④ 4月6日(月)・放課後/舞台裏

 ――「冬野グループ」。

 それは日本における一流大企業の名前である。

 彼らは主に車、家電、土地開発など、幅広い事業を手掛けている。グループ会長の優れた経営手腕と優秀な人材を見抜くヘッドハンティング能力により一代にして多大な財を築いた冬野グループは、今や人々がその名を目にしない日は無い、といっても大げさではないほどの大企業だ。

 そんな冬野グループにはしかし、誰も知らない「裏の顔」がある。

 それは「オーバーテクノロジー」という名の異能を秘密裏に研究する、異能関連企業であるという事実だった。


 超先進科学オーバーテクノロジー——それはいわば超発達した科学による超能力の再現。重力を無視し、エネルギー保存則を揺るがし、この世の理を捻じ曲げる……そんな外法の科学に傾倒しているのが、表向き大企業の冬野グループであり、その会長であるという訳だ。

 そんな冬野グループの「極秘部署」、会長肝入りの「特別先進科学研究課」は今、重要な会議の真っ最中だった。



 近未来的なデザインの少し薄暗い会議室。

 白色のLED照明が、机を囲むスーツ姿の人影を映し出す。

 ほとんど影しか見えない、長机に座る数十人ほどの人影。年齢も性別もバラバラの彼らは、ただ「優秀である」という理由で収集された特別先進科学研究科――略して「特研課」のメンバーたちだ。

 ある程度の緊張感と沈黙が満ちる空間に、低く通る声が響く。


「……時間だ」


 その声を発した人物――上座に座った壮年の男が立ち上がり、長机の中心から立体映像ホログラムで資料を表示させながら口火を切った。


「——それでは、今から会議を始める。議題は通達した通り、『要注意人物・四季しきすすむが隠したらしい宝と、その息子・四季巡への接触案について』。なにか質問は?」


 彼の発言に対し、若い男が手を挙げて質問する。


「課長。その件ですが、本当に確かなのでしょうか? 『宝』の存在も、それを四季巡なる人物が保有していることも」


 その問いに対し、課長、と呼ばれた男は鷹揚に頷いた。


「勿論だ。特殊盗聴器から得られた情報、先日捕縛した『捕虜13号』の証言、高度未来予測AI『ラプラス』が演算した未来……全てはこの件の有力な裏付けエビデンスとなっている。他に質問がある者は?」

「……」


 今度は沈黙。


「よろしい。では始めよう」


 そして課長の言葉を合図に、なん百回目の特研課の会議が始まった。

 まず課長は長机の左手側手前に声をかける。


「さて、まずは宝の情報を訊こうか。諜報班」


 諜報班、と呼ばれた数人の中から代表が立ち上がり、立体映像を操作してデータを表示、そのまま報告を始める。


「はい。四季進——以後『対象X』が言及した『宝』について、未だ有力な情報は得られていません。各陣営の趨勢を左右する、ということで『超能力の増幅装置』や『伝説レベルの魔道具』――失われた9つの『魔剣』などが予測として挙げられるのですが……」

「どれも推測に過ぎないという訳か」


 形式を優先した謝罪とそれへの宥恕が行われたのち、課長と呼ばれる人物は議題を進めた。


「よし。ならば宝の情報は後回しで、四季巡——以後『対象A』への接触・及び情報収集を行う際の案を集める。彼は確か『鍵』と呼ばれていた……つまり『宝』の情報、もしくは『宝』を解放する権利などを彼が有しているハズだ。提案のある者は手を挙げて発言するように」


 課長の言葉に合わせるように、四季巡の立体映像が表示された会議室内。

 そんな中でまず手を挙げたのは、顔色が悪く怪しい笑みを浮かべた女性だった。彼女は口の端を吊り上げたまま、何が楽しいのか愉快そうに言う。


「自白剤を使うのはどうでしょう。最近私の部署で、従来の3倍の効力を持つ新薬の開発に成功しまして……」

「却下だ。対象Aへの強制行為を行ってしまうと、冬野グループ自体が審問会や『対象X』と敵対する恐れがある。それは危険度が高く、会長もいたずらにリスクを増やすことをお望みではない。よってより穏便かつ効果的な案を募集する」

