早朝鍛練

あれからカウティスは、また毎日のように庭園に来るようになった。

勉学の合間の休憩の他に、剣術の早朝練習でもやって来る。



 

カウティスは、日の出の鐘が鳴る前に訓練場で準備運動をして、走り込みをこなすと、そのまま木剣を持って庭園まで走って来る。

そして泉に向かって必ず声を掛けた。

「水の精霊、いるか?」


カウティスに呼ばれて、水の精霊が泉に姿を現したのを確認すると、そのまま庭園で素振りと型の練習をする。

護衛騎士のエルドは、黙って花壇の側に控えていた。



「ここでしないで欲しいと言ったはずだが…」

水の精霊が首を横に振りながら言う。

「手合わせしないで欲しいとは言われたが、訓練しないで欲しいとは言われてない」

やや口を尖らせてカウティスは言う。

屁理屈にも思える。

だが、手合わせの時のように庭園の美しい花々を散らさないよう、立ち位置も考えているようだ。

白い石畳も汚さないように、無駄のない最小限の動きで練習を繰り返している。


「毎回、私を呼ぶ必要はなかろうに」

「オレの勝手だろう。興味がないなら、呼ばれても来なければいい」

そう言って、カウティスは真剣に木剣を振るう。



水の精霊はふと、毎日単調なことを繰り返すのは、子供には苦痛なのではないかと思った。

型をなぞって動いているカウティスに向かって言う。

「毎日同じ事をくり返して、楽しいのか?」


「楽しい!」

カウティスは即答する。


「こうして剣を振るっても、数日前よりも早く振れるんだ。型をなぞっても、こうすればもっと早く動けるかもとか、この動きはこんな意味があるんだとか、毎日発見があるぞ」

カウティスは頬を上気させ、青空色の瞳をキラキラと輝かせる。

本当に楽しんでいる様子だ。

それならば良い。


型を終えて木剣を下ろし、腕で額の汗を拭うと、カウティスは水の精霊に向き直った。

「それに、毎日同じ事をくり返しているのは、そなたも同じだろう?」

「私が?」

水の精霊は軽く首を傾げた。

確かに、カウティスに呼び出されて、毎日同じ練習を見学してはいるが。


「そなたは毎日、水を与えてくれているではないか」

カウティスは何時になく真剣な声音で言った。

「それが私の役割だ」

水の精霊は感情の乗らない声で答える。


カウティスは、考えるように視線を少し落とす。

「……最近、勉学の種類に歴史の時間が増えた。この国の歴史……学び始めたばかりだが、知らなかったことばかりだ」

視線を落としたまま考えをまとめるように、カウティスは黙ってしばらく息を整えた。




「“昔むかし、ネイクーン王国は火の精霊が大暴れする国でした。草花は枯れ、大地は乾き、度々病魔が人々を襲いました。この地に暮らすことを人々が諦めかけたとき、憐れに思った月光神が水の精霊を遣わしたのです。”……この国に生まれた者なら、幼い頃から必ず読み聞かせられる昔話だ」


カウティスが視線を上げ、水の精霊を見つめる。

水の精霊はいつもと変わらず、細く長い水色の髪を揺らして、静かに佇んだままだ。

「昔話……、お伽話だと思っていた。でも違ったんだ。本当に過去にこの国であったことで、その“水の精霊”とは、そなたのことだ。……オレはちゃんと分かってなかったんだ」

下唇を軽く噛んだカウティスを、水の精霊は静かに見下ろす。


カウティスはまだ幼い。

国の歴史、世界の在り様、知らないこと、解らないことがあるのは当然だ。


悔しがる必要ないと言おうとすると、遮るようにカウティスが続ける。

「そなたは毎日、同じようにこの国を潤し、国中の民が乾くことがないよう見守ってくれているのだろう?」

「それが私の役割だ」

水の精霊は同じように、静かに答える。

カウティスは首を横に振った。

「そうだとしても、そなたは何百年間も、毎日同じことをくり返して、この国を守っているのだ。オレは知らなかった。キレイな水を飲めるのも使えるのも、ずっとずっと当たり前だと思っていたんだ」


突然、カウティスは手に持っていた木剣を足元に置いて、片膝をつく。

「オレは……私はまだ、国の式典には参加できないが」

そしてスッと背筋を伸ばすと、一度水の精霊の瞳を見つめ、静かに頭を下げる。

水の精霊は目を見開く。


「水は、命だ。この国の命を守り続けているそなたに、私は感謝する」


カウティスの姿は、幼いながらも王族らしく堂々としていた。

花壇の側に控えていた護衛騎士のエルドが、膝を付いた主に軽く目を見張った後、同じように跪いて泉に向かって頭を下げた。





外はまだ日の出前で、辺りは小さな噴水の水音しか聞こえなかった。

ただカウティスの声だけが、水の精霊に染みるように響いた。


カウティスが木剣を手に取り立ち上がる。

そして、少し照れたように、子供らしくくしゃりと笑った。

「ありがとう、水の精霊」

水の精霊は、いつも礼を述べられた時に言うように、あらためて礼は必要ないと言うつもりだった。

しかし何故か、言葉に出来なかった。


紫水晶の瞳が微かに揺れる。




カウティスが、もう一度型を始めからなぞろうと木剣を構えた。


「……セルフィーネ」


水の精霊がようやく声に出せた言葉は、消え入りそうに小さなものだった。

「え?」

構えた木剣を少し下ろして、カウティスが水の精霊に向き直る。

「……私の名は、セルフィーネだ」

カウティスが数回瞬いて、パッと顔を輝かせた。

「そうか! そなたにも名前があったのだな」

水の精霊は黙ってカウティスを見つめる。

「セルフィーネ。今日から、そなたのことは名前で呼ぶぞ」

満面の笑みでそう言って、カウティスは再び型をなぞりはじめた。





水の精霊の細い髪が、サラサラと揺れる。

二百数十年前、当時の王にこの名を与えられた時は、なんの感慨もなかった。

その後のいざこざで、誰も呼ばなくなったこの名を、何故カウティスに教える気になったのか…。


日の出の鐘が鳴り、太陽の光が庭園に差し込む。

木剣を振るうカウティスの汗が、朝日の光で輝くのを、水の精霊は静かに見つめている。


泉の水が、小さく波紋を描いていた。


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