⑧-1 4月8日(水)・舞台裏

 4月8日、放課後。

 木世津高校の西棟4階廊下にて。

 点滅する蛍光灯が、夕暮れ時の薄暗くなってきた廊下を照らす。部活棟とも呼ばれる西棟の中でも特に人通りの少ない4階廊下の真ん中あたりで、その二人は対峙していた。


 片側は赤毛の女子生徒。


「四季巡が部活やってるっていうから来たらさぁ……なんでアンタが居るワケ? クソチビ科学使い」


 そして彼女と睨み合うもう片側は、異なる制服を着た金髪の中学生。


「……それはこっちのせりふ。識別番号S-023-051、発火の超能力者」


 怒りをトリガーに炎を発生させる超能力者、春咲はるさく朱里あかり

 思考を直接機械に送り兵器を操る科学使い、冬野ふゆの理沙りさ

 その両者が、まるで昨日の朝の焼き増しのように殺意敵意をぶつけ合う。


「ここ高校なんですケド。中学生が入っていいと思ってんの? 親切な在校生代表として、不法侵入で処刑してあげよっか?」

「私はこちらの教員に、お兄ちゃんをむかえに行くきょかをもらっている。それにあなたも身分や年齢を詐称しての転入だと推測。罪状が多いのはあなたのほうでは?」

「……ほんっとムカつくわね頭でっかちのガキってのは……!!」

「問題ない。私も短絡的かつ暴力的な原始人はきらい」


 朱里の燃え盛る怒りに対し氷の冷たさで返す理沙。もはや戦闘は必定であった。

 パチパチと空気が乾く音が響く。ガシャガシャと収納されていた兵器が組み上がっていく。冷たい殺意が廊下を満たし、正に一触即発の空気が出来上がる。常人には耐えられないだろう静寂と緊張の中に立つ2人の少女は、自然体のように見えて油断なく相手の出方を窺っていた。

 遠くで聴こえる生徒の声。窓から差し込む茜色の夕日。どこかで秒針が鳴っている。その静寂から両者は人払いが完了している――戦闘するのに支障がないことを理解し。


「それじゃ――」


 朱里は姿勢を正し、足でトントンと床を叩いて。


「——"燃えろ"」


 轟、と。

 紅蓮が、理沙の体を飲み込んだ。


 それは余りにも一瞬のことで、言葉に乗っていた重みからするとあり得ないような現象で。

 けれど現実として、人間ひとつ程度余裕で飲み込む巨大な炎が、標的となった少女を包み、それだけでは飽き足らず床を壁を天井を焦がしていく。

 正しく紅蓮の暴虐。刹那に現れ闇を喰らうあかの王。

 その災害のような光景を起こした超能力者――春咲朱里の姿は、攻撃後というのにひどく自然体で、目の前の炎がなければ普通の女子生徒であるように見えさえした。


 ――超能力に目に見える予備動作タメなど無い。それを発動させるのはトリガーたる感情のみで、力みも備えも不要。故に彼女らの一挙手一投足は、その全てが直後に能力を使える「攻撃モーション」になり得るのだ。


「悪いわね、待たされてイラついてたからさ……ま、そこらの炎よりずっと熱いから、火事で死ぬよりは苦しくないんじゃない?」


 朱里が燃え盛る炎の塊を見ながら勝利を確信したときだった。

 炎の中から何かが飛来。朱里の頬を熱が奔る。

 それは「銃弾」。朱里の頬の皮が削れて出血し、千切れた赤毛数本が空を舞った。


「ちッ」


 朱里は舌打ちし、炎の勢いを強めるのではなく弱めた。彼女に慢心はない。「火が効かない」ならその理由を確かめなければ、こちらの視界が悪いだけだ。


 果たして、炎の中から現れたのは――理沙の体を覆うほど巨大な、機械の盾。その盾の表面には僅かな焦げ付きも無く、それが先の炎を完璧に防ぎ切ったことを表していた。

 ただの盾ならば、今しがた理沙を襲った鉄をも溶かす朱里の炎は防げない。それが意味することは、即ち。


「クソ、『発火能力者わたし対策』の機械かよッ」


 朱里は悪態と共に、過去幾度も戦った科学使いたちのことを思い出す。彼らが最も厄介な点は、一度能力が割れるとそれに対するカウンターアイテムを瞬く間に量産することだった。それは、既知の脅威への対応こそが科学というものの真髄なのだろうということを朱里に悟らせるものであった。つまり科学使いとの戦いは、初見ではこちらに分があるが、一度でも取り逃がせばそれ以降の分はあちらにあるということ。そして現在の状況は、後者。


