裏切り

セルフィーネは目を瞬いた。

何を言われたのか、よく分からなかった。


「…………腕を折る?……それは……」

口に出してみても、よく分からない。


「そうだな、半刻経ってもお前が戻っていなければ、もう一方の腕を折ろう。更に半刻経てば、次は片足を……」

「待て。一体何のことだ? おぬしは、私が自由に三国間を移動して良いと……」

ようやく少し思考が追いついて、セルフィーネは声を上げた。

困惑するセルフィーネに、リィドウォルは淡々と言葉を放つ。

「勿論移動して良い。お前が戻りたいなら、好きなだけネイクーンへ戻れる。ただ、お前がここから出た時間だけ、ネイクーン王国の魔術士の手足が折られていくだけだ」


呆然として入口付近を見れば、高位魔術士は平然とこちらを見ている。

護衛騎士に魔術素質はないのか、視線はこちらに定まっていなかったが、顔色を失くしているネイクーンの魔術士を、どこか満足気に拘束していた。


セルフィーネの身に震えが走った。

これがただの冗談ではないと、ここにいる全ての者の目が語っている。


「……私の意思を、尊重したいと言ってくれたのではなかったのか……?」

「尊重しているだろう。移動するなと言っている訳では無いのだからな。ネイクーンの魔術士達は、お前とカウティスの関係を支持しているらしいではないか。お前が愛しいカウティスに会いに行く為なら、手足くらい喜んで差し出すだろう」

長椅子に座ったまま、足を組み直すリィドウォルの顔には、何の感情も浮かんでいない。



セルフィーネは弱々しく首を振った。


「……意味が……分からない……」

あまりにも暴力的な内容を突き付けられて、頭の中が混乱して、上手く考えられない。

「分からないか? 言った通りだ。お前の意思を尊重する。お前は自由だ。三国間を好きに移動するが良い。ただお前が祭壇の間ここを出れば、ネイクーンの魔術士の手足を一本ずつ折っていく。それだけだ」


単純なことだと言わんばかりに反芻はんすうするリィドウォルを見て、セルフィーネは堪らず叫んだ。

「何故そんなことをする!? ザクバラ国から出るなと言われるなら、先月のように一歩も出ない! そんな脅しなど必要ない!」

「必要かどうかは、こちらが決める」

リィドウォルが立ち上がり、背を向けた。

話を終わりにしようとする態度に、セルフィーネは焦って追いすがった。

「必要ない! 月末までちゃんとここにいる! 魔術士彼等を離せ!」

魔力の纏まりが見えるはずなのに、側に来たセルフィーネを見ようともせず、リィドウォルは入口の扉に向かう。

「待て!」

セルフィーネは急いでリィドウォルの前に回り込んだが、彼は止まろうとはせず、魔力を擦り抜けて行く。


« 待って! »


歩き続けるリィドウォルの前に、再び回り込んだセルフィーネが叫んだが、水盆から距離が開きすぎて声にならなかった。


そこで初めて、リィドウォルが足を止めた。

セルフィーネを見下ろし、口を開く。

「それ以上後ろに下がれば、魔術士の腕が折れるが、良いのか?」


セルフィーネは、はっとして自分の足下を見た。

リィドウォルの前に立ち塞がるようして立っている所は、入口の沓摺くつずりの上だ。


「あぁぐっ……」

鈍い声が聞こえた方を見れば、祭壇の間の内側、入口脇に控えた護衛騎士が、片手でネイクーンの魔術士の肩を押さえて、あらぬ方向へ腕をひねり上げようとしている。


« やめて! »


セルフィーネは叫んで、護衛騎士に飛び付いた。

しかし、声は誰にも届かず、その手は護衛騎士の手を擦り抜ける。

「イルウェン、やめよ」 

魔力の纏まりが室内に戻ったのを見て、リィドウォルが言った。

リィドウォルの制止で、護衛騎士は手を離す。

ネイクーンの魔術士の腕は折れてはいないようだったが、ガクリと膝をつき、脂汗を搔いて肩で息をしていた。


怯えたように震えている魔力を一瞥いちべつして、リィドウォルはそのまま扉から出て行く。

高位魔術士が続き、護衛騎士は、ネイクーンの魔術士を半ば引き摺るようにして連れて行った。



一人祭壇の間に残されたセルフィーネは、足が震えてよろけた。

しかし、よろけた彼女を支えられる者は、ここには一人もいない。


セルフィーネは固い床に座り込み、呆然と開いたままの扉を見つめていた。






水の季節前期月、五週四日。


ネイクーン王国、西部国境地帯では、カウティスが落ち着かない様子で居住建物の外に出た。

今日は一日中雲の多いどんよりとした空で、雨こそ降ってはいなかったが、吹く風は微温ぬるく湿っぽい。

夜中には降り始めそうだ。   

      


