⑥ 4月7日(火)・学校生活/舞台裏

 それは今から数日前の事。

 国内某所、何十にも重ねられた結界によって魔術師以外から秘匿された、魔術協会日本支部の内部にて。

 そこは高さ10mを超す本棚が乱立する巨大な書庫だった。埃とインクの匂いで満ちた広大な室内の空気を、空中をひとりでに回遊する蝋燭が乱す。

 そんな部屋の中心に置かれた100人が同時に座れそうな木製の長机に誰かが居た。カンテラの火が手元を照らす中、その人物は本を手にぶつぶつと何かを呟いていた。少し妙なのは、机には積まれた本に開かれた本も沢山あるのに、その人物は一冊の本を開きもせずにひっくり返しているということだ。


「触媒に水銀と黒薔薇、鍵は古代の巻き貝の化石……呪文は“exorcizo tenebris”……おかしいな、封印が解けない。うーん、何か見逃したのかな? それとも錬金術式のプロテクトじゃない? もしかしたら装丁に使われてる革と骨にも何か意味が……」


 机にて独り本と向き合うのは、古めかしいローブを着た女性だった。雑に伸ばしたぼさぼさの黒髪、野暮ったい瓶底の眼鏡が緑の瞳をくすませる。己の格好など気にせず一心不乱に本と向き合うその様は、歴史や文学の研究者を思わせた。それも長机に散乱した何に使うかもわからない古臭い器具と素材、時代遅れの羊皮紙と羽ペンが無ければ、だが。


 そう、彼女は文学者でも歴史家でもない。彼女は魔術師——魔術を学び、創り、操る、特異な異能者のひとりである。此処は魔術協会日本支部の中でも特に重要な一室、通称「魔導図書館」。魔術師が己の知識を記した書物であり、知識を封じた強力な武器であり、また特大の危険物である「魔導書」を保管・研究する施設だ。

 そんな魔道図書館の大扉、まるで百年間一度も開いていないかのような威圧感を放つその鉄製の扉が、ギギ、と軋みながら開いた。それにばさりという音が重なる。それは来訪者がローブを翻す音。しかし室内の魔術師はそれに気付くことなく本をひっくり返しながら研究に没頭する。


「んん……? そうか! 上巻134ページの詩は魔術の詠唱分であると同時に、錬金術への否定的メッセージなんだ! そうなると表紙裏の暗号の解釈も変わってくる、つまり下巻の封印解除に必要なのは水銀ではなく9世紀初頭に流行ったアダム・シルバラックの秘薬と……」


 そんな眼鏡の魔術師に、来訪者は一歩、また一歩と近づく。


「よし、そうと決まれば薬学部に交渉を――」

「グッドイブニング、ミス優乃」

「ひゃあ!?」


 優乃、と呼ばれた魔術師が飛び上がって振り返った先には、まるで教皇のような衣装とオーラを纏った人物が。白と金で構成された服は一切の肌の露出を許さず、顔もシルエットのみが分かるヴェールで覆っている。