「そうですか……非異能者への貴重なデータ収集の機会だと思ったのに……残念です」


 女性が着席。

 それを待っていたかのように、今度は七三分けの真面目そうな男性が席を立ち発言する。


「審問会を警戒するならば、『対象A』と友好関係を結んだ後に、あくまで友好的に訊き出すのが正攻法でしょう。勿論こちらの思惑は隠したうえで、表向き一般人どうしとして接触するのです」


 その意見に、少し考えた後頷いた課長は、


「成程。では一度その線で検討してみよう。何か良い提案は?」


 と今度は方針では無くそれを成功させるための意見を求めた。

 そこからの会議室は荒れた。


「単純接触効果を利用して友好を深めるべきかと。資料1に目を通していただきたいのですが、人が秘密を明かすのと好感度とは相関関係にあり――」

「超能力者が動き出しているとの情報が。奴らは同年代の少女を送り込むという作戦だそうで――」

「なら差別化を図るために少し年が離れた人員を、いやあえて同年代をぶつけ妨害をするのもアリか――」

「『対象A』が通う学校にアンケートを実施して入手したプロファイリングでは、対象の性格は『争いを好まない』『少々見栄っ張り』『寂しがりや』などと推測され――」

「この前ウチが開発した小型立体映像投影装置って何かに使えたり――」

「該当する人材が――」

「それでは――」


 白熱する議論。会議室に溢れる意見の声。

 しかし会議は踊るも進まずといった具合で、なかなか決定的な案は出ない。

 このまま続けても生産性はないと判断した課長が、一度流れを中断させようとしたところで……会議室がやにわに静まり返る。

 ――手が、挙がっていた。

 会議室中の人間が押し黙り、その挙手を行っている人物を見る。それは余りにも綺麗な挙手だったからというのもあるが、それよりもその指ぬきグローブを装着した手の主の実績によるところが大きかった。

 黒縁メガネ、天然パーマ、少しぽっちゃりした体系に……なぜか頭にハチマキ、スーツの上から奇抜な法被を着ている人物。彼は今までこの特研課において、奇抜な発想とそれを実行する行動力で数々の実績を残してきた男。天才プログラマーであり有名大学を首席で卒業した若き俊英でもある彼は、カタカタとノートパソコンを叩きながら言う。


「『妹』、はどうでしょう」


 そのあまりにも突飛な発言に、会議室に静寂が訪れた。

 重苦しい沈黙の中、課長は少し戸惑いながら発言の真意を探ろうと口を開く。


「……妹、とは?」


 答えは迅速だった。


「女性の構成員を義理または生き別れの妹として『対象A』に接触させるという事です。もしくは妹枠な近所の女の子的ムーヴでも可」


 その内容に、流石に誰もが「ふざけているのかこの男は」と思ったが、発言者が発言者のために無条件で無碍にすることは出来ないという空気が流れる。

 それを代弁するように、課長が語気の弱まった声で問うた。


「……少し、理解に苦しむが……理由を訊こうか」


 そうして多数の胡乱な視線を向けられながらのプレゼンは始まった。


「はい。まず対象のプロフィールを見るに現在は恋人ナシ、さらにきょうだいもおらず母とは死別、父は行方不明……つまり、対象は家族愛に飢えている人物だと考えられます。つまり『妹』なら! 異性愛と家族愛の両方から攻めることが出来る訳です。これはとても有力なアプローチだと考えます」


 「おお……」と室内に納得の籠った声がいくつか漏れる。今だ猜疑的な目を持つ者もいたが、それに怯まず自信たっぷりに声は続いた。


「次に。『対象A』は極端に周囲の人間との接触回数が少ない。純粋に陰キャ系のキャラなのかもしれませんが、これは流石に重要な情報を持っているがゆえの警戒が大きいのでしょう。彼は自身に近づいて来る人物を警戒し遠ざける……しかし『妹』なら! 自分より年下でか弱くて可憐な『妹』を警戒し続けることなど、どんな人間であろうと不可能なハズ!」

