退化
カウティス達が町長の家から戻ると、広場の幕の外にハルミアンが立っていた。
戻って来たカウティスの胸を見て、美形に相応しいとは思えない表情で、あんぐりと口を開ける。
「元に戻ってるじゃないか……」
呟くハルミアンを、ラードがグイグイと押して幕内に入った。
セルフィーネは以前の姿に戻っていた。
腰まである細い水色の髪。
透けるような白い肌。
向こうが薄く透ける姿。
そして何より、カウティス以外には見えない
「どうしたの、セルフィーネ!? 戻ってるじゃない」
幕の内に入るなり、ハルミアンはカウティスの胸に向かって言った。
ハルミアンの身体を擦り抜けて、光の粉も散らさずに消えてしまったセルフィーネに、何か異変があったのだと心配していた。
ハルミアンが声を掛けても、セルフィーネは目を閉じてカウティスの胸に添ったままだった。
留まっている魔力でセルフィーネがそこにいることは分かるが、何の反応もなくてハルミアンは
「セルフィーネ?」
カウティスも改めて声を掛けるが、胸に添ったセルフィーネは動かない。
「セルフィーネ、どうした。やはり身体が痛むのか?」
カウティスが小さなセルフィーネに手を添えて、初めて彼女は驚いたように目を瞬いた。
カウティスの胸に久し振りに添って、セルフィーネは言い様のない安堵感に包まれていた。
トクン、トクンと心臓の音が聞こえ、彼が生きているのだと知る。
その音に聞き入って、全てが意識の外にあった。
我に返ってみると、周りで三人が心配そうにこちらを見ている。
カウティスと目が合って、ようやくセルフィーネは口を開いた。
「カウティス……。怪我は? 痛いところはないのか? 刃を握った手は?」
重ねるように問いながら、不安気に腕を伸ばしてカウティスの掌を見る。
「それはこちらの台詞だ。セルフィーネは痛むのではないのか? あんなに怪我を……」
あの無残な姿を表現することが
「怪我……?」
ハッとしたように、セルフィーネは自分の身体や頬に指を滑らせる。
そして困惑気味に呟いた。
「……私は……どうしてこの姿に?」
「ええ~?」
今気付いたの、という様に、ハルミアンが横でよろけた。
セルフィーネは以前の姿で、カウティスの胸に添ったまま離れようとしなかった。
魔力の回復が充分に出来ていないからか、その見た目は儚げだ。
ラードには姿も見えず、声も聞こえない。
新しい姿に戻れないのかとハルミアンに問われたが、セルフィーネは首を振るばかりだった。
例え新しい姿に戻れるとしても、魔力の回復が充分でない今は、再びあの痛々しい姿に戻れと言うのは
ハルミアンもそれは同じ思いだったらしく、セルフィーネの様子を見て、一先ず問い質すのはやめた。
セルフィーネは、また黙ってカウティスの左胸に添っていた。
今までと違い、カウティスの胸に小さな耳をつけ、目を閉じている。
「セルフィーネ」
カウティスが声を掛けると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
どことなく緊張した様子だった。
「どうした?」
「心音を聞いていた。カウティスは、生きているのだと……確かめたくて……」
カウティスはぐっと奥歯を噛んだ。
酷い有り様で契約更新を受け入れた時、セルフィーネはどれ程恐怖していたのだろうか。
「生きてる。そなたの側にいる。……だから、音ばかり聞いていないで、こちらを向いてくれ。俺はそなたの顔が見たい」
カウティスは出来るだけ柔らかく微笑んで、セルフィーネに手を添えた。
彼女は、ようやくほっとしたように表情を緩ませて、カウティスの指に頬を寄せた。
カウティス達は夜が明ければ王城へ戻ることになった。
セルフィーネが目覚めたので、馬車はもう必要ない。
「馬の手配をしてきます」
ラードが幕外へ出ようとした時、ちょうどマルクが幕を
「……何かあったのか?」
間近でマルクの顔色を見て、ラードが声を掛ける。
水の精霊が目覚めたと、王城へ連絡を入れに行っていたはずだ。
マルクは固い表情のまま、小さく頷いて言った。
「北部のギルドから、王城に緊急の通信が入ったようです」
「北部?」
カウティスの身体が強張る。
フルブレスカ魔法皇国の情報は、方角の関係から、主に北部から入るからだ。
「皇帝陛下が、本日崩御されたということです」
ガタ、と椅子を鳴らしてカウティスが立ち上がった。
「皇帝が? 死因は?」
「そこまでは、まだ……。皇国に常駐している我が国の官吏からの情報で、皇国の公式発表は明日以降になるものと思われます」
マルクの言葉に、ラードが痛そうに顔を
「タイミングが悪い!」
