⑪ 4月15日(水)・夕方

 4月15日、水曜日。今宵は満月であり、魔剣士が襲撃を予告した日。

 俺、四季巡は自宅のベッドの上で、何をするでもなく考えていた。


 思い出すのは、3日前の日曜日。俺が春咲たちを助けようとして失敗した日。

 あれ以来、俺は学校をサボって引きこもっていた。なんとなく、合わせる顔が無かった。……いや、正直に言おう。顔を合わせるのが怖かった。


『私たちは別に「助けて欲しい」とも言ってないし「殺しが悪」とも思ってない……何も知らないくせに首を突っ込んで来るな!!』

『……私がつくられたのは、敵を殺すため。私のうまれた意味はそれ。ごめんね、お兄ちゃん』

『君の優しさは、勇気は、日の当たる世界では美徳です。でも私たち多くの異能者にとってそれは、自身の生き方を糾弾され、否定されるのと同じこと。どうかそれを分かって欲しい』

『巡先輩。あなたはこれ以上何もしない方がいい』


 3日前から、ずうっと同じことを考えている。同じ言葉を思い出している。


「俺は……」


 俺は溺れていたのだ。ただ漠然と「何かをやらねば」という使命感に。そしてその、初めて味わう地に足のつかない状態に酔っていた。

 物語の主人公にでもなった気分で、「この俺がやったことの無いことをするのだから、とうぜん成功するだろう」と……どう考えても真逆だろう。「やったことの無いことを始めてやれば、たいてい失敗する」。その程度の浅い真実にすら気付けていなかった。その甘えが、驕りが、結果的に人を傷つけた。


「クソッ」


 居てもたってもいられなくなり、衝動的に部屋の中を歩き回る。そしてタンスの中身をひっくり返し、あらゆる戸棚を開け放ち、パソコンの中身までくまなく調べる。


「なんか無いのかよ親父ッ。何か隠してるんだろ、こっから逆転できる最強のアイテムがあるんだったら、今すぐ帰ってきて教えてくれよッ」


 これもこの3日で何度も繰り返した。ただじっとしていられなくて、でも再び失敗するのは怖くて。だから取り返しのつく範囲の抵抗を……自分の家の家探しだけをする。「俺は頑張ったんだ」って言い訳するために。「なにもしてない訳じゃない」って自分を納得させるために。


「……ダッセェな、俺。くそッ」


 目を逸らし続けた自分の弱さに耐えられず、苛立ち混じりにタンスを蹴る。すると、その上に載っていた写真立てが落下した。


「あッ」


 ガシャン、と音を立てて写真を保護していたガラスが割れる。

 それは家族写真だ。若い親父と、生きてる母さんと、ちっちゃい俺。俺が5歳のころ撮った、最後の家族写真。


「……最悪だ」


 大切な思い出の証。それをくだらない八つ当たりで傷つけてしまった自分に辟易しつつも、俺は直すために膝をついて写真に手を伸ばす。


「良かった、写真は破れてない……」


 少し画質の荒い写真を破らないように慎重に取り出して――。


「ん? 何か挟まってる?」


 写真立ての背と家族写真の間に、何かの感触があった。挟まっていたものをゆっくり引き抜いてみると……それは2枚の紙だった。


「なんだ、コレ」


 こんなの知らないぞ。

 知らないのに……妙に胸がざわつく。


 俺は改めて取り出した紙を観察する。

 紙の具合からして1枚はかなり古く、もう1枚は比較的新しい。さらに言えば、古い方はボロボロの封筒に入っていて、新しい方はコピー紙のようなしっかりした紙を雑に折りたたんである。


「封筒は……後にしよう。まずはこっちだ」


 俺は新しくしっかりした紙の方から開いてみた。それは――報告書、か?


「なんだコレ。『異端審問会より』? 『調査報告』、『後天的超能力者の人工作製』、『継続を確認』、『過去の事例』——この張り付けてあるのは昔の奴か。『人造神子みこ計画』、『襲撃』、『唯一の成功例が失踪』……ダメだ、文章が硬すぎて意味分からん。後で落ち着いて読むか」


 俺は新しい方の紙を置き、もう片方の紙を手に取った。


「こっちは封筒、か。開けられてない。多分市販の奴だな。切手が付いてない……中に入ってるのは便箋、か――」


 封の切られていない封筒をひっくり返したり透かしたりして調べていたとき。

 「その文字」を見た瞬間、俺の心臓は止まった。


[巡へ]


 その文字は。もう10年見ていない、その筆跡は。


――?」


 見た瞬間、妙に胸がざわついた理由がパズルを埋めるように解明されていく。古い封筒。10年前。家族写真の裏に隠してあった。そして朧げな、今だけは鮮明に思い出せる記憶。


