導き
カウティスが西部に戻って、一週が過ぎた。
土の季節も半分以上を過ぎ、日中の暑さも和らいできている。
堤防の建造は、ネイクーン王国側は予定通り進んでいる。
ザクバラ国側は滞ったままで、相変わらず、時折魔獣の吼声が聞こえることがあった。
あれからセルフィーネは、あの光をまた生むことが出来ないか何度も試していたが、カウティスの前では成功したことがなかった。
拠点からベリウム川の間にある、疎らな木々の間で、カウティスは早朝鍛練を行っている。
リィドウォルに
「収穫祭の準備?」
「ああ。来週収穫祭だろう? この辺りではまだ祭りは無理だが、せめて一日休んで貰おうと思っている」
鍛練が終わって、袖で汗を拭く。
カウティスが剣を振っていた間は離れていたセルフィーネだが、終わったと見て胸のガラスの小瓶に姿を現していた。
来週の、三週五日は収穫祭だ。
その日は、日頃の働きを労う意味も込めて、国境地帯の作業員達を全員休みにして、酒や料理を振る舞って楽しんでもらうことにした。
西部でも国境地帯から離れた所では、小規模ながら祭りの準備をしている街もあるようで、そちらから出向している作業員は、もう一日休みを取って帰る者もいる。
カウティスはその準備や打ち合わせもあって、今日はイサイ村に一泊する。
ザクバラ国の魔術士や職人がいるので、やはりセルフィーネには来ないようにと伝えた。
「収穫祭……。初めて一緒に出掛けた日だな」
セルフィーネが嬉しそうに目を細めた。
割れてしまった前のガラスの小瓶で、子供の頃、初めて王城からセルフィーネを連れ出した。
「懐かしいな」
ドキドキワクワクした幼い日を思い出し、カウティスも微笑む。
当時の魔術師長クイードが、魔法を使うきっかけを作った日でもあるが、セルフィーネしか知らないことなので、彼女はそれについては黙っていた。
「セルフィーネと、また歩きたいな」
カウティスの言葉に、セルフィーネは小さく笑う。
「今年はアナリナの護衛だろう」
収穫祭当日、カウティスは、城下にお忍びで行く聖女アナリナの護衛に付くことになっている。
「そうなんだが……」
カウティスが想像しているのは、子供の頃、共に行った収穫祭ではない。
南部エスクトの街で、アナリナの身体を借りて歩いた時のことだった。
収穫祭にセルフィーネと、あんな風にまた街を歩けたらどんなに良いだろうと思ってから、馬鹿な想像をしたと軽く頭を振った。
「アナリナなら、セルフィーネに会いたいから呼べと言いそうだな」
カウティスが軽く顔を顰めて言うので、セルフィーネは、楽しそうにふふと笑った。
カウティスは、ラードと共に午後からイサイ村に向かった。
堤防建造中の現場を視察し、近くの村の復旧具合も確認して、収穫祭当日の打ち合わせなど、忙しく一日を終える。
夜、寝室として使用する部屋の窓際に、いつものようにガラスの小瓶を置く。
空かした窓から青白い月光が入り、小瓶に当たっているのを確認して、カウティスは寝台に横になった。
セルフィーネは、カウティスのいない拠点を出て、上空で視界を広げる。
イサイ村や、西部の町や村で、穏やかに人々が一日を終えるのを見る。
そして、視界を更に広げた。
城下の街は明かりが多いので、街全体が光って見えた。
西部の辺境と違って、まだ起きて活動している者も多く、大通りには活気があった。
オルセールス神殿前の広場もまだランプがいくつか灯されていて、柔らかな明るさの中、細い水路の水が光って見える。
ふと、前広場で大きく伸びをしている聖女アナリナを見つけた。
挨拶をするつもりでセルフィーネが水路の水を跳ねさせると、水の精霊の魔力が見えるアナリナは、パッと顔を輝かせた。
「セルフィーネ!……ん? 挨拶だけ?」
セルフィーネがここにいないと気付いて、不満気に口を尖らせるアナリナに、思わず笑う。
セルフィーネは西部拠点の空から滑り出し、城下まで駆ける。
セルフィーネが近付いて来ると分かると、アナリナは跳ねるように月光神殿に入り、祭壇の間の水盆に聖水を注いだ。
月光が降り注ぎ、月光神の御力で満ちた祭壇の間は、セルフィーネにとってとても心地良い場所だ。
水盆から湧き上がるように、小さな水柱を立ち上げ、セルフィーネは難なく淡く輝く姿を現した。
「セルフィーネ。久しぶりね、会えて嬉しいわ」