「『試作耐熱防壁』——あなたの能力は対策済み」


 理沙の熱の無い声が響く。

 理沙の背負った一見何の変哲もない革製のスクールバッグ、そこから伸びる蜘蛛の脚にもにた機械の腕が二つの盾を構えていた。左右で対称となっている白い盾は、どういう原理か鞄よりも遥かに大きい。右と左に分かれた盾が合体することで半球を作っているさまは何処か甲殻類を思わせる。

 そんな盾は炎の勢いを完全に殺し、弱まるそれを振り払った。後に残るのはやはり焦げひとつない機械の大盾と、


「武装制限限定解除。対異能者機銃・FA-47改を4丁並列起動」


 その特殊な素材の盾の隙間から覗く、複数の銃身。漆黒の砲塔の内のひとつからは硝煙が漏れており、先ほど朱里の頬を掠めた銃弾の発射元がどこかを雄弁に語っていた。

 盾の後ろで複数のアームに銃を構えさせた理沙の眼光が、黒い銃口が朱里を睨む。

 その兵器には慈悲など無かった。


「照準固定——射撃ファイア


 ズガガガガガガガ!! とFMJフルメタルジャケットの銃弾が廊下にまき散らされ、苦し紛れか盾のように現れた炎ごと朱里の全身を穿った。

 標的の頭を、胴を、腕を、脚を幾度も貫き……それでも射撃は止まない。万に一つの生存確率を確実にゼロにするため、理沙は脳波でアームを操作し機銃の反動を制御、同じ的に弾丸を命中させ続ける。

 数秒か数十秒か、鉛の嵐は吹き荒れ続け。

 ――カシュン、とやけに軽い音が響き、銃撃音は止まった。いかなる原理か床に落ちた薬莢は無い。

 理沙は連射の熱で赤くなった銃口バレルの状態を確かめつつ呟く。


「発火の能力は防御に向かない。司令部の見解はやはり正しかった――」


 言いながら、理沙はふと違和感に気付いた。

 銃弾に際限なく貫かれた朱里の体は、倒れない。


「!」


 ズガガ!! と反射的にバレルの冷却を待たず再び数発を撃ち込む……それらは命中したように見えたものの、やはり朱里は倒れなかった。否――そもそも血も肉も飛び散っている様子がない。それはまるで、水面に映った月目掛けて石を投げ入れているような手応えの無さ。


「(何かがおかしい……)」


 司令部に違和感を報告しようとしたそのとき、被弾数を考えれば動くことなど出来る筈のない朱里の姿が、陽炎のように掻き消えた。


「!! 生体感知——」


 反射的に生体反応を拾うレーダーを起動する理沙。

 だが、一瞬遅い。

 レーダーが結果を知らせる直前、既に理沙の背後に朱里は居た。当然本物であり、銃創など何処にも見当たらない無傷の彼女は、手品のネタばらしのように薄く笑う。


「残念、『蜃気楼』よ」


 ――「蜃気楼」。それは砂漠などでよくみられる、空気の温度差によって発生する光の屈折現象。炎を、つまり空気の温度を操る発火能力者の朱里は、その現象を訓練によって制御し防御能力へと昇華させていた。

 つまり今回は、そうして朱里が人為的に発生させた蜃気楼が、理沙が見た朱里の位置と実際の位置をズラし……その結果理沙の銃口は「虚像」の的を狙ってしまったのだ。


 当然そこまで丁寧に説明する義理も無く、朱里は理沙の背後で獰猛に笑う。空気が乾いて悲鳴を叫び、怒りが炎を招来する。


「そしてこれが――」


 これよりは刹那の攻防。

 理沙も無抵抗にやられはしない。


「(白兵戦用兵装起動、耐火用水蒸気散布最大!!)」


 理沙の鞄から大量の水蒸気が噴射され、それに合わせるように一本のアームが背中から伸びた。その先に付いているのはカッターナイフの刃を巨大化させたようなシンプルなカーボンブレード。切れ味は日本刀に匹敵し、先端の初速は音速を超えるそれを、理沙は振り向くと同時脳波操作によって背後に振るう。