「……確かに、幼くて無害そうな少女を警戒するのは難しいかもな」


 誰かの肯定が聴こえる。だんだんと室内の空気は、最初と真逆の方向に傾き出していた。それを感じてか、男の声は更に調子づく。


「またインターネットを使った調査では妹属性に魅力を感じる人間が多く、正に昨今のトレンドといった具合で――」


 その後十分程度行われた、異論反論を潰して回るような流暢なプレゼンテーションにより、遂に部長は頷いた。


「……よし。他に良い案も無さそうだ。採用しよう」

「ありがとナス――ゴホン、ありがとうございます」


 控えめな拍手によって、また特研課に彼の案が受け入れられる。


「よし。では条件に合致する構成員のピックアップだ。心当たりのある者は……」


 そうして意見を採用された男は満足そうに頷き、パソコンの操作を再開した。

 彼が会議中熱心に行っていたのが、プログラミングでもプレゼンテーションの準備でもなく……『どきどきっ♡しすたぁず2』という名の妹萌え系ギャルゲーであることなど、真面目に会議を続ける他の人間は終ぞ気付くことは無かった。


 ◆


 ……私の世界は、ずっとその部屋だけだった。

 白い部屋。私に与えられた言語能力では、「白い部屋」としか表せない部屋。そんな部屋で「訓練」と「調整」をして、たまに外に出て「任務」をこなす。自分と同じ顔の「同型機」が壊れたり、補充されたり。いつか私も廃棄する側から廃棄される側に回るのかな、と漫然と考えながら、今日も任務に備えて調整を受ける。

 それが私の――私たちに与えられた人生で。



「――3番、起きろ。任務だ」


 声が、ほとんど閉じかけていた私の意識を覚醒させた。声紋を認証……命令権のある人物の声と判定。

 下された命令に従い、私は横倒しのカプセル型の装置から起き上がる。体を起こす際、首に繋がっていた電極が数本、ぷちぷちと音を立てて外れた。脊髄に痺れるような不快感が走るが、それに不満を言う機能は私には無い。

 起き上がった視界には、いつもの白い部屋。沢山のカプセル型の装置が並ぶ、無菌の研究室。


「……」


 私はカプセル型装置から出る。また電極が数本外れて、私と装置を繋ぐものはなくなった。そのまま私は周囲を見回す。

 2人の「大人」が、部屋の中に立って会話していた。


「なるほど、この子が……」

「ええ。ARISアリス計画製の強化人間、この子は脳力強化ブレイン・ブーステッドタイプですね。製造番号はBB-03。脳波出力は歴代最高の数値を出します。複数回の実戦経験アリで成績も良い。文句なしの、優秀な『科学使い』ですよ」


 私に命令権のある「司令」と……もうひとり、知らない誰かが司令と話している。私は彼らの前に移動し、待機姿勢で指示を待つことにした。

 と、直立した私の顔を知らない人が、大人だろう男の人が覗き込む。


「うむ……アルビノとはいえこの容姿なら充分だろう。髪と目の色がアレだが……髪は染めて、目はコンタクトで騙せばいい。そうだな、金髪碧眼とか似合いそうだ」


 その言葉の意味は分からなかったが、すぐに気にしなくなった。私にそう言ったことを考える機能は必要ないだろうから。

 茫洋とただ指示を待つ私に、聞き慣れた司令の声が掛かる。


「3番、『特研課』が直々におまえを御指名だそうだ。任務の内容はこれからまとめてインストールする。別命があるまで1番ドッグで待機しておけ」

「……了解」


 異論はない。

 私は「科学使い」。魔法を超えた科学を使い、「冬野」の敵を討ち滅ぼすモノ。

 だが、私に何か不備があったのか……知らない人の顔が曇った。彼はそのまま司令と会話を始める。


「あー……その、愛想が足りないように思うのだが。この子はもうちょっとこう、可愛らしく笑ったりは出来ないのか?」

「必要であればそうさせますが。もし御所望なら、入力には1ヶ月ほど貰いますよ」


 司令の言葉に、知らない人ははあと溜息をつき。


「……連絡が上手く行ってなかったようだな。いいか、今回は殲滅でも鹵獲でもない。諜報作戦だ。それも思いっきり人と関わる奴。愛想が無くてどうするんだ。1ヶ月も待てないぞ」

「そうですか、それは失礼。ですが本計画の兵士たちはそのような用途での運用を想定していません。他を当たってみてください」


 司令の冷静な言葉に、知らない人は……彼は突如頭を振り乱しながら叫んだ。


「——居ないんだよウチの会社に16より下の、異能に関わってる女の子!! 全部署あたって、もうココしかなかったの! あのクソ上司、何が『妹じゃないと意味がない』だよ自分で探しやがれコンチクショウ!!」


