存在を示す

「ザクバラ国を除いて二国間で取り決めを成すとは、我が息子ながら、大胆なことをしたものだな」

王が執務机で頬杖をついて、口を歪ませる。

「『この国の王は、まだ私だ』と、王太子殿下をお叱りになりますかな?」

笑い含みに言ったのは、太い腕を組んだバルシャークだ。

王は、ふんと鼻を鳴らす。

「形式上、まだ私が王だが、実質は既にエルノートが国王だ」


ほぼ二週間後に迫った王太子エルノートの即位だが、元々この前期月は移行期間として置かれたものだ。


「新しい時代は、新しい国王とそれを支える者達が造る。我々は助けを乞われぬ限り、余計な手出し口出しはしなくて良い」

「ふむ。では、我々古い者達は大人しく隠居ですかな」

楽しそうに笑うバルシャークは、先月、王に付いてフルブレスカ魔法皇国から帰国後、騎士団長の座を降りていた。




「勝手に隠居するつもりになられては困るな」

魔術師長ミルガンと宰相セシウムを連れて、続き間から入って来たのはエルノートだ。

白緑の詰め襟に白のマントを付けた彼は、色目の薄い服装でも血色良く見える程に、顔色が良かった。

即位間近で多忙を極めているはずだが、その見た目は疲れを感じさせず、一時期よりもずっと健康そうで、王は安堵する。


「新騎士団長が慣れるまでは補佐してもらわねばならないし、セイジェに付いてザクバラ国へ行く護衛騎士も、そろそろ二人選定して欲しい。それに、新しい団員が使い物になるまでは、隠居させるつもりはないぞ」

新騎士団長には、長くバルシャークと共に騎士団を率いてきた副団長が就き、新年になって騎士見習いから十数人、正式に騎士団に入団した。


エルノートの言葉に、バルシャークは破顔する。

「あの者は私の下で長年副団長を務めていたのですから、心配はいりません。セイジェ王子に付く護衛騎士も、任せておけば選定に問題はないでしょう。しかしながら、新団員を鍛える役目は、喜んでお引き受けいたしますぞ!」

体格の良い胸を張って、声高らかに宣言するバルシャークに、王は辟易へきえきする。


「……隠居という言葉が、これほど似合わない男はおらんな」

小声で漏らす王をエルノートが見下ろす。

「父上も、国王の座を退くからといって、即隠居は困ります」

「何!? 私をゆっくり隠居させないつもりか?」

王は目を剥くが、エルノートは素知らぬ顔だ。

「セイジェが無事にザクバラ国へ越して婚姻を成すまでは、完全に隠居はさせません。今よりはゆっくりと出来るのですから、良いでしょう」


衝撃を受けた顔をする王だが、セシウムの次の一言で瞳を輝かせた。

「中央にいらっしゃる方が、後継が出来た時にすぐ知ることが出来て、良いのでは?」

「セシウム!」

エルノートが眉を寄せたが、王は嬉しそうにニコニコとして手を打った。

「そうだな! 初孫に、『じいじは立派な王だった』と教えてやるには、近くにいるのが一番だな!」

王は、後継の誕生を首を長くして待っている。

エルノートとメイマナの仲睦まじい様子は、王城ではとうに周知の事実だ。

後継が出来るのも、そう遠くないのではないかと期待が掛かるのも無理はない。


「……いくらなんでも気が早過ぎです、父上。言っておきますが、メイマナにおかしな圧をかけないで下さいよ」

エルノートが顔をしかめ、溜め息交じりに言った。




「それで、泉の庭園に新しく温室を建てたいと?」

西部から問い合せがあったという内容に目を通し、王が顔を上げた。


「正確には、温室ではないようです」

ミルガンがまばらな口髭をしごく。

「フォーラス王国の魔術技術らしく、魔力を自然から集めるのだとか。実際の効果は見てみなければ分かりませんが、事実ならば我が国の魔術士館にも取り入れたい技術です」

その口振りからは、新しい魔術技術への期待感が滲んでいる。


「なぜまた、フォーラス王国の技術がここに持ち込まれるのか分からんが……。セルフィーネの助けになって、そなた達が問題無いと思うのであれば、構わんだろう」

王城の改築などには、王の最終決定が要る。



「ところで、……セルフィーネは、ネイクーンに戻っているのか?」

王がミルガンを見れば、彼は何処か可笑しそうに笑って頷く。

「西部へ一直線に駆ける魔力が見えました」

「王城には見向きもせずか。薄情な奴め」

自分で言っておいて、長く見てきたセルフィーネに対してそれなりに情が湧いているのだと気付き、王はバツが悪そうに鼻の上にシワを寄せた。






「セルフィーネ! 本当にセルフィーネだ!」

居住建物に入って来たハルミアンが、喜色を浮かべてセルフィーネに近寄った。


実体化どころか、見える姿も造れないセルフィーネを見て、形の良い眉を下げる。

「ああ、まだまだ魔力が足りないね……」

でも消えないで良かったよ、という言葉は、さすがにカウティス達の前では辛うじて飲み込む。


「大丈夫、ネイクーンにも、王子が君の為に場を作ってくれるよ」

「……場?」

カウティスが頷く。

「イスターク司教の研究していた魔術技術で、そなたがネイクーンにいても効率的に回復できる場を造ろうとしている」


カウティスは、ハルミアンから受け取った図面を机の上に広げて見せる。


「あの泉の庭園に手を加えることになるが、許してくれるか?」

「許すも許さないもない。あそこはアブハスト王が私を据えるために造った。カウティスが良いと思うように造り変えてくれるのならば、そこが私にとって最も良い場所になるはずだ」

