⑫-1 4月15日(水)・満月の夜

 煌々と輝く満月が夜闇を照らす。冷たく湿った宵の風が、桜の花びらを攫いながら街を撫でた。

 そんな春の夜を、窓越しに眺める少女が居た。

 彼女が立つのは木世津高校内・東棟2階の廊下。照明が消えた暗い校内の中、薄闇に取り残された蝋燭のように立ち尽くし、特徴的な赤毛を揺らしながら窓の外を眺めている。


「……」


 彼女の名は春咲はるさく朱里あかり。超能力者。無言で何かを待つようなその姿、夜闇が影を作った表情からは、彼女が何を考えているか伺い知ることは出来ない。


 ジジ、と事切れた蛍光灯が小さく啼いた。窓が夜風を受けカタカタと震える。

 しんとした静寂が、普段なら聞き逃すだろう物音を鮮明に浮かび上がらせる。


 予兆はなかった。


「……一応、訊いておくけど」


 朱里の声が静寂を破り廊下に響く。

 廊下の先、深淵を思わせる暗闇の一歩手前に……まるで影から滲み出てきたみたいに、音もなく襲撃者は立っていた。


 獣の耳と眼光。露出の多い派手な服。身の丈を超えるほどの漆黒の大剣——魔剣ダーンスレイヴを持った魔剣士の女、藍華アイカ・ヴァレンタイン。

 そんな異貌の人狼に、朱里は問いかける。


「私を最初の獲物に選んだ理由は?」


 その問いに、藍華は顎に指を当てながら、相変わらずの軽い調子で答える。


「ん~? 窓の外から見えたから、それだけ。あと……」


 その休み時間の教室に居そうな気安い表情が、仕草が。

 月光に照らされ爛々と輝く黄色い瞳に、狂気に、一瞬で塗り替えられた。


「今夜はキミが最初じゃないよぉ? 赤毛の子羊ちゃん」


 ぽたり。廊下に血が滴る。

 藍華の握った魔剣、その刀身にはまだ乾いていない血がべっとりと付いていた。


「異端審問官っていうの? なんか来る前に絡まれちゃってさぁ~……かよわぁい女1人相手に男数人で囲んできたから、ムカついてすぐっちゃった☆ おかげで今ウチは、可愛い女子のお肉をゆぅっくり裂きたい気分なんだァ」


 ざわざわと揺れる狼の如き髪、血走る目、牙の覗く口からこぼれる熱い吐息と唾液。その肌の下にあるのは人ならざる獣の殺意、捕食者としての余裕と強者の証明への愉悦だろう。

 そんな魔剣士に、人のカタチをした獣に喉元を狙われつつも、朱里は特に叫びも怯えもしなかった。

 彼女は小さく、


「あっそ。まあいいわ」


 そう呟いて……ただ、周囲の空気が変わっていく。

 ぱきり、塩化ビニルの廊下床に罅が入る。バキリ、と蛍光灯が割れる。窓ガラスが結露し内側に水滴が現れ、その水滴が早回しのように消えていく。

 春咲朱里の周囲が、急激に乾燥・高熱化しだしていた。陽炎を作り出し空気を揺らす「怒り」の中で、朱里は赤毛をはためかせながら敵を見据える。


 紅蓮の化身に正面から睨まれ、さしもの魔剣士も表情から緩みを消した。その笑みは飛び掛かるため身をかがめた猛獣の笑みへと変ずる。

 表情に合わせるように藍華は重心を下げ、剣を後ろに構えて突撃態勢を取る。やはりそれは四足の獣のようで。


「ねぇー、斬ってイイ? 断面可愛がってアゲルからさァ!!」


 そんな相手に対し、超能力者は感情を高ぶらせ、瞳に映る的への「怒り」を爆発させた。


「ぶっコロしてやるわクソ女ッ!!」


 斬撃と炎撃が、音と光を持って静謐な夜を盛大に引き裂く――まさにその瞬間。



 窓の外。


「――は?」


 月光を遮るその影を、朱里も藍華も目の当たりにした。

 彼がやろうとしていることはすぐわかった。手を支点に、足をハンマーに、振り子の要領で窓ガラスをぶち破ろうとしている。

 そんな蛮行を働く、彼の、名は。


「四季、巡!!?」


 ——ガシャァン!! とガラスの割れる音と共に、彼は廊下に飛び込んできた。

 砕けたガラスが月光を反射し、光の雨のように輝く中……四季巡は盛大に着地。床と靴を擦らせながらもなんとかバランスを取り、転倒せずに廊下の真ん中、2人の異能者の間にて停止する。


 そうして上体を起こした彼は――自分の両側に居る少女2人の顔を首を振って何度も確認しながら、こう言った。


「ギリギリセーフか!?」


 ……は? という顔で停止する異能者2人。そんな彼女らの姿を見て、そして春咲に怪我らしきものが確認できないと分かると巡は、


「セーフだな!? 死んでないな! ……よし間に合った、良かったぁ~」


 などとのたまい額の汗を拭いた。

 ただ全然良くないのが他2名である。そしてこの場で先に口火を切ったのは彼との縁が深い方である赤毛の少女。


「良くないわよ何も! ここ2階よ!? なんで窓から登場してんのよアンタ!」


 そう朱里がツッコむと、巡は気の抜けた顔で答える。


「え、いや、春咲が2階の窓に見えて、居てもたってもいられなくなって……そこからはほら、なんていうか……勢い?」

「何の理由にもなってないわよ! ていうか……ッ」


 そこで朱里は、巡と最後に顔を合わせたときのことを思い出した。

 「死んでほしくない」と縋る巡に、「何も知らないくせに」と突っぱねた朱里。あの時、確かに2人の道は分かたれたハズだ。


「もう話はついてたでしょ。 いったい何しに来たのよアンタはっ」


 そう突き放すように問う朱里に――巡は表情を大きく変えることなく、けろりとした顔で答えた。


「喧嘩」


 喧嘩。けんか、ケンカ? 人と人が争う事けんか???

 言葉が何度も朱里の脳内で反響して、その上で彼女の口から零れたのはやはり、


「はぁ?」


 という困惑の言葉だった。

 何を言ってるのか本当に分からないと表情で語る朱里に、巡は真剣な顔で続ける。


「俺、納得してねえんだよあの日の事。だいたいさ、おまえらの方が俺に近づいてきたのに、俺から手を伸ばすのがダメなんておかしいだろ。それにあんな雑な論破1回で『幼馴染』見殺しにしろとか、そんなの納得できるわけない」


 もはやどこからツッコめばいいのか分からず、口をはくはくと動かすだけ朱里は、巡の瞳が力強い光を湛えていることに気が付いた。

 ――本気だった。

 その目は今まで見た巡と比べて最も真剣で。「ふざけてる」と思って向き合ってしまった朱里の方が気圧される。

 そうしてそんな朱里の目の前で、巡はぱしんと拳を包む。


。どうせ傷つけあったならさ、お互いが納得するまでトコトンぶつかった方がいいだろ。俺はおまえと、おまえらと喧嘩しに来たんだ」


 もはや3日前とは別人のその姿、その表情、その発言。

 何かが吹っ切れたような巡にはしかし、どうしても朱里が口を出したくなってしまう部分があった。それは、


「~ッ、百歩譲ってそれは良いとしても! アンタ、ちょっとは時と場合ってもんを」

「そうだねぇ。時と場合、考えて弁えて欲しいよね~、メグルっちィ」


 ギャリン! と何かを引っ掻くような音が、巡の背中側から響いた。続けてガラスの割れる音。藍華が魔剣で教室側の壁と窓ガラスを斬りつけたのだ。

 八つ当たりとも取れる行動をしながら、藍華は振り向いた巡を睨む。


「部外者のクセしていきなり割りこんでキてさぁ――」


 巨大な肉食獣のあぎとに迫られるような、恐ろしい殺気が巡を襲う。それは威嚇目的ではあるものの、危険な異能者による全力の敵意。


「——間違えてブッタ斬られちゃってもシラナイよぉ?」


 朱里ですら決死の覚悟をしない限り立ち向かえないその威嚇に――巡は泣くのか、逃げるのか、果たして。


「俺タイミング悪かった!? ならそれはごめんねヴァレンタイン何某!」


 ……元気に謝った。場の空気が完全に白けていた。


「……藍華。忘れるなんてヒドイなぁ~」

「それもごめん! 苗字のインパクトが強すぎて! ……でも部外者じゃねえっすよ、俺はあんたとも喧嘩しにきたんだから」

「んー? どゆ意味?」


 片や鉄をも斬る魔剣の使い手。片や友達いない歴=年齢の16歳。勝負になるハズも無い2人の間には、なぜか会話が成立してしまっていた。


「あのあれ、人の知り合い斬ろうとするとかマジありえんから! とりあえずはそれを分かってもらおうか! ……あ、あとよく見たらその、とんでもない格好してるな(小声)……あー、その、目のやり場に困るからちゃんとした服着ろくださいっ」


 ただ威勢よく言い出したはいいものの、途中から赤面し顔を背け小声になる巡くん(思春期)に若干呆れる朱里。

 そんな巡のセリフの後半はスルーして、藍華は本気で謎であると考えこみ……そしてひとつの結論に達した。


「あーそっか。メグルっち重要人物だもんねぇ」


 合点がいったとばかりに手を叩く。

 彼女が分からなかったのは、なぜ巡が強気な態度を取れるのか。


「もしかしてキミ、『殺されはしない』ってタカくくってるなぁ?」


 スゥ、と獣の目が細められる。巡の表情は変わらない、が、それが強がりだという事は頬を流れる冷や汗が証明していた。

 冷たい声は続く。


「あんましナメてっとさぁ、腕の1本くらいは貰っちゃうよぉ?」


 それは本気の目だった。本気の敵意で、本気の構えだった。

 だが。


か。死なないってんなら引く気ねえぞ、俺」

「なっ、バカ! アイツ本気よ!?」

「俺も本気だ」


 四季巡は冷や汗を一筋流しながらも動じない。

 それを見た藍華は、牙を剥き出して笑った。


「そっかそっか。ならぁ――」


 そうして、彼女は藍色の獣となる。

 刹那の間に、床が罅割れるほどの脚力で天井スレスレまで飛び上がった、否、飛び掛かった藍華は。


「死なない程度に」


 空中で一回転すると、巡のを狙い、床ごと抉るような軌道で横薙ぎに漆黒の魔剣を振るう。


ブッタ  っ ち ゃ お ——」


 ――その時。確かに藍華は見た。

 四季巡の瞳、眼鏡のフレームの外のそれが、まっすぐに自分を睨むのを。

 そして。


 ズバン!! と黒い斬撃が廊下を通り抜けた。

 衝撃波で窓ガラスが蛍光灯が割れ、壁が抉られ床が削られ、血が飛び散る。死神の鎌の具現ともいえるだろう恐るべき一撃が世界を蹂躙する。

 その衝撃に、起こったであろう惨状に、思わず目を閉じてしまっていた朱里が見たのは。


「……」


 後ろに下がり四足と見まがうほど重心を下げ、警戒した様子で魔剣を構える魔剣士アイカと。


「ふぅ、あっぶねぇ……アレがヒュンってなったぜ……」


 三日月状の斬撃痕のギリギリ後ろに立って足の安否を確認している、無傷の四季巡だった。

 飛び散った血は、どうやら先んじて魔剣についていた返り血だけらしい。


「外した……?」


 朱里は思わずそう呟く。それ以外の可能性など無いのだから。

 しかしそれを否定するように、藍華は巡に問いかけた。


「……メグルっち。キミ、にゃあ?」


 「見えている」。何を。斬撃を? だとしたらまるで、四季巡が自分を容易く斬ったあの神速の斬撃を見切ってるみたいじゃないか。今目の前で放たれた一撃も、私にはほとんど見えなかったのに。そう朱里が困惑する中、巡は口を開き。


「!? み、見てません『黒』なんか! 断じて!!」


 は?

 意味が分からない朱里の視線の先で……下半身を、特に股辺りを手で隠すようにした藍華が、巡をゴミを見る目で見ていた。


「……最低。引くわー」

「だっばっ見たんじゃなくて見えたんだもん! 不可抗力だもん!! てーかそんなのより魔剣振って器物損壊傷害未遂殺人未遂のがよっぽど重罪だから! これで俺が責められるのは男女差別だから!!」


 ……とことん真面目な空気にならないなコイツが居ると、と騒ぎ立てるラッキースケベ少年・巡を見て朱里は思った。

 そんな巡は言いたいこと言って落ち着いたのか、バツが悪そうに頭を掻く。そして質問の本来の趣旨に答えた。


「……まー見えてるのは否定しねえっすよ。動きの方はな」


 驚き、「ウソでしょ」という言葉を飲み込む朱里。ありえないと思っているのは彼女だけではない。


「おっかしいなぁ。確かに全力で振った訳じゃないけどさぁ、それでもマッハとかだよぉ? 私の剣。そんな簡単に見切られると困っちゃうんだケド」

「ま、昔から目だけは良かったもんで」


 そう。四季巡には見えていた。

 朱里は思い出す。それは朱里との出会いの時。角から飛び出して来た転校生を、彼は見切って躱そうとしていた。それに念力で動く消しゴムにも素早い反応を見せた。


「(そういえばアイツ、やけに反応速度が良かった気が――!)」


 朱里の中で点と点が繋がるようだった。

 そして彼女が知らぬところでは。秋月コノエと藍華の戦闘を横で見ていた時。彼は誰がどこを狙っているかまで正確に見切っていた。動けなかったのは単純に怯えていたから。だが今は、強固な覚悟がそれを抑えている。


 唖然とする2人の異能者の前で、巡はゆっくりと語り始めた。


「……あれは小学生1年生のときだったかな」


 その言葉に朱里は息を呑む。

 まさか、異能に関する何かとの接触。もしくは四季進から託された「宝」の影響。目に埋め込む先進遺産オーパーツか、人間を強化する秘薬か、それとも常軌を逸した修行か。

 もしや「宝」の情報かと、異能者たちはごくりと唾を飲み込み続きを待つ。

 そんな空気に気付かず巡は語った。


「俺、ちょっとした観察眼みたいなのがあってさ。当時は自覚なかったけど。そんで人が嘘ついたりしたら、なんとなく分かったんだよね。目の動きとか癖とかで」


 ほう。それで?


「そんで日ごろから他人の嘘とか見栄とかに『なんで嘘つくの?』って言いまくっててさぁ……今思えばなんでそんなことしてたか分からないんだけど、とにかく嫌われてた。そん時は気付いてなかったけど。最終的に担任の先生の『私は夫一筋で浮気なんかしてない』って発言に反応しちゃってさ」


 ……なんか話の風向きがおかしくないか? これ何? すべらない話?


「まあ当然、『俺が嘘ついてる』ってことにした方が皆都合がよくなったんだろうな。それ以来俺は『他人を嘘つき呼ばわりするヤバい奴』という意味を込めて『嘘ツキング』と呼ばれ、クラスでは空気のように扱われた。そうして俺は齢6にして社会の不条理さと、人には言ってはいけないことがあることを学んだのだ」


 ……。

 え? 終わり?


 沈黙の中、巡はゆっくりと続ける。


「……つまり、それだけ観察眼には自信が……グス」

「泣きそうになるくらいなら止めろよ! てかその話、動体視力関係無くない!?」


 朱里がツッコむも、別に笑いとかは生まれなかった。当然。

 ひゅう~、と風が通り抜けた気がした。期待外れどころではない、なんだこの自慢と自虐が混ざった鬱陶しい自分語りは。すべらない話だとしても余裕ですべってるし。

 そんなクソ話に時間を無駄にされた藍華は真顔で問う。


「……で? 結局何が言いたいのメグルっちは」


 多少声が苛ついているのは気のせいではないだろう。

 そんな彼女に怯むことなく、巡は眼鏡に手をかけた。


「俺の眼鏡は、それ以来つけてるって事」


 そうだ。巡は朱里たちの嘘を見抜いていた訳ではない。それでは彼の話と矛盾している。だが、その小学生の過去と今の彼の違いが「眼鏡」なのだとすれば、それはつまり。


「——まさか、視力を強化してるんじゃなくて、その逆……眼鏡で本来の能力を抑えていたってこと……っ!?」


 朱里の言葉に、巡は無言の肯定を返した。

 そうして彼は眼鏡を外す。彼の言う「観察眼」を持つ裸眼が晒される。

 その黒い瞳は、全てを見透かすように敵を見据えた。


「『意外と見える』って分かったからな。次も躱すぜ。だから俺と話を――」


 ざわ、と。全身の毛が逆立つ。


「メグルっさァ」


 藍華の声に、不気味な獣の呼気が混じる。伸びた牙が、増した狂気が、正確な発音の邪魔をしている。


ウチをナメてるよねぇ」


 その魔剣を握る手、露出した足にまで異変は起こっていた。指の先から手首足首辺りまで、髪と同じ色の毛が生える。爪が伸び、鋭い刃物のように尖る。


「——人狼の、力かっ」


 驚く巡たちの前で、黄色を通り越し真っ赤に染まった瞳で藍華は嗤う。


「ムカつイタからさぁ、こっカラは殺す気で斬るねぇ。キミの四肢のどれかが無くナルまで。首が飛んでも文句言わいでよ」


 そういって構えられた魔剣は、向けられた漆黒の切っ先は、先ほどとは比べ物にならない剣気を放っていた。その前に立たされた者は「おまえを斬る」という意思を、それを為す力を、否応なしにその身に感じさせられる。


 思わず喉を鳴らせた巡は……それでも、下がらない。


「……やるしかねぇな」

「ちょっと!!」


 思わず止めようと声を上げた朱里。だが彼女の続く言葉は、振り返らないままの巡の手によって制された。


「俺狙い継続ってことは、喧嘩してくれるってコトだろ。モテない俺からしたら願ったりだぜ。ま、何発か躱したらなんとか話し合いに持ち込むさ」


 その声は僅かに震えていた。初めて味わう死地の中で、冷や汗は流れ足は震え心臓は暴れる。だがその全てを気持ちの力でねじ伏せて、四季巡はしかと睨んだ超常に挑む。


「よっしゃ、覚悟は決まった! バッチ来いだ魔剣ギャル!!」

「断面並べて土下座せてアゲルよぉッ!!」


 漆黒の刃が、獣の唸り声と共に振るわれた。


 ◆


 冬野理沙、夏目優乃、秋月コノエ。

 彼女たちはそれぞれ別の場所から、ある一点に向けて走っていた。


「巡先輩!」


 コノエはパルクールで街を駆け。


「まったく、何が起きてるんですかっ」


 優乃は二階下を目指して廊下を走り。


「作戦再検討……完了。急行します」


 理沙は収納多脚を展開して屋上から降りる。


 数分前まで、彼女たちは魔剣士の襲撃に備えて待機していた。その時の暗黙の了解という名の共通認識は2つ。

 1。それぞれ距離を取って積極的には交戦しない。

 2。自分以外が魔剣士と戦闘になった場合、魔剣士とその人物どちらかが弱ったと判断したら乱入。弱った方にトドメを刺して消耗したもう片方に挑む。その後は1人勝ち抜けの乱戦バトルロイヤル

 ゆえにそれぞれお互いを監視しながら、来たる襲撃者もしくは総取りのチャンスを狙っていたのだが……その監視先、不運にも最初のターゲットにされた朱里の周囲で異常事態が起きた。四季巡の乱入だ。

 最悪の場合、四季巡が殺害され「宝」の情報は永遠に闇の中。そうなる前に何か対処をしなければならない。

 そうして、ほぼ同時に件の場所——東棟2階廊下に到着した彼女らが見たものは。



「——グルゥアァッ!! なんで、なんで当たらないッ!!?」


 2年A組の教室の中。獣の形相で魔剣を振り回す、小型の黒い嵐とでも呼ぶべき人狼アイカと。


「うお、危ね、死ぬぅ!! ちょ、そろそろ話し合いで解決を、うひゃぁ!!」


 その斬撃の嵐の中でなぜか生き残っている、四季巡ターゲットの姿だった。


 黒い颶風と踊るように、というと美化し過ぎではあるが――彼はときたま情けない声を上げつつも、音速を超えるハズの攻撃を躱し続けている。


「……こ、これは」


 困惑するコノエたち。そんな彼女たちの理解を待つことなど無く、目の前の光景は繰り広げられ続ける。


「フツーの速度しか無いのに! 体が特別なワケじゃないのにぃ! なんで斬れないの!? なんで!!?」


 椅子を吹き飛ばし、机を斬り壊しながら、大剣を振るい続ける藍華。その猛攻を、窓枠を蹴って躱し机を投げて逃げ隙間を転がって避ける巡は、必死で説得を試みようとする。


「あの、お話を――ひぃ!! ちょ、待、聞いてくれって! もう十分避けただろ、そろそろ俺のターン的な……ありませんよねぇチックショウ!!」


 床も壁も天井も巻き込む漆黒の斬撃を、爪の生えた腕による攻撃を、アスファルトを蹴り砕く蹴撃を紙一重で躱す巡はしかし、それで手一杯で反撃などは出来ないようだった。

 その様子を見て、この中で最も動体視力に優れるコノエだけが異常に気付いた。


 藍華が魔剣を鋭く突き出す、その直前。巡が大きく身を捻る。すると数瞬前まで巡が居た場所に、吸い込まれるように突きが放たれ空を貫いた。まるで藍華がわざと外したように。だが藍華の表情にそんな気配はない。

 その台本のある殺陣さながらの光景に既視感があったコノエは、呆然と呟く。


「あれはまさに、進様の――」


 するとその言葉を聞いた朱里がコノエに詰め寄った。


「アンタ、審問官!? まあいいわ、なんか知ってるなら説明しなさい! なんでアイツはまだ生きてんのよ!」

「……巡先輩には、進様——お父上である『超常殺し』の才能が遺伝しているんだ」

「才能!?」

「静止視力、動体視力、分析力……総じて称すなら『観察眼』。それが才能の名」


 「超常殺し」。異能者という種に「天敵」と認められた1人の非異能者。彼を「超常殺し」の足らしめたのは腕力でも知力でも武器でもなく……その圧倒的な観察眼。


「相手の呼吸、脈拍、視線、重心、筋肉の動き、更には周囲の環境まで……一目見ただけで全てを把握し、数秒後に起こることすら『見る』視力。相手の嘘や戦術、果ては能力さえも瞬時に見抜き、初見でも既知のように対応する観察眼。『超常殺し』を最強足らしめたその力が、巡先輩に引き継がれている」


 「ラプラスの悪魔」という考え方がある。この世全ての力学的状態・力の情報を知ることが出来れば、空中のボールが地面に落ちることを言い当てるのと同じように、この世で起こる全ての未来を導き出せるという仮想概念だ。

 ならば、もしも対峙する人間の全てが分かったなら。肌の微細な振動を見ることで脈拍や筋肉の動きを把握し、腕や得物の長さから間合いを掴み、視線の動きや癖を見抜いて相手の思考を読めたなら……相手が放つ銃弾を躱すことも振るう白刃を取ることも容易となり。人はその時、戦いの全てを掌握することができるだろう。


「そんなの、殆ど異能みたいなものじゃない……!」


 その事実に戦慄する朱里の脳裏で、過去耳にはさんだ超常殺しについての噂が弾けた。



 ――「超常」。それは「常識を超越」するモノ。

 例えば、虚空より来たる紅蓮の炎がその好例だろう。可燃物も要らず着火の手間も無く、意思ひとつで齎される爆炎はいかなる防御も理解も許さない。

 そして勿論、身の丈を超える魔剣を音よりも早く振るう術もそうだ。その膂力の前では鉄の盾も意味を為さず、その敏捷の前では逃走も反撃も無意味。

 だが。

 それらの異能……余人が慄く超常現象も、の前ではたちまち体一つでねじ伏せられる「常識」へと堕とされる。

 その目は、才能は――この一年で行方不明となっていた「異能の天敵」は、今宵この場にて復活を果たした。


 その名、「超常殺しカウンター・アイ」。それが四季巡に宿った才能――異能の価値を揺るがす、人間の極致たる観察眼ちからである。



 戦慄する朱里の横で、優乃は落ちている眼鏡を拾った。そこから微かな魔力を感じたのだ。

 優乃が手に取って確認すると、それはいつも巡がかけていた洒落っ気のない黒眼鏡。その汚れの無いようなレンズを通した向こうの景色は、覗き込んだ瞬間ぐにゃりと歪む。その光景に、そして眼鏡から放たれた魔力に優乃は呟く。


「この眼鏡……ちょっとした魔道具ですね。かけるとレンズに『動く模様』が現れて視界を阻害する。これじゃ本を読むのも一苦労でしょう。よくこんなものをつけて問題なく日常生活を送れましたね……」

「分析、装着時の周囲の認識率75%減……この状態で私との対戦テレビゲームに勝ったなど、理解不能」

「……それが出来たから、アイツはまだ生きてんでしょ」


 そうして異能者たちと審問官は再び裸眼の巡と藍華の戦闘を見つめた。


「このぉ! 当たれッ、断面見せろぉ!!」

「ひぃぃ!! 今カスった、マジで死ぬコレ!」


 ……戦闘と呼ぶには一方的かもしれないが。


 と、ここで状況が動きを見せた。巡が限界に達したのだ。


「ちょ、わ、あーもうダメだこりゃ! よーし分かった、そっちがその気なら反撃するからな!! 女相手でも容赦しねーぞ、だって殺されかけてるからね!」


 我慢の限界、無抵抗の限界と言うやつだった。

 これ以上反撃しないのは危険だと判断した彼は、その観察眼により隙を見つけると、そこに渾身の一撃を叩き込む。


「おりゃあ!」


 気合の声と共に放たれたそれは……服を掴んで思いっきり引っ張るという、攻撃力ゼロの攻撃であった。

 当然、その程度で藍華の体勢が崩れるなんてことは無く。


「……死ねぇッ!」

「うおぉ!!?」


 与えたダメージから考えると手痛すぎる反撃を喰らいそうになり、巡は何とか身を投げ出して回避する。そしてまたしても果敢に攻め込んだ。

 今度は固く握った拳を突き出す。


「そりゃあ!」


 ぐき。


「ぐああ痛ぇ!?」


 素人の猫パンチだった。腹筋で止められて手首を捻り、逆にダメージを負っていた。

 攻撃するたびに逆にピンチになる巡の様子に、流石に外野から声が飛ぶ。


「何やってんのよバカ! そんな攻撃が効くわけないでしょ!?」

「んなこと言われたって!」

「巡先輩、武器は!?」

「持ってないよそんなもん!」


 巡は攻撃を諦めて避けるのに徹しながら、声を抑える余裕もなく叫ぶ。


「俺は、喧嘩したことないんだよ! 今日が初めてなんだ! なんせ喧嘩できるような友達居なかったからな!」


 彼が何を言いたいのか測りかねる4人。

 それでも巡は必死に続ける。


「だから攻撃の仕方なんか知らねえんだ! パンチも人生で初めて打った!」


 それは遠回しな敗北宣言なのか。4人がそう思いそうになったとき、「だから!」と巡は更に続けた。


「——だから助けてくれ!! 見てないでさ! 死なない程度の攻撃ヤツをぶつけて、俺を助けてくれよ!!」


 その言葉に。

 異能者たちは動けなかった。横に立つ互いを――今なお警戒を余儀なくされ、背中を晒さないようにしている他三人を横目で見合う。

 彼女らは敵対していて、殺し合っていて、今お互いを攻撃しないのは巡の目の前だから彼の好感度を下げれないためだ。それがなければ普通に敵で、憎むべき相手。体に染みついた敵意はそう簡単には剥がれない。

 朱里は一度決めたことを曲げられないプライドと警戒心のせいで。

 理沙は権限のない相手に頼みごとをされる経験の無さ故。

 優乃は他三人との戦闘を見据えた魔力消費を抑える行動方針から。

 そしてコノエは魔剣の嵐の只中に踏み込む、またが激しく動く標的を誤射なく狙う技術が無いがため。

 二の足を踏む異能者たちに、巡は魔剣を躱しながら語り掛け続ける。


「別に協力しなくていい! 仲良くなれとは言わない! でもさ、一瞬同じ方向を向くくらいはできるだろ!?」


 だが、火も銃弾も飛ばない。

 それに歯噛みした巡は……ふと思い出した。あの「間違い」を侵してしまった日の苦い思い出を。その中にあった、明らかに異能が絡んでいただろう記憶を。


 気付けば巡は叫んでいた。あの日の記憶——今敵対している彼女たちが顔を突き合わせて遊んだ、あの日が無駄じゃなかったと信じて。


「それでも無理なら……『ボウリングの時』と同じだ!! どの能力が一番凄いのか、俺に見せてくれよ!!」


 と、説得に気を取られすぎた巡は椅子の残骸に足を引っかけてコケてしまった。マズいと思うも、もう遅い。


「あッハァ、好機スキぃ♡」

「やべッ――」


 当然それを見逃すはずがない藍華が魔剣を振り上げ、巡は覚悟して目を瞑り――。


 1秒、2秒。痛みは襲ってこない。


 巡が恐る恐る目を開けると……そこには体高3mほどの、土の色をした人型のナニカが、巡を庇うようにして藍華の手首を掴んでいた。

 丸太よりも遥かに太い腕、床と一体化した脚。まるで異形の彫刻のようなそれはしかし、生物のように動いて魔剣を受け止めている。

 ――ソレは真理の名を持つ巨人。人ならざる人、命を持たぬ動く土くれ。

 即ち不死身の魔術兵、名を――ゴーレムgolem


「な、コレは魔術師の――」


 驚愕する藍華。それを見て、巡は思わず笑みを溢しながら振り返った。そこに居たのは、魔導書を手に携えた「先輩」。


「四季くん。キミを巻き込まずに敵を攻撃する魔法……幾つか覚えがありますよ」

「夏目先輩!! 神! あとナニコレカッコいいー!」


 自分の言葉が届いたことに(あとついでにゴーレムに)感動する巡。しかし藍華は魔術1つでは止まらない。


「こんなデクノボー程度でウチを止めれるとでもッ」


 バキン!! と掴まれた腕を力任せに振り、ゴーレムの半身を吹き飛ばす藍華。まだ立ち上がっていない巡を斬ろうと魔剣を振り上げた所で、


射撃ファイア


 6発の銃弾が、藍華のこめかみ、両肩、心臓、両足に命中した。


「——が、ぎぃッ」


 驚くべきことに、軍用のFMJフルメタルジャケット7.62×51mm弾は半人狼と化した藍華の体を貫通することは無く、血を滲ませる打撲を与えるに留まっていた。それでも流石にダメージはあるようで、精密な狙いで急所に連射される銃弾に彼女の体は押されていく。

 そんな銃声の雨の中、自分にかすりもしない弾丸に怯える巡は確かに「妹」の声を聴いた。


「収納多脚・先端装備アタッチメント狙撃銃ライフル。行動予測、弾道計算……1mm単位の照準コントロールで絶対に誤射はしないからあんしんして、お兄ちゃん」

「その声は理沙ちゃん!! ありがとう! ただゴメンだけど超コワいわコレ!」


 と、銃撃が止む。


銃身熱暴走オーバーヒート、射撃中断」


 理沙の声と共に弾幕が消える。その隙に立ち上がる巡。彼の前に立つ藍華は。


「こ、のォ……」


 魔剣と獣の毛の生えた腕で急所を守ったものの、滲む血で体中を汚していた。その眼に怒りと憎しみが満ちていく。

 そんな彼女を諦めず諭そうとする巡。


「なぁ、そろそろ話し合いに移行しない? あんま女の人の肌とかが傷つくの、俺良くないと思うし……」


 そんな彼に……その瞳の怒りはさらに強まった。


「チョーシ乗んなッ!! ここまで攻撃られて、両断らないワケないっしょッ!!」


 ザワザワザワッ!! と藍華の髪や四肢の毛が波打ち、肌を侵食するようにその面積を増やしていく。魔剣が持ち主の怒りに呼応して、より大きな力を預けているのだ。

 藍華がばねの力を溜めるように、巨大な魔剣を大きく構える。


「あ、やべ」


 巡はその観察眼で悟った。次の一撃は今から0.5秒後。攻撃範囲は今までで最大、教室中を巻き込む広範囲斬撃。それを今の体勢から避ける方法は無い。銃弾もゴーレムも間に合わない。


 それでも――今からでも間に合う能力を、巡はひとつだけ知っていて。


「——ぶっ、"コロ"すッ!!」


 灼熱の炎が、藍華を中心に爆裂した。紅蓮の暴虐が魔剣士を飲み込む。


「うおわぁ!!?」


 両手で顔を覆って熱と光を防ぐ巡に対し、


「ご、はッ――」


 藍華は煙を吐いて膝をつく。高熱の炎による全身への火傷ダメージと、酸素が燃焼した空気を吸い込んだことによる内臓の損傷及び呼吸困難。体内体外の両方から人体を破壊する炎は、攻撃力だけなら最高クラスの超能力だ。


「春咲ーー! だよな!? マジ感謝!」


 軽口を叩く巡に向かってなんとか剣を振る藍華だが、その腕にはさっきまでの力の半分も乗っていなかった。当然、教室全体を切り裂く斬撃など撃てず、不発。

 炎を生み出した「幼馴染」は、燃料たる怒りの残滓を振り撒きながら鼻を鳴らす。


「フン、非超能力者が威張っちゃって! 私の炎は見たものを直接燃やせるのよ!! アイツに当てずに攻撃できた程度で威張らないでくれる!?」

「なに?」

「む……」


 横にガンを付けだした朱里と、それにカチンとくる理沙・優乃。

 そんな背後のやり取りを聴きながら、巡は必死に転げまわる。


「ちょっとぉ!? 仲間割れは止めてよね! そうしてる間にも俺は必死に避けてんだから!!」


 ただ、巡にも余裕が出て来ていた。蓄積されたダメージが、後衛に割かれる意識が、藍華の剣から鋭さを奪っている。


 そして何より――関係という名の糸、一度は千切れたそれを結び直すことに成功した彼の心はひとつ軽くなり。その分動きも軽快さを増す。


 そうして、形勢は巡たちに傾き始めていた。


「げに奥深き魔術の深淵、その一端を見せてあげましょう!!」

「科学こそ真の異能足りえる技術。それを私が証明する」

「超能力のパチモン使い共、よく見てなさい! 私が本物を教えてやるわっ!!」


 土と氷の魔法が、銃弾とレーザーが、そして炎が教室に舞う。

 色とりどりの異能による援護が教室中に入り乱れ、巡の周囲を彩った。それは再び結ばれた縁を祝福しているようにも見えた。


「カッコいいこと言うのは良いけどさぁ、俺が死にかけながら耐えてるの忘れないでねぇ!!?」


 それを一身に受けながら、藍華は考えていた。

 なぜ目の前の巡を斬れないのか。なぜ複数の異能による攻撃を受けているのか。

 魔剣は何も答えない。


「ひぃ、今度は援護で死ぬぅ!!」


 そう頭を抱えて転がり回る四季巡は、別に無敵という訳ではない。


 例えば、朱里の炎による不意打ち気味の攻撃は、巡には防げないだろう。彼には朱里の視界から瞬時に出る技術・身体能力はない。

 理沙の使う科学兵器で罠にはめたり、爆弾などの広範囲攻撃で倒すことも可能だ。彼には兵器への知見も常在戦場の心持ちもない。

 また優乃の魔術などは更に効果的だろう。必中のまじないや微睡草の花粉など、彼が避けられない攻撃はいくらでもある。


 四季巡をたおすには様々な方法がある。ただその方法の中に、「魔剣による正面戦闘」は含まれていない――。


「ぅ、グルァアあああああああッ!!」


 幾多の攻撃と痛みの中、藍華は牙を剥き出して叫んだ。

 魔剣を持った日から無敗だった。どんな異能者も一刀のもとに斬り伏せた。全ては自分の思うがままだった。自分のことを全能だと勘違いしている異能者を捌くのは気持ちが良かった。今自分を遠巻きに攻撃している奴らだって、一度容易く斬ってやったのに。

 なぜ、四季巡このおとこだけ斬れないのだ。なぜこんな一般人に毛が生えた程度の少年に、自分の刃が届かない。

 積み上げた自信が、プライドが、根元から折れそうになり。


「ダーンスレイヴぅ!!!」


 だから叫んだ。「侵食」は死ぬほど痛いから。それでも勝ちたかったから。オマエは勝たなければならないと、魔剣が言っていたから。


「——!!」


 魔剣から黒い泥のようなナニカが魂の奥底まで流れ込んでくる。視界が血色に染まる。肘、膝、背中まで「侵食」が進む。尻尾が生え、頭が激痛で壊れそう。でも、ああ。なんて気持ちイイ。力が全身に満ちるのは、なんて。


「!! 皆伏せろ――」


 巡が何かを叫んだみたいだったが、もうどうでもいい。


 藍華は全身で「死ね」と叫んだ。

 それだけで体は勝手に動き、一瞬で3度魔剣を振るった。斬撃の余りの鋭さゆえかそれとも魔剣の力だったのか、漆黒の刃を象った巨大な衝撃波が斬撃の軌道上に発生し、その先にある全てを吹き飛ばす。

 其は破壊の闇、繋がりを否定し全てを絶つ死の具現。


 ――ズガァンッッ!!! と校舎の壁が吹き飛んだ。爆煙のような土煙の中から、グラウンドに吹き飛ばされる人影がひとつ。


「ぐ、が……ッ」


 人影、四季巡は地面を何度も転がり、その体はグラウンドの中心辺りで停止する。

 砂で擦った全身がずきずきと痛んだ。


「が、ごほ……っ」


 口の中が砂だらけだ。平衡感覚がぐちゃぐちゃでどっちが上かすぐに分からない。ただ本能を苛む危険信号が、とにかく体勢を立て直せと叫んでいる。


「な、何が――」


 なんとか立ち上がろうと膝をついた彼が見たのは……至近距離。満月を背に自分に影を落とす、魔剣士アイカがこちらを見下ろす姿だった。


「アハ」


 ざしゅ、と夜闇に血が舞う。藍華が魔剣を握ってない方の腕を振るい、そこに生えた鋭い爪が巡の二の腕を浅く切り裂いたのだ。


「ぐ、あぁ!!」


 痛みに慣れていない巡は、3本1対の傷口を抑えながら転げ回る。


「(俺はしっかり見たぞ、見たのに避けきれなかった!? クソ、痛ぇ!!)」


 そんな彼の姿を見ながら……藍華は嗤う。


「アハハ」


 今度は蹴り。雑なモーションのサッカーボールキックが倒れた巡を襲う。彼は観察眼で攻撃を予測、身を引いて――足の指先を避けきれず数メートル吹っ飛ばされた。


「ごッは……!」


 巡は内臓がひっくり返ったような衝撃に涙とゲロを吐きながら、それでも何とか体を起こそうと藻掻く。彼の心中には、焦りがあった。


「(なんで避けれない!? 攻撃の軌道は見えたのに!)」


 この数分間で頼り切り、いつのまにか絶対の信服を置いていた己の観察眼。それを破られたことによる混乱は大きく、巡は痛みよりも不安と迷いで動きが鈍る。ただ、その実戦経験の無さを解決してくれるのもまた観察眼だった。

 巡が見上げる中、月夜を背に藍華は爪を舐めた。そこに付着した巡の血を味わうために。


「アハ、アハハ! アハハハハハ!! 当たる、アタるアタルあたるぅ!! 気持ちイイ、キモチイイよメグルっちィ!! 散斬サンザン焦らされた分、血が美味しくてオイシクテさァ!!!」


 狂気。それに塗り潰された少女は嗤う。ケタケタと心底楽しそうに。そんな彼女の体の輪郭は、ザワザワと脈打っているように見えた。

 いや、それは正しい表現ではない。さっきまでは四肢の先から肘前まで覆っていた毛の部分が、肘よりも先まで伸びている。その「侵食」とも呼べる光景は、止まることなく進んでいた。

 それを見て、巡は閃く。


「(そうか――現在進行形で、魔剣から受け取る力が増してるんだ! 攻撃している最中も早くなる……物理でやった等加速度運動みたいに!! だから躱せなかった、予想した攻撃が予想よりも速く動いたから!!)」


 心身のダメージが回復しいつでも立ち上がれる体勢になった巡。そんな彼を斬り裂くために、藍華は魔剣を大きく振り上げる。


「おなかを優死苦ヤサシク裂いてカラぁ、腸をチョー可哀カワイく蝶々結びにしてアゲルぅ!!」

「お断りしますッ!!」


 振り下ろされた一撃を立ち上がりながらなんとか躱す巡。今度は掠ることもなく完璧に回避した。


「『予想より早い』っていうからくりが分かれば避けれる! それを計算に入れればいいだけだからなッ。だからそろそろ話を……」


 言いながらもしかし、巡の心中は新たな焦りで満ちていた。


「(このままのペースで強化されちゃうと、目じゃなくて俺の体の方が追い付けなくなるっ。体力ももうほぼからっけつ、立ってるのもキツくなってきた。速いとこ話し合いに持ち込まないとマジで死ぬ! 見えても避けれないんじゃ意味無いし、なにより……)」


 滝のように汗を流しながら巡は藍華を。視界の先のその姿は、もはや常軌を逸していた。


「また避けられた……なんで? ナンデケルの? 断面見た苦無クナイの? 折角斬って裂いて叩いて噛んで潰して飲んで、殺してコロしてアゲルって言ってるのにさぁぁサァ!!!」


 胡乱な眼光で叫ぶ彼女の声に呼応するように、その体が変貌を遂げていく。毛が生え、膨張し、脈動し、変形して……段々と人としての姿を失っているようにも見えた。特に変化が大きいのは魔剣を握った右腕で、もはや太さ禍々しさが従来の何倍にも膨れ上がっている。

 ただ、変貌の代償も大きいようだった。ぶちぶちという異音は恐らく筋繊維と血管が切れる音。真っ赤に染まった目からは血涙が溢れ、口からも血を吐いている。瞳孔は開ききっているのに焦点が合っておらず、表情は殺意と狂気に飲み込まれていて笑った顔の面影が無い。


「(強化に耐えきれず、明らかに『人間の部分』が悲鳴を上げてる!! もしかしたら長引いた場合、先に死んじゃうのは俺じゃなくて……!)」


 巡はその観察眼で、もはや相手に自分の声は届かないだろうと悟っていた。だがそれでも諦められず、逃げずに説得を試みる。


「頼む、俺の話を――」

御話死オハナシスルなら避けないでよぉッ!!」

「クソッ」


 出鱈目に振り回される魔剣が凄まじい威力で巡に襲い掛かる。それを必死に躱す巡は、例えるなら黒い竜巻の中で踊っているよう。

 体中に無数の掠り傷を作りながらも何とか巡が猛攻を躱し続けていたとき、


「"燃えろ"ッ!!」


 その体が炎に包まれた。


「春咲! みんな! 無事だったのか!」


 巡は校舎の方を見る。そこには血を流す肩を押さえながらもこちらを睨む朱里や、各自無傷ではないものの立つ力はあるらしい理沙、優乃、コノエの姿があった。


「メグル! そこ退きなさい!! 怪我で怒りが溜まったわ、私が最大火力で――」

「な、バカ! そんなことしたら多分死んじまうだろ!?」

「はぁ!? 殺さないでどうするッてのよ!!」

「なんとか大人しくさせる方法を……っ」


 と、炎を振り払った藍華の視線が校舎の方を向いた。


「ジャマなんだよねぇ、殺期サッキからさァ」


 彼女の目を先程まで覆っていた執着が、刹那的な怒りに塗り替えられるのが巡には分かった。

 そのまま藍華は魔剣を持っていない左手と両足を地面に付け、身をかがめる。その体にぎちぎちと唸るほどのエネルギーが蓄えられる。

 正しく人間砲弾。狭窄した視界が標的を捉えた瞬間、獣は藍色の風となった。


「オ ま え カ ――」


 一歩、踏み込みは地を砕き。

 二歩目で体は音を追い越す。

 弾丸と化した体は全てを置き去りにして藍華の体を前に運ぶ。狙いは春咲朱里、一度斬ってやった血の綺麗な超能力者。さっきから邪魔だった赤毛の女。


「ブッタ斬ってるッ!!!」


 三歩、藍華は魔剣の間合いに朱里を捉えた。異常に膨張した右腕が、規格外の膂力を以て魔剣を振り下ろす。

 朱里にその動きは見えていない。魔剣士の動きには誰も追いつけない。

 だから藍華を、全てを両断する魔剣の一撃を止められる者など居なかった――。


「避けろ春咲ッ!!」


 ——藍華の狙いを先読みし、其処目掛けて全力で走った四季巡以外は。


「え」


 春咲の体を、必死で身を投げ出した巡が突き飛ばす。


「は」


 既に全力の力で振り抜かれた魔剣の動きは止まらない。その刃の軌道には、朱里の代わりに割りこんできた巡が居る。その刃を止められる者は今度こそおらず――。


 ——漆黒の魔剣が、四季巡の体を斬り裂いた。


「ご、ぼ」


 巡の口から、傷口から血が溢れる。

 魔剣の鋭い刃は、肩から腰にかけての体の左側を縦に深く切り裂いていた。見る者が見れば分かっただろう。その傷は大動脈はおろか心臓にさえ届いていることに。

 時が止まったように動けぬ周囲を置いて、巡の体から大量の血と力が抜けていく。


「なッ――メグルっ!!?」


 朱里の焦ったような声を聴きながら。


「(やべ、これ、死——)」


 巨大な傷口から夥しい量の血を流し、巡は地面に力なく倒れこんだ。

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