⑫-2 4月15日(水)・満月の夜

 ◆


 巡が大量の血を流しながら倒れる。

 それを見て、一番早く動いたのは朱里と理沙だった。朱里は思わず、理沙はあらかじめ設定されていた指示通りに彼に駆け寄る。


「メグル! 四季巡っ!?」


 慌てて巡を抱き起こそうとした朱里の動きを、理沙の背中から伸びた細長いアームが制止した。

 そのまま彼女と入れ替わるように理沙は巡の元に膝を付く。彼女が背負った鞄から、手術道具のようなものが取り付けられた複数本の機械の脚が伸びる。


四季巡ターゲットの負傷を確認。マニュアル133に従い、救命措置を開始」


 気絶したらしい巡の外傷を、目に仕込んだハイテクコンタクトレンズや立体透視スキャン装置を使い分析する理沙。しかし結果は芳しいものでは無かった。


「損傷部位は……っ」


 傷口は左鎖骨、胸骨角、肋骨、左肺、いくつかの大動脈含む無数の血管及び皮膚、そして心臓の一部を両断。

 臓器の損傷から見ても出血量から見ても、明らかに致命傷だった。


「……分析、完了。現装備での救命は不可能。また意識レベルが低下しているため、情報を聞き出すことも難しいと判断」

「~ッ!!」


 朱里は流れ続ける血に顔を青くしながらも、必死に頭を回す。そしてその思考は未だ己の背後で狼狽えている魔術師に思い至った。


「そうだ、夏目優乃!! 何かないの、ケガを治す魔法とか!!」

「う……あ、その……致命傷と、なると、私には……」


 問われた優乃は歯切れ悪く俯いて、首を横に振った。それが答えだった。


 そして……最も反応が遅れたのはコノエと藍華。


「めぐる、せんぱい……?」


 呆然と立ち尽くすコノエに対し、藍華は嗤っていた。


「あ、アハ……やった。遂に斬ったぁ。でもアレ、斬って良かったんだっけぇ?」


 しかしその笑顔は空虚で言葉に勢いはなく。揺れる瞳、ふらつく足元、地を擦る魔剣の切っ先は、その内心の混乱を如実に表していた。


「おっかしいなぁ……なんで、ナンデ気持ちよくないの? こんなにいっぱい血が出てるのに。キレーな断面見えるのに。なんかダメだったけぇ……」


 虚ろな笑顔で回らない頭を抱える藍華。

 そんな彼女に対し襲い掛かる影があった。

 それは我を忘れるほど激昂した秋月コノエ。彼女はナイフを片手に、初めて激情を表情に出して叫ぶ。


「貴様!! よくも進様のご子息をッ!!」


 そんなコノエに反射で対応する藍華。


「なんなのオマエ、今考えてんだから後にしてよぉっ!」


 まるで1週間前の続きのような高速戦闘が開始される中、他の3人はそれに参加しなかった。彼女らはただ、倒れた巡のそばで何かできないかを考えている。


 朱里は巡のそばで膝を付き、彼の傷を見ながら理沙に叫ぶ。


「炎で傷を塞ぐのは!?」

「傷口が開きすぎてる。それに火では臓器の損傷は治らない」

「あんたのその機械の手で何とかできないのっ?」

「手術は可能。ただ傷を塞いで出血を止めることしか出来ない。生命維持に必要な血液や人工臓器などの用意は不可能」

「それで、どうすれば!?」

「……出血量から計算すると、目標の生命はあと1分あるかないか。今から30秒以内に冬野グループ本社にある手術室に移動できれば、生存率は最大50%まで上昇する可能性が……」

「……~ッ、クソッ!!」


 朱里は思わず地面を殴りつけた。高速で思考を回した結果、それは「不可能」だと分かってしまったからである。

 貴重な能力故、現在この地域を離れているテレパシーの能力者に連絡を取り、彼女づてに空間転移能力者を呼び、彼に事情を説明して敵地である冬野グループ本社まで飛んでもらう……子供でも分かる。そんなこと、30秒では到底行えない。

