抑えられない疑問
フルデルデ王国の孤児院の裏庭では、子供達の陣取り遊びに、聖女アナリナとメイマナ王女、そして王女の侍女も巻き込まれて騒いでいる。
メイマナは、アナリナと初対面の挨拶を済ませると、遊びに参加すると言って、当然のように上掛けを脱いだ。
驚くアナリナをよそに、メイマナと遊ぶことに慣れっこの子供達が組分けを始め、侍女や護衛騎士も咎めることなく配置に付く。
メイマナと共に来た太陽神の司祭は、苦笑気味に口を押さえると、挨拶をして神殿に戻って行ってしまった。
残ったのは、フルデルデ王国に入ってから世話役でアナリナに付いた、月光神の女神官だけだ。
予想外の展開にポカンとしていたアナリナは、さあ始めるよと子供に腕を引かれ、勢いで遊びを再開した。
そしてメイマナ同様、子供達と本気で遊んだ。
「ああ! もう無理ですわ。片足で跳ねるのは意外と難しいものなのね」
息の上がったメイマナが、上げていた片足を下ろして両手を膝についた。
孤児院を訪問する時は、子供達と遊ぶと決めているので、裾を絞った幅のあるズボンを履いていた。
「アナリナ様、勝ちました!」
アナリナと同じ組で戦っていた子供達が、勝った勝ったと大喜びする。
「やったわね!」
アナリナも楽しそうに子供達と手を叩いた。
メイマナと同じ組で戦っていた子供達は、むうっと頬を膨らませた。
「メイマナ様、少し痩せるといいよ。そしたら片足跳びが上手くなるから」
子供が悪気なく言うので、近くにいた侍女のハルタがさすがに
「そうね、そうしたらもう少し動けるかしら」
「明日宮殿を出られる方が、何を真剣に考えておられるのですか」
ハルタが呆れたように言ったが、それを聞いた子供達が途端に元気を失くす。
しまったとハルタは口に手を当てる。
ふにゃと泣き出した子もいて、すっかり場の雰囲気は下がってしまった。
「あら、ちゃんと笑って送ると約束したんじゃなかった?」
アナリナが腰に手を当てて笑うが、なかなか子供達の元気は戻らなかった。
「……私も皆と会えなくなるのは寂しいわ」
メイマナは姿勢を正すと、側で泣いている子の頭を撫でる。
「ヘナ、マトル、年長の皆の言う事をよく聞いて、喧嘩をせずに仲良くね。ユーナ、文字の勉強を諦めないで続けるのですよ。レシア、好き嫌いなくしっかり食べなさい。ホトヤ、足の具合は……」
メイマナは一人ずつ名を呼び、頭を撫でたり手を握ったりしながら言葉を掛けていく。
全員に声を掛け終わると、頬に笑窪が浮かぶ笑みを見せた。
「あなた達が大好きよ。ネイクーン王国へ行っても、皆の幸せを祈っているわ」
結局全員が泣いてしまって、暫くは手の付けられない状態だったが、泣いてスッキリしたのか、最後は全員が笑って別れの挨拶をした。
治療院でも同様に、職員や患者に丁寧に別れを告げていくメイマナに、アナリナは内心舌を巻いた。
付いて行く侍女や護衛騎士の様子からも、これが彼等にとっては当たり前の事なのだろう。
「フルデルデ王国に来てから、私が何をやっていてもそれ程叱られないのは、メイマナ王女が下地を作っていたからなのですね」
うんうんと頷いて、感心したようにアナリナが言った。
「他国では、聖女様が叱られるのですか?」
そちらの方に驚いて、メイマナは目を瞬く。
「はい。袖を
盛大な溜息と共に、アナリナが顔を
「まあ、それは窮屈だわ」
メイマナも同じ様に顔を
「……でも、申し訳ありません、私も聖女様というのは、もっと近寄り難い方かと想像しておりました」
メイマナが少々恥ずかしそうに言うので、アナリナも肩を竦める。
「私も、王女様というのは、もっとお淑やかでツンツンした方だと思ってましたよ」
二人は顔を見合わせて楽し気に笑う。
「こんなことを言うと、また神官に叱られそうですけど、メイマナ王女とは気が合いそうです」
アナリナの言葉に、メイマナだけでなく侍女のハルタも一緒に頷いた。
治療院を出て神殿に戻る頃には、彼女達はすっかり意気投合していた。
同い年ということもあって、もはや女友達のようだ。
明日、メイマナが宮殿を出るのでなければ、フルデルデ王国に滞在中はさぞ楽しかっただろうにと、アナリナは少しがっかりしたくらいだった。
「メイマナ王女は、ネイクーン王国の王妃になるのですよね?」
神殿に戻りながら、アナリナが尋ねた。
薄衣の上に着た祭服のシワを伸ばして、肩に掛かる青銀の髪を払う。
後ろには女神官が付いて来ている。
「はい。縁あって、そういうことになりました」
そう答えるメイマナの頬に赤味が差して、心の通った婚姻なのだと、アナリナは嬉しくなる。
「次にネイクーン王国へ行く日が楽しみです」
「私も、ネイクーン王国で、またお会いできる日を楽しみにしております」