 だがそれよりも早く、理沙の胸辺りに赤い火花が発生する。朱里は勝ち誇るように歯を見せて笑い叫ぶ。


「——『本物』の、炎!!」


 対して理沙はあくまで冷静に現状を分析し、防御を諦めて攻撃に意識リソースを集中、相打ち覚悟の刃を叩き込もうと己の全機能を振り絞る。


「(加速度最大、刀身延長エッジランナー!!)」


 刹那の攻防は今にも終着を迎えんとしていた。

 赤き暴虐が小さな体を焼き尽くさんとあぎとを広げる、または精密無比な軌道の刃が心臓を貫こうと奔る、正にその瞬間——。


 第三者の声が、響いた。


「——騒がしいですね、人の結界内で」


 同時。

 床を天井を突き破り、細長い茶緑の「なにか」が超能力者と科学使いに巻き付いた。首、腕、胴、脚、と彼女らの体を乾いた感触が締め付ける。


「はぁ!?」

「――」


 細長い、と言っても人の胴程の太さのあるソレにがっちりと全身を拘束され、双方動きが止まり戦闘の中断を余儀なくされた。

 2人を拘束する謎の物体、蛇にも似たそれの感触が「木」であるのに2人が気付くと同時、その人物は現れた。


 満足に動かせない首で捉えた視界の端、射干玉ぬばたまの髪がふわりと揺れる。学者然とした涼やかな声が廊下に響いた。


「その魔法植物は『アナコンダマングローブ』と言って、中南米原産の攻撃的な種です。動く生物を棘のある幹で絞め殺し血を啜るという生態があるので、出来れば声が出せなくなる前に降参してください。棘は削ってますが、大の大人すら絞め殺す力はそのままですから」


 どんな植物だよ、というツッコミは流石に喉から出なかった。

 すらりとした肢体、手で抱えるのは古びた本。眼鏡の奥の碧眼は深い叡智を湛えている。静謐な夜から飛び出してきたような彼女は、その整った顔に似合わないどこか自信なさげな表情で語った。


 朱里と理沙は、ぎちぎちと体が軋むほどの圧迫感を全身から感じながらも乱入者の正体を悟る。それは今朝、四季巡の部屋の前で睨み合っていた時のこと。新たに巡を迎えに来た三人目の女が居たのだ。異能者らしきソイツはムカつくほど美人なうえに中々弁が立ち、そのせいで朱里は炎をちょっとだけ暴発させてしまったのだが……。


「……あんた、確か今朝の……やっぱ異能者か!!」

「声紋鑑定——データ照合、木世津高校三年生・夏目優乃と一致。分析から対象を『魔術師』と推測」


 と、あちらもそんな記憶を思い出したようで。


「あ、あなたたちでしたか。あのー、私も鬼ではないので『四季巡』から手を引くと約束してもらえれば命までは取りませんよ?」


 一度顔を合わせ一緒に登校したただけとはいえ顔見知りを殺すのは気が引けるのか、どうにも語気が弱くなる優乃。だがその言葉には、優位に立つ者の余裕がどこか透けていて。

 そんな彼女の言葉を聞いた朱里は、それによって沸き起こった怒りを燃料に変えた。


「ハッ、誰がするか!」


 ゴウ!! と炎が巻き起こり、朱里を締め付けていた植物が燃え尽きる。布一枚の感覚で自分に炎を届かせないという神業を披露してのけた朱里は拘束から解き放たれ、しなやかな動きで床へと着地。


「強度、計算完了。状況への対処を開始」


 それとほぼ同時、理沙もアームの先に鋭利なブレードを取り付け一瞬のうちに数度の斬撃を放つ。ブレードは瞬く間に太い幹を細切れに切断、解放された理沙はそのままアームを使って安全に着地した。