 異能は万能の力ではない。朱里は生まれて初めて、自分の能力が「発火」であることに対して憤りを覚えた。

 だが、それに対しての炎は咲かなかった。彼女の胸中に満ちた別の感情が、怒りを鎮火してしまっていたから。

 朱里はぽつりと呟く。


「……コイツ、死ぬのね」


 それに対し、理沙が鎮痛な面持ちで首肯した。


「……その可能性が、最も高い」

「……四季、くん」


 優乃も無力感を感じながら顔を背ける。

 彼女らの胸に去来するのは、未だ情報を得られていないターゲットの死亡による「任務失敗」の屈辱……では無かった。


 四季巡に残された「1分」という余命が刻々と減り続ける中。

 何も出来ない春咲朱里は、半ば独り言のように語り始める。


「……はっ、ほんとバカよね、コイツ。わざわざ私たちを守りに来て、自分を殺そうとする魔剣士さえ気遣って、最後には私を庇って死ぬ? バカ、ほんとバカ。戦場で他人を捨てれないヤツが、生き残れるわけ無いのに」

「春咲朱里。それは『お兄ちゃん』へのぶじょく?」

「……違うわ」


 朱里は首を振る。この戦いを通して見た、四季巡と言う男は。


「コイツはバカだけど、本当の大バカは私。さっき庇われてやっと気付いたわ。

 コイツは、四季巡は……私たちが捨てた、捨てざるを得なかったものを持ってた。そのうえで私たちと同じかそれ以上の覚悟もあった。言ってることは半分以上分からなかったけど……少なくとも自分の命を懸けて、『殺すか殺されるか』の場所で3つ目の選択肢をずっと探してた」


 ぽた、と巡の頬に何かが落ちる。


「ああクソ、なんでっ。甘っちょろいアンタのことなんか、大嫌いだったハズなのに……」


 ぽたぽたと熱く透明な雫が、それを生み出す感情が、朱里の声を震わせた。


「なんで私は、泣いてるのよ……っ」


 それは涙だった。朱里が流した涙が、ぽつぽつと巡の頬に落ちている。


 理沙も優乃も、何も言えなかった。もはや攻撃しない義理など無いはずの朱里の背中に、なぜか銃弾も魔術も打ち込む気が起きなかった。


 3人の異能者は、ただ、死にゆく男の前で立ち尽くしていた。


 ◆


 落ちる。黒い世界を、ただ落ちていく。

 音も風も光も無い、誰も居ない黒一色の世界。

 それが己の夢の世界――「死への奈落」であることを、俺、四季巡は何故か確信していた。実際それは正しいのだろう。朧げな意識は、眠りに落ちる瞬間を引き延ばしているかのように、より濃い闇の方へとゆっくり飲み込まれていくのを感じる。

 死という奈落を、ただ、墜落する。


 そんな闇の世界の中で、俺は力なく自嘲に頬を歪めた。


「……ミスったなぁ。春咲狙いって分かって飛び出したまでは良かったけど、俺が避ける事まで考えて無かった」


 それは声だったのか、それともただの思考だったのか。よく分からないまま、俺の体は黒い世界を落ち続ける。


「でもまあ、しょうがないのかもな」


 そんな暗闇の中、思う。


「あんなヤバイ魔剣士と戦うなんてとんでもない無茶しちゃったし。どう考えても冷静じゃなかったし……いやあ、やっぱ俺なんかがあんな可愛い女子たちと仲良くなるってのは高望みだったかぁ」


 もしも今の自分に表情が作れたなら、そして自分の顔を見れたなら、きっと照れ笑いのような表情をしていただろう。


 と、黒一色の世界に鮮やかな映像が浮かんだ。ずいぶんと変わった形式の走馬灯だな、とぼやいて俺はその記憶を眺める。そこに映し出されたのは――。


 ――小学3年生の運動会。四季巡少年はクラス全員強制参加のリレーにて、バトンタッチ直前で派手に転んでしまった。転倒後、何を思ったか血と泥にまみれた小3の彼は、バトンを握ったままその場から逃走。当然クラスの順位は最下位となる。そして彼は運動会のA級戦犯という汚名を刻まれ、クラスが変わるまで敵意の籠った視線と冷ややかな態度を受けることになり……。