 知らない人がわめいている。自分や同型機に向けられるものでは無い憤りを傍で見るのは初めてで、なんだか不思議な気分だった。

 と、その知らない人がこちらを向いた。見た事の無い顔……笑顔、というのだろうか。そんな顔をして、かがんで私と目線を合わせてくる。


「ふぅ、騒いでごめんね……えと、君名前は?」


 胸元には「特研課」のバッジ。彼は自分に命令権がある人物だと確認できたので、与えられた質問に答える。


「私はBB-03。所属は冬野グループ・対異能戦闘部隊『アサルト』。識別コードはS-096-461-03です」


 不足なく答えた筈だったが、特研課の人の顔が曇る。彼は眉尻を下げてさらに私への質問を続けた。


「えーと……君に与えられる任務は諜報……ターゲットと仲良くなって情報を手に入れる必要があるものなんだ」

「了解しました。全力を尽くします」

「……とにかく、この任務には名前が、製造番号でも識別コードでもない『個人名』が不可欠なんだ。苗字は『冬野』で良いとして、名前……きみ、なにか好きな言葉とかあるかい?」


 好きな言葉……考えたことも無かった。


「……申し訳ありません。わかりません」

「そうか。なら……確か君をつくった計画がAchieving a revolution in scienceでARIS計画だったから……そうだな。ちょっと並び替えてRISA、リサはどうかな。科学使いっぽく理科の理と……まああとなんか適当な『さ』でリサ」

「……り、さ」


 口の中で言葉を転がす。

 リサ。りさ。名前。個体名。わたしのなまえ。

 ……なんだろう。胸がくすぐったいような、初めて味わう不思議な痛み。


「――」


 こくり。思わず、それを取り下げられないように素早く頷いた。

 そんな私を見て、特研課の人は再び笑顔という表情になる。彼は私に手のひらを差し出しながら、言う。


「よし。それじゃ行こうか」

「待って下さい。作戦のインストールがまだです」


 司令の声に、差し出された手を取ろうとしていた私の体が無意識に止まった。だが。


「あー、口頭で説明するよ。その方がこの子の情緒も育つだろう」


 特研課の人はそう言って、そのまま私の手を取った。

 彼が歩き出したので、自然、手を繋いだ私も歩き出す。

 離れていく、と思った。司令から、白い部屋から。私たちの部屋から。


「……?」


 今抱いた感情は何だろうか。それを言葉にする機能は私には無い。

 だけど、これだけは憶えている。そのときの私は……冷たい廊下を歩いているだけなのに、少し足元がふわふわしたような、そんな感覚を味わっていた。


 ◆


 それが2日前。

 私には新たに「冬野理沙」の名が与えられ、特殊な任務に就くことになった。

 今でも少し、あの日起こったこと・あの日から変わったことに対応できていない感覚はある。

 けれど任務は任務。私は人である前に兵器、入力された命令をこなす装置。何を置いても、任務はこなす。


 がく、と少しだけ首が揺れた。送迎の作戦車両が止まったのだ。スモーク処理された強化ガラス窓からは、後ろに流れることの無い街の風景が見て取れる。

 私は座っていた後列のシートから下り、隣に座っていた若い工作員から鞄を受け取る。四角い革鞄を背中に背負い、そのまま車の外へ。何の変哲もない黒色のバンに偽装した作戦車両から下りた場所は、シュミレーション・ルームで確認した住宅街だった。


「報告、こちらS-096-461-03。所定の位置に付きました」


 耳に手を当て、耳の中に入れたマイク一体型のインカム・チップに報告。すると、そこから骨伝導式で外に漏れない通信音声が聴こえてくる。


『こちら司令部、了解。それと改めて、本作作戦での君の識別コードは「R」だ。理沙でもいいが、以前のコードは使用しないように。無駄に長くて非効率的だ』


 以前の司令とは違う、新しい司令の低い声。


「……R、了解」


 再び耳に手を当てて返答。耳に手を当てるのは此方の声を邪魔する外からの雑音を出来るだけ遮断する為と、此方に届く通信音声を耳の外に漏れづらくする為だ。

 と、作戦車両のドアが閉まった。前扉の窓が開き、そこから運転手の声が届く。


「エージェントR、御武運を」


 作戦車両が私を置いて作戦地域を離脱する。

 私は鞄を担ぎ直し、そのまま首を動かして周囲を確認した。ここは作戦目標である四季巡の暮らす学生寮……そこから50メートルほど離れた、学生寮とその周囲が見渡せる場所。