「随分研究熱心ですね」


 ヴェールの奥から放たれたのは女性の声。その声を優野乃は知っていた。


「なっ――賢者様!!? なぜこんな所に!?」


 「賢者」と呼ばれたその人は、まるで僧や神官のような穏やかな声で語る。


「私が此処に居て、何か問題が?」

「えっなっだって……」


 わたわたと手を振り「異常事態」を表す優乃に、賢者は少しわざとらしく、


「貴女も『親衛隊』達のように、私に『狭い祭壇に閉じこもって一生大人しく祀られていろ』と言う思想の持ち主ですか」

「い、いやそういう訳では! で、でもせめて護衛くらいは……っ」


 そんな彼女の反応に、賢者はくすりと笑いを溢した。

 自分が揶揄われていたのだと気付き赤面する優乃に対し、再び穏やかな声が降る。


「冗談です。それに抜け出したのは貴女に『大いなる意思』の決定を伝えるためですから」

「は、はぁ……」


 優乃は日本支部の公的な最高権力者である「賢者」に対し、おっかなびっくりといった様子で対応する。賢者はそんな彼女を見つつ、今度は感情を表に出さず話を続けた。


「ミス優乃。『四季巡』は知っていますね?」


「は、はい。面識はないですが一応同じ学校ですし……確か重要な情報を秘めた調査対象で、悪名高い"あの男"の息子だと」


 四季巡。それは最近異能者界隈で有名になった非異能者の名前だ。高校生の少年ながら、神器クラスの先進遺産オーパーツとも、異能力を増幅する秘境の情報とも言われる謎の「宝」——その情報を持つ「鍵」らしい。


 優乃が彼を知っていたことに、賢者は少しだけ満足げな感情を覗かせた。


「よろしい。そして……聡明な貴女ならこれも理解していると思いますが、彼に危害を加えることは出来ません」

「は、はい。——『超常殺し』、四季進のことですね」


 知らずのうちに声が小さくなる。の話はあまり仲間がいるかもしれない場所でしたくはない。まともな異能者ならば誰もがその名を恐れるだろう男の話など。


 ――「超常殺し」。それは一般人にとっては「誰も知らない英雄」であり、異能者にとっては「最も恐るべき非異能者」である。異能を持たず、素の肉体と現代武器だけで異能者を粛正する、異端審問会の「審問官」とは似て非なる存在。個々のスペックで劣る審問官が異能者に対し数の力で有利に立ち回る「群」なら、超常殺しは究極の「個」。人の身ひとつで異能者全体と真っ向から戦争できる、正に「非異能者最強の男」。

 そんな四季進はかつて様々な異能者——陣営を問わず「一般人にとって危険な思想・能力の異能者」を粛正し、結果その異能者を擁していた陣営と何度も敵対。そのたびに超人的な力を見せつけ、膨大な戦力差と敗北の予言を覆し……遂に日本の4大陣営の一角、当時最盛の「陰陽師十二神衆」をほぼ単騎で壊滅させたことで、異能者たちは彼を「超常殺し」と恐れた。

 つまり異能者という種は認めたのだ。たった一人の非異能者を、自分たちを絶滅させ得る「天敵」であると。優乃はそこで一息ついて、話を締めくくる。


「つまり私たちは、あの男を敵に回すような行為は行えない。例えば『その息子に危害を加える』、とか。四季進がという現状であっても、その正式な死亡が確認されるまでは……『超常殺し』と敵対するリスクは、絶対に避けなければならない」

「ええ、その通りです。けれど我々は『何もしない』という選択肢も取れません。この国における魔術師の立場は、まだ非常に不安定なのですから。我らは戦わなければならない。己とその同胞の権利・立場を、他の陣営から守るために」


 賢者の言葉に優乃も頷いた。異能者の権利や立場、更にその生命そのものを保証してくれるものなどない。国や法に守られた一般人とは違い、異能者は自らの力で敵と戦い、自分と仲間を守らなければならない。それを改めて肝に銘じ……優乃はそこで気付いた。


「(あれ? でもなんで賢者様はわざわざ私にこんな話を――)」


 答えは直ぐに示された。


「だから貴女の魔術は、他の異能者を撃退する為にのみ使用を許可します」


 優乃の喉から思わず「はへ?」と変な声が出た。そんな彼女に構わず賢者は続ける。


「ミス優乃……いえ、魔術師・夏目優乃。あなたに指令を与えます。『四季巡』に接触し、彼から『宝』の情報を引き出しなさい」


 突如与えられた勅命。その内容を反復し、数十回くらい反復し...…優乃は思わず叫ぶ。


「……わ、私がぁ!?」


 青天の霹靂とはこのことだった。四季巡のことや彼に接触して云々の話は少し前から耳にしていたが、まさかそれをやるのが自分だなんて。優乃は大いに狼狽え、声を荒げる。


「い、いや待って下さい賢者様! 私はただの魔導書研究者で、惚れ薬の作り方も知らないし、人の心を読む魔術も使えないし……この指示が正しいとは思えません!!」


 そんな優乃に、賢者の優しいようにも厳しいようにも聴こえる声が降る。


「けれどミス優乃、貴女は魔術知識の豊富さは間違いなく、日本支部でも5指に入ります。その若さを考慮すれば天才と呼べる人材でしょう。そして魔術師の戦いにおいては知こそが力になる。貴女はこの指令をやり遂げるだけの能力を十分に持っているハズです」


