⑤ 4月7日(火)・学校生活

 夢を、見ていた。

 微睡という深い霧の中、セピアの景色が脳内を駆け巡る。


『まってよ、めぐるくん!』

『はやくこいよ、あかりちゃん!』


 その舞台は公園だった。

 幼い男の子が、同世代くらいの女の子の手を引いて走っている。男の子は黒髪で、女の子は赤毛。

 彼らは笑いながら公園内を走り回る。楽し気に、幼少という刹那を踊るように。


「(——これは……俺の、記憶?)」


 自問の声に答えは無く。


 ふいに視点が切り替わる。

 まず感じたのは、やけに地面が近いということ。思わず自分の手を確認すれば、それは幼い子供のものに変わっていた。服装も着慣れた寝巻では無く、先ほど俯瞰視点で見ていた子供の自分が着ていたもので。

 酷く低い視点に困惑する俺に、目の前の少女が話しかけてくる。


『どうしたの? めぐるくん』


 赤毛の女の子だ。その子に見覚えは無いハズなのに、なぜだかどこかで見たような気がする——と、急に答えが


『――これは君の記憶。目の前の少女は仲のいい友達。そうだろう?』


 その声は妙に頭の深い部分で響き、俺の意識に指を入れてかき回すようで。

 声に合わせてぐらりと認知が傾き。気付けば俺は夢の中のキャラクターへと変じていた。


 ――そうだ、彼女は「あかりちゃん」。いつも俺と一緒の女の子。そして俺は小学校入学前の四季巡。今日はあかりちゃんと一緒に遊ぶんだった。

 俺は不安げな表情の彼女を心配させまいと笑った。


『……なんでもない。いこーぜ!』

『うん!』


 俺たちは公園を、野原を、花畑を駆け回る。一緒に全力で遊んで、持ってきたお弁当を食べて、躓いて転ぶのさえも2人なら楽しくて……。

 気付いたらまた公園。夕暮れの公園には、めぐる彼女あかりのふたりきり。まるで世界には俺たち以外いないかのような、そんな夢の中で俺は――。


 ――ふと。

 首筋に誰かの視線を感じた気がした。


『! だれかいるの?』


 慌てて振り向くも……そこには誰も居ない。否、この世界に居るのは俺と彼女の2人きりで、他の何処にも人など居ないと直感できる。

 ……気のせいだった、のかな。


『めぐるくん?』

『あ、ごめんあかりちゃん。なんでもないよ』


 やっぱりふたりきりだった公園で、俺たちは向き合う。

 そうして夕日をバックに、俺たちは誓ったのだった。


『わたしたち、おとなになったらけっこんしようっ!』

『うん! おれ、あかねちゃんとけっこんする!』


 茜の空よりも真っ赤に染まった頬で約束した俺たちは、照れからなのか嬉しさからなのかずっと笑っていた。

 風景がぼやけていく。夢から覚めていく。


 ――まただ。

 先に感じたのと同じ視線。純粋に愛でるような、それでいて涎のソレに似た生温かさを想起させる不気味な視線をどこかから感じる。

 だが、それを追う暇もなく世界は覚醒の光に包まれて――。




「……今のは」


 4月7日、朝7時。春咲はるさく朱里あかり冬野ふゆの理沙りさの2人に出会った翌日。

 俺、四季しきめぐるはベッドの上で上体を起こし、先ほどまで見ていた夢について考えていた。


「俺と春咲の、思い出……?」


 茜差す公園。幼い四季巡と春咲朱里は、将来の結婚の約束を――。


「した、んだっけなぁ……?」


 なんか全然しっくり来なかった。夢をトリガーに記憶が蘇るとか、そういうのは一切なかった。

 むしろそう、


「これ、実は俺の妄想が見せた夢とかだったり……」


 転校生の春咲朱里という可憐な女子から幼馴染と勘違いされ、人違いだと思いつつも「こうだったらいいなぁ」という俺の汚れた欲が存在しない記憶を作り上げ――ちょっと待て。

 そうだとしたら俺、滅茶苦茶恥ずかしい奴じゃん! 普段は孤高がどうだの言っておいて、いざ目の前に可愛い女子というエサがぶら下がってたらそれに飛びつく自意識過剰恥知らずファッション陰キャぼっち激ダサ野郎じゃん……!!


