前例のない力 (後編)

『水の精霊を、城下の神殿に移す許可を』



イスターク司教の言葉に、広間の空気が張り詰めた。

「……我が国の水の精霊を、何故神殿に移す必要が?」

王が訝し気に問うと、イスタークは当然のように頷いた。

「貴国の水の精霊は、神聖力を持っております。神聖力を持っている者は、すべからくオルセールス神聖王国所属となりますので」

「神聖力だと?」

王が眉根を寄せて問い返し、イスタークは焦茶色の瞳を楽し気に細めた。

「王族の皆様は、御存知かと思いましたが。カウティス王子は報告されていなかったのですね」


カウティスが? と、王が視線で魔術師長ミルガンに問うが、彼も通信で報告は受けていない。

西部の浄化は、セルフィーネの祈りが月光神の御力を呼んで起きたという話だったが、セルフィーネ自身の神聖力などとは聞いていなかった。




「猊下、精霊が神聖力を持つなどと、前例がありません。何かの間違いでは」


困惑の雰囲気の中、口を開いたのは、王座の一段下に立っている王太子エルノートだ。

青灰色の詰め襟で立っている彼は、薄青の瞳で静かに視察団を見下ろす。

「神聖力を得れば、オルセールス神聖王国に神託が下り、国に召喚命令が届くはず。我が国にそのような物は届いておりません」


「確かにそうですね。しかし、私が直接、水の精霊の神聖力を確かめました。すぐにでも召喚命令を出せるでしょう。しかし、水の精霊は竜人族の契約魔法に縛られていて国外には出られないはず。ですので、代わりに神殿に移させて頂きたい」

司教が神聖力を確かめたという事実に、王は息を呑んだが、エルノートの調子は変わらなかった。


「神聖力の確認は、管理官が行う決まりです。失礼ながら、猊下は管理官の資格をお持ちでないはず」

イスタークの眉が、ピクリと動いた。

「水の精霊が神聖力を持ったことが真ならば、勿論道理に従うべきです。ですが、先ずは慣例通りに、管理官に確認をお願いしたいと存じます」

エルノートがイスタークに一礼した。




「セルフィーネが神聖力を? 聞いておらぬぞ」

執務室に入室するなり、王は緋色のマントをソファーに投げ捨てた。

そして執務机の側に立って、エルノートを睨む。

「エルノート、そなた知っていたのか?」

謁見の間での冷静な対応は、事前に知っていたとしか思えない。


「神聖力らしきものを持ったとは。しかし、不安定で制御出来ていないと聞いています」

王は強く眉根を寄せる。

「やはり知っていたのか!」

エルノートが執務机の前に立つ。

「竜人族が確認に来たこともあり、当分は隠しておくべきだと判断していました。申し訳ありません」

「この国の王は、まだ私だぞ、エルノート! 弁えよ!」

譲位に向けて、執務の多くを共にしている状態ではある。

しかし、エルノートはまだ王太子だ。

ネイクーン王国の実権は、王の手にある。

王の苛烈な視線に、エルノートは立礼して目を伏せた。

「……申し訳ありません、陛下」


王が目を閉じ、ひとつ溜め息をついた。



「……それで、セルフィーネが神聖力を得たというのなら、本当に神殿にやらなければならないのか?」

王が椅子にドサリと身体を預ける。

ミルガンは不揃いな口髭をしごいて唸った。

「人間の話であれば、神託が下れば神聖王国に籍が移されますが、精霊となると籍という物自体がありません。水の精霊様は、契約魔法で我が国からは出られませんし、神殿に縛ろうにも実体がないのですから、水の精霊様が従わなければ縛れないのでは?」