 それは間違いでは無かった。夏目優乃は秀才であり、そして天才でもあり。四六時中魔導書と向き合った結果、その魔導への理解は常人を優に超えていた。

 けれど。彼女が恐れるのはそこでなく。


「で、でも……っ」


 優乃は俯き、手をぎゅうっと握って……そして堰を切ったように己の弱さを吐露した。


「賢者様もご存知でしょう!? わ、私が人見知りで、モテなくて……お、男の人との話し方も知らないガリ勉女だってことっ! 人付き合いが苦手だからこんな所に籠って研究ばっかりしてて、皆にバカにされてる『魔道図書館の幽霊』だってことを!! わ、私には無理です! 絶対に向いてないです、ましてやこんな重要な指令!!」


 涙目で叫ぶ彼女に対し、しかし賢者は譲らず、少しだけ声を柔らかくして。


「ミス優乃。これは予言によって星から託された指令です。きっと貴女にしか出来ない何かがある。それに、貴女は母親に似て美人ですよ。その……少し身嗜みを整えればね」

「で、ですが……ッ」

「話は終わりです。追加の指示は彼を通して行うので、貴女も報告があれば同じように」


 そうして、賢者は去っていった。呆然とした顔の優乃と、その横の机に立つオウムを残して。優乃は己の人生を思い出す。友人も碌に居ない、男の影などドコにもない……そんな自分から逃げるように魔導書研究に没頭し続けた、人付き合いの苦手な女の人生を。そんな自分が、「超常殺し」の息子に近づく? 好意と信頼を得て、秘密の情報を訊き出す?


「……ぜ、絶対ムリだよぉ……」


 余りにも荷が重い任務を前に、夏目優乃は頭を抱えた。


 ◆


 そんなこんなで舞台は4月7日の木世津高校、西棟4階にある放課後の文学部室へ。


「私は文学部所属の三学年、夏目優乃。君の『先輩』だよ、眼鏡仲間の後輩くん」


 ぼさぼさの髪を綺麗に梳かし、瓶底の眼鏡をお洒落なものに変え、それだけで輝く美貌を手に入れた和風美人、夏目優乃は……。


「(し、失敗したぁぁぁぁ!! カッコつけすぎたよぉぉぉぉぉ!!)」


 四季巡へ自己紹介を行った後の澄ました顔の裏、心の中で頭を抱えて絶叫していた。


「(ほらなんか固まっちゃってるし! これ絶対『なんかイタいヤツ来た』って顔だよ! 絶対キャラ間違えた、コンビニで読んだ恋愛漫画を参考にしたのは間違いだった! てかなんでこんなスカした感じでいけると思ったの私!? 2時間も考えたのにどうして途中で気付かなかったんだろう……ああ失敗した失敗した、やり直したいぃぃ!!)」


 対して四季巡も冷静では無かった。ばさりと彼の手から本が落ちる。

 不意打ちの美人先輩登場に、巡の脳内をあらゆす思考が駆け巡り……結果、彼はなんとか相手からの覚えを良くしようと自己紹介を返す。


「あ、え、っすぅ……あの、四季めぎゅッ、巡でっす。どうも……」


 ダメだった。


「(あああああめっちゃ噛んだあああ!! 絶対俺が陰キャぼっちひねくれ野郎ってバレたああ!! しかもこんなキレーな人に! 絶対見下されてるよ、あー死にたーい!!)」