「(ぐああああああああ恥ずかしいいいいいいいい!!)」


 羞恥で真っ赤になった頭を抱えて振り回す。俺がそんな意志薄弱の妄想癖野郎だったなんて信じたくないよおお!

 いや落ち着け、クールになれ四季巡。今見た夢が妄想だとは限らない、もしかしたら本当に俺と春咲のビューティフルメモリーかもしれない。ラブフォーエバーでエターナルハピネスの幼馴染ルートでフィニッシュかもしれない。

 ただ。


「(もし本当だったとして……どうやって春咲に訊くんだ? 俺)」


 へーい春咲おっはよー、ちょっと質問なんだけどさぁー、俺たちって昔結婚の約束したよねー……いやいやいや、言える訳ないだろバカ野郎。しかもこれで結局事実無根の妄想だったら、ホントに社会的に死んじまうぞ。16歳にしてバッドエンドだぞ。余りにもリスクが高すぎる。

 ただどれだけ考えた所で、春咲に尋ねる以外の確認方法は思いつけず。


「……ま、とりあえず会ってみるか。どうせ同じクラスだし、なんかやりようはあるだろ」


 色々悩んで、俺はとりあえず後回しにすることにした。悩んでいても始まらない。2日連続で遅刻するわけにもいかないしな。結局いつもの「未来の自分に丸投げ作戦」である。


 そんなこんなで、朝一番から愉快な男、俺こと四季巡は起床した。

 そのまま誰に見せることもないモーニングルーティンをつつがなくこなしていく。

 顔を洗い、歯を磨き、トースターで食パンを焼く。ちなみに俺はトーストにはバターとハチミツ派、目玉焼きはめんどくさいので焼かない派だ。

 皿に出来上がったトーストを乗せ、テーブルに座ってテレビを点ける。

 朝食と牛乳をお供に7チャンネルの朝のニュースを見るのが俺の日課である。


『7時45分になりました。ここで本日の天気予報です。今日は1日を通して気持ちのいい快晴で、傘の準備は必要ないでしょう』


 部屋を暖かい陽光が満たす。窓の外からは小鳥の声、目の前には甘く香るハチミツトースト。ニュースも昨日見そびれたからか安心感がある。この落ち着いた朝の時間は俺の癒しだ。

 と、テレビ画面で丸っこいフォルムのキャラクターが大げさに手を突き出した。


『じゃんけんターイム! じゃんけんぽん! 僕はパーを出したよ!』


 ふっ。このじゃんけんタイムも悪くないが……これに大きな反応をするのは残念ながら遥か昔に卒業してしまった。具体的に言うと去年あたりに。

 まあ今日の俺はチョキを出してマスコ君に勝ったワケだが、この程度で分かりやすく喜んだりはしない。こんなもの勝っても負けても何の得も無いからな。まあ今日の俺の手の形はパーを切り裂くチョキだったワケだが……。


 と、ここでテレビの映像が乱れた。


『ザザ――』


 一瞬だけ流れる砂嵐。故障か? と思ったものの、すぐに画面には明るさが戻った。普段と何も変わらない占いコーナーが始まる。


『わくわく星座占い~! 今日のアナタの運勢は~?』


 占いか……これはお気に入りのニュース番組だが、このコーナーは正直微妙だ。だって俺は占いとか非科学的なものを信じられないからな。そもそも占いって誰が考えてるんだ? 占い師に毎日アンケートでも取ってるのか? まったく、こんなのを気にするのは女児だけだろ。