 曇天の空の下、周囲に人通りは無い。その理由を説明するように、耳の中の装置から声が届く。今度の声は司令のものではない、通信員だろう女性の敬語。


『こちら司令部。B・C班による周囲の人払いが完了しました。これより現場の作戦担当者には、限定的に第二種特殊兵装までの使用を許可します』

「R、了解。作戦行動、開始します」


 私は目標の学生寮を見据える。事前の調査ではなんの異能も科学技術も使われていない、防衛機構も変形機能も無い学生寮。

 その敷地内の駐車場に、2人の人間が立っているのを視認する。

 眼球に埋め込んだ強化コンタクトレンズを使用。100メートル先の文庫本を読むことすら出来る視力と、遠隔接続したコンピューターによる情報処理を行うことが出来る視界で、該当人物の顔をスキャンする。


「報告。目標ターゲット、個体名:四季巡を確認。誰かと会話している模様。会話相手の顔をスキャン、データ照合……一致。会話相手は脅威レベル4、発火の超能力者と断定」

『司令部了解。エージェントRは移動を開始してください』

「R、了解。司令部、対象の排除を実行しますか?」

『いや、目標の目がある。人払いも完璧ではない、今は目標との接触を優先しよう』

「R、了解」


 私は履き慣れないローファーでアスファルトを踏みながら目標の寮へと歩き出す。その間も観察と報告は欠かさない。

 視界の先、此方とは逆方向に走り去る赤髪の女子生徒。そのことを耳に手を当てて報告。


「発火能力者、離れていきます。目標との接触を終了した模様」

『よし。そのまま予定通り部屋の前で……』


 と、司令の声を通信員の声が遮った。


『! 目標が自室に向かって移動開始、このままだと間に合いません! 目標が階段を登りきるまでの予測時間、あと15.2秒!!』


 強化された視界がその情報通りの光景を、四季巡が階段を上りだす姿を捉える。

 それを確認すると同時、司令の焦りを含んだ声が届く。


『なに!? 所定の位置まであと30mはあるぞ! それによく考えたら2階に上がるには階段を通らないといけないじゃないか! 自室に入られたら流石に手の出しようがない……今日の接触は諦めるしかないか……?』


 司令部の中に広がる混乱を聴き、私は思い出した。

 今回の任務では現場の判断を優先するということを。


「状況、把握」


 そして――この程度の距離、5秒も必要ない。


「——所定の位置まで急行します。『収納多脚スパイダー・アーム』、解放」


 ガシャガシャガシャ!! と音を立てて背負っていた学生鞄が変形し、中から蜘蛛の足を模したような複数の機械の脚が出現した。3対6本の白いアーム、外装の素材は強化カーボンで、「脚」の先端には直径10センチほどのホイールが付いている。

 その「脚」をアスファルトの道路に接地させ、1本で100キログラムを軽く支える力を持つ脚たちを使って体を浮かせる。


「周囲に人影無し……行動を開始します」


 そのままホイールを高速回転させ発進。

 宙ぶらりんの体制になりながら、ぎゃりぎゃりと音を立て加速を続ける。このとき出ていた最高速度は、時速にして約80㎞。30mの距離を5秒と経たず走り抜ける。


『もう残り2m地点まで……! だが2階に上がらなければ』

「問題ありません」


 私は「脳力強化Brain Boosted」タイプ。機械に強化・増幅された脳波を読み取らせることで、兵器をより精密に、より直感的に操作することを目的として生み出された、冬野グループ製の強化人間だ。

 私は思考によって直接ホイールに指示を送り、ホイールの形状をものを掴める鉤爪に変形させた。そのまま複数の脚を上に伸ばし、ベランダの柵や柱に引っ掛け、そのまま体を持ち上げてベランダから2階通路に体を運ぶ。最後は出来るだけ勢いを殺し、音を立てないように2階廊下に着地。