日の入りの鐘が鳴ってから一刻近く経つのに、一向にセルフィーネが戻って来ない。

はっきりと決めている訳ではないが、大体いつも同じ位の時刻に戻って来ていたので心配になった。


カウティスは空を見上げる。

昨夜別れる時に、『また明日』と確かに約束をした。

何もないのに戻って来ないはずはなかった。


「王子、落ち着かないのなら、川原まで行きますか?」

建物の入口から出て来たラードが声を掛けた。

返事は分かり切っているので、その手には魔術ランプが提げられている。

「ああ、そうする」

「きっと、遅れて来られますよ」

ラードの後に出て来たマルクが言ったが、カウティスはやけに胸騒ぎがして、その言葉は気休めにしかならなかった。



その夜、カウティス達は日付が変わるまで川原で待ったが、セルフィーネは対岸にすら現れなかった。




翌、五週五日。


深夜から降り始めた雨は、日の出の鐘が鳴る頃には土砂降りになった。

一睡も出来ていなかったカウティスは、セルフィーネが川面を跳ねさせるかどうか確認する為、川原で早朝鍛練を行うつもりだったのだが、さすがに断念せざるを得なかった。


土砂降りの雨は、ザクバラ国からネイクーン王国の北西部に降り続いた。

天候予想では、当分雨は止まないという。


水の季節にはそれ程珍しいことではないが、早目に対策を取らなければ、ベリウム川の氾濫にも繋がる。

カウティス達はにわかに忙しくなった。

今年は、川上に新しい大型の魔術陣も敷かれて稼働しているので、それがどの程度の効果を発揮するのかも随時確認していかなければならず、数日北部の方へ行く必要がある。


水の季節に予想されていた事だったとはいえ、今この時にかと、カウティスは歯噛みしながら拠点を後にした。





六週一日。


ザクバラ国の魔術士館の一室では、魔術師長ジェクドとリィドウォル、ザクバラ国の魔術士達が、机上いっぱいに広げられた資料に向かっていた。



水の精霊を軟禁したリィドウォル達が、次に行うべきは、水の精霊の魔力回復を急速に進めることだ。


二国が大仰おおぎょうに騒ぎ出す前に、そして、ザクバラ国王がのろいによって人格崩壊する前に、水の精霊を回復させなければならない。

しかし、水の季節は天候が悪い日が多く、月光が乏しい。

今のまま祭壇の間に入れていては、リィドウォルの求める魔力量まで回復するのには、時間が掛かり過ぎる。

歯噛みする思いだったリィドウォルに入った情報は、ネイクーン王国では、水の精霊に独自の魔力回復を施しているということだった。



「ネイクーンの庭園に作られたという魔力集結の設備は、魔術具ではなく、自然から魔力を集める建築物だということです。どうやら、フォーラス王国の知識だそうで、こちらですぐに真似るのは困難かと……」

魔術士の一人が言った。

フォーラス王国は北の魔術大国だ。

魔術の知識も技術も、ザクバラ国より数段上をいく。


ジェクドは大きく顔を歪める。

「何でフォーラスなんかの知識が、ネイクーンで活用されてるんだ」

「王姉のフレイア王女は、フォーラス王国の王子に嫁している。その伝手つてかもしれぬ」

リィドウォルがジェクドに向かって顔を上げる。


「どちらにしろ、フォーラスの知識をこれから仕入れるのでは遅過ぎる。やはり、この方法でいくのが早い」

トン、とリィドウォルが机上に広げられた資料の一つに指先を落とした。

それは、魔石に魔力を充填する原理と、方法について纏められた資料だった。


「精霊は魔法に使用される魔力の塊。物理的な器を持たない魔石と同じと考えられる。ネイクーンに造られた設備で魔力を回復出来ているのなら、この方法で魔力の場を作れば、水の精霊は吸収して回復する可能性は高い」


水の精霊の魔力を回復する方法が、月光の魔力を浴びるだけではなく、他からの魔力でも回復出来ることは証明された。

それならば、今現在魔術で実行されている魔力充填方法も使えるかもしれないと考えた。


空になった魔石の魔力は、通常人間の手で充填される。

水の精霊の魔力も、人間の手で充填回復出来るかもしれない。

ただ、水の精霊を強制的に回復させるだけの魔力となると、どれだけの人間の魔力が必要か、試してみなければ分からない。

多くの者の魔力が枯渇し、死に至る可能性も考えられた。



「……水の精霊あれを回復させるだけの魔力を送るとなれば、魔術素質のある人間がどれだけ必要か分からんぞ……」

ジェクドが表情を曇らせた。

魔術士館の魔術士達の魔力を、根こそぎ持って行かれる訳にはいかない。

周りにいる魔術士達も、命をも落とすかもしれない作業を想像してか、表情はかんばしくない。


魔術素質魔力を無駄にしている者が、地下牢に大勢いるだろうが」

忌々いまいましいというように、リィドウォルが吐き捨てた。

地下牢には、年末の政変で捕らえられた貴族達がまだ多く残されたままだ。


「刑罰として魔力を吸い出せば良い。どうせ死を待つ者達だ。頭が割れる手前で止めて、程々に回復したら繰り返せ。国を荒らして禄をみ続けて来た者達だ。死ぬ前に国の役に立てれば本望だろう」



リィドウォルは冷ややかに言って、再び机上を指した。

「早急に準備にかかれ」




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