『本日の1位は~?』


 やぎ座来い。


『やぎ座のみなさ~ん!』

「ぃよっしゃあ!」


 思わず飛び出るガッツポーズ。

 ……いやでもまあ? 1位だったらテンションが上がらんでもないし、微妙というのは言い過ぎだったかもしれないな。……なんだその目は、やぎ座を妬まないでくれないか。


『やぎ座の人は今日絶好調! 気になるあの子と急接近? 更に、きょうだいに優しくするともっといい日になるかも!』


 きょうだいに優しくと聞いて、俺は金髪の少女の顔を思い出した。俺の妹もとい妹分となった、隣の部屋の冬野理沙ちゃんのことを。

 そんな俺を置いて占いは続く。


『相性が良い人はみずがめ座! 一緒に居るといいことがあるのは2歳年下! ラッキーパートナーは金髪の人! あと登下校はその人と一緒が良いかも! 更に――』

「なんか今日の占い長いな……?」


 ていうか何だ「ラッキーパートナー」って。この番組5年見てるが、そんなの今まで聞いたことないぞ。

 と、再びテレビにノイズが走った。


『ザザ――3位はおとめ座のみなさん!』


 さっきの焼き増しのように一瞬だけ映像と音声が乱れ、やぎ座の占いは終わった。てか2位の星座スキップされてないか? 放送事故か? 全然ラッキーじゃないじゃん、惜しくもやぎ座に敗れた2位のみなさん。


「にしても、理沙ちゃんね……」


 俺は2歳年下で金髪の女の子のことを考える。俺は正直、未だに彼女への態度を決めかねていた。昨日は確かに、間違いなく人生で一番初対面の人と打ち解けた日だった。一緒にゲームして楽しかったし。

 けれど思うのだ。俺と仲良くすることで、彼女に何か不都合が起きないか、と。宿題ややるべきことができなかったり、変な噂になったり、もしかしたら俺が誤って彼女を傷つけてしまってその人生を歪めてしまわないか……そんな不安を捨てきれない。恐れていると言ってもいい。なにせ俺は友達など出来た試しのない16歳の高校生だ。人付き合いのやり方も、年下の女の子との正しい付き合い方も知らない。知識も経験も責任能力もない。そんな状態で理沙ちゃんを家に招いて遊んでもいいものだろうか。


「う~ん……ま、これも保留か」


 もしかしたら昨日の今日で嫌われてもう遊びに来ないかもしれないし……自分で言っててなんだが死ぬほど傷つくなソレ……。まあその時は大人しく「兄貴分」を返上するつもりだ。「巡お兄ちゃん」の寿命は短かったな……いやまだ嫌われたと決まった訳じゃないか。


『8時になりました。ここからは――』

「やべ、そろそろ着替えねえと」


 俺はリモコンを手に取ってテレビを消した。トーストの最後のひとかけらを頬張り、牛乳で飲み込む。そして皿をシンクで水につけて、帰ったら洗うと心のメモ帳に書き込む。そしてパジャマからキセコーの制服に着替え、昨日準備しておいた鞄を持った。


「8時5分……ちょっと早いけど、今日はもう出るか」


 昨日の遅刻で慎重になっている俺は、歩いて5分の学校へ出発することにした。ま、早く教室に着いたところで読書の時間が増えるだけだしな。


「行ってきます、母さん」


 最後に部屋の方を――幼い俺が写った家族写真を振り向いて、俺は自宅の扉を開けた。


 ◆


 同日、数分前。

 春咲朱里は通学路を逆方向に――つまり本来目的地の筈の学校から離れるように歩いていた。理由は単純、四季巡を迎えに行くためである。……こう書くと実に微笑ましい男女の青春だが、当事者である彼女の内心は穏やかではなかった。

 その原因は、担任のテレパシストから「見せられた」夢。

 彼女は今朝の夢を思い出す。


「(あのクソ教師、偽の夢の中とはいえ『結婚』だの『めぐるクン(はぁと)』だの好き勝手……!! いくら作戦だからって、私は玩具じゃないッてのよっ)」



 さて、ここで春咲の上司であるテレパシー能力者の力について解説しよう。

 彼女の能力は当然「テレパシー」……相手の頭に直接情報を送ることが出来る能力。だがこの「情報」というのは自分の声だけに留まらない。正確にイメージすれば、他人の声から写真などの資料、果てはフルカラー映像まで、相手の頭の中に送信することが出来るのだ。

 では、そんな「ちょっと便利なSNS」くらいの能力を持つ彼女が、「寝ている人」に対し本気で能力を使うとどうなるか。

 答えは簡単――イメージの世界で作った音声付き映像を、「夢」という形で相手に見せることが出来るのである。


 つまり今朝四季巡と……ついでに春咲朱里が見させられた夢は、一から十までテレパシーによって構成された偽物の記憶なのだ。夢の中で巡が感じていた「視線」はテレパシー能力者の、つまり夢の作者からの視線だったのである。