カウティス達の視線を受けて、ラードは首を振る。
「水の精霊様の契約更新、竜人族の勝手な越境及び、ネイクーン王族に対する暴挙、傷害……。全て、我が国からの公の抗議はまだです。陛下も、これから交渉に向けて手を打つはずだったでしょう」
亡くなった皇帝は、ネイクーン王国贔屓と
王太子エルノートとフェリシア皇女の離縁があっても、その関係性に大きく変わりはなかった。
しかし、その皇帝が亡くなったとなれば。
「皇帝が変われば、我が国への対応もおそらく変わります。下手をすれば、葬祭の間は、ろくに受け付けて貰えない可能性も……」
カウティスの左胸をちらりと気にして、ラードが言葉を濁す。
皇帝の崩御が事実なら、葬祭期間はどれ程短くても一ヶ月以上だ。
今は既に、風の季節後期月。
葬祭期間の終わりを待てば、年が明けてしまう。
「シュガめ、分かっていて期限を切ったな……」
ハルミアンが深緑の瞳を細め、口の中で呟く。
カウティスは強く歯を食い縛る。
そして、ハッとして左胸を見た。
セルフィーネの顔には、何の感情も浮かんでおらず、彼女は静かに青白く輝く月を見上げていた。
明日の出発に備えて、ラードがカウティスの休む場所を確保しようとすると、作業員達が宿舎を二部屋空けてくれた。
拠点の住居よりも簡素な造りであっても、屋内に入り一息つくと、急に身体が重く感じる。
そういえば、昨夕の立ち回りから、一度も横になっていなかった。
「セルフィーネ、今晩は
突然ハルミアンにそう言われ、セルフィーネは表情を曇らせた。
「……ここにいたい」
セルフィーネがそう答えて、カウティスの服を掴むように手を握った。
「ハルミアン。この姿なら、わざわざ上に行かなくても、窓際から月光を浴びていられる」
カウティスもセルフィーネも、互いに離れ難かった。
ハルミアンが肩を竦める。
「セルフィーネがいれば、王子はなかなか寝ないでしょう。昨夜から、ろくに休んでないですよ。二人共、ちゃんと回復しなきゃ」
しかし、と尚も抵抗しようとするカウティスに、ハルミアンはラードとマルクをちらりと見る。
「王子がちゃんと休んでくれないと、側近達は休めないんですよ? もちろん僕だって安心して寝られないし」
カウティスはぐっと言葉に詰まった。
「まあ、そうですね。そうして頂けると、非常に助かります」
ラードが軽く灰色の眉を上げ、苦笑いする。
「……分かった。
セルフィーネが俯いて言った。
「セルフィーネ」
「皆とゆっくり休んで」
気遣うようなカウティスに軽く笑んで見せて、セルフィーネは姿を消した。
作業員宿舎は二人一部屋の造りだ。
カウティスとラードを同室で残し、ハルミアンとマルクは隣の部屋へ向かう。
「王子を休ませる為に、わざとああいう言い方をしたんでしょう」
マルクが軽く笑いながら言った。
「セルフィーネの為だよ。あの部屋は窓が西側だけだったから、月光をひと晩中は浴びられないもの。僕はセルフィーネが可愛いの」
そう言うハルミアンが、カウティスのことも大事に思い始めているのを、マルクは分かっている。
「水の精霊様は、退化されたのかな」
隣室で寝台に座ると、マルクは呟くように言った。
カウティスの胸に添う水の精霊の魔力は、相変わらずとても美しかったが、不安気に揺れていた。
「どうかな……。完全に元に戻ったわけではなさそうだったよ。よく見れば、セルフィーネの姿がぶれて見えたんだよね」
ハルミアンは言いながら隣の寝台に腰掛ける。
カウティスの胸に添うセルフィーネの
だが、時折その姿が見えた。
そして、新しい姿もまた、それに被るように滲んで見えた。
「退化したというか、退化しようとしているように感じる」
「……進化したくないってこと?」
「う~ん、どうなのかな。さっき目覚めた時、酷く取り乱してただろう? 落ち着かせようとしたけど、そこで変わってしまった。……取り乱していた事に、関係あるとは思うんだけどね」
マルクが考えるように視線を漂わせるのを見て、ハルミアンがパチリと手を打った。
「ダメダメ。議論は明日以降にしよう。僕等も休まなきゃ。君の顔色は酷いもんだよ、マルク」
「そう?」
マルクが苦笑する。
確かに、寝台に座ってしまうと、もう立てないんじゃないかと思う程、ヘトヘトだった。
「あんな体力お化けの二人と同じペースで付き合っていたら、保たないよ」
ハルミアンは服を脱ぎながら、大きく溜め息をつく。
ハルミアンが、カウティスとラードのことをそんな風に形容する事に、マルクは思わず噴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます