交差する想い

出発

水の季節後期月、二週一日。



日の出の鐘が鳴る少し前に、カウティスを探して居住棟の廊下を歩いていたイスターク司教は、窓の外の人影に気付き、足を止めた。

孤児院に続く裏庭で、既に長剣を振っているカウティスを見つけて、半ば呆れる。

「まったく、大した体力だな」


しかし、今日からはそうも言っていられない。

聖職者の一日は、日の出の鐘と共に祈ることから始まるのだ。


まずは、朝の祈りを教えるところから始めなくてはならないのか、とイスタークは軽く溜め息をつく。

司教になって随分と経ったが、まさか今から新人を一から教育することになるとは思っていなかった。

本国へ送り出す迄とはいえ、他国で、しかも元王族が教え子とは。


イスタークがそう思った時、ちょうど日の出の鐘が鳴った。

東の空で、雲にその姿を殆ど覆われていた月が、太陽に替わる。


鐘塔から大きな鐘の音が響くのを聞きながら、声を掛けようと思ったイスタークの前で、カウティスは足下に長剣を置き、右掌で首から下げた銀の珠を握った。

そのまま左胸に拳を添えて、太陽に向かって目を伏せ、立礼した。



イスタークは、掛ける声を失って見詰めた。

カウティスのその所作は、聖職者のものではない。

だが、その真摯しんしな姿は、祈りの本質を知っている者のものだ。



「イスターク様、カウティス殿は……。あれ、何を見て笑っておられるのですか?」

一向に祭壇の間にやって来ないイスタークとカウティスを捜しに来た聖騎士ダブソンが、不思議そうに尋ねた。


我に返ったイスタークは、自分の頬が緩んでいた事に、言われて初めて気付いた。

そういえば何時だったか、カウティスと手合わせをした聖騎士エンバーが言っていた。


『 神聖力が高まる感覚さえ覚えました。彼は、聖騎士に向いていると思われます 』


「……成るべくして成ったというところか」

イスタークは独り言ちて笑う。

そして、意味が分からず首を捻っているダブソンを促して、雲を割いて陽光を差す太陽に向かい、その場で祈りを捧げた。






午前の一の鐘が鳴る頃に、神殿にマルクとハルミアンが訪ねて来た。


神殿の前庭で、マルクが白い封筒を差し出す。

「マレリィ様から、お預かりしました。出発して、時間のある時に読んで欲しいと仰っていました」

封筒を手渡され、カウティスは目を瞬いた。

「母上が?」

母の香油の香りが、ほのかに鼻をくすぐる。

昨日の取り乱した母を思い出し、胸の奥が痛んだ。



「これ、いざという時に役立つかもしれないから、持って行って」

続けてハルミアンがカウティスに魔術符の束を渡す。

「隠匿の魔法を知ってるでしょ。存在感を消す魔法なんだけど」

「ああ」

カウティスは頷いた。

竜人ハドシュがネイクーン王国内を動き回っていた時に、騎士達が撒かれた魔法だ。

ハルミアンと初めて出会った時にも、彼自身が使っていた。

「マルクに発現方法を教えて、何とか似たような効果がある魔術符を作ったんだ。魔力は隠せないから自分で魔力量を小さく誤魔化さないといけないけど、王子……じゃなくて、カウティスなら殆ど魔力はないから大丈夫でしょ」