 最大展開すれば重さ1tにまで耐えられる「収納多脚」は、この程度の事造作もない……時間にして3秒の早業。

 ガシャガシャと鞄の中に脚をしまいながら、報告。


「所定の位置に到着しました」

『素晴らしい! 君は天才だエージェントR!!』


 司令の声に少し心が浮つくが、その感覚に浸る時間はない。


『予測接触時間まで残り3秒、2秒……目標、来ます!』


 そうして私は廊下の奥、階段の方を見て――そして出会った。


「チャララ~――ァんぐェへッ」


 こちらと目が合うなり固まった、作戦目標である四季巡と。

 思考を直接文字として出力する機械を使い、声を出すことなく司令部に報告を届ける。


「(目標、目視で確認。距離2メートル……これより接触を開始)」

『司令部了解。くれぐれも愛想よく、フツーの中学生らしくな!』

「(R、了解)」


 そのまま私は作戦目標への接触に集中することにした。

 黒髪に黒目、眼鏡をかけた人物。身長も容姿も、事前のシュミレーションで確認した「四季巡」と一致している。

 私は動きのない彼に近寄り、あらかじめ決められていた最初のセリフを完璧に。


「はじめまして、『お兄ちゃん』」


 ぺこり、と「学習」した綺麗なお辞儀を再現して見せる。

 この後の会話のパターン、およそ35パターンのシュミレーションもインストール済み。私は少し身構えながら目標からのアクションを待ち。


「あ、うん。初めましてコンニチワ。なんかゴメンね、ホント。じゃあね……」


 するっ、と横を抜けられた。

 気付いたら彼は自室の扉を開けていた。

 思わず認識機能の不具合を疑ってしまう程の、引き留められない自然な動きだった。そんな私の意識を司令部からの声が現実に引き戻す。


『シュミレート外の反応! 接触の機会を失うのはマズい、扉を閉めさせるな!』

「りょ、了解」


 私は少し焦りながら行動を再開。廊下を戻り、閉まりかけた扉に手を伸ばす。


「(身体強化装置、オン)」


 身に纏った中学校の制服、その中に仕込まれた駆動系が動き出し、私の年齢標準レベルの筋力をサポートするパワードスーツとなる。

 そのままドアノブを掴み、靴に仕込まれたボルトを廊下床に撃ち込みロック。目標が閉めようとしていた扉を力づくで固定する。

 出来た隙間から室内を覗き込んで、できるだけ愛想よく話しかける。


「……まって、『お兄ちゃん』」


 返答は悲鳴だった。なぜ。


『声の大きさや波長、表情の解析結果的に本気でビビられてます。こ、この接触方法は失敗ではっ?』

『ま、まだ何とかなるハズだ!』


 私が司令部からの声にどうしたものかと考えていると、室内で尻もちをついている目標が彼から話しかけて来た。


「ひぇ、ええっと、何用でしょうか……?」


 四季巡。黒髪黒目に眼鏡、特に特徴のない高校生。そんな彼の情けない、言い換えれば年上に対するおそれを微塵も抱けないその姿に、ついぽろりと文句が漏れる。


「予定外の行動、こまる」

「よて……何?」


 あ、まずい。これは言っちゃいけないんだった。


「なんでもない。あなたに話が、ある」


 うまくごまかすと、今度はインカムから必死な声。


『あー理沙! できるだけ可愛らしく!にこやかにな!』


 その声に、私は出来る限り学習した「可愛らしい仕草」と現状最大の笑顔(*口角が2ミリほど上がる)をしながら、事前に与えられたセリフをなぞる。


「私は冬野理沙。『お兄ちゃん』って、よんでいい?」


 それに対して、目標、四季巡は言う。


「えーっと……どゆこと???」


 その私でも分かる困惑100%の言葉と共に、私の新しい任務が始まった。


 ◆


 私、冬野理沙は四季巡の住む202号室に入り、不慣れを晒しながらもタスクをこなしていく。

 普通の中学生を演じながらも、子供が1人暮らしをするという状況を怪しまれないように言い訳し。

 そして「妹」として目標に取り入ることに成功する。これはあらかじめ学習しておいたセリフと演技が役に立った。

 そうして彼に菓子食品と甘味飲料を貰い、好感度の上昇を確認。少ししか手を付けないことで礼儀を示すことも忘れない。

 また共同でテレビゲームをプレイし、そこでも好感度を稼ぐ。脳波を直接読み取ってくれないコントローラーにもどかしさを感じ少し大きな声を出してしまった気もするが、許容範囲内であると判断する。……ちなみにゲームの結果は必要ないので報告しない。別に結果は作戦において重要ではないと判断する……別に悔しいとか思ってはいない。