「……いや、よりにもよってコレかよ……。なんで死ぬ直前にこんなの見ないといけないの? これなんて罰ゲーム?」


 流石にこれが最後の景色は悲しいのだった。

 そんなクソ走馬灯を見ながら、思う。


「……でも俺、変わったよな。この時と比べたらスゲー変わった。自分のために逃げ出したガキが、誰かの為に立ち向かう男になったんだ。なんだ、そう考えれば全然悪くないじゃん」


 それは強がりだったけど、でも俺は今、随分爽やかに笑えている気がした。


 落ちる。落ちる。

 黒い世界を、ただ落ちる。死という名の闇が俺を包み込んでいく。


「ああ。よくやったよ、俺――」


 そうして瞼を閉じようとした、正にそのときだった。



 ぽたり。

 俺の頬に、熱い何かが落ちて来た。

 それは透明な雫。けれどそれがただの水でないことを、俺は何故か直感した。


「これは……涙?」


 ぽたり、ぽたり。俺の頬にどこからか、俺のものじゃない涙が落ちてくる。


「一体誰の――」


 浮かんだ疑問に答えるように、上の方から声が聴こえてくる。

 それは嗚咽の声だった――それは春咲朱里の泣く声だった。


「はる、さく?」


 俺は手のひらで拭った涙の痕を見る。

 春咲朱里のものだろう涙――俺は、四季巡は、どうしようもなくその色を知っていた。


 ――それは離別の涙。誰かと死に別れた者が流す、悲しみと痛みを叫ぶ涙。


 四季巡が母との別れに耐えきれず流し……そして今は朱里が巡を想って流す、心の傷から流れる透明な血の色を、落ちて来た雫は持っていた。


「――」


 瞬間。全身の血が沸騰したようだった。

 否、沸き立ったのは魂だ。怒りという衝動が、俺の全身を火傷せんばかりに激しく燃え上がらせた。


 ……どうして気付かなかったのだろう。

 誰かが死ぬのは、悲しい。

 俺はそれが嫌で戦うことを、喧嘩という手段で醜く足掻くことを選んだ。

 それなのに、俺は何をしている?

 どうして大人しく死を受け入れようとしているのだ――!


「それは絶対に駄目だろうが馬鹿野郎――!!!」


 ああ、だから俺を燃やす憤怒の炎は、そのまま俺に向けられたものだった。この程度の事に気付けない、浅ましく自分本位な己自身への怒りであった。


 今更と知っていながら全霊で叫ぶ。生きたいと叫ぶ。

 己の為では無く、彼女の涙を赦せないが故に。

 かつて母を思って流した涙、その苦さを知っている俺だからこそ強く誓う。


「あんな悲しいのも、苦しいのも、俺のせいで皆に味わわせるなんて……絶対に御免だ! だから、死ねない!!」


 手を、伸ばした。

 奈落では無く、遥か上。間近に迫った死ではなく、今や遠い生の方向へと。

 だがここは死への奈落。当然、壁面どころか掴まれるモノなどひとつも無い。

 それでも――手を伸ばす。だって。


「掴めるものなら、あるだろうが。散々例えて来たんだから。それを繋ぎとめる為に今日戦ったんだから!」


 それは、四季巡がかつて不要と捨てたもの。

 そして今日、捨てたくないと手を伸ばしたもの。

 それの、名は。


「俺には――『皆との関係』っていう名前の糸が、ある!!」


 黒い世界を、色が裂いた。

 赤、緑、橙、白。よっつの糸が、俺と彼女らを繋ぐ糸が――一度途切れ、今日再び繋がった糸が、奈落の底にまで伸びてくる。


「頼む、力を貸してくれ!」


 俺はそれに向かって全力で手を伸ばした。4色の糸は、果たして……俺の手を拒むことはせず、しっかりと手のひらの中に納まった。

 温かく、柔らかく……少しささくれ立っていて痛いけれど、それでも握っていたい4色の糸。

 それを握りしめ、落下を止めようと全霊で腕を引く。


「死んで、たまるかああああああああ!!」


 だが。


「……ダメか!!?」


 ここは精神の世界。物理法則など通用せず、俺は糸を握りしめたまま落ちていく。

 握った糸が千切れかけるイヤな音が腕を通して響き、心を鋭い痛みが走る。


「クソ、おおおおおおお! 俺が、俺のせいでこれ以上悲しませる訳には――!!」


 どれだけ叫んでも、握りしめても、結果は変わらない。

 俺の体はそのまま奈落の底の底へと――。


 ――糸が。

 輝く5の糸が、4っつの糸を追いかけて来たかのように、俺の手元に現れた。


「これ、は」


 それが誰とのものなのかを、俺は知っていた。

 それは、俺が今日の夕方までずっと握りしめていた「千切れた糸」。誰にも届くことは無かった、死別により失った縁の切れ端――それが今、切れ端ではなく天に繋がる糸として俺の目の前に。

 もはや考える時間は無かった。けれど、考える必要もまた無かった。


「どういうことかは分からねえけど、」


 俺はすぐ背中に迫った死を感じながら、その5本目の糸を掴んだ。


「信じるぜ、――!!!」


 そして、黒い世界を光が包む。

 数多の映像が、記憶が――「真実」を導く鍵たちが、巡の深層意識で弾けた。


 ……親父の顔。「巡、怪我をしたら人目の無い所に逃げろ」。そうだ、その言葉があったから、きつく言い聞かされていたから、俺は小学3年生の運動会のリレーで転んだ時、状況も考えず逃げたのだ。そして今でも、人が居る前で怪我をしないよう体育の授業を休んでいる。


 ……今度は病院の部屋。親父と医者が喋っている。「私もよく分からないのですが、奥様は細胞分裂の回数が限界に達しているとしか……」。その言葉の意味は分からずとも、それは幼い俺の記憶に妙に焼き付いている。


 ぐるぐると、情報が回る。


 「怪我をするな」。「母の病気」。そして今日学校に来る前、遺言の前に見た書類の情報。「人工的な超能力者」。「その計画が何者かに襲撃される」。そして彼の父親は「超常殺し」。その父親に何かを「託されている」が「心当たりがない」。


 そして当然、四季巡の知り得ない情報も多数存在する。

 例えば「人造神子みこ計画」。これは20年ほど前「陰陽師十二神衆」という陣営によって行われた、非異能者をベースに人工的に超能力者を作る計画の名。その計画は何者かの襲撃によって瓦解し、唯一の成功例は襲撃者に救助される形で失踪——その襲撃者こそ「超常殺し」四季進。そして成功例の元一般人はデータによると若い女性で、発言した超能力は「有用性が高い」とされている。


 さらに「宝」は「覇権を握れる力」。「超能力は遺伝する」。そして「四季巡の父親である四季進」と彼が20年ほど前に助け出した「若い女性」。


 それらすべてが意味することこそ、これから起こる現象である――。


 ◆


 最初にその異変に気付いたのは理沙だった。


「……?」


 彼女は思わず片目を抑え、しきりに視界内に表示される数字を確認する。


「コレは……計測器の故障?」

「……どうしたんですか?」

「お兄ちゃんの予測生存時間が……1分から5分に伸びている」

「え?」


 そして朱里も気付いた。


「あれ……?」


 至近距離で見つめている巡の傷。それが少し小さくなっている気がする。

 いや、気のせいではない。。まるで早回し映像のように。


「な、コレは……ッ!?」

「予想生存時間、延長中……10分、30分、1時間っ」

「し、四季くんの傷が……!!?」


 そうして、巡の傷は完全に塞がり。


「……ぅ」


 まるで深い眠りから目覚めるように、四季巡はゆっくりと目を開けた。


「あれ、俺は……」


 彼は上体を起こし、片手で頭を押さえながら周囲を見回す。その姿はやはり健康な人間の寝起きそのものだ。

 臨死体験中の記憶が朧気なのか、状況が飲み込めていない巡とは対照的に、彼を囲む3人は戦慄していた。


「さ、『再生能力』……ッ」

「『宝』とは、このことだったのですか……!!」


 この場に居る誰も知らないこと——四季巡には自己再生の超能力があった。

 それは「人造神子計画」の唯一の成功例、今は亡き四季零から受け継がれた力。人工とはいえ超能力は超能力、それは巡に遺伝していたのだ。

 彼の超能力のトリガーは「使命感」。絶対にそうする/そうはさせないと強く想うことで、四季巡の再生能力は起動する。


 そんな巡を前に、彼女らは先ほどまでの感情全てを置き去りにして、その価値を高速で計算する。


「(超能力は遺伝する。そして自己回復型で観察眼までついてくるとしたら……コイツを陣営に取り込めば、簡単には根絶やしにできない最強の一族が誕生する!!)」

「(……自己再生超能力者。その細胞の仕組みを解明し培養できれば、科学使いである人造人間を不死身の兵士へと改造できる可能性が高い)」

「(なんてこと……引き込めれば得られる恩恵は計り知れず、逆に他陣営に奪われれば非常に厄介!! これが陣営の、異能者世界の未来を左右する『宝』……!!)」


 そしてそんなことを何も知らないどころか再生の過程を何も覚えて無い巡は、


「どぅわー!? 血、血がいっぱい!! ナニコレ、俺無事なの!? う、なんか体が痛い気がする! こういう時は救急車……あれ、11ひゃくじゅう何番だっけ!?」


 初めて見る量の自分の血でパニックになっていた。

 それを見て涙が完全に引っ込んだ朱里たち。


「……私これの心配してたの……?」

「ないてた」

「泣いてましたね」

「な、黙れ忘れろっ!」


 と、赤面する朱里は、起き上がった巡と目が合った。

 彼は自分がなぜ戻って来れたのかを覚えていない……それでも何故だろうか、言わなければならないことだけは憶えていた。

 巡は静かに穏やかに、するりと喉から出てくる素直な気持ちを口にする。


「……無事みたいだな、春咲。良かった。それと……ありがとう」


 その顔に、声に……色々なものが込み上げた朱里は、ぼっ、という音が出そうな程の勢いで顔を更に真っ赤にして叫んだ。


「な、ば、ぅあ――アンタがそれを言う!!?」


 その光景になんだか和やかな空気が流れた……のもつかの間。

 そんな空気を追いやるような影が彼らの元に飛び込んでくる。


「ぐっ!」

「秋月!?」


 攻撃を受けて吹き飛ばされたのか、巡たちの数メートル先に激しく転がってくるコノエ。彼女は立ち上がり戦闘に戻ろうとして……巡が無事なことに気が付いた。


「巡先輩!? どうして――」

「うーん、それが俺にもあんまし分かんなくて。必死で『死んでたまるか』って思ってたら……なんか復活した、のかな?」


 気の抜けた声を出しながら巡は立ち上がる。ただ、その目は体中傷ついたコノエを見てからか、先ほどまでの緩い雰囲気を捨て、再び鋭く強い光を湛えていた。


「でも分かることはあるぜ。まだ喧嘩は終わってねぇんだな」


 そうして、巡はグラウンドの中心を――そこに立つ藍華を見る。

 それは最早獣ですら無かった。


「斬る、キル、kill……ダーンスレイヴ、もっと……」


 虚ろな目で立つ彼女の体は、かなり獣の力の浸食が進んでいた。もはや肩や太もも辺りまで狼のそれに似た毛が覆っている。口は牙のせいで閉じれず血の混じった涎を垂れ流し、体はときたま病毒に犯されるように小さく痙攣していた。

 その様をなんと呼べばいいのか。少なくとも巡には、藍華が「斃すべき敵」には見えなくて。

 治った傷に触れ、その痛みを恐怖を思い出し……そして、巡は決意する。


「秋月。アイカさんのこと、俺に任せてくれないか」

「なっ……危険です巡先輩! ヤツは最早、近づくものを無差別に斬り刻む怪物のようなもの! 話が通じるどころか、今度こそ――」

「大丈夫」


 巡は立ち上がるとコノエの方に近づき。彼女が握りしめていたナイフを優しく奪うと、それをゆっくりと地面に置いた。

 こちらを見つめる「後輩」と目を合わせながら、語る。


「なんとなく――本当になんとなく、だけどさ。俺にはこの場に居る全員が、本当は誰も殺したり殺されたり、そういうのしたくないと思えて仕方ないんだ。根拠はないけど……俺は目が良いから、ちょっとだけ自信はあるよ」


