訓練場

光の季節、前期月も半ばになる頃。

王城の前庭に、何台も馬車が停まっていた。

今日、フレイア第一王女とエルノート第一王子が、フルブレスカ魔法皇国へ出発する。




全ての準備を終え、後は王子と王女が乗り込むだけだ。

王と王妃が二人と挨拶をかわし、側妃が続けて挨拶した。


カウティスとセイジェも前に進み出る。

「手紙を書きます、兄上、姉上」

二人がほぼ一年間帰ってこないのだと思うと、急に寂しくなった。

表情に出てしまったのか、正装をしたエルノートがカウティスの頭に手を置いた。

「私も書くよ。父上と母上のことを頼む」

エルノートがチラリと王の方を見て笑う。

「父上は、時々話し相手になって差し上げないと、寂しいと仰るから」

「そんな幼子のようなことを言った覚えはないぞ」

王が口をへの字に歪めて、腰に手をやる。

隣でエレイシア王妃が口元を押さえて笑っている。

カウティスも笑う。


「カウティス、母上をよろしくね」

こちらも正装の、フレイアが言った。

「はい、姉上。お二人共、どうかお身体に気を付けて」

エルノートとフレイアは、セイジェにも声を掛けた。

セイジェは、ひと月程フレイアと一緒に過ごして、少し打ち解けていたようで、隠れずに挨拶を交わせた。


二人が馬車に乗り込み、出発する。

フレイアに続き、頼りにしている兄が長く城を離れる事が、心細かった。

セイジェが、カウティスの手を握った。

見ると、カウティスを見上げて小さく笑う。

セイジェにとっては、自分が頼りになる兄なのだと気付いて、気を引き締める。


馬車と騎馬の列が、王城の門を出て行く。

カウティスはしっかり前を向いた。





光の季節が過ぎ、水の季節に入る。

王城に水の精霊が不在のまま、式典が行われた。

例年通り、王座の間にそうそうたる面子が揃い、ガラスの水盆に向かう。

水盆の水は盛り上がらなかったが、一度小さく波紋が広がった。




午後の二の鐘が鳴り、剣術の鍛練の時間。

その日、カウティスは訓練場で見習い騎士と、木剣を振っていた。


訓練場の入口付近がざわめいた。

カウティスがそちらの方を向くと、軽装の王が近衛騎士と共に入ってくるところだった。

カウティスに気付いて、笑顔で歩いてくる。


「父上!」

「今日も励んでいるようだな」

高い襟が邪魔だと言わんばかりに、ボタンを外して着崩しながら、カウティスの肩を叩く。

「どうなさったのですか?」

「時間が空いたので、久し振りに身体を動かしたくなってな」

王は右肩をグルグル回す。

「暫く剣を握っておらん。すっかり鈍ってしまった。せっかくだから、そなたと訓練に参加しよう」

恐縮する騎士見習い達を励ましながら、王はカウティスに並んで木剣を振った。



その後は、カウティスは若い騎士見習いと、型の確認をしつつ手合わせをする。

王は木剣を片手に、騎士達と手合わせをしていた。

カウティスの息が上がり、休憩して水を飲んでいる時も、王は何人目かの騎士と手合わせをしている。


いつの間にか側に、バルシャーク騎士団長が立っていた。

唸りながら、筋肉質な両腕を組む。

彼は王の手合わせを見て、日に焼けた顔で苦笑した。

「陛下は公務に煮詰まると、必ずここで剣を振るうのですよ。……しかし、少々鈍っておられるな」

バルシャークは木剣を持つ。

「陛下、ここは私と心ゆくまで打ち合いましょうぞ!」

「阿呆。そなたと打ち合うと、身体がいくつあっても足りんわ。終いだ、終い」

木剣を持って近付くバルシャークにウンザリ顔の王は、手合わせを終了した。

木剣を侍従に渡し、ベンチにドカッと腰を下ろすと、大きく息を吐いた。



王は手招きし、カウティスを隣に座らせる。

息子の青味がかった黒髪を、大きな手で撫でた。

「カウティス、そなた剣術を習い始めてから一年ほどで、かなり上達したな」

「ありがとうございます。……実は、勉学より、こちらの方が性に合っています」

叱られるだろうかと、上目遣いに王を見るカウティスに、王は大きく口を開けて笑う。