 そんな彼女らの動きを見てたじろぐ優乃。しかしそれは相手への恐怖からではない……むしろその逆。


「やっぱりそうなりますか……。あの、私、できれば殺しはしたくないんですけど……お姉さん不器用なので、引かないというなら手加減できませんよ」


 その「戦えばこちらが勝つ」と言わんばかりの態度に、


「上っ等……ッ! 燃えカスにしてやるわ!!」


 朱里は闘争心を露わにし、


「対象魔術師の敵対行動を確認。攻撃対象を追加して戦闘演算を再開します」


 理沙は冷静に勝利への計算を始める。


 ――ここに戦場は、三つ巴の様相へと変化した。


 不意に下りた、しん、という一瞬の静寂の後に。

 押し留められていたものが決壊するように、三者は一斉に動いた。


「"燃え尽きろ"ッ!!」

超兵器光学銃レーザーガン展開、射撃ファイア

「詠唱簡略、おいで土人形golemっ!」


 それらは全て必殺の異能。

 超能力が、科学が、魔術が。学校内で激突し、衝撃と共に死闘の第二幕が開かれた。


 ◆


 ふと、爆発音のようなものが聴こえた気がした。


「……なんの音だ?」


 放課後、ちょうど下校をしているとき。

 曲がり角を曲りながら、俺、四季しきめぐるは音の方向である学校の方を振り返った。


「……」


 ただ、見えるのは緑色のネットの向こう側に等間隔で植えられた生垣だけ。これじゃ音の正体を推理するヒントにもなりやしない。

 数秒考え、


「ま、気のせいだろ」


 俺はそう呟いて、止まっていた足を家に向かって動かす。


「それよりも今は課題だよなぁ。新学期早々出しすぎだっての。謎パワーはもう消えちまったし、今夜ゲームする時間が取れるかどうか……」


 そんな学生としては残念なことを考えていると、距離も短いからかすぐに寮の前に辿り着く。

 と、寮の前に誰かが立っていた。珍しい光景だ。

 誰だろうか。眼鏡に夕日が反射して視界が悪いため、その人物の顔は見えない。


「あの子は……」


 その人は誰かを待っているようだった。だがまあ待ち人は俺ではないだろうな、うん。寮の誰かの知り合いか? まあ関係ないことか。

 俺は「彼女」の前を通り過ぎようと、少し歩く速度を上げ……。

 ——ぞくり。

 何か不穏な感覚が俺の背筋を駆け登る。


「(な、なんだ?)」


 これは多分、恐怖。生存本能が脅威を察知したのだ。

 だが、何故。ここには猛獣も危険そうな人も居ないのに。居るのは寮の前で人を待つ1人の少女だけ――。


「——まさか」


 俺はその少女の方を振り向いた。そして感じる。やはりこの悪寒は、この人物から発せられるものだと。

 目が、合う。

 冷たい瞳だった。まるで鋭利なナイフみたいな、ひとつの目的以外を削ぎ落した結果ある種の美しさを獲得したような、そんな鋭い視線。


「き、君は……」


 そして……。その冷たい目は知らなかったが、確かに知っていたのだ。


「いつも挨拶してくれた……」


 彼女は俺の1学年後輩で、今は中学生で。直近だと昨日下校中に顔を合わせた、茶髪の――。

 ここで思考が止まった。何故なら。


「……あれ。名前なんだっけ」


 そう。名前が分からないのである。

 あほ―、とカラスが鳴いた。なんか真面目な空気が冷たい風に運ばれてどっかに飛んでいった気がした。


「(……仕方ないじゃん、覚えて無いもんはさあ! でも名前聞いたのずっと前だし一回だけだししょうがないよな! うん!)」


 自己弁護空しく俺がいたたまれなくなっていると、向こうが動いた。

 彼女、暫定「後輩ちゃん」は俺の方にすっと一歩踏みだし、そして起伏の少ない声で自己紹介をしてくれる。


「――コノエ。秋月あきつきコノエです、四季巡先輩」


 あー、そういえばそんな名前だったなぁ!


「あっあー秋月さんね。はいはい覚えてる覚えてる。いやーギリギリのところで出てこなかったなー、いや『あき』は分かってたんだけどね『あき』は。うん」


 早口で言い訳をまくしたてる俺。それを見る後輩ちゃん改め秋月サンの目がすっごい冷たくなっている気がするのは気のせいだと思いたい。

 そんな秋月はあくまで冷静に語る。


「……問題ありません。それよりお時間よろしいでしょうか」

「え? あ、まあ暇だけど……」


 名前を忘れていた後ろめたさもあって流石に逃げれない俺に対し、彼女は制服の内ポケットから何かを取り出して見せてきた。それは……。


「……写真?」

「はい。これをご覧いただけますか」


 それは3枚の人物写真だった。思わず受け取って確認する。


「これは……」

「その顔を知っていますか?」


 元の写真を拡大したのか粗い3枚の写真に写っていたのはそれぞれ、全員俺が知っている人物——春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃(?)だった。