セルフィーネの言葉に、カウティスの頬が緩む。

その顔を見て、ラードがからかうように笑った。

「王子、顔が緩みっ放しですよ」

「う、うるさい。仕方ないだろう、まだ当分は声も聞けないと思っていたのだから……」


来月になればネイクーンに戻ってくるとは知っていても、魔力の回復にはまだまだ時間が掛かると聞いていたし、回復したからといって、どのような状態になるのか分からなかったのだ。

こうして直接声を聞けただけで、とにかく嬉しかった。




「それにしても、アナリナが協力してくれていることは聞いたが、二国間の新しい取り決めなどと、私は聞いていなかったぞ?」

カウティスが何とか緩んだ表情を引き締めてマルクを見れば、彼は申し訳無さそうにしながら笑う。

「カウティス王子に前もって伝えると、何も手につかなくなるだろうから黙っているように、と王太子様が仰っていました」


何しろ初めての取り組みで、セルフィーネがどの程度回復できるか分からなかった。

その上、セルフィーネが途中で戻る保証はないので、カウティスをぬか喜びさせない為にも黙っていたらしい。

「まったく、兄上は! 私は子供ではないのだから、大人しく待っているくらい出来るのに」

カウティスは眉を寄せるが、疑わしいものを見る目付きでラードがちらりと見た。



「もっと早く戻って来たかったが、どうしても、カウティスに分かるようになってから戻りたかった」

セルフィーネの声に、カウティスは顔を上げる。

「姿が無理でも、せめて声だけでも出すことが出来れば、カウティスに私を分かってもらえると思って。……そなたに、私を感じて欲しかった」

カウティスの顔が緩むと同時に、頬が少し赤くなる。


魔術素質のないカウティスは、他の者が見えるのに自分はセルフィーネを見ることのできない事が、いつも悔しく、もどかしかった。

だが、セルフィーネも同じ様に、自分がここにいるのに分かってもらえない事を、悲しく、もどかしいと感じていたのだろう。


「ああ。ちゃんと分かるよ。そなたはここにいる」

カウティスはセルフィーネに手を伸ばす。

セルフィーネは、触れることのできない手を伸ばして、その掌に重ねた。


ただそれだけのことが、こんなにも嬉しい。


「今夜は上空うえに行くのか?」

「月が出ないなら、ここにいても同じだ。一緒にいても良いか?」

「勿論だ」





「ねえ、さっきから思っていたんだけど、カウティス王子は、セルフィーネが見えないはずだよね? どうして位置が分かるの?」

深緑の目を瞬きながら、二人のやり取りをじっと見ていたハルミアンが、不思議そうに尋ねた。


「そういえばそうですね」

マルクも言われて気付いた。

声が聞こえる水差しの方に向かって反応するラードに対し、カウティスはセルフィーネの魔力に向かって喋っている。


聞かれたカウティスは、視線をセルフィーネがいると思う方へ向けた。

「…………香りが、するだろう。それで、そこにいるのかと思って……」

以前よりも蒼い香りが強く感じられて、不思議とカウティスには彼女の大体の位置が分かるような気がした。

ハルミアンとマルクの反応を見るに、どうやらそこで合っていたらしい。


「香り? 精霊セルフィーネの匂いってこと? そんなの初めて聞いたよ!?」

ハルミアンが驚いてマルクを見るが、彼も同様に驚いている。

「セルフィーネ様が近くにいても、特に香りを感じたことはありませんでしたが……」


「王子が感じるということは、魔術素質は関係ないってことですか?」

ラードが不思議そうにして、思わず鼻をスンスンといわせて匂いを嗅ごうとするので、カウティスは肘打ちした。

「嗅ぐな」

半眼でカウティスを睨むラードを他所よそに、ハルミアンが立ってセルフィーネの魔力に近付く。

「セルフィーネの香りってどんなの? 嗅いでみていい?」



カウティスが止める前に、スイ、とセルフィーネが皆から離れた。

その魔力が、不安定にふるふると揺れる。

「……い……いや」



自分に香りがあるなんて、初めて聞いた。

カウティスの腕の中で感じる匂いのように、マントを口元まで上げて感じる匂いのように、今まで自分の知らないところで、カウティスは自分の香りを感じていたのだろうか。


それは、ひどく恥ずかしいことのように思えた。


自分でも分からない香りを、カウティスは一体、どんな風に感じていたのだろう。

セルフィーネは何故かムズムズとして、じっとしていられなかった。

皆がこちらを見るのが、堪らなく恥ずかしく思えて、身体をよじる。



「セルフィーネ?」

「…………カウティスの部屋に行っている」

カウティスの顔も見れずに、セルフィーネは逃げるように隣室に駆け込んだ。





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