 そんなこんなで、軽率に対人経験激浅二人による地獄は生成された。


「……(あああドン引きだ! 絶対ドン引きしてるよ今の嚙み方は! 名前だけで終わりって、ほらもう最低限の自己紹介しかしてもらえてないよ! 先輩への敬意的なの消えちゃってるよ! 目も合わないし会話続かないし、あああ賢者様私もうムリですぅぅ!!)」

「……(はいはーい返事ナシです! 会話終了です! 美人先輩ルート終わりました! あーもう気まずすぎて目ー合わせらんねー! もう帰ろうかなー!!)」


 しぃんと凍るような沈黙の中、両者ネガティブな思考を爆発させながらすれ違う。

 数秒が経ち数分が経ち、沈黙に耐えられなくなった巡が、なるたけ物音を立てないように本を拾い鞄に仕舞って帰宅の準備を始めようとしたところで……優乃の手の中にある手帳が僅かに震えた。

 ブックカバーで小説に偽装した手帳のページに、黒いインクで染み出るように文字が刻まれる。


[何を黙って居るのです, Ms.ミス優乃]


 それは賢者からのメッセージ。かの御方が書き込んだ文字が、リアルタイムで優乃の手帳にも反映されているのである。

 魔道具「双子の手帳」。それが優乃が賢者から助言をもらうために作りだした魔術で作られた道具マジックアイテムだ。


 ――魔術師は超能力者と違い、様々な系統の異能を操ることが出来る。

 超能力者が「100の炎を100の精度で操る異能者」なら、魔術師は「それぞれ50の炎、水、風を50の精度で操る異能者」といった具合だ。後天的に多彩な力を身に着けることが出来るのが「魔術師」という異能者の最大の利点とも言える。

 だがそんな魔術師もあらゆる魔術を習得できるわけでは無く、身に付けられるものと身に付けられないもの、要するに「向き不向き」がある。

 そんな己の弱点を埋めるために多彩な「マジックアイテム」を用いて手数を補強するのが魔術師たちの常識であり、優乃もそれに倣って様々な魔道具を部室内に設置していた。映像を送る「のぞき見鏡」、音を拾い魔法の蓄音機スピーカーに送信する「金属耳」、他にも結界を形成する「魔石の白墨チョーク」や魔法の植物や薬などを隠した「底なしかばん」等。これは優乃が午前中に授業をサボって設置したものだ。

 そんな圧倒的に自分有利のフィールドで、魔術師は過去最高の苦戦をしていた。


「(そんなこと言われましてもっ……男の人との喋り方とか知らないですし……ていうか人と話すの自体苦手ですし……)」


 うじうじと動かない彼女を見かねてか、手帳に新たな文字が刻まれる。


[私が会話の手ほどきをしましょうか. まずは先ほどの自己紹介の不足部分を訊ねなてみなさい]


 なんとなく溜息とかが透けてる気がする指示を受け取り、優乃は小さく深呼吸。手帳を閉じて巡の方を向いた。

 気合を入れ直し、重い口を開く。


「……四季くん。君は文学部員でいいのかな?」

「えっ!? ……あ、そうです、けど。ハイ」

「学年は?」

「あっ、2年生、です」

「そうか」


 沈黙。

 会話は終わった。


「(あれえなんでえええええ!?)」

[ああもう莫迦]


 会話が終わっていたことに混乱する優乃と流石に汚い言葉が出た賢者様。そんな彼女らの反応に気付くことなく、頑張って質問に答えた巡は思った。


「(え? なんで色々訊かれた?)」


 今まで他人に興味を持たれたことなど無い彼は混乱し、その思考は明後日の方向へと突き抜ける。


「(まさか――)」


 彼の脳内でイマジナリー優乃がガラ悪く問う。

 おまえホントに文学部員か? ここはたまり場じゃねーぞ。2年のシキメグルか。顔覚えたから。嘘ついてないか後でセンコーに裏取るからな。


「(ってコトォ!?)」


 あらぬ妄想で顔を青ざめた巡。美人=自分のような非陽キャに厳しいという謎の偏見もイメージを悪化させていた。

 しかし既にいっぱいいっぱいの優乃がそれに気付くことは当然なく、縋るように手帳に現れる指示を待つ。


[とにかく何か訊いて会話を続けなさい]