 彼はコノエを見て、朱里ら3人を見て、またコノエと目を合わせ。


「違った、かな?」


 そうして照れたような表情で言った言葉に、否定の声は飛ばなかった。


「……よっし。ま、ちょっと待っててくれ。モテない思春期男子的には、美人ギャルとの予定は最優先事項なんでな――それが喧嘩の約束でも」


 冗談めかして言って、そして巡は歩き出す。禍々しい漆黒の魔剣、ソレに正気を奪われた藍華の方へ。

 距離は瞬く間に縮まった。


「きる、切る……あれ? メグルっち? ナンデ断面が消えてる、の?」


 焦点の合わない目で此方を認識した藍華――彼女が持つ魔剣の間合い一歩手前で、巡は立ち止まった。

 彼の脳裏には、後ろで己を見守る4人の少女との思い出があった。嬉しかったこと、悲しかったこと。甘い成功に苦い失敗。

 その経験が、己の願いの為にはどうすればいいかを教えてくれている気がした。

 そうしてその少年は、かつて一人の友人も居なかった四季巡は、深呼吸と共に話し始める。


「なあ、アイカさん、だっけ?」


 ピクリ、と藍華の獣の耳が動く。自分の名前を聞いたからか、彼女の目の焦点が少し戻った。

 それを見て、巡は続ける。


「もう話し合いしようなんて言わねえよ。言っても無駄みたいだしな」


 そして……間合いの中に、手を伸ばす。

 いや、手を差し出す。攻撃する為でもなく、防御する為でもなく……ただ、敵意が無いことを示すために。


「だからさ、その代わりに聞かせて欲しい。アイカさんのこと。なんでそんな悲しい力に頼っちまったのか。悲しいこととか、そうじゃないこととか。何が好きとか、どんなとこでどう育ったのかとか……それを俺に、教えてくれないかな」


 その言葉に、態度に、藍華の目に正気の光が僅かに戻った。


「な、んで……」


 震えながら問う彼女に、巡は少しばつが悪そうに笑う。三日前の失敗を思い出しながら。


「誰かと話をするときは、相手のことを知らないと失敗するって最近学んでさ。話し合いがダメなら、話を聞くだけでもと思って」


 そうして、巡は一歩踏み出した。足が、体が、間合いの中に入る。


「あ……っ」


 反射的に魔剣が振りぬかれ――けれど、それを「見て」いた巡は避けるそぶりも見せなかった。

 ズガ! と刃が肉を斬り、ぼたぼたっ、と血がグラウンドの土に落ちる。


「っぐぅ……、いってぇ――いや、痛く、ねぇな……!」


 刃は果たして、巡の腹に浅く喰いこんだだけで止まっていた。巡の肉体の強度は人並みなので、藍華が思わず斬撃を途中で止めたのだろう。

 それでも傷の深さは3cm以上。未経験の激痛に、巡は脂汗を流しながら強がる。


 むしろ分かりやすく苦しげなのは巡の方では無く。


「う、あぁ……っ」


 魔剣が食い込んだ腹、そこから落ちる血を見て、藍華の目が大きく揺らいだ。人狼の腕力をもってすれば、少し力を入れるだけで巡の体を両断できるだろう。彼がそこから再生できるかどうかは分からない。


 だが、魔剣士は動かない。

 魔剣を握る手が震えていた。それは「敵を斬れ」と叫ぶ魔剣の意思に、藍華が抵抗しているようにも見えた。


 そんな彼女の前に立ち、腹を刃に裂かれたまま、それでも剣の持ち主と目を合わせて巡は言う。


「魔剣を持ったのも、誰かを斬ったのも。なんか事情があるのかもしれないし、無いのかもしれない。だから俺はアイカさんの事情とかを知らないで、一方的に『人を斬るな』とは言いたくない。それはアイカさんを傷つけることだろうから。俺のこの行動も、もしかしたらアイカさんを傷つけてるのかもしれないけど……そこはまぁ、俺も斬られたしお互いさまってことで、どうかな」


 巡は手を伸ばす。それを見た藍華がの体がびくりと震えた。まるで叱られるのを怖がる子供のような動きだった。

 そんな彼女を安心させるためか、自分の発言の照れくささゆえか、巡は照れたように笑って……幼子に「怖くないよ」と言うように、ゆっくりと魔剣を握る毛むくじゃらの手に触れた。お互いが、お互いの体温を感触を静かに共有する。