騎士団長バルシャークが、筋肉質な太い腕を組んで首を振った。

「何とも荒唐無稽な話ですな」


「前例がないだけに、猊下は無理矢理押し通す気なのかもしれません。……時間は稼ぎましたが……」

エルノートが目を細める。

管理官が来るのに、早くても数日。

管理官が来ても、人形ひとがたの見れない者達が、水の精霊に聖紋が刻まれているか、確かめることは出来ないはすだ。

神聖力だけ確認して、果てして聖職者と認定出来るのだろうか。


「セルフィーネに話を聞く。水盆を持て」

王が侍従に指示するが、ミルガンに止められた。

「せめてイスターク猊下が城から距離を置くまでは、呼ばれない方が良いのでは。あの方は魔術素質が高いので」

「全く、何故頭の痛いことばかり……」

王が頭を抱え、明るい銅色の髪をガシガシと掻いた。





西部国境では、予定通り堤防建造が続けられている。

対岸ではザクバラ国の建造作業も再開しているはずだ。


午後の一の鐘が鳴って半刻。

作業は中断して、皆休憩している。

カウティスも又、少し離れた所で冷たい飲み物を飲んでいた。

土の季節も終わりに近付き、日中でも随分過ごしやすい。

陽光に輝くベリウム川の流れは穏やかで、西部へ派遣されてから随分経ったが、ようやく静かな日々が訪れたようで安堵する。


下を向けば、左胸には小さなセルフィーネが、薄く笑んで川面を見ていた。

「嬉しそうだな」

カウティスの声に上を向き、セルフィーネは笑みを深めた。

「嬉しい。とても穏やかな気だ」

彼女も同じようなことを考えていたようだ。

「それに、今日もカウティスと一緒にいられて嬉しい」

セルフィーネがほんのりと頬を染めるので、カウティスは思わず頬が緩んだ。


「……っ」

突然、セルフィーネが眉根を寄せて、胸を押さえた。


「大丈夫か!?」

カウティスが手を添えようとすると、彼女は姿を消した。

おそらく、神聖力が発現しようとしたのだ。

この二日程で、こういう事が度々起こるようになった。

セルフィーネの魔力回復に比例して、神聖力も発現しやすくなっているように見える。

彼女の感情の揺らぎで、抑えられずに溢れ出てくるようだった。

幸福感が強く関係しているのか、嬉しそうな顔をした直後に、苦しそうな顔を見ることが多く、辛い。

神聖力を制御出来るようになるしかないのだろうか。

どうにかしてやりたいが、一体何が出来るだろう。

カウティスは、皮手袋を嵌めた右手を強く握った。





エルノートは、図書館の禁書庫に向かうつもりで、階段を降りた。


カウティスに聖紋の欠片のようなものがあると知ってから、もしもに備えて、神託や管理官については調べてきた。

だが、精霊を聖職者として扱おうとするとまでは考えていなかった。

オルセールス神聖王国について、まだ知れることがあるならば、余さず調べておきたい。



王城の裏に出て、低木が続く中庭の煉瓦道を通り、魔術士館と講義棟に並んで建っている図書館に向かう。

低木の葉の間から陽光が差し、微風が通って心地良い。


ふと、微風に乗って、仄かに甘く香ばしい香りがした。

菓子を焼く香りのようだが、普段嗅ぐことのない不思議な香りが混ざっているようだ。

「……何の香りだ?」

「何でしょう。離宮からでしょうか」

エルノートの問いに、侍従が首を巡らせる。

離宮の方角から、離宮警護の兵士が数人、楽しそうに笑いながら歩いて来た。

エルノートに気付き、急ぎ低木の方へ並んで立礼する。

どうやら、交代して詰所に戻るところのようだ。


『ご苦労』と声を掛け、前を通り過ぎようとして、エルノートは足を止めた。

彼等の前を通ると、香ばしい香りがする。

彼等は一様に、油紙で巻かれた小さな包みを持っていた。

「それは?」

「も、申し訳ありません。メイマナ王女殿下に頂きました」

エルノートの問いに、咎められると思ったのか、兵士は恐縮しきった様子で、上擦って答えた。

「メイマナ王女に?」

エルノートはもう一度、風に乗る香りを吸い込み、侍従と顔を見合わせた。




離宮の厨房では、離宮に派遣されている料理人と製菓職人も巻き込んで、メイマナ王女と侍女達が、大量に焼き菓子を焼いていた。


焼き上がった菓子が食堂のテーブルにも広げられ、辺りは香ばしい香りで充満している。

食堂の椅子には侍従や侍女が座り、冷めた先から油紙で巻いて端をねじり、小さな包みを作っていた。



「メイマナ様、もう生地がありませんが、どう致しましょうか」

「そうね、どうしようかしら」

料理人の声に、メイマナが腰を屈めて、石窯を覗きながら言った。

今はドレスではなく、腰からふんわりと広がって足首で絞ったズボンを履き、厨房で使われるエプロンを着けている。

錆茶色の髪は後ろで丸く纏め、装飾品もなかった。


厨房の外がざわついているのに気付き、侍女のハルタが扉を開けて廊下を覗いた。

「ハルタ、もう一回だけ仕込むから、秤を取って頂戴」

メイマナが腰を伸ばして、卵の入ったカゴを手に取った。

「メ、メイマナ様……」

「遅くなると厨房に迷惑だから、手早くやってしまいましょ……」

言いながら振り返ったメイマナの目に、厨房の入口に立つ、王太子エルノートの姿が映った。



「王太子殿下!」

厨房にいる料理人や侍女達が、手にしていた道具を置き、急いで頭を下げる。


「お、王太子様……?」

一拍遅れて反応したメイマナの手から、カゴが滑り落ちた。





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