「(ていうかあのクソ上司もムカつくけど、四季巡もよ。アイツに子供の時の友達がひとりでも居れば、こんなクソ夢見なくて済んだのに……あー、朝から気分最悪。なんか炭になるまで燃やしたいってカンジ)」


 朱里は半ば八つ当たり的な思考をしながら不機嫌そうにターゲットが住む寮の階段を上る。安っぽい鉄階段を踏むたびに鳴るカンカンという音が鬱陶しい。


「(はーあ、マジで火が出ないように気を付けなきゃ……)」


 そうして登り切った所で、春咲朱里は。

 風に揺れる金髪を。

 ターゲットの住む202号室の隣の部屋、201号室の扉から出てきた少女を見た。


 ――冬野理沙と春咲朱里の、目が合った。


 朱里の脳がコンマ1秒でとある記憶を呼び覚ます。それは昨日の作戦の際、テレパシーによって警告されていたこと。


『この任務は国内での今後の「連合」の趨勢を決める超重要ミッション――当然他陣営、「科学使い」と「魔術師」共の妨害があるだろう。そうなったときひ弱な精神能力者と、バリバリ武闘派の戦闘系能力者、どちらが任務を成功させられるかは、ほら、「火を見るより明らか」ってヤツだ』


 今見ている顔を春咲朱里は知っている。髪の色と目の色は違うものの、決して見紛うはずもない。油断を誘うためだろう見目の良い子供の容姿、返り血の目立つ白雪の如き肌――なによりその顔を、戦場でまみえた敵の顔を、春咲朱里は忘れていない。


「敵……! そのツラ、確か科学使いの!!」


 朱里は先ほどまでの漫然とした怒りを投げ捨て、烈火の如き敵意で相手を睨む。



 対するは冬野理沙。

 彼女は先ほどまで、201号室内ちょっとした工作をしていた。巡の見ているテレビをハッキングして、じぶんを意識させる内容の映像を流す……具体的には占いコーナーを乗っ取ってサブリミナル的に自身への注意を惹かせるというものだ。つまり彼が見た占いは冬野グループによって捏造された偽物であり、実際にはやぎ座は12位である。

 そして更に仕掛けてある隠しカメラと盗聴器によるモニタリングで巡が登校することが分かったので、偶然を装い共に登校しようと部屋を出たわけなのだが……。


 そこでタイミング悪く、春咲朱里と目が合った。

 理沙も知っていた。彼女は敵陣営の構成員、そのうち顔が判明している人物のデータを全て頭にインプットされている。その中には武闘派で有名な赤毛の発火能力者・春咲朱里のものもあった。つまり。


「データ照合。対象超能力者、作戦の障害と認識」


 理沙の意識が一瞬で戦闘用のソレへと変貌する。


 ……異能者とは決して一枚岩でなく、むしろ「陣営」という枠組みを作って積極的に敵対している。犬猿、あるいは竜虎の関係と言えば分かりやすいだろうか。それは「四季巡」の件でも――協力せず他陣営を出し抜こうとしている点からも明らかだろう。彼らはずっと昔から敵対していて、時には血みどろの殺し合いや戦争をして……そうやって憎しみの連鎖に囚われた結果が、今の異能者の世界だからだ。

 つまり、別陣営の異能者どうしが相容れる余地は無い。

 よって……別陣営の者と出会った異能者には、その相手を生かしておく理由もまたないのである。


 そうして。

 学生寮を包んでいた平和な朝の空気は、一瞬で戦場のソレへと塗り替わった。


 春咲朱里が一歩、相手の方へと歩み出る。


「……アンタがどうして『ココ』にいるかは知らないけど」


 呟くと同時、轟、と空気が逆巻く。周辺の気温が1℃2℃と上がっていく。

 バチバチと何かが激しく燃焼するような音を纏いながら、春咲朱里は臨戦態勢に入った。

 彼女は揺れる赤い髪の下で、好戦的な笑みを浮かべながら吠える。


「丁度いい、こんがり焼いてやるよインテリチビ!!」


 髪が逆立つ。空気が乾く。発火能力者が「怒り」というトリガーを構える。



 対する理沙もそれを黙って見てはいない。


「武装制限を限定解除。即座に戦闘態勢へ移行」


 ガシャガシャガシャガシャ!! と理沙の周囲で武装が組み上がる。

 自動小銃マシンガン、エネルギー砲、強化カーボン製ブレード……鞄から伸びる蜘蛛の脚のようなアーム、その先に大量の兵器を組み立て取り付けながら、冬野理沙は対象に照準を合わせた。