 総じて3人とも、俺が知っているのとは様子が異なる表情と格好をしていて、さらに写真の彼女らはカメラの方を向いていない。まるで隠し撮りでもされたのかのように……。


「う、うん。春咲と、理沙ちゃん……これは、だいぶ雰囲気違うけど夏目先輩、かな。えーっと、なんで秋月、あー——」

「呼び捨てで問題ありません」

「えっと、なんで秋月がこの写真を?」


 写真を返そうと差し出しながら問いかける。


「そのことですが――」


 その時。

 今度こそ巨大な爆発音がふたつ、連続して学校の方角から響いた。

 数秒遅れて確かに揺れる空気と地面。


「な、何が……ッ」


 普通ではありえない現象に慄いていると、サイレンの音と共に滅多に聴かない警報が鳴った。夕暮れの街に、少し聞き取りづらいアナウンスの声が響く。


『現在、木世津高校内でガス爆発が発生しました。なおこの事故は小規模なもので、怪我人などは出ていません。繰り返します――』


 おそらくどっかの役所のアナウンスだろうその報告に、俺は胸をなでおろした。


「が、ガス爆発……小規模、けが人も無しか」


 ちょっと安心した様子の俺。そんな俺を、秋月は睨むように見ていた。

 彼女が不意に問うてくる。


「……気が付きませんか?」

「へ? 何に?」


 抽象的な問いに困る俺に対し、彼女は鋭い、ひどく真面目な表情で続けた。


「警報のことです。。爆発事故が起こってから数分もしないうちに被害状況を確かめて発表するなんて不可能です。つまり今のは、事態を大きくしたくない『誰か』が出させた偽の警報」

「は? 偽?」


 思ってもみない話の飛び方に混乱する俺を置いて、秋月は続ける。


「本当は気付いているのではないですか? これの他にも、彼女たちとそれを取り巻く周囲には不自然な点があったハズです」

「不自然な、点……」


 その言葉は、俺の封じていた思考の蓋を開けるようだった。


 ……ずっと考えないようにしていた。頭に引っかかった違和感の数々を。

 曲がり角から飛び出てきて元の方向に戻っていった春咲。その後転校生だと分かって、隣の席で……そして身に覚えのない俺の「幼馴染」を名乗った、赤毛の少女。

 中途半端な時期に引っ越ししてきた理沙ちゃん。思ったより力持ちで、神出鬼没の謎のお父さん(?)が居て……俺をお兄ちゃんと呼ぶ、「妹」ではない金髪の女の子。

 急に部活に来るようになった夏目先輩。美人で、怖いのか優しいのか未だによく分からない……突如現れた「先輩」で、黒髪眼鏡の美人。

 彼女たちとの出会いがここ数日に集中しているという事実。そして彼女たちと出会ってから、俺の周囲で起こりだした怪現象。


「……そんな、まさか」


 知らず、ごくりと喉が鳴った。

 俺は気付けば、秋月の真剣な目を覗き込んでいた。彼女が俺の違和感への「答え」をくれるのだと直感しての行動だった。

 そうして、秋月は俺の手から写真を受け取ると、テストの答えを告げる教師のように、


「この写真に写っている人物……彼女たちは『異能者』です」


 そう、告げた。

 彼女は続ける。己の胸に手を当て、見覚えのない敬礼の姿勢を取りながら。


「私は人に仇為す異能者を狩る組織『異端審問会』所属の審問官、秋月コノエ。あなたの御父上——進さまに受けた恩に報いるため、あなたを護りに来ました」


 夕暮れの空には、太陽を押しのけるように月がその姿を現そうとしていた。


 ◆


 紅蓮が咆哮する。灼熱の炎熱が空気を呑み、空間を飲み込んで爆裂する。


「おら、吹き飛べッ!!」


 春咲朱里が叫ぶと、爆炎が世界を支配した。目を焼く光、肌を焦がす熱。それに一歩遅れて体ごと耳を震わせる爆発音が鳴り響く。手心も何もない無慈悲な爆撃が炸裂。ダイナマイト顔負けの破壊力が、戦況を大きく動かした。


 ――春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃。彼女ら異能者の三つ巴の戦いは、現在西棟4階廊下から西棟屋上へとその舞台を移していた。


