芽生える想い

水の精霊のいない国 (前編)

偉大なる太陽と月の兄妹神がこの世界を創造した時、太陽神の両手から火の精霊と風の精霊が生まれ、月光神の両手から水の精霊と土の精霊が生まれた。

兄妹神が様々な世界を創り、それを融合させて、このひとつの世界にまとめ上げるのを、精霊達は手助けした。


精霊達は、世界の全てを支え、世界中の何処にでも存在し、全ての物と共にあった。





ある時水の精霊は、その身を激しく引き裂かれる痛みと共に、世界から切り離される。

抗う事さえ出来ず、竜人族に契約という枷をつけられ、落とされたのは南東の辺境、ネイクーン王国。


ただ水源を保つこと。

それのみの役割を持たされ、国中を見守るだけの年月が過ぎる。

澄んだ青空を、鳥が隣国へ飛んでゆく。

共に飛ぶこともできず、空っぽな己を持て余していた時、濁流に落ちた子供を見つけた。




それはただの気まぐれだった。

水の精霊は水を持ち上げ、子供を川岸に打ち上げた。

『水の精霊様、ありがとうございます』

母親は泣いて子供を抱きしめ、何度も何度も礼を言う。

水の精霊は霞のようなもので、人間に見える実体はない。

それでも母親は濁流の川に向かって礼を言い続けた。

“水の精霊様”などと呼ばれるのも初めてだった。


その日から水の精霊は、少しずつではあるが、山火事がおきれば鎮火し、濁流を鎮め、ヒビ割れた土地に雨を降らせ、己の役割を見つけていく。


そうして長い長い年月を過ごす内、歴代最高と謳われる魔術素質を持った王が現れた。

『水の精霊とは、なんと清らかな心の持ち主なのか』

彼はそう言って、持てる魔術を駆使し、水の精霊の幻影を作り上げた。

彼の理想の美しさを詰め込まれた、幻の人形ひとがた

『これより、そなたに形と声と名を与える。

 名は“セルフィーネ”』


水の精霊セルフィーネは、こうして生まれた。






水の季節、後期月の始まり。


ネイクーン王国の城下には、この国で一番大きなオルセールス神殿がある。


大陸の絶対信仰である、偉大なる太陽と月の兄妹神を祀り、フルブレスカ魔法皇国が唯一手出しのできない神の国、オルセールス神聖王国が統括する神殿だ。

神殿には越国境の権限が与えられ、様々な国に神の救い神聖魔法を施して回る。

神の名の下に神聖魔法を使える者を神官、更に祭事を執り行える者を司祭と呼んだ。


そして、今、城下の神殿には聖女アナリナが滞在していた。



神殿の裏には、聖職者たちの居住棟があり、そこに続く裏庭には、井戸と物干しが数本並んでいる。

井戸の横に座り込み、白い祭服の袖を捲り上げ、大きな盥に両腕を突っ込んで、アナリナは洗濯をしていた。

ゴシゴシと、泡を散らしながら洗っているのは肌着だろうか。


肩より少し下まで伸びた髪は、陽の光を弾いて青銀色に輝いている。

青銀髪は聖女の証、月光神の降臨神降ろしを行った女性の身に現れる変化だ。

神降ろしを行える女性を“聖女”、男性を“聖人”と呼び、世界には今、聖女が一人と聖人が二人存在した。

アナリナは、その唯一人の聖女だ。



居住棟の横から、一人の女神官が走ってきて、アナリナを見つけて跳び上がる。

「アナリナ様! そのようなことなさってはいけません!」

「あら、どうして? 自分の身の回りのことを自分でするのは、生きていく上での基本でしょ」

アナリナは立ち上がって、井戸から新しい水を汲み上げる。

黒曜のような大きな瞳は、真剣そのものだ。

「身の回りのお世話は下働きの者が致します。聖女様がなさる必要はございません!」

女神官の言葉に、アナリナは鼻の上にシワを寄せて溜め息をつく。

「いつ月光神に見限られるかわからないのに、そんな贅沢なことしてられないわ」

「見限るなど……!」

女神官が額を押さえた。

神殿に身を置く、全ての者の崇拝の対象である聖女の言葉に、目眩がした

アナリナは本気で言ったのだが、女神官には有り得ない発言だったようだ。 


神も精霊も、気まぐれなものだ。

一度与えた神聖力ちからを、気まぐれに取り上げたっておかしくないと、アナリナは思う。


「と、とにかく、もう止めになさって下さい。王城に向かう馬車が参ります」