 青い眼が的を見据え、淡々と諳んじるように呟く。


「敵性存在、確認。排除行動開始」


 銃が撃鉄を起こす。エネルギー砲がチャージを始める。人間兵器が白兵戦を開始する。



 そこは既に戦場だった。互いが互いを本気で殺そうとする、掛け値なしの死地。

 灼熱の殺意と冷血の殺意が衝突し、彼女たちは同時に引き金を引く。


「”燃えろッ――」

「掃射——」


 炎熱と銃弾。超能力と超科学。異能を携えた両者が生死を懸けて激突する、まさにその瞬間。


 ガチャ、と。

 202号室のドアが開き。


「行ってきまー……あれ、は、春咲?」


 そこから現れた四季巡が、2人の中心に割って入る形となった。


「(――ッ!!)」


 0コンマ2秒で春咲朱里は笑顔を貼り付ける。驚きと焦りの余り怒りは鎮火、発射寸前だった超能力が霧散したのが今はありがたい。

 そうして彼女は冷や汗を流しながらも、誤魔化すように笑って手を挙げ挨拶した。


「お、オハヨーメグルクンっ。迎えに来たよ、一緒に学校行こッ」

「え、あ、うん……あ"」


 そして巡が開いた扉の後ろ、死角の位置に居た冬野理佐は、ガシャガシャと音を立てながら素早く兵器を仕舞う。

 間一髪、巡が扉を閉める前に間に合った。一見ただ立っていただけの理沙に巡が気付いて声をかける。


「あ、理沙ちゃん、も居たんだ。てか今さ、なんかすげー音しなかった? 機械の音? みたいな」

「……し、しらない。気のせいだとおもう」

「そっか、まあ俺の気のせいかな」


 春咲朱里は笑顔を、冬野理沙は無表情を保ちながら、ひっそりと冷や汗をかく。


 ――四季巡に己が超能力者/科学使いであるとバレてはいけない。細部は違えど、両陣営ともその方針を取っていたからだ。己が異能者と知られれば、必然警戒され目的達成が遠のく。

 利害の一致から冷戦状態となった彼女らは、敵意を顔に出さないよう必死に抑えながら四季巡を囲む。


「お兄ちゃん、いっしょにとうこう、しよう?」

「な――わ、私と行こうよメグルくんっ」


 そして、そんな2人に挟まれた巡は。


「(え? ナニコレ? 夢?)」


 自分の頬を抓っていた。痛かった。夢じゃなかった。

 つまり己を囲む女子二人は現実なのだった。


「コイ……この子は置いてこうよ。私と2人で行こ?」


 朱里が彼の右手を取ってぐいと引き。


「……私とだけのほうがいいよお兄ちゃん」


 理沙が左手の裾を掴んでアピールする。

 そんな状況に巡は、


「(えーッ、こんな感じになんの!? え、どうしようどうすればいいんだコレ!?)」


 最っ高に混乱していた。

 それもそのハズ、彼は誰かと一緒に登校した経験など無い。迎えに来られた経験もないし、なんならろくに女子と会話した経験もない。そこへ急にである。キャパオーバーになるのも当然だ。

 そんな巡の右手が引かれる。


「メグルくんっ」


 そして左手も掴まれる。


「お兄ちゃんっ」


 幼馴染(かもしれない女子)と妹(妹ではない少女)に迫られて、四季巡は。


「(え、マジでどうしよう。何が正解なんコレ? 俺は何を言えばいいの?)」


 まだ混乱していた。ホントに混乱していた。女子2人に見つめられながら激焦りしていた。頭の中で幾つもの言葉が浮かんでは消滅する。


「(多分俺のアンサー待ちだよねコレ。この気まずい感じの間! とにかく何か言わないと……! でも女子と話したことなんて無いし何を言えば……あーもうこれしかないッ!!)」


