守るべきものは

詛の対極

郊外の領主別邸では、冷めた朝食をようやく摂った後の食器を返しに、ラードが下女と共に邸の厨房へ向かっていた。



「ラードさんは、もしかして本当は下男ではないんですか?」

ラードの隣を歩く下女が、おずおずと尋ねた。


彼女は、今回の視察団の司祭が女性なので、世話をするのが下男だけでは不都合ということで、庶務方に任命された。

だが元々は、神殿に下女として雇い入れられているザクバラ国人なので、視察団のような聖職者の移動に際して同行するのは初めてだった。


ラードは人当たりの良い笑みを浮かべて答える。

「いいや? 正真正銘、下男だよ。どうして?」

「だって……」

下女は朝食の準備を任されて広間を出ていたので、カウティス達の話はほぼ聞いていない。

しかし、ラードは魔獣討伐を聖騎士カウティスと共に行ったり、先程の話し合いに参加していたりと、神殿の下男ではあり得ないようなことをしている。



「ああ」

ラードは心得たというように小さく頷き、側に人がいないことをチラと確かめてから、下女に顔を寄せて低く囁く。

「……確かに下男だが、実は密命を帯びているんだ」

「密命?」

下女がつられて首を縮め、小声で返す。

「俺の主人は多くを期待されている方だからね。この視察を是非とも成功させて、成果を上げて頂く為に、お手伝いしているんだ」

人差し指を唇に当てて、ラードが温かみのある濃い灰色の瞳を細めると、下女が目を激しく瞬く。

「……お手伝いって、例えばどんな?」

彼女の頬が上気するのをさり気に確認して、ラードは更に笑みを深めた。


「視察に必要なのは、情報収集さ。……でも、貴族は早々国の内情を漏らさないから、大変なんだ。自国の呪詛を解くためだっていうのにね」

下女はうんうんと頷く。

民は呪詛を恐れて助けを求めるのに、中央の貴族達は相手にしない。

それで、下女が雇われている神殿にも、民から多くの嘆願があった。

オルセールス神聖王国が視察団を派遣してくれると聞いて、皆どれ程喜んだことか。

視察団に同行する間、あるじとして仕える女司祭によれば、代表のイスターク司教はどこの国でも民の意を精一杯汲んで下さる方だというし、期待も膨らむというものだ。


「それで、貴族邸の使用人から話も聞くんだが、この領地は女性領主だ。出来れば専属侍女から何か聞ければいいけど、さすがに俺では侍女の噂話まではね……」

さも残念そうに言って、顔を離したラードの腕を、下女がくいと引っ張った。

「呪詛や国の内情に関する、噂話なんかを聞いてくればいいんでしょう? それなら、私が聞いてみるわ」

「それは助かるけど……いいのかい?」

再び顔を近付けて優しく瞳を覗き込めば、下女は更に頬を染めて頷く。

「ええ。お喋りは得意だもの。それに、私だって視察団の一員だわ」

「心強いな」

ラードは腕を掴んだままの下女の手を軽く握った。



耳まで赤く染まった下女が、食器をカタカタと鳴らして厨房へ入って行った。

ラードは、無精髭のないつるつるの顎を指で撫でる。

「髭がなくても、意外とイケるな」

口の片端を上げて呟くと、きびすを返した。





カウティスは女司祭に付いて、邸の奥の、控えの間にいた。

領主が女性ということで、女司祭が会って話を聞くことになっている。


水害に続いて、魔獣が湧くという被害にあった領地だ。

呪詛を訴える領民も多いだろう。

得られる情報は得てから動きたい。

イスターク達は、魔獣が湧いた現場にいた者達に話を聞きに行っていた。


それに、領主に断りを入れておいた方が、領内を動くのに都合が良い。

セルフィーネは、確実にこの近くにいる。

もしかしたら水害による被害を抑えるために、この領地に連れて来られているのかもしれないと、カウティス達は予想していた。




「落ち着きませんか?」

ソファーに座った女司祭が、斜め後ろに立って、何度も胸の辺りで手を握ったり開いたりしているカウティスを振り返った。

「あ……、申し訳ありません」

無意識だったらしく、バツが悪そうな表情で、カウティスが右手を下ろして姿勢を正した。


首からガラスの小瓶を下げていた頃のクセが抜けない。

十数年間、殆ど肌身離さず付けていたのだから当然のことかもしれないが、何かあると、つい手が胸の辺りを握ってしまう。

そして、小瓶の手触りでないことに気付いて離す。

その繰り返しだ。



「本当に“セルフィーネ”という水の精霊は、カウティス殿のことを想っているのですね」