「(えーとえーと)……四季くん、君のクラスは?」

「(やっぱり個人情報抑えようとしてる!?)あああの、どうして?」

「(『どうして』!? なんで!? えっと、会話を続けるためなんだけどそれ言うと引かれるよね……ここは適当に誤魔化そう)まあほら、部活の用事で呼びに行ったりすることがあるかもしれないからね」

「(呼び出し……体育館裏に来いってコトォ!?)」


 結果、思いっきりすれ違っていた。

 「よし、楽しく話せたな」とか思ってる優乃に対し、もはや巡の心にあるのは先輩への恐怖のみ。

 そんな訳でルート分岐は確定。

 彼はまだ仕舞い終えていない荷物を纏めて掴み、すっくと立ちあがると、


「えーと……失礼します!」

「!?」


 三十六計逃げるに如かずぅ! と内心で叫びながら、廊下へ繋がる扉へと向かって一目散に駆け出した。

 それに驚いたのは優乃である。


「(あれぇ!? なんで!?)」


 彼女視点だと談笑していた後輩が突然自分に背を向けて逃走を開始したのだから、驚愕・混乱も当然だ。

 だがしかし。その混乱こそが逆に優乃の思考をシンプルにした。


「(とにかく、まだ部屋から出すわけにはいかないっ……!)」


 魔術師・夏目優乃。彼女は慎重で思慮深いが、そのせいで迷いや惑いが生じてしまい二の足を踏んでしまうタイプ。魔術や研究ではともかく、知識・経験の足りない人間関係の分野では特にそうだった。

 しかし逆に言えば……迷いの生じる余地がない「一本道」では、多くの知識と経験を蓄積した「魔術」という技術を活かして彼女は本領を発揮するのだ。


「(魔石の白墨っ)」


 靴に仕込んだ白墨チョークで床に「真理emeth」の文字を描き、小声で素早く呪文を唱える。


「一握の泥・真理刻まれしものよ・汝かりそめの命もって・我が手足となれ!」


 ――小型ミニ土人形ゴーレム!!

 もごもご! と文字の書かれた辺りの床が泡立つように動いた。塩化ビニルの床材とその下のコンクリートが隆起し、混ざり合い、見えない手に練り上げられるように形を変える。そしてそれは足首ほどの高さの丸っこい体に短い手足の生えた、中途半端な人型の姿を取った。

 そんな小さな人型に、優乃は鋭く思念を飛ばす。


「(四季くんの足を止めて!)」


 魔術的なから主の命令を察知し、土人形は足を床と同化させたままかなりの速度で走り出す。そして瞬く間に巡に追いつくと、その足首を短い両手でがっちりと掴んだ。

 小型といえどゴーレムはゴーレム、人ひとり地面に縫い付ける程度の腕力はある訳で……。


「へぶゥ!?」


 どんがらがっしゃん、とパイプ椅子を巻き込んで転ぶ巡。その体は指先ひとつとして部室から出てはいない。

 バサッ、と彼の荷物が床に散乱する。


「(よし!)」


 足止めの成功に小さくガッツポーズする優乃。一拍遅れて自分の鼓動が速くなるのを感じる。


「(結界内のだから出来た補正ブーストありきの土魔術の解釈拡張に高速錬成……ぶっつけ本番だったけど成功してよかったぁ)」


 魔術が上手くいったゆえの高揚、遅れて来た緊張などの感情を整理しようと長い息を吐いて……その時彼女は気が付いた。思いっきり転び、硬い床に体を強く打ち付けた後輩の呻き声に。