 そして、彼が苦悩の末出した答えアンサーは。


「えーと……い、いい天気だね」


 ……。

 空気は死んだ。まあ当然だった。


「(違ったァああああ!!)」


 巡の心も死んだ。心は硝子だった。


「ゲフッ――学校行こう」


 心の中で血涙吐血しながら、もう何も考えたくなくて逃げるように歩き出す巡。


「ちょ、メグルくんっ!?」

「まって、お兄ちゃん」


 そんな彼を少し慌てて追い駆け出す2人。

 そんな訳で、少々不思議な登校が、否、新しい四季巡の日常が始まった。


 ◆


「ふぅ……なんか疲れた」


 俺は木世津高校西棟4階の文学部部室で息をついていた。教室では終始春咲がが気が休気が休まらなかったので、そんな時間を何とか耐え、やっと1人の空間で落ち着いているわけだ。傾きかけた陽が照らす埃っぽい室内。教室よりも二回りほど狭い部屋の中心には大きめの机と三脚のパイプ椅子が鎮座し、その周囲を棚が囲む。整頓の行き届いていなさはその利用人数の少なさを物語る。てかこの部屋を使うのは全校生徒の中で多分俺だけだ。


 さて。俺が通う木世津高校には、「生徒は必ず部活に在籍しなければならない」という校則がある。つまり帰宅部は許されない、ということだ。悲しいことに。入学当初、俺はこの校則に死ぬほど悩まされた。 ようは「どの部活に入ろう……」という苦悩である。

 運動部はまあ、論外だ。べ、別に怪我が怖いとか運動疲れるから嫌いとかキラキラ系の陽キャが苦手とかそんなことはないんだからねっ。……いやはい、嘘です。どっちも超苦手です。

 そんな訳で自ずと文化部に標的は絞られたわけだが……俺は吹奏楽とか合唱とかの「皆協調しましょう」系の部活も入りたくなかった。それは俺の過去の体験が関係している。

 そう、あれは忘れもしない、小学3年生の運動会。俺はクラス全員強制参加のリレーにて、バトンタッチ直前で派手に転んでしまった。そこまではいい。問題はここからだ。転倒後、何を思ったのか……血と泥にまみれた小3のめぐる少年は、バトンを握ったままその場から逃走したのだ。当然クラスの順位は最下位となった。そして俺は運動会のA級戦犯という汚名を刻まれ、クラスが変わるまで敵意の籠った視線と冷ややかな態度を受けることになり……う、思い出すだけで胃がキリキリするぜ……ッ。


 ま、まあそんな訳で、俺はあの「運動会逃走事件」以来、できるだけ他人に迷惑のかかるグループワークは控えるようになったのだ。 そんな俺が協調必須の部活など選べるはずもなく……残った僅かな選択肢の中、俺が選んだのが今の部活、「文学部」であった。


「(文学部ってマジでぬるそう……もとい協調必須じゃない感あったしなぁ。まあ活動日誌くらい書く覚悟はあったけども……)」


 俺は部室を見回す。狭い室内には賞状やトロフィーなどは当然飾られておらず、埃を被った本棚には文芸本がいくつかと、余りにも少なく薄い活動日誌が5冊。やっぱり、なんとなく寂しさを感じる部屋だ。活気とか熱量とか、そういう学生の青春に必ずついてくる感じのヤツがこの部屋からは全く感じられない。それもそのはず。


「(まさか本当に、本読む"だけ"とはなぁ……)」


 ご覧の通り文学部の活動は至って単純、「部室に来て本を読む」。これだけである。こんな部活があっていいのかという問いは当然だろう。そこには複雑な事情がある。


 前述の通り、木世津高校は全生徒部活強制の校則がある。これは「伝統」ではあるものの、生徒一人一人の事情やご時世的倫理観は考慮されていない。だから「逃げ道」として、この文学部が存在する。

 つまり分かりやすく言うと、「部活したくない人・事情があって出来ない人は文学部に籍だけ置いて幽霊部員になってね」というのが、この学校の暗黙の了解となっているのだ。……ちなみに俺がこの事実を知ったのは部活動初日。その日俺は、誰もいない文学部部室で「俺なんか間違えた?」とか思いながら半泣きで最終下校時刻まで過ごし、鍵を閉めに来た殆ど形だけの顧問教師に笑われながら真実を告げられた。