 葬儀場。夕方。線香の匂い。涙。


『——巡。母さんから手紙を預かってるんだが……』


 横に親父。悲しみ。首を振る。


『……そうか。無理に読ませなくてもいいと、あいつも言っていた。いつか……おまえが痛みに耐えれるようになった、そのときは――』


 霞む情景。

 涙を堪えながら、俺は思わず下手くそに笑った。


「……あの親バカ親父、子供扱いしすぎだぜ……ッ」


 そうして俺は、10年開けられなかった封筒の封に手をかける。


「こちとら、最近痛い思いばっかりなんだよ。充分痛みには耐えられる。だから――」


 母さん、ちょっとでいいんだ。この思いが10年前に届いているなら……不甲斐ない息子の背中を叩いてくれ。


 そうして、夕暮れの部屋で、俺は亡き母からの手紙を開いた――。



[ 巡へ


 何歳になりましたか。元気ですか。私がその答えを知ることはきっとできないけれど、あなたが健康に育っていることをいつも祈っています。

 私はもう長く生きられません。それは仕方のないことだけど、あなたに何もしてあげられないのがとても悲しい。だからこの手紙を書くことにしました。

 私があなたに遺せるものは、あまりに少ない。きっとその体くらいでしょう。私よりずっと丈夫に産まれてくれて、本当に良かった。

 けれどお弁当を作ってあげることも、おかえりを言ってあげることも、恋のアドバイスをしてあげることも、一緒にお酒を飲むことも、私にはできない。だからそれはお父さんにやってもらって。そのかわりに私からあなたには、いくつかの言葉を送ります。

 私は、人間は彫刻に似ていると思っています。傷つくたびに磨かれて、疵ついたはずなのにどこか綺麗になる。時には歪んだ形になるけれど、正しくぶつかり合えばどこからでも美しくなれる。そんな不思議な生き物こそ人間だと、母はそう思っているのです。

 進さんは、お父さんはあなたが怪我をしたりすることを恐れているけれど、私はたまに傷ついたっていいと思います。それで俯いたりせず、キズを誇って、「昨日より理想の形に近づいたよ」と笑って流してしまえばいい。

 でもそれは、あなたが傷つけられても平気という訳ではないですよ。キズを受け入れられても、痛みをないがしろにしてはいけない。傷つけられたら怒っていいし、傷つけられないように逃げてもいい。あなたの痛みの声には、あなたが一番耳を傾けてあげないとだめ。

 それでも、傷ついてでも、疵つけられてでも、とっても痛い思いをするとしても、手に入れたいものとか譲れないものとかができたなら。そのときは喧嘩でもなんでもしてしまいなさい。私の言葉を言い訳にして、相手と死なない範囲でキズつけあってしまいなさい。お母さんが許します。でも絶対勝てない相手とか、無駄に痛い思いをするだけのときからは逃げなさい。それもお母さんが許します。

 あなたがキズつくことは怖いけれど、きっとそうしなければ得られないものが人生には沢山ある。戦ったり、立ち向かったり、挑戦したり。それが、私が短い人生で学んだこと。失敗してもいいのです。結果とか順位なんかは、あなたが無事でいることに比べたら、ほんとうにちっぽけでなんでもないことなんだから。

 最後に。お父さんと仲良くね。私の心はいつでもお父さんと一緒にあるから、辛くなったときは頼ってあげて。あと

 産まれてきてくれてありがとう。私はずっと、あなたを愛してるよ


お母さんより ]



「……」


 ――思い出す。

 陽だまりと消毒液の匂い。風が笑うその部屋で、ベッドの上のあなたは全てを許すように笑っている。

 友達の作れない気の細さも、ピーマンとにんじんが苦手なことも、看病に来たのに眠くなって母に体を預けてしまう幼さも、全てを受け入れるみたいに微笑んだ母さん、あなたのことを。


「思い、出したよ」


 そうだ。あなたは大人しく見えてその実、誰も勝てないくらい強かだった。ともすれば滅茶苦茶だと思うくらい。

 昔、俺がガキ大将に殴られたとき、私が許すから殴り返せと言った。後日その通りにしたら相手の親が飛んできたけど、母さんはその人を叩いて説教を始めた。体が弱いのに相手に一発やり返させて、その後一晩中口論して。朝日を浴びながら「勝ったわ」と言ったのには、流石の親父も苦笑いするしかなさそうだった。

 親父の親バカは、母さんのがうつったんだったな。


「おもい、だした……」


 母さんのハンバーグの味。忘れるわけない、俺の料理下手は母さん遺伝だよ。一緒に童謡を歌ったこと。ピアノを弾くのが上手かった。目が良いって褒めてくれた。お父さんに似てるねって。そして、親父と3人で眠ったこと。子守歌。握った大きい手。あたたかさ。笑顔。優しさ。