女司祭が、感心するような、不思議なものを見るような表情でカウティスを見上げる。

「……司祭様は、信じて下さるのですか」

カウティスは思わず聞き返した。

精霊と人間が想い合うなど、誰もが初めからは信じてくれなかった。


女司祭は、僅かに眉を下げて笑うと、カウティスの周りを指で示す。

「これ程水の精霊を寄せ付けていれば、信じるなと言われても無理です」

カウティスは周りを見回すが、精霊の光がいくつか見えたり消えたりするだけで、女司祭が寄せ付けると言う程には感じられなかった。


「……これは、多いものですか?」

「まあ! 普通、精霊は人間の側を通り過ぎることはあっても、留まらないものです。私は土の精霊の加護持ちですが、それでも祈りの際に二つ三つ光が集まるだけですよ」

「しかし、今朝は祈りで精霊が集まると……」

カウティスが目を瞬くと、女司祭は祭服の袖で口元を覆って、くすくすと笑う。

「あれは猊下の嘘です。私はそれに話を合わせただけで、あんなことは初めてでした。内心はもう、驚いてひっくり返りそうでしたよ」


カウティスは僅かに苦笑いして、茶色に染めてある頭を掻いた。

イスタークと関わるといつも、自分は目の前の事だけで精一杯で、多くの面でまだまだ未熟であると気付かされる。

王子の立場でなくなれば、同等に並ぶには経験が足りない。




「カウティス殿、私は、何を気に入られたのか土の精霊の加護を持って生まれました。そのおかげでたくさんの運に恵まれましたが、精霊が何を考え、何を望んでいるのかは、ずっと分からないままでした。……でも、今彼等が貴方と共にセルフィーネ水の精霊を救いたいと意志を示しているのは分かります」

女司祭が柔らかく微笑む。

セルフィーネ水の精霊を必ず救いましょう。そして、機会があれば、土の精霊が何を思って私に加護をくれたのか、聞いてみてもらいたいものです」


その思い遣り溢れる言葉の響きに、カウティスは自然と女司祭に立礼した。

「……心から感謝致します、司祭様」



『必ず救いましょう』と言われて、カウティスの胸に温かいものが込み上げた。

その温かさが、身体の内で燻っている黒いものを弱めていくのを感じる。

その事実に、カウティスは小さく息を呑んだ。


真摯しんしな労りや慈しみが、この“のろい”の対極にあるものなのだ。


カウティスがザクバラ王族の血と共に受け継いだ詛が、つい最近まで表れなかったのは、もしかしたらセルフィーネの慈愛の心が守ってくれていたのではないのだろうか。

彼女は幼い頃から、カウティスの心を真っ直ぐに導いてくれた。

そうでなければ、もっと早くに呑み込まれていたのかもしれない。



セルフィーネに会いたい。



カウティスは切に思った。

会ってたくさんのことを話し、溢れる感謝を伝えたい。

そして、そなたが好きだと、何が何でも、二度と離れてくれるなと言いたい。

叶わないのだとしても、そう言って強く抱きしめたかった。




カウティスが左胸に当てた手を拳にした時、扉がノックされて、家令が控えの間に入って来た。

しかし、その顔色は悪い。


「申し訳ございません、司祭様。領主様は、その、急務がございまして、当分お会いすることが出来ません」

家令は狼狽うろたえた気配を隠しきれていなかったが、女司祭は笑顔のままで了承して、そのまま控えの間を退室した。


「先に挨拶をした時は、視察団の活動には協力的だと感じたのですが、どうしたのでしょうね?」

廊下を歩きながら、女司祭が軽く首を傾げた。

急務があるにしても、顔を見せて挨拶くらいはしそうな領主に見えたのだが。



カウティスは一歩後ろを歩きながら、窓の外を見て、軽く目をすがめた。


前庭の門の所で、衛兵に指示を出している騎士らしき者がいる。

別邸に入ってから見た領主の私兵でもなければ、領街の自警団ではなく、明らかに騎士の姿だ。

しかし、街に駐在していた騎士達とも違う、黒い騎士服を着ている。


「司祭様、あの者は、どこに所属する騎士でしょうか」

女司祭が足を止め、窓の外を覗く。

「あの黒い騎士服は、国王陛下の近衛騎士だと思います。こんな所で見掛けるとは、被災に関してのめいでも受けているのでしょうか」




衛兵を門前に配置させているところを見ると、被災地を案じての命令を受けているようには見えない。

黒いマントが風で煽られる様が、何処か不吉に思えて、カウティスは窓の内から近衛騎士を睨んだ。





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