 正直な話、文学部に入部すると決めてからあのときまでの短い間、俺は淡く期待していたのだ。「文学部」という知的な響き、そこにある俺も入れるかもしれない人間関係……だがそんなものは最初から、影も形もありやしなかった。あったのは毎日無人の埃っぽい部室と、家と全く変わらない静寂だけ。

 そうしてなんか悔しかった俺は誓った。俺はこの学校で唯一の、文学部としての誇りを持った文学部生徒になることを。


 そんな訳で俺は1年前から、放課後誰もいない部室で1時間ほど読書をするという、よく分からない学校生活を送ることになったのだった……。


「はぁ。ま、今日みたいな日は落ち着けていいか……」


 まあ「今日みたいな日」なんか初めてなんですけどね! 今まで寂しいだけの部屋だったんですけどね! あはは! ……悲しい。


「(和気藹々とまではいかなくてもさあ……1人くらい話し相手ほしいよなぁ。関係の糸が繋がらないレベルの、部室で会うだけの人でいいから)」


 どれだけ高尚な文学作品を読んでも「なるほどわからん」と唸っても、それを共有できないのがどれだけ寂しいかはこの1年で痛感した。


「春咲とか誘おっかなぁ……でもそれはそれで俺がキモいし気まずくなるだけの気もするしなぁ……」


 結局どうすることも出来ず、適当に読み飽きた古い文豪の短編集でも読んでいたときだった。


「失礼するよ」


 がらり、と部室の扉が、涼やかな声と共に開かれた。

 思わずそちらを見る。


 ――射干玉ぬばたまの髪が揺れていた。


「(……だ、誰だ? 知らない人だ)」


 知らない顔だった。

 翡翠色の瞳を彩るのは、知的な印象を持たせる眼鏡。長く綺麗なストレートの黒髪に、透き通るような白い肌が映える。モデル体型というのか、すらりとした肢体をきっちりと着こなした制服で飾るその姿は、怜悧なくらいに美しくて。


「(知らない人、だけど……)」


 ネクタイの色から上級生、3年生だろうと推測されるその人は、何の気負いも見せず室内に入ってきて、窓側のパイプ椅子に腰を下ろした。

 その所作に流麗さを感じて見入っていると、こちらを向いた彼女と目が合う。

 その瞬間、改めて思わされた。


「(スッゲー美人だ……)」


 春咲朱里も冬野理沙も、俺からすると凄い可愛い女子だと思うのだが……この上級生はなんかレベルが違った。艶やかな黒髪、すっと通った鼻筋に、流し目ひとつで誰しもを魅了するだろう霞に濡れる刃にも似た目。もうなんか「美」って書いてあるオーラとか纏ってる気がした。いや、それだけではない。

 まあ、その、なんというか――単純に俺のタイプにどストライクだった。年上和風美人文学女子が。過去の俺を文芸部に誘った幻想の具現化がそこに居た。


 彼女が俺のから視線に気付き、形の良い眉を少しだけ歪ませて口を開く。


「なんだい? 人のことをじろじろと。私の顔に何か付いているのかな?」


 声も綺麗だった。上品な感じがした。なんていうか、アユとかが泳いでる渓流みたいな、そんな爽やかで透き通った声。

 そんな若干どころか盛大に気後れしながらも、何とか言葉を組み立てる。


「え、あ……いやその、ここはその、文芸部の部室なんですけど……」


 しどろもどりながらの言葉に、上級生は肩をすくめた。


「それが?」


 そんな仕草すら絵になっている。美女って怖い。


「そ、『それが』って……ていうかあなたは一体……」


 怯みながらの問いを投げかけると、少し考えこんだ彼女は、ゆるりと足を組み替えながら言った。


「ああ、自己紹介をしたほうがいいのかな」


 そうしてその翡翠の瞳で覗き込むように俺と目を合わせながら、彼女は艶やかに言ってのけた。


「私は文学部所属の三学年、夏目なつめ優乃ゆうの。君の『先輩』だよ、眼鏡仲間の後輩くん」


 そう微笑む夏目優乃先輩の美貌にあてられながら、俺は残った正気で考える。


 ……幼馴染が出て来て。妹が生えてきて。

 今度は『先輩』って、流石にキャパオーバーだぞ神様!!


 魂の絶叫。

 ばさり、と読んでいた短編集が手からこぼれ落ちた。

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