 なんで忘れてたんだろうってくらい、沢山、たくさん思い出せる。


「お、もぉい……だしら……っ」


 大粒の涙が、頬を流れる。手紙を汚したくなくて上を向いた。

 なんで忘れていたのだろう。なんで思い出せなかったんだろう。ありがとうも愛してるも、たくさんもらっていたハズなのに。

 傷ついたとき、失敗したとき。あの日あの約束の日。その言葉に頼っていれば……ただ立ち尽くすだけじゃない、間違いで終わらせてしまわない、そんな結末に、なっていたかもしれないのに……。


 ……いや。


「違うだろ、俺」


 いつの間にか涙は枯れていた。


 そうだ。まだ終わっていない。まだ取り返しがつかない訳じゃない。母さんが教えてくれただろう。俺は失敗した。傷つけて、傷ついた。、昨日より3日前よりも理想の俺に近づいたハズだ。少なくとも、ひとつの失敗のパターンを知っただけでも、その分誰かを救える俺に近づけているのだ。


「ここで、立てなきゃ……」


 それに、「取り返しがつかない」っていうのはきっと、今俺の胸を襲っている悲しさのことを言うのだ。ありがとうと伝えたいのに伝えられない。愛してるを返したいのに届かない。死という決別。永遠の喪失。


「約束、破ることになっちまう。痛みに耐えれるって、そう言って手紙を開けたんだから」


 俺は手紙を置き、立ち上がりながら考える。目を向けまいとしていた意識の闇に光を当てる。


 ……本当はずっと分かっていた。俺に友達が居なかった理由。俺が孤独にこだわった理由。

 俺は怖かったのだ。「失ってしまう」のが。

 母さんの死が、その喪失がトラウマとなり、新しい縁を拒んでしまった。俺と友達になってくれる人間は、きっとどこにでもいてくれたのに。

 人間関係が糸なら、俺は母さんとの糸の切れ端を握りしめて、他の糸を取らなかった。切れた糸はもうどこにも繋がっていないのに。それでも離すことを拒んだ。

 寂しくても、苦しくても。また失うくらいなら、そのほうがずっとずっとマシだ、とそう信じて。


「……まだ、月は出てないよな」


 でも、俺は知ってしまった。


 春咲朱里。隣の席に彼女が居る教室は、普段の何倍もドキドキして、予測不能で……ちょっぴり気まずかったけど、それでもどこか心躍った。平凡な日常を彩る桜の雨のように。知らないことと沢山出逢う春のように。


 冬野理沙。彼女に慕われる日常は、いつもより背筋が伸びて、でもいつもより力が抜けて……驚かされることは多かったけど、何より楽しかった。ふとした時に鼻先をつつく粉雪のように。暖炉の前で笑い合う冬のように。


 夏目優乃。美人な彼女との部活は、時に全身が熱くなって、時に冷や汗で冷たくなって……多少のすれ違いはあれど、どこか夢のような時間だった。ひまわり畑でするかくれんぼのように。全てがきらめいて見える夏のように。


 そして、秋月コノエも。彼女は淋しかった時期の俺に挨拶をしてくれた。その嬉しさは忘れていない。そして彼女は、己を危険に晒してまで俺を護ろうとしてくれている。それは枯葉となって景色を彩る紅葉樹のように。忘れたころに訪れる秋のように。


「——行くか。『喧嘩』しに」


 俺、行くよ母さん。

 傷ついてでも、疵つけられてでも、とっても痛い思いをするとしても守りたいもの、失くしたくないもの……それが俺にもできたんだ。だから、行くよ。


 俺は、10年間心の奥底で握り続けていた母の糸——既に千切れていたそれを、ゆっくり、優しく、天国に向けて手放した。

 この心に、新しい糸を掴むために。


 ——人間関係とは糸のようなものだ。

 数日前から俺に絡まったそれは、俺をぐいぐいと引っ張って、見た事のなかった景色を見せてくれた。好悪、真偽、未知──様々な色をしたそれらの糸は、普段の日常すら彩ってくれた。

 今なら思う。この手に飛び込んできてくれた彼女たちとの関係を手放したくないと、そう強く。

 だから今度は、こっちが絡みに行く番だ。

 俺はとっくに知っていた。相手の側へ飛び込むことは、受け身でいることの何百倍も勇気がいるということを。

 彼女らは俺に話しかけた時、どんな気持ちだったんだろう。緊張? 期待? 無関心とか嫌悪……とかだったらちょっと悲しいな。

 でもそれも、直接聞いて知ってみたい。

 そんなふうに、糸を手繰るように走り出す。

 人間関係は糸のようなもの。だからこそ、相手に自分という糸を勇気と共に手渡し、信頼と共に相手の糸を受け取ることでのみ、関係は繋がり保たれるのだ。


 ◆


 巡が飛び出し、扉が開け放たれた部屋。

 風に揺れる手紙には続きがあった。


[PS. もしもあなたが"お父さん関連"のことで悩んでいるのなら]


 それはどういう意味なのか。今宵何が始まろうとしているのか。


[死なないように、目でもなんでも使ってしまいなさい]


 ——それらは全て、今から起こる戦いが物語るであろう。

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