アナリナが満面の笑みで迎える。
セルフィーネも微笑んで頷いた。
日の入りの鐘はとうに過ぎているのに、祭服を着たままのアナリナを見て、セルフィーネは小さく首を傾げる。
「まだ務めを?」
「そうなの。もうすぐフルデルデ王国に行くことになってるから、引き継ぎとか報告書とか、色々ね」
こういう物こそ、神官が全部やってくれたらいいのに、と彼女はブツブツ言いながら口を尖らせる。
聖職者も面倒な雑務は多いようだ。
「だから、少し息抜きにお話しましょ」
アナリナが、ちょこんと最前列の長椅子に座って、笑い掛けた。
「アナリナは、もう少ししたら、ネイクーン王国から出ていってしまうのだな」
「そうよ。……ネイクーン王国は居心地が良かったから、もっと長くいたかったわ」
セルフィーネは、アナリナの顔を見つめていたが、伏せ目がちに小さな声で言った。
「……寂しくなるな」
アナリナが青銀の眉を下げる。
「私もよ、セルフィーネ。どうしてかしら、私、あなたがとても好きなの。だから、別れるのがとても寂しい」
ネイクーン王国に来てから、辛い時、悲しい時、空を覆うあの美しい魔力の流れを見て、何度慰められたか分からない。
だからだろうか、セルフィーネのことが、とても愛しく思えるのだ。
国から国へ移動するのはいつものことだが、今回は、セルフィーネの護りから出ることが寂しくてならない。
「だから、いつかまたネイクーン王国に来る時まで、幸せでいてね」
「幸せで……」
セルフィーネはアナリナを見つめて呟く。
アナリナの温かな黒曜の瞳が、セルフィーネを見て、優しく揺れている。
セルフィーネは白い両手で胸を押さえた。
身体を温かいものに包まれたような、ふわふわとした気持ちなのに、胸が苦しい。
マルクに、カウティスと幸せになって欲しいと言われた時と同じだった。
胸の内から、仄かな光が生まれる。
「セルフィーネ、あなた……」
アナリナが口を押さえた。
セルフィーネが押さえた両手の横、右胸に月光神の聖紋が浮き出て見えた。
セルフィーネの胸の内から、温かな光が溢れてくる。
溢れて、彼女の中を光が満ちる。
しかし、セルフィーネは以前の痛みを思い出し、怯んだ。
その途端、彼女の中の光が霧散した。
呆然として息を吐いたセルフィーネに、アナリナが立ち上がって近付いた。
「セルフィーネ、神聖力を使えるの?」
セルフィーネは弱々しく首を振る。
「……分からない。どうしてこんな風になるのか」
セルフィーネはアナリナに向かって、苦し気に訴える。
「アナリナ、教えて欲しい。どうすればこの力を使える? 私がこの力を使うことが出来れば、狂った
アナリナは暫く黙ってセルフィーネを見つめていたが、思い切ったように口を開いた。
「この前、竜人に会ったの」
セルフィーネが身体をビクリと震わせる。
「
「……喧嘩?」
セルフィーネは目を丸くして瞬く。
竜人と人間が喧嘩するなどと、聞いたことがない。
しかも、アナリナは
「ねえ、セルフィーネ。あなたが神聖力を使うことは、間違いなく竜人にとっては“不要な変化”よ。それでも、使いたいと思う?」
アナリナがセルフィーネに静かに問うた。
竜人ハドシュは、『変わるな』と言った。
その忠告を聞かなければ、消滅するのだろうか。
セルフィーネは小さく身震いした。
細い両腕で、自分を抱き締める。
怖い、……それでも。
セルフィーネは震える声で言った。
「…………使いたい」
「竜人に逆らっても? どうして?」
セルフィーネは目を閉じて、思い浮かべる。
共に世界を支える
彼女をネイクーン王国の一員だと言ってくれた王族達。
輝く笑顔で、水場で遊ぶ子供達。
復興を目指す、西部の人々。
―――愛おしい、ただ一人の人。
「…………皆に、笑っていて欲しいから」
セルフィーネはゆっくりと目を開ける。
目の前には、嬉しそうに笑っているアナリナがいる。
「使えるわ、セルフィーネなら」
アナリナは手を伸ばし、セルフィーネの胸の真ん中に掌を当てた。
「神聖魔法は、祈り、願うこと。どうか健やかで、笑っていられますようにと」
アナリナはセルフィーネの紫水晶の瞳を覗いて、頷く。
「幸せでいて欲しいと願うの」
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