 屋上を埋め尽くしていた爆炎が晴れる。そこには。


「耐火装甲半壊、本体損傷率20%……」


 融解した盾をアームから切り離す、右肩の制服と肌を焼かれた理沙と。


「私の結界内で土人形ゴーレムを……! 本当に出鱈目ですね超能力者っていうのはっ」


 半身を失くした3メートル程のゴーレムに辛うじて守られた優乃の姿。

 そんな彼女らに対し、朱里は容赦なく追撃を始めた。炎が逃げる理沙を蛇のように追い、守る優乃を獅子のごとく襲う。

 それらの火を完全に操りながら、朱里は叫ぶ。


「勝負あったわね! アンタらの異能は所詮『まがい物』!! 魔法や機械を使って超能力を『再現』してるだけ! 現にアンタらにはがある」


 炎による攻撃を続けながら、朱里は敵対する2人の姿を見た。

 アームを使った高速移動で逃げ回る理沙は、銃での反撃もしてこない。半ばで焼け落ちた幾本かのアームから見て、もう回避と攻撃とを同時には行えないのだろう。

 また魔法陣の上に立ちドーム状のバリアで身を守る優乃は、少し息が上がってきていた。それは体力のなさからではなく、脳の内側から湧いてくるような特殊な疲労感ゆえ。

 朱里は勝ち誇りながら続ける。


「魔力や残弾・エネルギーってのはワンアクションごとにすり減っていくのよね……その消耗した顔が教えてくれるわ。けれど超能力に発動限界そんなものは無い、感情がある限り使い続けられる……つまり、こっからはずっと一方的な虐殺ワンサイドゲームよ!!」


 そう言って炎の勢いを増幅させる朱里。夕闇を遠ざける赤、全てを灰にする熱だけが戦場を覆う。

 彼女に追い詰められながらも、しかし魔術師・優乃は冷静だった。


「ええ。確かに超能力は強力ですが、使える異能は1種類。いくら応用が利くと言っても自分の能力を逸脱したことは出来ないでしょう。ですが魔術なら――」


 つらつらと述べながら、彼女はドーム状の防御魔術結界バリアの中で、手に持っていた本を開いた。

 途端にそこから光の帯のように文字列が飛び出し、優乃の周囲を取り囲む。それは魔導書に仕込んであった魔術であり、効果は限定的な魔力のブースト。


「有利不利、残りの魔力量に戦場の状況……その全てを参照し、最も適した魔術わざを選ぶことが出来ますっ」


 そうして優乃は――詩を詠うような優美さを、聖書を朗読するような厳格さを、決意を口にするような力強さを以て――魔導書に刻まれた呪文を諳んじる。


来たれVeni来たれveni

 海の悪神Mali maris deus.ねじれた水torta aqua.黒き海に渦巻く怪物よMonstrum in Ponto gurgite.

 我は知識を開くものCognosco et utor cognitionis.我は知識を閉ざすものEgo sum verus cognitionis successor.

 目覚めよExpergiscimini目覚めよexpergiscimini

 汝つかの間の自由望むならSi libertatem momentaneam desideras,破滅を叫びて現世を飲み込めex- clama fata et deglutire mundum.——」


 あまりの空気の変容に、場が異界となったかのようだった。

 優乃を中心に渦巻く魔力はやがて収束し、空中を漂いながら現実へと顕現するためのカタチを持つ。

 その色は水。その姿は竜。

 其は荒波の化身にして、全てを飲み込む災禍の顕現――。


大賢者の魔導書Grimoire of Magus、41章35節——『海竜の召喚Ira Leviathan』」


 大魔術の完成により世界が軋む。それは怪物の咆哮に似ていた。


 そして水の竜は全てを飲み込まんとあぎとを開き突進を始める。

 河の流れのように体を分かち、8割は朱里の方へ、残った2割は理沙の方へ。優乃を襲っていた炎を容易く飲み込み消火し、そのまま"本流"は朱里に襲い掛かった。


 流石に顔色が悪くなった朱里は叫ぶ。


「炎に水って、ゲームじゃないんだからッ!!」

「でも効果的でしょう?」


 咄嗟に展開された巨大な炎の壁と、水の竜が激突した。

 ジュワアアアアッ!! という水が蒸発する音が爆発音のように響く。ただやはりと言うべきか、徐々に押されているのは朱里だった。水の勢いが炎を飲み込んでいく。


「こっのおぉぉぉぉぉッ!!」

「ふう。ちょっと危なかったけどなんとかなりそうです」


 ド派手な魔術をコントロールしながら「ポ〇モンも馬鹿に出来ませんね」と呟く優乃の横に、カランと何かが転がった。


「?」


 それは手のひらサイズの鉄の筒のような物体。

 優乃がそれについて何らかの感想を持つ暇も無く――。


「強化スタングレネード、作動」


 理沙の声を最期に、音と光が全てを吹き飛ばした。


「「――!!?」」


 驚愕もすでに遅く。

 何も見えず聴こえない世界に閉じ込められてしまった朱里と優乃。目は真っ白な閃光に眩み、耳は鋭い音に耳鳴りで何も聞こえなくなる。


「(な、目が――)」

「(しまった、集中を乱した! 魔術が消える――)」


 炎の壁も水の竜も消滅。

 そのまま碌な動きを取れなくなった2人だったが、この場所にて動く者が居た。


 それはゴーグルのような真っ黒なアイバイザーを装着していた理沙。今しがたスタングレネードを投げた彼女はバイザーを外しながら、動きの止まった朱里と優乃に銃口を向ける。


「科学は、最も実用的で効率的。敵対存在を排除するのには魔法も超能力も要らない。銃弾一発で人体は活動を停止する」


 ズガガガガ!! と銃声が響いた。乱射される鉛玉は鋼鉄の嵐となって、照準の先の異能者2人に降りかかる。

 方や超高温の炎と勘頼りの蜃気楼で防ぎ、肩や防御用の魔術と植物で全方位を防御するも、足元すら見れない状態で取れる守りは不完全と言わざるを得ない。そのまま鉛玉の的となった彼女たちは、かろうじて急所は守れているものの、毎秒ごとに傷が増えていく。

 今や屋上に響くのは銃撃音と理沙の語りだけ。


「消耗なんて関係ない。本物か偽物かはもっと関係ない。技術とは全てが先人を模倣した偽物で、全てが人の役に立つ本物。そして私には、敵を殲滅するのに必要な技術が全て搭載されている」


 しかしここで、弾を乱射していた銃身バレルの両方が異音と共に破損した。片方はあてずっぽうで放たれた炎の熱によって変形したことで弾詰まりを起こし、片方は傷つけた物を自動で襲う呪いによって銃身を歪まされたのだ。


「……まだっ」


 理沙はすかさずブレードによる白兵戦を仕掛けようとして……しかしその攻撃は、勘が良い朱里のあてずっぽうの炎と、独自の意思を持ち主を守る植物に阻まれてしまった。

 その隙に、徐々にではあるが2人は視力聴力を取り戻していた。


「見えて、きたわ……クッソ、アンタら絶対燃やしてやるッ」

「いっつぅ……目がチカチカする。ですが、ここで死ぬ訳にはっ」


 それに対し、理沙は油断なくブレードを構える。


「……戦闘演算、再開。脅威度を再計算」


 窮地を脱した2人と、優位を失った1人。

 三者三様に消耗しつつも最低限体勢を立て直し、再び激突しようとそれぞれが足を踏み出した時だった。


 ――ぞあ、と。


 強烈な悪寒が3人を包んだ。

 戦闘中の研ぎ澄まされた警戒心故に拾った危険信号。己に向けられた視線、その元を全員が無意識で特定する。


「「「!?」」」


 三人は弾かれたように一斉に一点を――悪寒の先、屋上のさらに上、給水タンクの方を見上げた。

 そこに、居たのは。


「やっほ~、派手にやってんね~。3人とも傷だらけだし。ウケるわ~」


 鬣のような藍色の髪、露出の多い派手な恰好の女が、月を背負って其処に居た。薄闇で金に光る双眸が、にやにやと不気味に嗤っている。

 されど重要なのはそこではない。


 彼女には異常な点がふたつあった。ひとつは、頭頂部から髪の色と同じ獣の耳が生えていること。音を拾うように動くソレはどう見ても血が通っていて、取って付けた偽物には見えない。

 そしてもうひとつは――自身の身の丈を超える大きさの、漆黒の剣を持っていること。その剣から放たれる威圧感、纏った死臭の濃密さたるや、死地に慣れた異能者でさえ息を詰まらせるほどだった。

 その剣の名を、伝説を、その場の全員が知っていた。


「——魔、剣……?」


 それは誰が言ったのか。自分の声か、他人の声か。今やそれが分からない程に、場の空気は張りつめていた。

 こちらを見下ろす新たな乱入者を除いて。


 魔剣を握った謎の女――『魔剣士』は、まるで友人に話しかけるような気安さで緊張の中口を開く。


「3人とも異能者っぽいし、質問おけ? ウチさぁ、探してる人いんだけどね? 写真は持ってんだケド、なんか全然見つからなくて。もう超萎え~でさ、1人で探すの諦めちゃった」


 あまりにも軽い口調と態度。頻繁にこちらから目を放すオーバーな仕草。

 そんな相手にも油断なく警戒を続ける3人は、次隙を見せれば軽く攻撃でもしてみるかと身構えて――。


 獣の眼光が、縦に裂けた金の瞳孔が、その思考を咎めるように三者を射抜く。


「だから訊きたいんだケドぉ……アンタらさァ、『四季巡』がドコにいるか知らにゃい?」


 ――その時、彼女らは初めて気づいた。場に満ちた緊迫感の理由を。彼女のおちゃらけた顔の裏に、おぞましいほどの殺意が隠されていて、それがじっとりとこちらを見つめている事を。


 そう、確かに3人とも気圧された。

 首元に刃物を突き付けられたかのような殺気に膝を屈しそうになった。皮膚が泡立ち、喉が締まり、足から一瞬力が抜ける。

 だが。ざり、と全員が気力を振り絞って床を踏み、膝を屈することを拒んだ。


 そして、動いたのは朱里。プライドの高い彼女は己が気圧された事実が許せず、乱入者を睨み返しながら赤毛を逆立てる。


「ッは、言うワケないでしょコスプレ女!!」


 空気が乾く。怒りが紅蓮を招来する。


「"燃えろ"ッ」


 狙いは給水タンク上の魔剣士。ぴくり、と彼女の獣の耳が動く。牙の生えた口が獰猛に開く。


「ふぅん。言いたくないならぁ――」


 言い終わる前に、炎が、魔剣士の胸元で弾け――。

 冷たい声が、炎を切り裂くように。


「——死んでイイよ」


 斬。


「え……?」


 朱里の口からそんな声が漏れた。その目が下へと動き、噴き出る赤い色を見る。


 ――漆黒の刃が、朱里の体を袈裟切りにしていた。


「あッハァ……!」


 刃を振るった獣が、肉を断つ手応えに深く嗤う。

 黒い三日月状の斬撃の軌跡が消えると同時、朱里に刻まれた傷口から鮮血が散った。


「(速、見えな――)」


 そんな思考すらもはや追い付かず。一瞬遅れて胸を腹を貫く激痛に、彼女の思考は千々に千切れた。


 どさり、と。

 朱里の体が力なく倒れる。倒れた体からどくどくと赤い血が流れ、制服を床を汚していく。1秒、2秒、それと同じ光景が平坦に続く。

 それきり、朱里が動くことは無かった。


 他の反応は数秒遅れた。


「「――!!」」


 理沙と優乃は戦慄する。

 警戒はしていた。けれど気付いたときには魔剣士は朱里の前にいて、自分たちが苦戦していた超能力者の体をやすやすと切り裂いていた。


「(目にも留まらぬ異常な速度、身の丈より大きい武器を容易く振るう膂力――これが伝説に謳われた魔剣の力……!?)」

「……戦闘演算再構築。敵のデータを入力、勝利の可能性、は――」


 そんな理解の埒外と出会った思考の空白の中。

 2人の目の前の女は刃についた血を指で拭うと、それを恍惚の表情で舐めとった。血の赤で汚れた舌を見せながら笑うその表情は、殺戮を愉しむ獣そのもので。


「あー、やっぱ血ってキレイだよねぇ。その人のフダン見えない一面っていうのかな? そういうのを独り占めできるユーエツ感、トクベツ感……無くなると死んじゃうからこそ映えな、エモいエモぉいキレイな赤」


 その声もやはり、狂気の快楽に濡れている。

 月下、人を斬る人に似た獣は嗤う。それは異能者からしてもどこか現実離れした光景で、見る者の冷静な思考を許さなかった。反撃も逃走も脳の片隅にすら浮かんでこない、そんな異常なる光景だったのだ。


 そして、魔剣士がこちらを振り返る。

 獲物を睨むその双眸は、金色の殺意で夕闇を裂いた。

 牙を持つ口が楽し気に踊る。


「——ね。ふたりの血も、見せて?」


 死。

 それを予感したものの、もはや身構える猶予も覚悟する余裕もなく。


 漆黒の刃が2度振るわれ、ほぼ同時に赤い血が飛び散った。

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