で、桃によく似ている。

甘くて柔らかい桃はリサも好きだ。好物といっても過言ではない。

けれど一応、リサはその実の安全性を確かめてから採ることにした。


「セナン、これは? 甘い匂いがする、食べられるの?」


1つだけ捩いで差し出すと、セナンは少しだけ身を屈めて顔を近付け、パクリと一口で小振りな果実を食べてしまった。


「っ!」

(な…なに今の、う…受け取るんじゃなくて、直接口で食べた!)


一瞬唖然とするも、すぐに熱が再燃してリサは挙動不審になる。


「&*@§¥$¢£%!!」←(声にならない叫び)


「大丈夫だ、美味い。これはウルの実といって、生で食べる他には干果にしたり、蜜で煮たりするんだよ。甘いから、リサも食べてごらん。ほら、お食べ…」


大きな手が、熟れたウルの実を差し出してくる。

窺うようにして見遣れば、相変わらずハニーフェイスなセナンの穏やかな目と搗ち合った。


(… イケメンすぎる!)


「う…うん、ありがとう」

(どうしよ……顔から火が出そうよ)


林檎のように赤くなったリサは、おずおずとセナンからウルの実を受け取って鼻を寄せる。

ウルの実はよく熟していて、甘くいい香りがした。


「…いい香り」


程よく張りがある皮に歯をたてると、簡単に皮が裂けて、みずみずしく芳醇な果汁が口一杯に広がる。

初めて口にしたウルの実は、言葉にしようもない程に美味しかった。


「~~~~~~~~~っ!!」


「ど、どうしたんだリサ…もしかして、不味かったのかい?」


身振りで美味しさを表す他なく、ふるふると肩を震わせるリサに、セナンは『何かあったのか』と血相を変える。

けれど、返ってきたリサの返事を聞いてすぐ、固くしていた表情を崩した。


「違うのっ……こんなに甘くて、美味しい果物なんて初めて食べたから…私、つい…嬉しくて」


「よかった。気に入ったなら、たくさん採って帰ろうか」


「ホント!? ありがとう」


「(ふごっ…!)」


背景に華を飛ばして瞳を輝かせるリサに、セナンは危うく鼻血を噴きそうになって鼻を押さえる。

…が間に合わなかったらしい。←(手で押さえるも、出血多量)

美人の笑顔ほど破壊力があるものはないが、リサ…彼女の笑顔はとんでもない破壊力だった。


まだ子供なのに、成長したらどれだけ美人になるのやらと嘆いてセナンは鼻血を気合いで引っ込める。


「ウルの実はまた後で採りにこよう、今はもっと栄養のある物を捜さないと。

先に進むから、ついておいで」


「うん」


「(うう…リサが可愛すぎる…っ!)」


リサから見えない所で悶絶するセナン。

リサはといえば、ウルの実を齧りながらセナンの歩幅に追いつこうと一生懸命だった。





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