 気付けば魔剣は巡の腹から抜け、力なく地面を擦っていた。


「う、ウチは……」


 藍華は触れ合った手、魔剣を握る指から力を抜こうとして……瞬間、その頭に激痛が走った。


「——ぐぅあァッ!!?」

「な、アイカさん!?」


 左手で必死に頭を押さえ蹲る藍華。それは魔剣の拒絶なのか、それとも「侵食」の影響なのか……耐えがたい苦痛が藍華を襲い、魔剣を放すことを、巡の手を取ることを拒否させた。


「——うぅ"ッ!!」


 そうして、藍華は凄まじい脚力で地面を蹴ると、高く飛び上がって街の向こうへと消えていった。


 グラウンドに残された巡は、傷が再生しだした腹を押さえながら、少し寂しそうに呟く。


「……説得失敗。ま、そりゃそうか。俺モテないもんなぁ」


 夜闇の中に消えていく藍華……彼女が見えなくなる前、こちらを振り向いたように見えたのは気のせいだろうか。いや、きっとそうだろう。

 なぜなら、四季巡は異性にモテないのだから。


「巡先輩っ!」

「メグル!」


 と、巡の背後から2人の少女が駆け寄ってくる。コノエと朱里だ。


「お怪我は!? あの傷からどう回復したのですか!?」

「アンタ、アイツに何したの!? 逃げてったみたいだけど!」


 彼女らに詰め寄られながら、巡は一言。


「……うわお、やっぱモテモテかも」

「はぁ!!?」

「い、いえ当然冗談デスヨ。あはは……」


 巡が思ったより全力で朱里にキレられたことに心の中で泣いていると、更に2人の少女が歩み寄って来た。今度は理沙と優乃。


「その発言は質問への回答になってないよ、お兄ちゃん」

「まあなんにせよ、四季くんが無事で何よりです」


 巡は4人の姿が揃ったのを――彼女らに命にかかわりそうな怪我などが無いのを見て、思わず安心して息をついた。


「皆無事か。良かったぁ……」


 そんな彼にぼそっと朱里が呟く。


「一番死にかけてたのはアンタだけどね」

「やっぱ俺死にかけてたのかっ!!」

「ええ。それはもう盛大に」

「春咲朱里がなくくらい――」

「なっ、黙れこのチビナスっ!!」


 顔を真っ赤にして理沙の口を塞ぐ朱里。それを見て笑う優乃と、巡の傷を確認しようと近づくも照れた巡に遮られているコノエ。

 みんな立場が変わった訳でも、意見が変わったわけでもないだろう。けれど今ここでは、誰も殺し合ったり傷つけあったりしていない。


 そんな光景を見ながら、巡は笑い。


「ま、これにて一件落着——」


 ふらり。巡の視界が傾く。


「あれ?」


 朱里達が驚く顔が見える。その顔には、ていうか体には、ずいぶん角度が付いていた。否。傾いているのは彼だ。

 巡は倒れこみながら、思う。


「(……そういえば、ここ最近ろくに寝て無かったなぁ。安心したら眠気が、まずい倒れるう……)」


 最近は「魔剣士の襲撃」にずっと頭を悩ませていたのだ。だが、それが解決したということで体が安心したのだろう。巡は耐え難い眠気に体を預けながら、考える。


「(……あれ、よく考えたらこれ、全然一件落着じゃないのかも)」


 魔剣士は逃げた。彼女がまた襲ってくるかは分からない。朱里たちはひとまず仲良さげにしているが、まだ喧嘩も出来てないし意見も聞いてない。

 なんか死ぬほど頑張ったので何かを成し遂げた気でいたが、実はあんまり解決してないかもしれない。


「(……でもま、いっか)」


 ただ、それでも巡は笑った。

 自分は漫画やアニメの主人公ではない。中途半端な結果しか出せない時もあるだろう。だが、それでいいのだ。

 敵を倒せなくても。当初の目的から脱線しても。それで力を使い果たしてしまっても。俺やみんなが無事で生きている限り、明日もチャンスはあるんだから。


「(ていうか、マジで限界……ぐう)」


 そうして、四季巡は意識を手放した。


 久しぶりの熟睡は、砂と自分の血と、繋がった糸の味がした。

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