女神官は何とか立ち直って、アナリナに手を洗わせ、祭服の裾を伸ばす。

アナリナは顔を顰めて、女神官の手を払った。

「王城に行くのは嫌よ。あのワガママ王子はもう元気になったんだから、様子見なら私が行かなくたっていいでしょ」

「王族相手にそのような……」

女神官は困りきった顔をする。

「とにかく、私は忙しいの。王城には行かないわ」

アナリナはもう一度袖を捲って、顔を背ける。


王族も貴族も大嫌いだ。

美しい青銀の髪を乱暴に払って、アナリナはもう一度井戸から新しい水を汲み上げた。

汲み上げた水は、陽光を弾いてキラキラと輝いている。

彼女はその眩しい輝きに、小さく息を吐いた。

ネイクーン王国この国の水は、本当に美しい。



十三年程前、ネイクーン王国に聳えるフォグマ山が噴火し、北部は毒煙と灰で深刻な被害を受けた。

フォグマ山に源流を持つベリウム川も汚染され、川の周辺地域にも様々に被害が出た。

それでも、被害に対し比較的早く復興が進んだのは、不思議と地下水を水源とする生活用水が全く汚染されなかったからだ。

あの噴火以来、ネイクーン王国は水の精霊を失ったと各地で噂されたが、実際は国内に枯れた水源は一つもないという。

今、アナリナが使っている井戸も、透明に澄んだ水が十分な水位を保っている。


輝く水面を見て、彼女は呟く。

「やっぱり水の精霊は、まだこの国を守っているのね」





南部、エスクト砂漠。

元々国境沿いに広がっていた砂漠だが、近年砂漠化が進み、国境を越え隣国に広がり始めていた。



砂漠の中にあるオアシスの側で、数人が巨大な砂ミミズと戦っていた。

砂ミミズは土を食べて砂を吐き出す。

砂漠化の原因となる魔物なので、定期的に駆除が行われる。

駆除する時は、大人の腕位の大きさだが、稀に見つからずに成長したものが巨大化して暴れることがある。

巨大化した砂ミミズは凶暴で、土を食べるだけでなく家畜や人も襲い、オアシスを荒らし、膨大な砂を吐き出す為、発見されれば討伐隊が組まれるのだ。



戦っているのは、剣を持った者が三人と、魔術士らしい者が一人。

皆、一様に日除けのフードを被り、顔にゴーグルを付けている。

魔術士の土魔術が掛かっているらしく、砂の上でも地面と同じ動きができるようだった。


激しく打ち付ける尾を避けて、一人の女剣士が砂ミミズの体を斬りつけたが、弾力の強い体にはかすり傷がついただけだ。

二階建て程も高さがある砂ミミズが、怒って尾を払う。

払った尾に横薙ぎに打ち付けられて、もう一人の剣士が吹っ飛んだ。

吹っ飛ばされて倒れた剣士に、パックリと頭を開いた砂ミミズが上から覆い被さろうとする。

倒れた剣士が、喰われると思った時だった。


「マルク! 援護しろ!」

「隊長!」

隊長と呼ばれた三人目の剣士が、風のような速さで砂ミミズと倒れた剣士の間に滑り込んだ。

パックリ開いた口の端に、迷わず長剣の先を突き立てる。

「マルク!」

マルクと呼ばれた魔術士が、金色の指輪が着いた右手を払った。

彼の緑のフードを跳ね上げて、突風が剣士に向かって行く。

突風は、今にも砂ミミズの口の中に頭が呑まれそうな、剣士の持つ長剣に届いた。

「ハアァァーッ!」

剣士が叫びを上げて勢いよく剣を振り抜く。

彼の剣筋は風の刃と共に、巨大な砂ミミズの頭を横真っ二つに裂いた。

「「やった!」」

マルクと女剣士が声を揃えると、絶命した砂ミミズの体から、体内に溜め込んでいた膨大な量の砂が撒き散らされ、二人の剣士が砂にまみれた。



マルクと女剣士が駆け寄る。

「隊長! 大丈夫ですか!?」

砂にまみれた二人の剣士が、激しく咳き込みながら、無事だと手を振った。

吹っ飛ばされた方の剣士が立ち上がって、砂を払いながら言った。

「助かりました、隊長」

「ああ」

隊長と呼ばれた剣士が、砂まみれのフードとゴーグルを取った。



青味がかった黒髪が、砂漠の風に揺れる。

長身に、筋張った長い手足。

日に焼けた肌に付いた、幾つもの傷跡。

精悍な顔立ちには、澄んだ青空色の瞳。


21歳になったカウティスだった。




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