お忍びの誘い

土の季節の前期月も、終わりに近付く。

庭園の泉から見える大樹は常緑樹だが、今の時期は古い葉が舞い落ちる。

風の強い日には、泉の縁の下に積もった。




「収穫祭?」

「そうだ。毎年、城下で盛大にやっているだろう」

午後の休憩時間、カウティスは泉の縁に座って、淡い桃色の砂糖菓子を口に入れながら言った。

今日はこの後、午後の二の鐘から乗馬の練習らしく、黒い革のロングブーツを履いていたが、その足で泉の下に積もる葉を散らして遊んでいる。

「そういえば、もうすぐだな」

水の精霊が言う。


収穫祭は、土の季節の後期月に行われる。

その名の通り今年の収穫を祝う祭りで、太陽神と月光神、そして土の精霊に感謝を捧げる。

ネイクーン王国では、それに水の精霊も加える。

各地で様々な祭りが行われるが、城下の街で行われる祭りは、特に賑やかだ。

「今年は、お忍びで城下に行かせて欲しいと、父上にお願いしたのだ」

城下の祭りを一度見に行ったことはあるが、王と一緒に馬車で行ったので、パレードの状態になった。

そうではなくて、民の祭りを直に感じてみたい。



「王は許したのか?」

「まだ許しは頂けてない」

カウティスは隣に座る水の精霊を見る。

彼女はカウティスと目が合うと、薄く微笑む。


カウティスは、微笑みを返しながら思う。

彼の自室に現れたあの夜から、水の精霊は、あまり楽しそうに笑わなくなった気がする。

カウティスには、それが何故なのか分からないし、どう尋ねたら良いか分からなかった。


「それで……」

カウティスは、またブーツのつま先で、下に積もった葉を蹴った。

「もし父上に許して頂けたら、その時は、一緒に行かないか?」

水の精霊は頷く。

「分かった。そなたが城下に行く時、共に見ている」


水の精霊は俯瞰で国中を見る。

カウティスが収穫祭に向かう時は、城下を見るようにすればいい。


「そういうことではなく……」

カウティスはまた足で葉を散らしていたが、思い切ったように、水の精霊に正面から向き合った。

「この前の夜、グラスに現れただろう? あんな風にして、こっそり一緒に城下に行けないだろうか!?」

言い切ってしまってから、頬が熱くなった。

水の精霊は、驚いたように紫水晶の瞳を見開いた。

「やっぱり夜でないと無理か? でもセルフィーネと一緒に行ってみたくて」

早口で言うカウティスが、耳まで赤くなった。

水の精霊が、楽しそうに、ふふと笑う。

「また、赤くなった」

「言うな!」

カウティスが、頬をぱちんと両手で押さえる。


水の精霊は、カウティスが頬を押えているのを、暫く愛おしそうに見ていた。

「ガラスの小瓶と……それに入る小さな魔石がいる。そして魔石を一晩、月光に当てておいて欲しい」

水の精霊の言葉に、カウティスがゆっくりと手を下ろす。

彼女は目を細め、嬉しそうに笑って言った。

「私も一緒に行きたい」





王の執務室には、王と宰相マクロン、そしてクイード魔術師長とバルシャーク騎士団長がいる。



「ほう、それで、カウティス王子はお忍びで城下の祭りに行きたいと」

マクロンが口髭を撫でながら笑う。

「どなたかが子供の時分は、許可を取らずに勝手に城下に降りて暴れておりましたが、いやはや、カウティス王子はお行儀が良い」

マクロンは、懐かしものを見るように王を見る。

マクロンは、先代の時代から王城に務めている。

王の幼い頃を、よく知る者の一人だ。

王は目を眇める。

「年寄りはすぐ昔の話をしたがるな」

「話したくなる逸話が多いのですから、仕方ありませんな」

王は、苦虫を噛み潰したような顔になった。


二人の会話に笑いながら、報告書を手にしていたバルシャークが口を開く。

「それで、許可なさるのですか。城下の騎士からは、特に気になることは上がっておりませんが」

バルシャークが手にしているのは、城下に駐在している騎士から上がったものだ。

収穫祭と御迎祭の前には、人の出入りも多く、民が浮足立つ時期になるので、城下や国内の大きめの街には騎士が派遣される。

地元の自警団や、傭兵ギルドと連携して治安を守る。


「最近のカウティスは、エルノートの代わりを務めようと頑張りすぎだ」

侍従がお茶を運んで来ると、王がカップを手に取る。

「たまには城から離れるのも、良い気分転換になろう」