 そして時間はあっという間に夕方。

 私は夕焼けに染まった202号室の前で「巡お兄ちゃん」に見送られていた。


「ちょっと長時間遊び過ぎたね。もう遅いから、気を付けて――いや隣の部屋だからそれはいいのか」

「うん。ありがとうお兄ちゃん」


 ターゲット・巡お兄ちゃんからは最初の恐怖や困惑はもう見られない。よって私は充分に親交を深められたと判断する。


『最初はどうなることかと思ったが、中々良い感じだったんじゃないか?』

『まあ少しヒヤッとする場面も多かったですけどね……』


 インカムの先の司令部も概ね満足げな空気だった。

 私は少し安心しながらも、これからの任務のために質問した。


「今日は楽しかった。またきて、いい?」

「……それは、えっとね」


 しかしここで巡お兄ちゃんの――ターゲットの表情が曇る。


「今日は俺も流れで入れちゃったけど、女の子が1人で男の家に入るってあんまり良くないことなんだ。理沙ちゃんはまだ中学生で、親御さんの許可も貰ってないし、だから……」


 その発言の続きが拒絶である可能性が80%を超えた瞬間から、私は動き出した。

 思考を直接文字にして司令部に送る。


「(映像投射装置の使用を提案。具体的には、遠隔投影式の立体映像で『親』と『親御さんの許可』を捏造する)」

『……なるほど、その手が……! 司令部了解、その案でいこう!』

「(R了解、では作戦の為の『親役』を募集する)」

『分かった! 私が父親役をやる、小型マイクの接続急げ!』

『かちょ……いえ司令、投射装置はこちらです! 速く移動を!』


 慌ただしい司令部の動きを聴きながら、私は後ろ手で鞄に取り付けていたバッジをひとつ剥がした。直径3センチほどの円盤に似たそれは、小型化された立体映像の投影装置。

 それの電源を入れ、廊下の床へと素早く投げる。ブゥン、と司令部内の投射装置の範囲内を再現した立体映像が投影されるが、現在投射装置内には誰も居ないため、バッジ型の装置は上方に透明な光を放つだけだ。

 投影装置のセットが完了したら、今度は「収納多脚」を背中で隠しながら一本だけ展開。その先に立体音響によって音源地を捏造可能な高機能スピーカーを取り付け、背中を通してこっそりと目標の方へと向ける。


「(こちらR。投影装置・スピーカー、共にセット完了)」


 と、同時にインカムから声が届いた。


『了解、こちらの準備完了も完了しています!』

「(了解。該当者には投射装置内への移動を要請。音声通話・スピーカーオン)」


 そうして投影装置は、対応する投射装置内の映像を――そこに入った司令の姿を映し出す。

 ブゥン、と本物にしか見えない不透明度92%のフルカラー立体ライブ映像が展開された。

 声は司令が付けた小型マイクが拾い、私がセットしたスピーカーが放つ。


『いやー、お隣のお兄さん。「娘」がお世話になりました』

「へぁっ?」


 音声の接続は良好、音源地を映像の司令の顔辺りに設定するのもばっちりだ。

 司令は特殊コンタクトを通して私の視界を見ながら、それを頼りに出来るだけ自然な仕草で目標と目を合わせながら演技する。


『理沙と遊んでくれたんでしょう、ありがとうございました。私は冬野理沙の父です。この子、理沙は少し愛想がない所がありまして……お兄さんに懐いたのならこれは僥倖、まさに渡りに船と言うやつですな』


 目標は突然現れた(ように見える)スーツ姿の『父親』に驚きつつも、それが映像とは疑っていない様子。

 司令は怪しまれないよう、また間違っても映像に触れられることの無いよう、素早く迅速に言葉を投げかける。


『私は仕事の事情で家にあまり帰れず……この子には寂しい思いをさせてしまいそうだったんですが、お兄さんがいれば安心だ。どうです、娘も君に懐いているようですし、これからもこの子と遊んでくださいませんか?』

「え? いやあまあそれは良いんですけど、お父さん? はいったいいつからそこに――」

『ありがとうございます娘も喜びますそれでは!』


 丸め込めたと判断した瞬間、司令は投射装置の範囲内から飛び出る。当然、投影装置が映していた司令の姿も消滅した。


「え、ちょっ!」


 目標が驚き、玄関から身を乗り出して階段の方を見る――その隙に私はアームを使い立体映像投影装置を回収した。そしてスピーカーから「階段を下りる音」を出力、立体音響機能を使い「階段を下りる父親」を想像させ、急に現れ消えたことを出来るだけ怪しまれないようにする。


