第二王子の休憩

水の精霊との出会いからほぼ毎日、カウティスはこの小さな泉に来ていた。

勉学の合間の休憩だとやって来ては、いつも半刻ほど他愛ない話をしていく。

まだ6歳の彼には、勉学の時間ばかりでは息苦しいのだろう。



今日もカウティスは同じ時間に泉にやって来た。

その手には、オレンジ色のジャムが挟んである焼き菓子が、ひとつ握られている。


カウティスがここに来る時には、いつも何やらおやつを持参してくる。

ナプキンに数枚のクッキーを包んで来ることもあれば、温室の果実をもいできて、そのまま丸かじりしていることもある。


カウティスがやって来ては呼ぶので、水の精霊はその度に泉に姿を現して、彼の話に付き合っていた。

あれから護衛騎士は、王子に撒かれていないらしく、付いては来るが泉の周りの石畳には入らず、花壇の端に黙って控えている。




泉の縁に腰掛けて足をブラブラと揺らしながら、カウティスは焼き菓子を一口かじる。

「そなたはいつも、ここにいるわけではないのだろう? では、いつもはどこにいるのだ?」

水の精霊は、いつもどおり涼しげに直立不動である。

「精霊は実体があるわけではないから、水があるところになら、何処にでもいるとも言える」

「?? どこにでもいるのか?」

カウティスは困惑した顔を向ける。


「精霊は個というものがないので、世界のどこにでもある。私は水の精霊たる一部を、この国に集められて契約を課せられたので、この国より外には出られないが…」

淡々と続ける水の精霊に、カウティスの困惑は更に増した。


理解できないと書いているようなカウティスの表情を見て、水の精霊は一度口を閉じた。

「……私の核といえるものは、そなたの父親が管理している。いつもはそこにいる、と言える」


カウティスの父親はつまり、この国の王だ。

端的に説明したのが良かったのか、カウティスはパッと青空のような瞳を輝かせる。

「そうか、父上がこの国の水源を管理されているのだものな」

その顔は誇らしげだ。

「父上は国民から慕われる、とても立派な王なのだ。兄上もオレも、父上のような立派な大人になって、この国を守っていこうと話しているのだ」

「エルノート第一王子か」


エルノートはカウティスの5歳年上の11歳。

金に近い銅色の髪と薄青の瞳をした、文武に秀でた少年だ。

その整った顔立ちと優しい人柄で、国民からの人気も高く、次代の王として早くも期待されている。


「オレは将来、王となった兄上の助けになりたいのだ」

カウティスは菓子を持っていない方の手を握る。

「セイジェはまだ小さいが、もう少し大きくなったら、二人で兄上を支えようと話すつもりだ」


セイジェはカウティスの弟、第三王子だ。

「セイジェ第三王子は4歳。幼さで言えば、そなたと大して変わらないのでは」

彼女の言葉に、カウティスは唇を尖らせた。

「オレはもう立派な6歳だ。王族としての勉学も始めているし、遊んでばかりいる幼子とは違うのだぞ!」

カウティスは心外だというように、鼻息荒く言う。

何をもってして“立派な6歳”なのか分からないが、午前の短い勉強の合間におやつを持って出てくるあたり、まだまだ幼い子どもではないだろうか。


「残念ながら、オレに魔術素質はないらしいから、騎士になって近衛騎士になるか。文官になって、宰相や補佐官になってもいい」

将来、立派な王となった兄の側に、何かしらの形で、自分が付き従う光景を想像しているのだろう。

高揚に頬を染めて、カウティスは残りの菓子を口に放った。




「文官はどうか分からないが、騎士は無理ではないか?」

「……え?」

突然の否定に、カウティスはモグモグしていた口を止めて水の精霊を見やった。

水の精霊は、何の感情も乗せずに空を見つめ続ける。

「先日、棒の付いた飴を持ってここで転んだ時、そなたは手をつけなくて、鼻をぶつけていた」

水の精霊は、ツイと右手を上げてカウティスを見つめ、細い指で彼の鼻を指す。

「そんなお粗末な運動能力では、騎士は無理だろう」


しばらくポカンとしていたカウティスだったが、言葉の意味を理解して一気に顔に血が上った。

「なっ…!」

「まずは運動の基礎から習うと良い。騎士は無理でも、王族なら護身術程度は身に付けておくべきだろうから」

水の精霊は淡々と続ける。


口の中に残っていた菓子を何とか飲み下して、カウティスは口をパクパクと動かす。

何とか言いたかったが、言葉にならなかった。

耳まで真っ赤になったカウティスを見て、水の精霊は言った。

「菓子がのどに詰まったか?」

彼女が手の平を上に向けて小さく円を描くと、トプンと水の塊が、グラスに入ったような形で浮き上がる。

それを、カウティスの目の前までスイと運ぶ。

「この水は飲んでも大事ないぞ」


瞬間、カウティスはギュッと眉を寄せた。


身体の横で強く握りしめていた拳で、水の塊を勢い良く払った。

水の精霊は、僅かに目を見開く。

「……にするな…」

カウティスは上目遣いに彼女を睨み付けた。

「バカにするな!」

叫んでくるりと踵を返す。



「王子、どうしましたか?」

王子のただならぬ様子に、花壇の端に控えていた護衛騎士のエルドが駆け寄った。

しかしカウティスはそれに返事はせず、鼻息も荒く横を通り抜けて行く。

エルドは泉に向かって軽く一礼すると、カウティスの後を追い掛けて行った。



恥ずかしさと悔しさで、涙が滲みそうになるのを堪えて、カウティスは早足に小道を抜ける。

庭園の外で待機していた侍女や侍従が、何事かと声を掛けた。

だが、それも振り切ってカウティスは歩き続けた。





水の精霊は、彼らが消えた小道を眺める。

のどに詰めたのでは苦しかろうと、水を差し出した。

しかし、王族に泉の水を差し出すのは、さすがに無礼だったのだろうか。


「清い水なのだが」

水の精霊は、カウティスが払って空中に飛び散ったままの水滴を、掌でくいっと集めて泉に落とした。




それから半年を過ぎても、カウティスは泉にやって来なかった。

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