バルシャークもカップを受け取り、湯気が立つお茶を一息で飲み干して言う。

「護衛はどう致しますか? 近衛騎士から何名か選びましょうか」

「いや。お忍びで行こうというのに、騎士が何人も付いていては意味がなかろう」

子供の伴で、明らかに騎士の所作の者が囲っていては、王子だと言っているようなものだ。


「カウティスの護衛騎士を一人。後は……騎士団から女騎士を付けるか?」

王が一口お茶を飲んで、マクロンの方を見る。

マクロンは、熱くて飲めないお茶を冷ましている。

「万が一を考えれば、騎士二人より、騎士と魔術士の組み合わせが良いのでは?」

「クイード、どう思う?」


王に話を向けられた魔術師長は、侍従からカップを受け取るところだった。

ふむ、と暫く考える。

「……今年の収穫祭は、後期月3週4日でしたね」

顔にカップを近付けて香りを嗅ぐと、口を付けずに皿に戻す。

「私が休みの日です。陛下、私が付きましょう」

王もマクロンも驚いた顔をする。

「そなたが? 休みなのであろう」

「構いません。城下に降りる予定でしたし。魔術士館に、私以上に王子の護衛に適任な者もいないでしょう」

マクロンは、確かにと頷いている。

「決まりですね。では、私は仕事があるので戻ります」

クイードは立礼すると、扉に向かう。

途中で侍従にカップを返した。

「私はこの銘柄は飲まない」

受け取った侍従は、冷や汗をかきながら恐縮する。



扉を出る前に、バルシャークが声を掛けた。

「クイード。お主、最近魔石を買い漁っているとか。一体どんな魔術を行うつもりだ?」

バルシャークは手の中にある報告書を叩く。

駐在騎士の報告に、クイードが城下で魔石を買い集めていることが書かれてあるらしい。

魔石は魔力の塊。

多く買い求める者があれば、警戒される類いのものだ。


クイードはフンと鼻で笑う。

「ただの実験材料ですよ」

言って、扉から執務室を出て行った。

「偏屈な奴め」

バルシャークが、陽に焼けた顔を盛大に顰めた。


恐縮している侍従に、大事ないと、王が手を振る。

「だがクイードは、我が国の為によく尽くしてくれているぞ」

王が苦笑しながら言う。

クイードが魔術師長になってから、ネイクーン王国の魔術レベルは上がったし、彼の魔術陣の研究は、フルブレスカ魔法皇国の魔術士館から研修に来る程だった。

しかし、彼は魔術に関するもの以外には、殆ど興味を示さない。

「カウティス王子の護衛を買って出たのは、意外でありましたが」

マクロンが、ようやく飲める熱さになったお茶を飲んだ。




「ところで、最近カウティスと水の精霊はどうだ」

王がカップを置いて聞く。

「護衛騎士の報告では、早朝の稽古以外で、泉に日参するようなことはないようですが」

バルシャークが答える。

マクロンが、髭を撫でながら言う。

「現状を見守るだけで良いのですか?」

「仕方があるまい」

王は深くため息をついて、背もたれに身体を預けた。

「歯がゆいことだが、結局我ら人間は、精霊なるものの制御などは出来ぬのだから」

クイードの言うところの、水の精霊の“善意の奉仕”に任せるしかないのだ。





「ユリナ、この位のガラス瓶あるかな」

「ガラス瓶ですか? 香油を入れる物ならありますが」 

日の入りの鐘が鳴る頃。

今夜も、侍女のユリナに魔術ランプを用意してもらっていたカウティスが、手でポケットに入れられる位の大きさを示した。

「それが一本欲しいんだ。あと、その瓶に入る小さい魔石も」

「用意は出来ると思いますが、魔石など、何に使われるのですか?」

ユリナがカウティスに尋ねる。

カウティスは、答えられなくて目線を泳がせた。

ユリナは何かを察したのか、ニコリと笑った。

「明日にはご用意しますね」

カウティスはほっと息をつく。



ユリナが退室した後、カウティスはそっとバルコニーに出た。

土の季節の後期月が近付いて、朝晩の気温は随分涼しくなった。

月光は今日も美しく降り注いでいる。


『私も一緒に行きたい』


カウティスの誘いを、セルフィーネは嬉しそうに受け入れてくれた。

カウティスは、バルコニーで暫く月を見上げていた。




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