「私もそうであった」

「本当ですか?」

カウティスは目を見開く。

王はカウティスに顔を近付けて、小声で言った。

「実は、今でも、王座に座るより剣を振っていたい」

カウティスは更に目を見開いて、父王を見る。

ウォッホン! と、側にいたバルシャークが大きく咳払いをした。

王とカウティスは笑い合う。



気持ちの良い風が、訓練場を抜けていく。

暫く何か考えていたカウティスが、王に向かって聞いた。

「父上、あの、今何か難しい問題が起きているのですか?」

「うん?」

王が楽しそうな表情のまま、首を傾げる。

「騎士団長が、父上は公務で煮詰まるとここにいらっしゃると……」

余計なことをと言いたげに、王はバルシャークを睨めつける。

バルシャークは知らん顔だ。

「もしかして、南部の事でしょうか」

カウティスの言葉に、王は僅かに目を細めた。

さり気なく片手を振って、周囲の人を下げる。


「南部の事、とは、何のことだ?」

「年の終わり頃、エスクト砂漠の地下水源が危ういと聞きました」

カウティスは、真剣な目で王を見る。

王は表情を変えない。

「どこでそれを聞いた、カウティス」

「……水の精霊から、南部に向かう前に聞きました。父上には告げた後だと……」

王の表情は変わらなかったが、どことなく雰囲気が変わったことに、聞いては不味いことだったのだろうかと血の気が引く。


王は小さく息を吐いた。

「それは一般には公開していない情報だ。隠しておく訳ではないが、無闇に広める必要はないのでな。南部は心配ない。他に何か聞いたか?」

「火の季節までには戻ると」

カウティスが王と、人払いされた周囲を見た。

「……申し訳ありません」

王は、俯いたカウティスの頭を撫でる。

「水の精霊は、そなたのことを余程気に入っているのだな。私には帰城の予定を告げていかなかったぞ」

カウティスが顔を上げると、王は器用に片眉を上げてみせた。

カウティスは小さく笑う。




そろそろお戻りを、と侍従に言われ、しぶしぶ王が立ち上がる。

「水の精霊は大丈夫でしょうか…」

「カウティス、あの者は精霊だぞ」

王は肩をすくめる。

「一年に一、二度は、国中あちらこちらの水源に留まっている。珍しい事でもない」

去年、カウティスが剣術に没頭していた頃にも、辺境の水源に留まっていたらしい。

初めて知った事だった。


王が歩き出すと、後ろでカウティスの小さな呟きが聞こえた。

「無理をしていないといいが……」

その声を聞いて、王は内心眉根を寄せた。

カウティスの心配は、“明日、雨が降らないだろうか”という類いの心配ではない。

自分にとって、大事な人の身を案ずる類いのものだ。



御迎祭で、フレイアと交わした会話が思い出される。


『精霊の“情”ではないかと』

『“情”だと?』

『はい。加護持ちの人間は、精霊に気に入られて生まれるとか。……水の精霊は、カウティスにとても関心を持っています』

『それは特別に、ということか』

『はい。そして、おそらくカウティスも』

『あれだけ見目麗しく、不思議な者に心惹かれるのは当然であろうな』

『……そういうことではなく、その、男女のそれに似た……』



王は思わず口に手をやる。

「精霊は、全く次元の違うだぞ…」

呟いた声は、片付けを始めたカウティスには届かなかったようだった。

言いたいことは多くあったが、混乱して言葉が出ない。

近衛騎士と侍従が近付いたので、深呼吸して手を下ろす。



カウティスはまだ7歳だ。

子供が美しい者に惹かれ、憧れているだけ。

大人へと成長する内に、周りを見るようになる。

数年すれば、国を離れて皇国へ行き、同年代の友人達と過ごすのだ。

そして、王族として釣り合いの取れた相手と、縁付くことになる。



襟元を正し、侍従から上着を掛けられると、王は公務に戻って行った。








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