『ふぅ……どうだ、成功か?』

「(肯定。目標の疑念は規定レベルに達していないと判断可能)」

『はい。素晴らしい演技でした司令』


 思考によって声を出さず司令部と会話しながら、私は目標に向き直る。

 未だ階段を凝視したままの彼の服の袖をつまんで引っ張り、注意を此方に向けさせて一言。


「親(*偽物)の許可、もらったよ?」

「……そういえばそんな話だったなぁ」


 そんな話だと分かってから対応したので当然である。

 しかし目標は未だに決断を迷っていた。


「でもやっぱりなあ……世の中のモラル的には」


 ……ここで、私の頭をとある映像がよぎった。

 それは「学習」の際に見た教材のアニメーション映像。見せてくれた少し変な格好の特研課の人曰く、タイトルは「甘える妹の見本」。映像の内容は、妹が兄の手を握り、可愛らしくおねだりをするというもの。

 なぜ今それを思い出したのかは分からない。先ほどまでの接触時のデータからそれが有効だと無意識に判断したのかもしれないし、もしくは本当に偶然かもしれない。

 ともかくその時の私は、「それ」に賭けてみようという気分になったのだ。

 私は巡お兄ちゃんの手のひらを掴み、そしてしっかりと目を合わせて言う。


「お願い、めぐるお兄ちゃん……」


 効果は抜群だった。

 巡お兄ちゃんは頬を緩ませ、


「しょうがないなぁもう! 夕方までなら大丈夫か、多分!」


 と許可をしてくれた。


「わーいありがと」


 映像で見た通りしっかりと感謝を伝える。

 と、インカムの向こう……今までと違い、少し遠い声をマイクが拾う。


『今のは……誰か指示したのか?』

『いえ課長……もし今のが彼女の自発的な行動なら、設定された自発行動能力を逸脱しています』

『そうか、いや、この程度なら問題は……おい、マイクが繋がっているぞ――』


 ぷつり、と声が途切れる。どうやら私に聞かせられない会議が始まったらしい。

 別に不満などの感情は抱かない。私が触れることが出来るのは機密レベル3までの情報だけであり、それが私にとっての当たり前なのだから。

 私はインカムから意識を外し、目標に別れの挨拶をする。


「それじゃ。また明日、お兄ちゃん」


 振り向き際に見た巡お兄ちゃんの微妙な表情が、なんだか少し面白かった。

 また明日。私と目標との接触は、今日で終わりではない。むしろこれはただのスタートライン、これから時間をかけて仲良くなっていく必要がある……信頼を勝ち得、情報を聞き出すために。


 そうして私は自分の新たな活動拠点、201号室に入る。

 これで目標とのファーストコンタクトは終了。だから……私は一息置いて、任務の「続き」を始める。


「……第一段階終了。第二段階、情報収集のための諜報機械設置を始めます」


 返事の帰ってこないインカムに一応報告をし、私は先程まで居た場所と比べると殺風景な部屋に足を踏み入れる。ただ、「殺風景」といっても何も無い訳ではない。

 部屋の中には、金属製の巨大なケースがいくつも転がっていた。

 それらは冬野グループが事前にこの部屋に運び込んでいた「作戦道具」。多種多様な用途で作戦をサポートする、特研課の中でも最新式の機械たちだ。


「超音波式室内観測装置、確認。高性能収音機、確認。小型生物型監視カメラ、確認。電波ジャック式ハッキング装置、確認……」


 あらかじめ「インストール」していた装置のリストと実物を照合。漏れが無いことを確認して、そのままガシャガシャガシャ、と「収納多脚」を完全展開。蜘蛛に似た機械の脚8本を使って装置たちの外装を剥ぎ、素早く正確に組み立てていく。

 装置を組み立てながら、思う。これらの装置の目的は、四季巡ターゲットが住む隣の部屋から、冬野グループをより反映させる「宝」の情報を集めるためだ。


「……」


 ふと、1時間を思い出す。必死でコントローラを動かす自分と、その隣で楽しそうに笑っている「お兄ちゃん」の姿。


「ごめんね、お兄ちゃん」


 ぽつり。

 気付けば出ていたその言葉の意味は、私にもよく分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る