「な、何かが足に……ぐふッ」

「(し、四季くーん!? 『よし!』じゃないよ、何やっちゃってんの私ー!!?)」


 斃れたまま力尽きる四季巡の姿に、犯人は内心で絶叫した。

 「足止めする」という目的に必死になったため、手段の手荒さにまで気を回す余裕がなかったことに、優乃は遅ればせながら気付く。


「だ、大丈夫!?」


 思わず彼女は手帳を投げ捨て、慌てて倒れた巡の元へと駆け寄った。倒れた彼の前で膝を付き、演技が剥がれた素の顔で怪我の様子を確認する。


「怪我とかしてないっ?」

「え? ま、まあはい」


 結果、巡は思ったよりも軽傷だった。どうやら上手く受け身を取ったらしく、派手な音とは裏腹に軽い打撲以上の怪我はないようだ。


「よかった……」


 安心して息をつく優乃に、倒れたままの巡は目を逸らしながらぽつりと言う。


「大袈裟ですいません……」


 うっ、と優乃の中で罪悪感メーターがぐーんと上昇する。

 けれどその言葉に何も言えない犯人は、小さな共犯者ゴーレムに隠れるよう命じながら、代わりに散らばった彼の荷物を拾い集めた。


「ま、まあ良かったよ大きな怪我が無くて。ほら、立てる?」


 左手でプリント類などの荷物を抱え、かがんで右手を差し出す。しかし目の前に手を差し出されたというのに、巡は一向に動かなかった。


「?」


 差し伸べた右手を軽く振ってアピールすると、得心が言ったらしい彼の目が開かれた。恐る恐る、といった具合で訊いてくる。


「えっと……俺に?」

「それ以外何があるの。ほら、手を出して」

「い、いや。悪いっすよ。1人で立て――」

「いいから」


 ぐい、と優乃は巡の手を掴み、彼が立ち上がるのを手伝う。


「ああ、制服に埃が沢山……」


 立ち上がらせることに成功したら、今度は荷物を机に置き、巡の制服に着いた埃を払い始めた優乃。そんな彼女にされるがままになりつつも、むずがゆい感情に襲われ巡の顔は赤くなる。


「(距離が、距離が近い! くすぐったい! 顔が良い! 何かいい匂いする! な、何が起こってんだコレ? 俺は何をされているんだ!?)」


 整った顔が自分の胸に寄るたび、白魚の指が布越しに触れるたび、心臓がびっくりして胸の中を跳ね回る。さらりと射干玉の髪が目の前で揺れ、それが余りにも艶やかで。なんだかとんでもないことをされているかのような錯覚が彼を包んでいた。


「よし、大体取れたかな」


 直した制服の襟を正しながら、優乃は視線を上へと動かし――ぱちん、と。男女の目が、合った。


「ご、ごめんっ」

「えっあっ」


 ぱっ、と制服から手を放して顔を背ける優乃。未だに固まったままの巡。両者の距離が離れる。

 ちょっと名残惜しいとか思っちゃった最低だ俺と叫ぶ巡の内心に気付けるはずもなく、優乃は手をぱたぱたと降りながら視線を下げた。


「ご、ごめんね。いいかどうか訊きもせず勝手に服を触って」


 優乃は謝りながら、過去の失敗を思い出していた。

 ――あれはまだ彼女が子供だった頃。賢者様が窮屈な祭壇から抜け出して、人気の無い魔道図書館に来ていたときのこと。幼い優乃は一流の魔術師でも滅多に会うことのできない御方に会えてはしゃぎ、騒ぎ、結果的に賢者様の護衛である"親衛隊"に補足される原因となった。

 あのとき私が居なければ、賢者様はもっと長い自由時間を楽しんでいただろう。


「(私はいつもそうだ。普段は無駄に多くを考えて色んなことに怯えてるのに、いざという時には考えなしで失敗する。他人に迷惑しか掛けられない、バカにされて当然の人間……)」


 優乃は降ってくるだろう怒りや拒絶の言葉を予測して俯く。


 けれど実際にかけられたのは、まったく別の言葉だった。


「い、いえ……ありがとうございました。嬉しかった、です……」


 巡の言葉に、優乃は顔を上げた。


「あ、変な意味とかじゃなくて! 何かその、優しさが嬉しかったっていうか……いやこれもキモい気がする(小声)……あー、とにかくその、感謝の意を表明したくてですね……」