聖紋を刻まれて神聖力を得たというのに、カウティスはあり得ない程少ない魔力量なのだ。

これでは、神聖魔法で人を癒すことは出来ないだろう。

だが、この魔術符を使う為に、魔力を隠す工夫は必要なさそうだ。


「後は魔力集結と、目眩めくらましの符と……、どれも掌に魔力を流して触れれば……。ねえ、何で笑ってるの?」

説明を聞きながらカウティスが笑っているので、ハルミアンが怪訝けげんそうにする。

「いや、忍んでセルフィーネを盗み出す気満々の準備だなと思って」

カウティスが言えば、苦笑するマルクの横で、ハルミアンが唇を歪ませた。

「何? 今更、穏便にセルフィーネを取り戻せると思ってるの?」

「いいや? ただ、同じ様に思ってくれている仲間がいて、心強いと思っただけだ」


笑うカウティスを見て、ハルミアンは更に顔を歪ませる。

これからカウティスは馴染みのない聖職者と一緒に行動して、一人でザクバラ国でセルフィーネを助け出さなくてはならないのだ。


「もう! ラードは何やってるのさ!」

思わず強い口調で言ったハルミアンの頭を、後ろから大きな手が叩いた。

弾かれたように振り向いたハルミアンの背後に、オルセールス神聖王国に所属する者が着る、聖紋の入ったチュニックを着たラードが立っていた。


他人ひとの名前をデカい声で叫ぶな」

「ラード! 何、その格好!?」

叩かれた頭を押さえて、目を見張るハルミアンに、ラードは腰に手をやって、当然のように言う。

「神殿所属の下男になったのさ。カウティス様とザクバラ国へ行くから、余計な心配するな」



驚きすぎて、ポカと口を開けたままのハルミアンの後ろから、不機嫌そうなイスタークの声が響く。

「そんな事を認めた覚えはないがね。カウティスは正式に聖職者となって行くのだから、従騎士は必要ない」


旅装のイスタークと聖騎士二人が、下男との顔合わせに、前庭に出て来たところだ。


カウティスが立礼するのに合わせて、ラードも立礼してから口を開く。

「従騎士ではなく、ご要望の下男ですよ。猊下には許可を頂いていませんが、庶務方から任命されていますから、ご安心を」

あっけらかんと言ったラードを、イスタークが焦茶色の瞳で睨め上げる。

「任命? 聞いていないぞ」

「それはそうでしょう。下男の任命や配置は庶務方の仕事ですから」


オルセールス神聖王国は聖王と聖職者が治める神の国だが、もちろん神聖王国も世界各国の神殿も、神聖力を授けられた聖職者だけで成り立っているわけではない。

神に誓いを立てて、“聖職者”の肩書を得た多くの庶務方が、国や神殿で運営を任されているのだ。

彼等は、司祭や神官達が滞りなく日々の務めを果たせるように、裏方として様々な面で支援している。


ラードがチュニックの肩を摘んで示す。

「正当に手順を踏んで、庶務方で下男登録しておりますので、疑われるのであればご確認下さい」

少々裏の手を使ったが、正式に登録されているので、ラードは堂々としたものだ。


イスタークはわざとらしく溜め息をついた。

あるじにどこまでも付き従う忠誠心は美しいがね、王子に仕えていた騎士上がりに、神殿の下男が務まるとは思えないね。先を急ぐ行程に足手まといは要らない」

嫌味臭く言われた言葉にも、ラードは全く動じない。

「猊下は今回の視察に、“最低限己の身が守れて、聖職者の身の回りの世話が出来、土地勘のある者”の条件の下男を庶務方に一人要求されました。それで、私が任命されたのですが」

言ってイスタークに小さな紙束を渡す。


「因みに、ザクバラ国の南東部に入国までの最短ルートで、乗り換えの馬と休憩所は手配済です。今日、予定通り出発すれば、今夜はザクバラ国内の国境に近い神殿で寝泊まり出来ると確認してあります。それから、携帯食などの荷物はあっちに。……まあ、王子の身の回りの世話はお手の物なので、皆様のお世話も問題ないと思います。それに、私以上に使える下男は、間違いなくこの神殿にはいませんよ?」

自信たっぷりに言ってのけるラードに、イスタークは言葉を失って、ハルミアンは後ろで噴いた。



カウティスは思わず気が緩んだ笑いを漏らした。

カウティスがイスタークに約束を取り付けた時、ラードは『出発までに必ずお側に戻りますから』と言って出て行ったので、どうにかして同行するつもりなのだろうとは思っていたが、まさか下男とは。


カウティスがラードを肘で突付いて小声で言う。

「忍んで付いて来るのかと思っていたぞ」

「お側にいないと、いざという時にカウティス様は何をするか分かりませんので。それに以前、私のことを『今更手放してはやらん』と熱く求められたではありませんか」

小声で返してニヤリと笑うラードに、カウティスは顔をしかめる。

「語弊のある言い方をするな!」


ラードが、からかうような目で普段通りに笑う。

それが何とも頼もしく、カウティスの心はずっと軽くなった。




「役に立たなかったら、先の神殿で別の下男に替えるから、心しておくように」

言ってイスタークが、めくって見ていた紙束をポイとラードに投げて返す。

紙束には、聖職者の日々の務めから、必要な物、要注意事項など、細かな字でびっしりと書き綴られていた。

「予定通り出発する。それまでに、その無精髭だけは剃りなさい」

「うっ」

痛い顔をしたラードを一瞥いちべつして、イスタークが神殿の方へ足を向けると、ハルミアンと目が合った。


「もう、君は憎まれ役ばっかり買って出るんだから」

腕を組んで、彼等のやり取りを見ていたハルミアンが言う。

「何の事だ」

「昨日の宣誓式だよ。わざわざあの場でやって、一気に周知させたんでしょ。ネイクーン王国の今後の為に、司教が突然引き抜いたみたいな印象にしてさ」

イスタークが物凄く嫌そうな顔をして、足を止めた。

「馬鹿なことばかり言ってないで、そろそろ聖堂建築に戻れ。君がいるから私が視察を引き受けたのだから、いつまでも中央こっちでフラフラされては困る」

言外に信頼されているのを感じて、ハルミアンの深緑の瞳がキラキラと輝く。

「うん!」

嫌味に言っているのに嬉しそうにされて、イスタークは辟易として、再び歩き始めた。


「イスターク! 無事に帰って来てよ!」


背後からハルミアンに思わぬ言葉を掛けられて、イスタークは軽く眉根を寄せたが、肩越しに僅かに視線を投げて、手を上げて神殿に入った。



「カウティスも、ラードも。……絶対、無事でいてよ」

漠然とした不安を飲み込んで、ハルミアンが言う。

マルクも同じ様な眼差しで、二人を見た。


セルフィーネを助け出せても、カウティスはネイクーンへ戻っては来れない。

それでも今は、『無事で』と言って送り出すしかない。


カウティスは二人と順に目を合わせ、強く頷いた。




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