神殿で挨拶を交わし、短い出会いの日を終える。
メイマナが去ろうとした時、アナリナは思わず声を掛けた。
「メイマナ王女」
振り返ったメイマナに、アナリナの黒曜の瞳が揺れる。
「ネイクーン王族の一員になったら、……どうか、水の精霊を守って下さい」
突然の言葉に、メイマナは慎重にアナリナを
そして、その真剣な瞳を見て疑問を投げ掛けてみた。
「……聖女様、ネイクーン王国の水の精霊とは、どのようなものなのですか?」
アナリナは、暫く考えて言葉を選んでいるように見えた。
「ネイクーン王国の水の精霊は、他者の為に身を削ってしまう、純粋で優しい、……私の友です」
「友、ですか?」
メイマナは驚いて目を見張る。
ここにも、ネイクーン王国の水の精霊を想う者がいる。
「可笑しいと思われますか? でも、ネイクーン王国の水の精霊はそういうものなのです。……どうか、メイマナ王女も彼女を守る一人になって下さい」
『水の精霊は、オルセールス神聖王国に狙われているから気を付けて欲しい』と言えたらいいのに。
アナリナは、口に出したい言葉を飲み込む。
後ろには女神官がいる。
彼女は、おそらくオルセールス神聖王国が付けた監視だ。
いや、イスターク司教がつけたのかもしれない。
セルフィーネの神聖力を隠すことを手助けしたのが、アナリナだと気付いたのだろう。
何をしても、本国に筒抜けにされているのに違いない。
ネイクーン王国を出たというのに、しつこいものだ。
そしてそれは、未だイスターク司教が、水の精霊の神聖力を諦めていないことに他ならない。
アナリナの気持ちを感じ取ってか、メイマナはしっかりと頷いた。
「聖女様のお気持ち、確かに心に刻んで参ります」
風の季節前期月、五週二日。
ネイクーン王国、西部国境地帯には、今夜も冴え冴えとした月が、清廉とした青白い光を降らせている。
マルクは今週末まで休暇で、拠点にいない。
四日前に拠点に戻って来たハルミアンは、表面上は今までと変わらない。
拠点の職人と建築物について盛り上がり、魔術士達と意見交換しながら、楽しそうに過ごしている。
ただ、カウティスに向ける目が、以前より冷めたものに感じるのは気のせいだろうか。
だがカウティスは、セルフィーネと穏やかに毎日を過ごしている事で、それを気にしないようにしていた。
窓際に置かれたガラスの小瓶に、今夜もセルフィーネが佇んでいる。
小瓶の隣には、カウティスから贈られた薄い飴色のバングルが、小箱に入って蓋を開けた状態で置かれてあった。
艷やかに光る鳥の羽根の彫りを、セルフィーネは嬉し気に見つめている。
カウティスは、セルフィーネと時折話しながら、今夜もラードに渡された書類を睨んでいた。
カウティスが書き物や読み物をしている時は、セルフィーネはいつも、話し掛けず黙っている。
今も集中して書類を読んでいるカウティスの姿を見て、静かに月光を浴びていた。
それは、たまたまだった。
集中が切れて、僅かに上げた視界に、セルフィーネの姿が入った。
セルフィーネは、バングルにそっと右手を伸ばしていた。
どうしても欲しくて堪らないというように。
それに触れなければ、苦しくて堪らないのだというように。
バングルを見つめるその目が、切なくそう言っている。
それなのに、彼女の小さな指先はバングルの手前で震え、触れる前に胸の前に引き戻された。
戻された右手は、胸の前で強く左手に包まれる。
「……セルフィーネ」
カウティスが呼んで、セルフィーネは弾かれたようにこちらを見た。
その白い肌に、カアッと一気に血が上ると、セルフィーネは羞恥を隠すようにサッと顔を背けて、身体を反転する。
そのまま
「セルフィーネ、待って!」
ビクリと小さな身体を震わせて、背中を向けたセルフィーネが止まった。
カウティスは書類を机の上に投げ出すと、窓際へ急いで寄った。
「セルフィーネ」
声を掛ければ、背中を向けたままの小さなセルフィーネが弱々しく首を振って言った。
「……すまない」
カウティスは困惑する。
「何故謝る? それはセルフィーネの物だ。好きなだけ触れば良い。着けたいなら、俺が何度だって着けてやる」
「駄目。……ごめんなさい……」
それでもセルフィーネは、弱く首を振ったまま、顔を上げなかった。
カウティスは更に困惑した。
セルフィーネは間違いなく、バングルを求めて手を伸ばしていた。
それなのに、なぜこんなに
伏せてこちらを見ないセルフィーネの姿に、カウティスは前から持っていた疑問をとうとう口にした。
「セルフィーネ、バングルを身に着けたいと、思わないのか?」
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