 顔を赤くし、不慣れながらも必死に「ありがとう」を伝えようとする巡の姿に……優乃はなぜかおかしくなってクスッと笑った。

 笑われた!? と被害妄想に陥る巡に対し、彼女は柔らかな声音で。


「そっか。なら、どういたしまして、かな?」

 そう言って、いたずらっぽく笑った。それは蕾がほころんで花が咲くような、そんな綺麗な笑みだった。


「う、ウス……」


 それに見惚れ、分かりやすく照れながらも、自分の感謝が伝わったことに安堵する巡。

 そうして彼は目指していたハズの扉と反対側に歩き、倒れていたパイプ椅子を起こしてソレに座った。

 優乃もそれと同時に席に着く。

 再び場に降りる沈黙……けれど今回は、その静寂も短くて。


「あ、えーと……先輩?」

「何かな?」


 呼びなれない先輩という言葉を頑張って転がしながら、巡は優乃に話しかける。


「活動日誌って、どうします?」


 勇気を出して、「理想の部活」へと近づくため。

 優乃もまた勇気を出して、再び纏い直したかっこいい先輩キャラオーラ全開で返す。


「四季くんはどうしたい?」

「え? えーと……書いてみるのも悪くないかな、的な。アレだったら全然、俺1人で書くんで大丈夫ですけど……」


 その言葉に、優乃は微笑んで。


「なら、一緒に書こうか」

「!」


 巡は立ち上がり、本棚から活動日誌を取り出す。本を閉じながら此方を見る優乃の顔がやけに印象に残った。


 ――四季巡、16歳。高校入学2年目。

 初めて「部活動」を経験する。

 彼の日常に、新たな楽しみが追加された瞬間であった。


 ◆


 そんなことがあった日の放課後。

 ちょっとテンションが上がっている男、俺こと四季巡が下校していると、ふと声をかけられた。


「こんにちは、先輩。部活帰りですか」


 見れば、今朝ひと悶着あった桜の通学路に見覚えのある人影。


 それは木世津中学キセチューの体操服を着た、茶髪の女子生徒。春咲や夏目先輩ほど華は無く、理沙ちゃんのように思わず可愛がりたくなるような可憐さも無く……ただちゃんと可愛い寄りの女の子だ。てかこれに関しては春咲たちのレベルが高すぎるだけだろう、特に夏目先輩。

 そんなことを半身で考えながら、反射的に貰った問いに頷く。


「え、ああ、うん」


 するとその答えに満足したのか、茶髪女子はぺこりと頭を下げ、


「お疲れ様です。それでは」


 と言って走り去っていった。部活中だったのだろうかそれとも自主練だろうかは分からないが、ランニングに戻ったという感じの立ち去り方だ。


「あ、うん。おつかれ」


 という俺の声は間に合ったか怪しい。それくらい自然な立ち去り方だった。


「……久しぶりに会ったような気がするな。いや、彼女一個下だから当たり前か」


 俺は別に、今の女の子と親しいわけではない。ただ、中学校の頃からすれ違うと挨拶してくれる程度の……というかそれの、一回も面と向かって話したことがないくらいの仲だ。それでも過去の俺にとっては超貴重な「挨拶相手」だったのだが。


「この辺走ってるってことは、もしかしてウチに入学するのかな。『中学校卒業おめでとう』くらい言えばよかったかなぁ……いやでもそんな親しくないしなぁ」


 正直な話、一学年下の後輩だったことは覚えているが、名前も曖昧だ。えっと……確か苗字に「あき」が入った気がするけど……自信は無い。なんかの運動部の県大会で無双したらしいのは知ってるんだけど……。


「そういえば、あの子はなんで俺に挨拶してくれるんだっけ……?」


 微かな疑問を覚えながらも帰路に就く。


 その時の俺は気付いていなかった。

 走り去った筈の茶髪の少女が、遠くからこちらをじっと見据えていたことも。

 彼女が「何者」であるのかも――。

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